アートと文藝のCafe

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安倍氏・高市氏の「中国批判」は間違っている

 

 12月18日のネット情報によると、自民党高市早苗政調会長が、北京冬季五輪を「外交的ボイコットを岸田政権に呼びかけたが、政権側の茂木幹事長がその意見の採択を見送ったことが報じられていた。

 

 高市氏は、そのことを「くやしい」と恨んだという。

 

 高市氏の背後には、安倍晋三元首相がいる。
 だから、高市発言というのは、そのまま “安倍発言” と見なすことができる。

 

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 一連の記事の出どころは「zakzak」というサイト(夕刊フジ公式サイト)」だ。

 

 同サイトは次のように主張する。
 「安倍元首相は、岸田首相の煮え切らない態度に業を煮やしている。このままなら、安倍氏が、岸田氏を見限る局面もあるのではないか」

 

 さらに続けて、次のようにも書く。 
 「安倍氏の発信には、緊迫した中国・台湾情勢に対する安倍氏の強い危機感がにじみ出ている。優柔不断な岸田首相とは、大違いである」
 
 
 結論から先にいうと、上記のような論調は、政治を知らない識者の発言でしかない。
 
 政治というのは、 なかでも「外交」というのは、果敢に攻め込むことも必要だが、時には「のらりくらり」と泳いでいた方がいいこともある。
 「zakzak」の書き手たちには、その呼吸が分かっていない。

 
 
 安倍氏高市氏の対中国強硬論は、まさに「政治を知らない」がゆえにできることだ。

 

 

 一般的に、安倍氏高市氏のグループは「タカ派」、「保守派」などといわれている。
 私は、その呼称は違うと思う。

 

 彼らは、ただの「観念派」にすぎない。
 つまり、イデオロギーで外交を断ずるという人たちなのだ。

 

 それに肩入れする「zakzak」の論客たちも、「観念派」である。
 だから、“煮え切れない” 岸田首相の言動を、
 「宏池会に染み込んだ “親中” 体質だ」
 などと揶揄する。

 

 バカじゃないのか? この論者たちは。
 確かに、岸田首相は宏池会の流れを汲んだ政治家だが、岸田氏がのらりくらりとしているのは、“宏池会のDNA” などという古めかしいものというよりも、現在の中国とのイデオロギー戦に対する深謀遠慮だ。

 

 中国は、北京五輪のボイコットを手中する国が、その理由に「人権擁護」という言葉を出したとたん、意地汚いほどの痛烈な罵倒を繰り出してくる。
 場合によっては、経済的な対抗手段すら持ち出してくるだろうし、さらには、嫌がらせとして尖閣への圧力をもっと徹底させてくるだろう。

 

 安倍・高市氏らは、そういう中国に対して、むしろ挑発するように、「人権」を盾に歯向かおうとする。

 

 それは利口なやり方ではない。
 中国という国は、政治的に批判しようがしまいが、敵対勢力をつぶそうと思ったときは、一気呵成に攻め込んでくる。

 

 そういう中国に対しては、防衛的な対応もしっかり進めながら、言葉による外交では「のらりくらり」とかわしておくことが賢明なのだ。

 

 中国の人権侵害を糾弾することは非常に大事だ。

 しかし、それこそメディアなどの仕事だ。

 中国政府は、日本のメディアの動向もしっかりチェックし、自分たちが不利益を被るようなことには苦い思いを抱いている。

 ただ、彼らも、メディアの発言に関しては、国を超えて攻撃することはできない。

 

 その点に対し、政治家は、発言において慎重にならなければならない。

 つまり、中国が牙をむくタイミングをずらすことが大事だ。

 

 安倍・高市両氏の主張を聞いていると、
 「こいつら政治家なのか?」
 と疑わしくなる。

 

 

 

Born Under A Bad Sign

  

 ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン

 

 日本語に訳せば、「悪い星の下に生まれて」。

 “ほんとにツキのねぇ人生だぜぇー” ってな意味である。

 

 この言葉は、黒人のブルース奏者アルバート・キング(下)が大ヒットさせた曲名としてよく知られている。

 

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▼ Albert King - Born Under A Bad Sign 

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 アルバート・キングは1923年に生まれて、1992年に亡くなった人だが、この曲の最初のレコーディングは1967年頃といわれており、40代半ばという最も脂の乗り切ったときに世に出た曲だ。

 

   ♪ 「不運」と「トラブル」だけが俺の “友だち” さ。
   10歳のときから、そんな人生を送ってきた。
   俺は文字も読めねぇし、書き方も知らねぇ。
   だから、どこへ行ってもクズ呼ばわりよ。
   ほんとに悪い星の下に生まれちまったぜ。

 

 歌詞は、まさにブルース!
 都市の最下層民として生きる黒人の自虐的なぼやきが、そのまま歌になっている。

 

 歌詞はヤケクソ的な精神に満ち満ちているが、この曲が、60年台後期の白人ロックミュージシャンたちに与えた影響は大きい。

 
 クリーム、ジミ・ヘンドリックスジョニー・ウィンターなどがカバーを手がけていて、スタンダードブルースのなかでも定番中の定番といった様相を呈している。

 

 実はこの曲、私が「ブルース」という言葉を使われたときに、最初に思い浮かんでくる曲なのだ。

 

 聞いていると、椅子に座っていても、肩が自然に前後に揺れ始め、膝が勝手にリズムを取り始める。

 

 決して、立ち上がって上下にぴょんぴょん飛び跳ねたりはしないけれど、それでも身体が “ブルースの波動” に感染して、微熱がじわじわ上がってくるのを感じる。


 脳より先に皮膚が音に反応する。
 そういう力を持った曲である。

  

 このアルバート・キングの演奏を聞いていると、スタックス・レコードと契約したばかりの頃を反映してか、非常にソウル・ミュージック的な演奏になっていることが分かる。
 
 特にこのテイクはホーン・セクションも入ったりして、この時代のR&Bっぽいつくりになっている。
 
 
 もっとも、『ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン』が有名になったのは、クリームが1968年にカバーしてからだ。
 クリームの演奏が世に出てから、本家アルバート・キングの曲も知られるようになったという。


▼ Cream  Born Under A Bad Sign

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 私が最初に聞いたのも、このクリーム版だった。
 1968年に発表されたクリームのアルバム『WHEELS OF FIRE (クリームの素晴らしき世界)』に、この曲が収録され、けっこう有名になった。

  

 “ブルースフリーク” だったエリック・クラプトンがいかにも好みそうな曲で、ロック的なアレンジにもかかわらず、ブルース本来のねちっこいドライブ感を大事にした曲風になっている。

 

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 実は、この曲を際立たせているのは、メンバーの一人ジャック・ブルース(2014年没 上の写真では真ん中の人)の弾くベースである。
 
 こんなに重くてネバッこいベースの響きは、そうめったに聞けるもんではない。
 まるで、ティラノザウルスが、長いシッポで砂煙を立てながら、ダンスを踊っているみたいだ。
 エモノを倒した後の、肉食恐竜の饗宴を盗み見しているような気分になる。

 

 

 このクリーム版の『ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン』は、60年~70年代のロックを聞き慣れた人にはコテコテのブルースに聞こえるかもしれないけれど、わたし的には、これが「ハードロック」なのね。
 
 演奏形式ではなく、「ハード」という言葉を “重量感”、“刺激性”、“カッコよさ” などという概念で切っていくと、こいつはまぎれもなく、ハードロックだな と思う。

 
 ベーシストのジャック・ブルースは生涯この曲が気に入っていたのか、2005年のロイヤル・アルバート・ホールで昔のメンバーを集めたときのライブにおいても、枯れた味わいの中にも凄みを利かせる演奏を繰り広げている。


▼ Cream - Born Under A Bad Sign (Royal Albert Hall 2005)

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 1968年のスタジオ版よりも、さらにテンポは落とされ、その分レイドバックしたニュンアスが漂う演奏になっているが、逆にジャック・ブルースの凄み というか、怖さみたいなものも浮かび上がってくる。
 
 この人、本当にこの曲が好きなんだな と思えてくるのだが、その歌詞の内容に、なんだか彼の人生を重ね合わせたような雰囲気も伝わってくる。

 

 それにしても、画像を見ると、クラプトンもジンジャー・ベイカーもそうとうオッサンになっている。
 ま、2005年の映像だしね

 

 ジャック・ブルースも、このときはずいぶん老けた顔になっているけれど、肉食恐竜の猛々しさは失っていない感じだ。

 

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 元クリームメンバーとしては、“大御所” エリック・クラプトンも1994年のライブでこの曲を披露している。


 もともとギターリストだけあって、ギターの勝った演奏になっているが、私はジャック・ブルースの演奏の方が好きだ。

 

 クラプトンがブルース好きなのは分かるけれど、この曲に関しては、ジャック・ブルースの思い込みの方が勝っている。
 ボーカルに関しても、クラプトンの歌よりジャック・ブルースの方が味がある。

 

 ま、クラプトンバージョンに興味を持たれた方は、こちら(下)もどうぞ。


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 この曲に関しては、日本のミュージシャンもけっこうカバーしていると思う。
 1960年台後半、日本でもブルース・ロックの愛好家がいっぱい輩出して、学園祭などでクリームのコピーをやっていたバンドは、よくこの曲もレパートリーに取り入れていた。

 YOU TUBEで拾えるものとしては、有名どころでは柳ジョージの演奏がある。

 

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▼ 柳ジョージ- Born Under A Bad Sign

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 演奏はオリジナルのアルバート・キングとクリームの中間ぐらいにある感じ。
 テンポはクリームのリズムに近いが、コーラス隊をバックに配したアレンジなどは、かなりアルバート・キングR&Bっぽい仕上げに近くなっている。

 

 彼は、この曲を、器楽を使って演奏するよりも、「歌う」ことの方に関心があったように思える。
 で、そのヴォーカルが、またいい!


 彼のしょっぱい歌声は、まさにこういう歌を唄うために神様から授かったように思える。


 
 『ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン』 。
 まだまだいろいろなカバーがYOU TUBEにあふれているけれど、今日のところはそれぐらいに


 お気に入りはありましたか?  
 

 

なぜ小説家になるのは難しいのか

  
 僕の周りには、「小説を書いている」と、こっそり打ち明ける人が、昔からたくさんいた。

 別に、僕が “文芸サークル” のようなものに所属していたということではない。
 
 キャンパスの芝生広場で偶然話し合うようになった他の学部の人間とか、飲み屋でたまたま隣り合って話し合うようになった人とか。

 

 ことさら “親友” になったわけでもないのに、そういう人たちは、たわいもない雑談の途中に、ふと声を潜めて、
 「実は、いま小説を書いているんだよ」
 と、打ち明けてくるのだ。
 

  
 なぜ、“声を潜める” のか?

 

 いったい、小説を書くということは、それほど後ろめたい行為なのだろうか。

 「釣りを始めたんですよ」
 「登山が趣味です」
 「囲碁に凝ってましてね」
  などという会話を、声を潜めて語る人はいない。

 

 「ジャズが好きです」
 「ロックバンドをやってます」
  などというのも、こっそり打ち明ける人はいない。

 

 なのに、「小説を書いています」という人は、みな一様に、恥ずかしい思いを押し殺したように、ひっそりと語り始めた。

 

 たぶんそれは、小説のテーマが何であるかを問わず、「小説を書く」という行為自体が、自分の恥ずかしい部分をさらけ出すという意識を伴うからだろう。

 

 「作家と主人公は別物」とはいうけれど、小説に表現される登場人物には、どこかで作者の自己が投影される。

 作者が、自分のキャラとは正反対の人物像を作り上げたと思い込んでも、というか、そうであるがゆえに、そこには無意識のうちに、その作者の自己がひっそりと表現されてしまう。
 作者は、それが本能的に分かるがゆえに、「恥ずかしい」のである。

 

 もう一つの理由は、小説というのは「自己採点」できない作文だからだ。
 つまり、自分自身が、自作を客観的に評価することが難しい文芸であるためだ。
 
 エッセーとか評論は、なんとなくその出来ばえが自分でも採点できる。
 ロジックに頼れる部分があるからだ。
 そこに客観性が生まれる。
 それが自己チェックするときにも機能する。

 

 しかし、小説というのは、どこかでロジックを振り切ってしまうようなパワーがないと成り立たない。


 内からこみ上げてくるデーモニッシュな情熱がないと、書き続けられないのだ。

 

 もともと、太古の昔から、「物語」というのは人間を興奮させる機能がある。
 だから、小説執筆中に筆が進み、気持ちがのめり込んでいるときは、誰もが「自分は天才ではないか?」と信じることができる。

 

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 だが、それは(多くの場合)、錯覚にすぎない。
 夢中になって書いていると、脳内にアドレナリンがどんどん分泌してきて、それが創作中の自分をハイにさせる。

 
 しかし、それは酒の酔いに似ていて、覚めた後に作者を襲うのは、落胆と自己嫌悪だけというケースが多い。

 

 さらにいえば、「傑作」と思い込んだ作品を他人から酷評されたとか、自信満々で小説新人賞募集に投稿したのに、ボツになったか。

 

 作家志望の人がよく経験することではあるが、それがきっかけで、小説をあきらめる人も多い。

 

 しかし、小説家志望のアマチュアとプロの差は、書き始めた時点における才能の差とは無関係である。
 アマチュアは、一度挫折を経験すると、あっさり自分の才能に見切りをつけてしまう。

 あきらめなかった人が、プロになる。
 つまり、気持ちを切り替えて、再チャレンジするメンタルの強さ。
 プロとアマの差を分けるのは、そのメンタルの部分だけのような気もする。
  
  
 それにしても、なぜ作家志望の人は減らないのか。
 
 たぶん、小説というものは、書き上げるとき以上に、それを構想しているだけでも楽しいからではなかろうか。

 

 昔の話だ。

 

 「いま小説を書いている」
 と、僕に最初に告白した友だちは、これから「恋愛小説」を書くつもりだと話し始めた。

  学生の身分でありながら、田舎の地元の商店街のオヤジたちに混じって、韓国まで行き、女性から接待を受ける店で豪遊したときの体験を書くのだという。

 

 「水商売だというのに、日本人女性が忘れていたような恥じらいや礼節を持っている女性に会って、その感激を小説にするんだ」
  と、彼は語った。
  タイトルも決まっており、『釜山旅情』というのだとか。

 

 しかし、完成作を見せてくれることはなかった。
 もしかしたら、最初の1行すら書くことはなかったのかもしれない。
 5年ほど経って再会したとき、僕は彼の告白を思い出し、「小説はどうなった?」と尋ねてみた。

 

 「あ、あれか … 。いま構想中」
 という答が返ってきた。

 たぶん、永遠に “構想中” のままで終わるのだろう。
 ただ、5年経った後も、彼はその構想を楽しそうに語った。

 

 
 飲み屋で親しくなって、構想中の小説のことを話してくれた人もいた。
 もともと出版社に勤めていた人だった。
 大手とはいわぬまでも、歴史モノ、思想モノにも名著の多い中堅どころの有名書店だった。

 

 年齢的には、団塊のど真ん中という世代の人で、中国文学や中国文化に詳しく、司馬遷魯迅にまつわるエピソードをよく教えてくれた。

 しかし、やがてその出版社の上司と折り合いが悪くなったのか、それとも一念発起して独立したかったのか( 詳しい話は忘れたが)、彼は出版社を辞めた。


 その後、いくつかの仕事を転々としたらしい。

 

 僕と知り合ったころ、その人は建設系の肉体労働者として、日々の労働の疲れを癒すために、居酒屋で飲み、他の客に議論をふっかけるような生活を送っていた。

 

 「今、小説を書いているんだよ」 
 と、彼は、酔って他の客と大声で議論している最中、ふと隣りにいた僕に振り返り、人が変わったように、小声でしゃべった。

 

 そして、「別に大作家になろうなんて野心などないのさ」と続けた。
 「でも、バカたちと議論することの空しさから逃れるために、自分の力を信じて、一からやり直したいんだ」
 と語った。

 

 彼も構想をしゃべった。
 あまりよく覚えていないが、19世紀のロシア文学みたいなスケールのでかい話だったように記憶している。

 

 その後、何度か会って、構想の続きは聞いたが、ついぞ一度も書き始めたという話は聞かなかった。


 彼にとっても、小説の構想を練ることは、やりきれない日常に埋没しそうなっていく自分を奮い立たせるための大事な「心の支え」だったのだろう。

 

 
 頭の中の構想を、しっかり文字にして、実際にナマ原稿の形で見せてくれた人もいた。

 もうかなり昔の話だが、学生時代に、友人から原稿を手渡されたことがあった。

 

 その人は、私を喫茶店に呼び出し、その場で読んだ感想を聞かせてくれと言う。

 400字詰めで、70枚か、80枚ぐらいの小説だったか。
 読む時間はそれほどかからないと思えたが、さすがに、作者を目の前にして、読むというのは、気が重いものだった。

 

 僕が読んでいる最中、彼は煙草をふかしながら、身を乗り出して、僕の読んでいる部分を上から覗き込み、
 「そこはさぁ、ちょっと心理描写が多いと思えるところなんだよな。自分でも少し煩わしいように思っているのだが、読んでどうだった?」
 などと聞いてくる。

 

 そのことで気が散り、僕は読後にたいした感想も延べられなかったような気がする。

 

 だから、小説の内容までははっきりと覚えていない。
 ただ、彼が、僕が読み終えるのをすごく楽しみにしていたことだけは、はっきり覚えている。


 小説というのは、それほど魔力があるのだ。
 出版文化が衰えたとはいいつつ、今でもいろいろな文芸誌で作品募集の要項が載り、様々な人が「未来の作家」を夢見て、膨大な作品群を出版社に送っている。

 

 
 原稿を読ませてもらった人の中には、女性もいた。
 僕が社会人になって、2~3年経った頃だった。


 「読んで、感想を聞かせてくれない?」
 と頼まれて、ずしりと束になった原稿を手渡された。

 

 ワープロも普及していない時代だったので、400字詰め原稿用紙で100枚を軽く超える手書きの大作は、ちょっと荷が重かった。
  
 しかし、これは読み進めているうちに、すぐ引き込まれた。


 面白いのである。

 

 感心したのは、構成力の緻密さだった。

 

 短編小説なら、ひらめきだけで書けることもある。
 しかし、長編となると、そうはいかない。

 どこで事件を仕掛けるか。
 何が主人公の落とし穴になるのか。
 最後のシーンを鮮やか見せるには、どういう伏線を張っておけばいいのか。

 

 そういうプロットが綿密に計算されていないと、読者が楽しめる長編にはならない。
 しかし、その構成力の堅牢さが、その女性の小説からは感じられた。

 

 「この人は、もしかしたら、本物の小説家になれるかもしれない」

 

 そう思ったのは、結局その女性だけである。

 

 案の定、彼女はその後、ジュニア小説の分野でデビューを果たし、さらには「桐野夏生」というペンネームで、江戸川乱歩賞を受賞し、その後『柔らかい頬』で、直木賞を受賞した。

 

campingcarboy.hatenablog.com

 

 

 

 


  

砂糖の切ないほどの哀しさ

 

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  糖尿病を多少意識して、もう7~8年ほど、コーヒーや紅茶に砂糖を入れないで飲んでいる。


  といっても、甘いものが大好きなので、ブラックで飲んでいるわけではない。
  砂糖の代表品に頼っているわけだ。
  
  「低カロリー甘味料」
  というやつ。
  「1.8グラムで、砂糖の約 5グラムと同じ甘さ」
 とかいうのが謳い文句で、「カロリー摂取量を控えている方に最適」だという。

 

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  これを使いだしたとき、最初は「まずい」と思った。
  甘くはあっても “味わい” がないのである。

 

  脳のなかに「甘い/からい」を感じる神経があるとしたら、そこに擬似的な「甘さ情報」を送って、神経をねじ伏せるように、「な、甘いだろう? 甘いと思え!」と迫るような甘さなのである。

  
  しかし、慣れると、これが快感に変わった。
  “まがいもの砂糖” のえげつない刺激の方が、むしろ本物の砂糖よりも、よりナチュラルな感じに思えてくるようになったのだ。


  今ではこっちの方でないと満足しない。
  慣れとは、いかに恐ろしいものであるかということが分かる。
  

 
  では、本物の砂糖には、何を感じるようになったのか?
  
  この前、 “ニセ砂糖” が切れたので、コーヒーに久しぶりに本物の砂糖を入れて口に含んでみた。

 

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  何かが違う。
   
  どう言ったらいいのか ……
  
  「切ない」感じがしたのだ。
  
  つまり、砂糖がまだ貴重品だった時代に、人類がそれを口に含んだときのなんともいえない幸福感と、その砂糖が胃の奥に吸い込まれていった後の、「次は、いつ口に入るか分からない」といった諦めと未練のようなもの。
  そんな「切なさ」が想像できたのだ。

 
  
  この感覚は、もちろんすぐに浮かんだものではない。
  
  「この舌に残る感じって、何なんだろうなぁ
  と砂糖入りコーヒーを舌の上で転がしながら、ヒマに任せて、窓の外を見ていたときに浮かんできた感覚だ。

   
 舌に残る ……
 舌が、いつまでもそれを求めている ……
 舌がその味を “恋しい” と言っている ……
 
  これは、はっきりいって、低カロリー甘味料にはない感覚だ。
  長年かかって、人類の遺伝子の中に組み込まれたような感覚である。

 
   
  砂糖が日本にもたらされたのは、奈良時代だという。
  当時は輸入品としてしか手に入らない貴重品で、嗜好品としてではなく、医薬品として使われたとか。

 

  現代でも、「砂糖は脳の疲労を回復させる」といわれているから、その昔は「滋養強壮剤」みたいな扱いだったのかもしれない。
  

 
  いずれにせよ、古代社会では、砂糖はとてつもない貴重品として珍重された。

  それにありつけるのは、病気になったときとか、何かの祝い事のときだけで、しかも、その恩恵に浴することができたのは、豊かな生活を享受できる特権階級に限られていた。
  庶民がそれを口にするのは、現代では考えられないほど希少なことであったに違いない。
  

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  だから、砂糖は切なく、哀しい。
  めったにありつけない「幸福」を意味するからだ。
  口にした瞬間に溶けてしまうので、さらにいとおしい。

  
  そのため、砂糖の甘みは、しばしば「はかない幸福」の代名詞として使われた。


  「砂糖菓子」といえば、甘く愛らしい存在ながら、壊れやすいものを意味する。
  「砂糖のような雪」といえば、さらさらした美しい雪でありながら、すぐ溶けるもの という含みをもつ。
  


  昔を回顧するときに使われる「甘酸っぱい」という表現だって、失われたものを自覚した時の酸っぱさ、すなわち「はかない」という意味合いを持つ。
  


  砂糖は、そのように、人間に「はかなさ」や「哀しさ」を思い出させる嗜好品であったのだ。


  だから、近代文学はくりかえし、砂糖を「甘いけど壊れやすい」ものの比喩として扱った。

  さらに、それは「誘惑する者」の比喩となり、「甘いものには罠がある」という観念にまで昇華した。
  その習慣は、今でも「お前は甘い!」などという言い方として残っている。

   
  しかし、それほどまでに、つまり罪深いものを感じさせるほどに、砂糖の甘さは、人間にとって蠱惑的(こわくてき)なものだったのだ。
   

 
  現代の食生活は、その「砂糖」を悪者にして、遠ざけようとしている。
  糖分の摂り過ぎは、あらゆる面で健康を害するものとされる。
  
  砂糖から縁を切ろうとしている現代人は、健康を手に入れる代わりに、きっと、「はかなさ」や「哀しさ」や「罪深いほどの快楽」を感受する精神を失っていくことになるだろう。

  って、言い過ぎ?
   

 

攻撃型人間(橋下徹)の時代が終わる


「論破」を重んじる橋下徹氏が飽きられてきた?


 朝のワイドショーを見ていると、必ずどこかのチャンネルで橋下徹氏の顔を見る。

 

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 橋下氏が出る番組に被せられるタイトルは、ほとんど、
 「橋下徹が、〇〇を切る!」
 「橋下徹が、〇〇に喝!」
 とか、
 「橋下徹、緊急生出演!」
 などという言葉で飾られる。

 

 とにかく、「切った」とか、「生」とか、生きのいいところがこの人の売りらしい。
 鮮魚店向けのキャラクターなのかもしれない。

 

 ただ、私が思うに、早晩、橋下徹氏の時代は終わる。
 こういう「切った」とか「生」という威勢の良さを売りとするものは、“足が早い” 。
 つまり、もうじき賞味期限が切れるということだ。

 

 もう少しいうと、彼には「哲学なきコメンテーター」の哀れさを感じる。
 自分自身の思想もなし。
 国際感覚もなし。
 歴史観もなし。
 彼は、頭の回転の早さだけを武器に機関銃のように言葉を連射するが、その言葉はとてつもなく軽い。

 

 だから、「言論人」として扱われても、彼の著作には “評論集” のようなものがない。
 その多くは、「交渉術」を教授するようなノウハウ本。

 

 つまり、一貫性のある思想を体系だって展開するものではなく、「しゃべってなんぼ」という、その場しのぎの “コメント集” が中心となる。

 

 一言でいうと、“テレビ向け” 。
 4~5分という短い時間に、一つのテーマを威勢よく語り切り、CMが入ると出番も終焉。
 チャンネルを変えると、今度は他局の録画収録番組に顔を出しているというパターンだ。

 

 こういうテレビ向けコメンテーターである橋下氏の特徴を、12月10日(金)の朝日新聞「オピニオン&フォーラム」というコーナーで、倉橋耕平という社会学者が次のように語っていた。 
 
 「橋下氏は、〇〇か、それとも〇〇かと二択を作るのがうまい。こういう論法はテレビやネットとは相性がいい」
 
 つまり、橋下氏は、物事の細部を捨象して、議論のフレームを単純化する。
 そして、くっきりした二項対立の構図を設定し、その片方に乗って自分の意見を威勢よく語る。
 同時に、それと対立する考えを木っ端みじんに打ち砕く。

 

 橋下徹氏に限らず、いまテレビなどでウケのいいコメンテーターの論法はすべてこの手法で統一されている。
 
 朝日新聞の倉橋氏は、こういう図式を「論破型の議論」という。

 

 論破型の議論がウケるのは、なんといっても視聴者を興奮させるからだ。
 日常的な会話がだらだら続くより、鋭い言葉で社会や政治の “闇” にズバズバと切り込んでいく方が視聴者は喜ぶ。

 

 実際、橋下徹氏の威勢のいいコメントを聞いていると、私などもスカッとすることが多いのだ。

 本当に、この人には、何度もいいくるめられそうになる。

 

 しかし、そういう論法から生まれてくるのは、社会や政治や文化の分断である。
 二項対立を前提として議論を進めるわけだから、とうぜん世の中の「分断」は不可避となる。

 

 分断された世論は、何を生むのか?
 威勢のいい意見が勝つという実も蓋(ふた)もない単純な世界だ。


 朝日新聞の記事では、このような「議論に勝った方が正しい」という風潮が日本で始まったのは、最近ではないという。
 すでに、1980年代末から始まった討論系のテレビ番組に見られたものだそうだ。

 

 たとえば、テレビ朝日で始まった「朝まで生テレビ」(1987年スタート)。
 この手の討論番組では、社会問題や政治問題を扱う専門家と同時に発言力の高い素人のコメンテーターも登場。ときに、その素人の発言が専門家の声を封じるところがウケた。

 

 この時期から、ディベートや説得力を重視した自己啓発本もブームとなり、「議論で打ち勝つ」ことが重要視される時代が始まった。

 

 このような “ディベート文化” の最前線を走ってきた人が橋下徹氏だと言ってかまわない。

 しかし、前述したように、今の世の中は、ディベート文化の軽薄さに気づいてきた。
 2年に及ぶコロナ禍のなかで、社会は停滞したが、人々は物事をゆっくり考える時間を持つようになった。


  
 仕事にかまけて忙しいと思っているときは、威勢のいい意見の方がスカッとする。
 しかし、じっくり考える時間が増えてくると、威勢のいい意見の薄っぺらに気づくようになる。

 

 あたかも、世は「多様性を重んじる」社会に移行しつつある。

 多様性とは、議論する際にも、まず相手方の言い分に耳を傾けるところから始まる。

 

 「令和」という時代も、来年は4年目を迎える。

 

 「平成」という時代は、橋下徹氏に代表される “攻撃型の人” がもてはやされる時代だったが、「令和」という “和” を尊ぶ時代が進んでいくと、攻撃型の人のギスギスした言動に鬱陶しさを感じる人が増えるように思う。

 

 

名言とは何か?

  
 巷でよく「名言」とされる言葉を拾ってみると、その多くは、「人生の成功者」になるための “修行を説く” ようなものが多い。

 たとえば、
 「自分と同レベルだと思っていた隣人が成功すると、人間というものは屈辱を感じるものだ。しかし、その隣人の幸せに素直に拍手を送れる人が次の成功者になれる」
 とかいった言葉だ。
 
 あるいは、
 「本当に強い人間は群れない。人は無力だから群れるのではない。群れるから無力になるのだ」
 とか。

 

 さらには、
 「ヒーローとは、多くの人を生き残らせるために、自分が犠牲になる覚悟を抱いた人間のことをいう」
  などなど ……

 

 この手の人生訓が、世間では “名言” といわれているようだが、私自身はこういう “気の利いた説教” にはほとんど興味がない。

 

 そうではなくて、ほんとうの名言というのは、その言葉の中には “結論” がないものをいうのではなかろうか。

 

 結論がない代わりに、思考をうながす。
 つまり、心に残る言葉というのは、そこで発言されたことの結論を、自分自身で探さなければならない言葉だと、私は思うのだ。

 

 たとえば、フランスの画家ポール・ゴーギャンは、その代表作たる絵に、
 「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか」
 というタイトルをつけた(下の絵)。

 

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 この問いかけは、人間にとって、究極の「問」のような気がする。

 

 問われた人間にとって、こんなに無力感をもよおす問はほかにない。
 なぜなら、問そのものが、「正解などない!」ということを傲然(ごうぜん)と言い放っているからだ。

 

 しかし、この言葉には、物心のついた子供が夜空を見上げ、
 「宇宙の果てには何があるんだろう?」
 と考えるときの、あの心を震わせるような恍惚感と畏れが同時に秘められている。
 そこには、人間の思考の原点となるような重みがある。

 
  

 モーリス・ブランショというフランスの哲学者の言った一言も、終始頭を離れない。

 

 「書くこと、それは、語り終えることのありえないもの の残響になることである」

 

 難しすぎて、いまだに何を言っているのか解らないところがあるのだが、これも、私にとっては「名言」である。


 この言葉には、「表現」というものを考えるときの根源的なヒントが示唆されているように思う。

 

 人が、何かを書いて、それを言葉として残す。

 

 ブランショは、そういう行為こそ、
 「語り終えることのありえないもの」
 の残響(エコー)に過ぎない、というわけだ。

 

 では、
 「語り終えることのありえないもの」
 とは、いったい何なのだろう?

 

 「表現者」を自認するような人ならば経験的に分かると思うが、「書きたい」とひらめいた言葉が、そのままその人の文章になることはまずあり得ない。

 

 むしろ、当初のアイデアを文字として残そうとあせればあせるほど、ほんとうに書きたいものは虚空に漂う煙のように、逃げてしまう。

 

 モーリス・ブランショは、そのことを、
 「(書くことは)語り終えることのありえないものの無残な残響(エコー)でしかない」
 と言ったのだ。

 

 けっきょく、「美しさ」というのは、その 無残な残響のことをいうのではないか?
 語り尽せないからこそ、意識の底に美しい残像が残るのではないか?

 

 ポエム、俳句、短歌などの韻文形式の短い文学は、必ず語り得ないもの を内に秘めている。
 
 その “欠落している言葉” が、われわれにとって「美」として意識されるのだ。
  
  
 辰濃和男氏の書いた『文章のみがき方』という本の中にも、美しい言葉があった。

 

 福井県丸岡町(現坂井市)が募集した「日本一短い手紙」の中から選ばれた一文だ。

 文章というのは、いろいろなものを削ぎ落とし、最後にこれだけは伝えたいと厳選された言葉だけで綴られたものが人の胸を打つ、というその一例として掲げられたものである。
  

   「いのち」の終わりに三日下さい。
  母とひなかざり。貴男(あなた)と観覧車。
  子供達に茶碗蒸しを。

 

 たぶん、死期を悟った病気の女性が、すがるような思いで書き残した手紙だったのだろう。
 読んでいて、涙がこぼれそうになった。

 

 「ひなかざり」
 「観覧車」
 「茶碗蒸し」

 このたった三つの言葉が、千万語を費やすより雄弁に状況を語り尽している。
 傑作であると思う。
  
  
 川本三郎が書いた『言葉のなかに風景が立ち上がる』という本の中にも、忘れられない言葉がある。これは自分で読んだのではなく、週刊誌の書評欄で目にした文章だ。

 

 その本の中で、川本三郎は、清岡卓行という詩人の次のような詩の一節を引用しているという。

 

   それが美
   であると意識するまえの
   かすかな驚き
   が好きだ 

 

 すごくよく分かるのだ、この感じ。 

 

 風景を見たり、あるいは絵画を見たりして、「美しい」と感じる前には、必ずそれを「美」と捉える前の、わずかな心の動きが、さざなみのように広がる。

 

 実は、その小さな驚きの方が、「美」を感受する以上に、人間の根源的な心の動きをあらわしているのではなかろうか。

 

 上の詩は、まさに人間の “心” が動き出す瞬間を見事に捉えている。

 

 俳句、短歌、そして短いポエムなどは、そういう人間の繊細な感情の動きをとらえる適切な文学形式だからこそ、いまだに多くの愛好家の心をキャッチしているのだ。 

 

 


 

解りやすく書くことの落とし穴

 

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 一応、文章を書いたりする仕事に就いているので、「解りやすく書く」ということを最も優先的に考えている。

 

 しかし、最近「解りやすい文章」というものに対して、どうしてもスッキリとうなづけない自分がいる。
 つまり、「解りやすい文章」というものには、どこか限界があるのではないか、と思うようになってきた。

 

 もちろん、すべての文章に対して、そう感じているわけではない。
 普通の文章は、当然、解りやすい方がいい。
 難しい概念を、専門用語などを使わず、素人が読んでも、すんなり頭に入るような文章を書けないプロがいたとしたら、それは「プロ」とはいえない。

 

 しかし、ある種の特殊な文章。
 たとえば、哲学とか思想とかいう文章では、時に「解りやすい」ことが、読者の想像力の飛翔を妨げることもある、ということに気がついてきた。

 

 不思議なもので、「難しい」と頭をひねるような文章に接し、それと格闘するときに湧いてくるエネルギーによって、人は、いままで思いも浮かべなかったイマジネーションを授かることがあるのだ。
  
 そしてそれが、時として、オリジナルの文章を理解することよりも大事な場合がある。
 逆にいうと、ある種の難解な文章というのは、“想像力を活性化させる” ためだけにあるといっても過言ではない。

 

 

 文化人類学者のレヴィ = ストロースは、自分の研究テーマに取り組む前に、必ずマルクスの著作の数ページを読んだという。

 

 彼はいう。
 「私は、社会学民俗学の問題に取り組むときには、ほとんどいつも、あらかじめ(マルクスの)『ブリュメール18日』や『経済学批判』の何ページかを読んで、私の思考に活気を与えてから、自分の問題にとりかかるのである」
(『悲しき熱帯』)

 

 レヴィ = ストロースは、“マルクス理論” を自説に取り込もうとしたわけではない。マルクスの文体・表現・その筆使いから、インスピレーションを得ることを期待したということを意味する。
  
 もちろん、すべての思想書がそういう力を秘めているというわけではない。
 書き手による。
 
 「現代思想界の巨人」と讃えられた人のものであっても、ただ難解なだけで、いくら読んでも、まったく想像力を羽ばたかせてくれない文章というのもある。
 むしろ、そういう方が多い。

 

 ただ、今に残る「古典」といわれるような人文系思想書の場合は、内容が高度に抽象的なために、すぐには頭の中に入らないことがあっても、必ずトンネルの向こう側から光が差し込んでくるようなパワーを持っているものである。

 

 一般の人がよく誤解する言葉に、「抽象的」と「具体的」という言葉がある。
  
 普通、「抽象的」という言葉は、悪いように使われることが多い。
 “頭の中だけでこねくり回したもの” つまり、「内容が伝わらない」という意味あいの表現として使われる。

 

 それに対して、「具体的」という言葉は、「解りやすい」ことの別表現として肯定的に使われる。

 

 しかし、そういう見方は一面的なものにすぎない。
 極度の抽象性は、時として、具体的なもの以上にリアルな手触りを持つことがあるからだ。

 

 「リアルであること」は、「具体的」であるとか「抽象的」であるということとは関係ない。
 抽象的な表現でしか到達できない「リアルさ」というものもあるのだ。

 

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 どこで読んだか忘れたけれど、ドストエフスキー(写真上)の信仰を解説した本の中で、
 「ドストエフスキーは、非ユークリッド幾何学の “二本の平行線は無限遠点で交わる” という知識を得て、神の存在を直感した」
 という記述に出合ったことがあった。

 

▼ 二本の平行線をイメージさせる鉄道のレール

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 もちろん、それは「平行線はどこまでも平行に伸びる」という古代ギリシャユークリッド幾何学の公理をくつがえした幾何学上の問題にすぎない。
 しかし、そこに神学的な問題を見出したドストエフスキーの感性には圧倒された。

 

 今そのことに触れた原典を探したけれど、ちょっと見当たらないので、それが正しい記述であるのかどうか自信がないけれど、それは自分にとってものすごい “リアルな” 表現に感じられた。
 その文章に、ものすごくイマジネーションが刺激されたのである。

 

 このドストエフスキーの記述を、解りやすく書き変えることは、ほとんど無意味である。
 丸ごと、それを受け入れるしかないように思える。
 そして、そこにこそ、想像力をはばたかせるためのジャンピングボードがある。

 

 逆にいえば、「解りやすく書く」ということは、何か大事なものを、それと気づかず削り落とすことである。

 

 一時期『超訳ニーチェの言葉』とか、『超訳ブッダの言葉』などという本が話題を呼んだが、そういうものはどうなんだろう?

 

 それらは、「難解な哲学を、解りやすく訳した」という触れ込みで出版された本であったように思う。


 読んでいないから何もいえないが、解りやすくしちゃうことに意味があるのかどうか、私はそういう発想に懐疑的である。
   

 

カツカレーの憂鬱

 

 昼間、散歩に出たついでにカツカレーを食った。
 カレーを食いたいと思っていたのだけれど、なんとなくメニューの隣りに、うまそうなカツカレーの写真が載っていて、ついついそっちを頼んでしまったけれど、結局、あまり幸せじゃなかった。
 
 
 実は、今日に限ったことではなく、いつもそうなんである。
 なぜなんだろう。
 
 昔からカツカレーというものに、あまり感激した記憶がない。
 よく食べるのだけれど、食い終わって後悔することの方が多い。
 
 カレーは好きだ。
 トンカツも大好き。

 だから、カツカレーって、感激が2倍になってもいいように思うのだけれど、案外そうじゃない。

 
  
 きっと、私の頭が固いのかもしれない。
 モノを食うってことは、舌が感じる味覚を、脳が整理して、「うまい」とか「まずい」とか判断するのだろうと思うのだけれど、私のガンコな脳は、カツとカレーが同時に舌の上に乗ったとき、「こりゃカレーじゃねぇ」と脳が判断し、「じゃカツか?」と気持ちを切り替えたときに、今度は「こいつはカツじゃねぇ」と判断してしまうらしいのだ。
  
 そのため、カレーなのかよ? カツなのかよ?
 …… と、脳が迷っているうちに、いつの間にか食べ終わってしまって、結局、どちらを食ったのか分からないままにレジで勘定を払うというハメに陥ってしまう。

  
 知り合いにその話をしたとき、
 「あれはカツというトッピングの乗ったカレーなんであって、ラーメンの上にチャーシューが乗っているように食べればいいんだ」
 と諭された。
 
 どうやらそれが世間の常識のようなのだが、やっぱり自分の舌は、そういう意見に対して「うん」といわない。
 
 そこで、仕方なくカツの方にはソースをかけて「カツライス」として食べ、カツが片付くと、今度は「カレーライス」として食べるという2段構えの食べ方になる。

 
 
 そうなると、悲しいことがひとつ起こる。
 カツカレーのルーには、カツ以外の固形物がほとんど入っていないことが多いのだ。

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 カレーだけ頼むと、たいていビーフかポークか、肉片のようなものが入ってくるのに、カツカレーの場合は、そういう肉片を添えない店が大半である。

 

 統計を取ったわけではないが、実感として80%近くは、カツカレーの場合はそれ以外の肉片のないルーを出す店で占められているような気がする。

 

 「カツっていう贅沢なトッピングがあんだから、他の肉は要らないだろ?」
 っていう店の傲慢さが、そこに表れているようで悲しい。
 
 せめて、普通のカレーに肉片を三つ付けるのだったら、カツカレーには、肉片をひとつぐらい付けてもいいように思う。
 
 同じように、ラーメン屋でチャーシューメンを頼むと、普通のラーメンに入っているメンマとか、ナルトなんかが省略されることが多い。
 
 良心的な店は、普通のラーメンに入っているメンマの量を若干減らしながらも、それでも二つ三つは入れている場合もあるが、傲慢な店のチャーシューメンには、それすらない。
 チャーシューとネギだけという店もあった。

 

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 お客はチャーシューメンを頼むときは、「ラーメン+チャーシュー」を期待して注文するのである。
 つまり、ラーメンの基本骨格をしっかり貫いた上で、(東京ラーメンの場合は、まずメンマ、チャーシュー1枚、海苔、ナルト、場合によってはホーレンソウ、時にはワカメ)


 
 そこにチャーシューの量が増えるから、贅沢な気分にひたれるのである。
 
 なのに、チャーシューとネギしかないチャーシューメンを出されると、騙されたような気になって悲しくなる。
 
 最近は悲しい食堂が多い。
 こんな日本で、はたしていいのだろうか。
 

ユー・ガッタ・ア・フレンド

 
 1970年。
 20歳だった私は、レッドツェッペリンサンタナ、グランドファンクレイルロードなどといったROCKを聞いていた。

 

 そういうものが “音楽” だと思い込んでいたから、アコースティックギターをチョロチョロとかき鳴らすフォークソングっぽい曲を小馬鹿にしていた。  
 

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 しかし、実際には、自分でギター弾く曲はジェームズ・テイラー(写真上)の「ユー・ガッタ・ア・フレンド」だったり、キャロル・キング(写真下)の「ソー・ファー・アウェイ」だったり、ニール・ヤングの「テルミー・ホワイ」だった。

 

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 あの感覚は何だったんだろう。


 夏の終わった人気のない避暑地に、ふと通り過ぎる秋の風 という雰囲気だったのかもしれない。

 

 その頃、好きだった70年代ソウルが、ただのディスコミュージックになってしまい、ロックは退屈になってきて、私は聞く音楽というものをなくしていた。

 

 どういえばいいのか 。 
 「ぎらぎらした緑で身を包んでいた木々がみな葉を落とし始めた」
 という空漠とした気分だった。

 

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 そんなとき、ふと耳を澄ますと、ジェームズ・テイラーキャロル・キングニール・ヤングらのサウンドが、舗道を浸す枯れ葉のようにひたひたと鳴っていた。
 「もう秋が来ていたんだ」
 と、ふと思った。

   
  
 その頃、仲間とバンドを組んで、クリームのコピーをやっていた後輩と親しくなった。


 そいつの外貌は、見るからに「ロック野郎」だった。
 ガタイの大きい身体に縮れたロングヘアを垂らし、口元には立派なヒゲをたくわえていた。

 彼が学園祭なんかで、ジンジャー・ベイカーよろしく派手なドラミングでステージを沸かすと、けっこう音楽にうるさい連中も盛大な拍手を送っていた。

   
 そいつが一度だけ、家に遊びに来たことがある。 
 なんか、憂鬱そうだった。
 「オレ、他のメンバーと、音楽が合わなくなってきてさ」
 と、そいつはティーバックの紅茶をすすりながら、ぽつりと言う。
  
 「どういうことよ?」
 と聞くと、やにわにそいつが私のギターを取り上げ、ジェイムス・テイラーの「ユー・ガッタ・ア・フレンド」(作曲はキャロル・キング)を歌い出した。
  
  ありゃりゃ …… お前にも「秋」が来ていたんか、 と思った。
  
  二人して、アコースティックな曲ばかり選んで一緒に歌った。


  キャット・スティーブンスの「雨に濡れた朝」とか、CSN&Yの「ヘルプレス・ホーピング」、ニール・ヤングの「ハート・オブ・ゴールド」など、シンガーソングライター系のアコースティックな曲を二人で交代しながら弾いた。
  
  外では枯れ葉がどんどん舞っていき、弱い光が、地平線の彼方まで届きそうに、長く伸びた日だった。


  ジェイムス・テイラーの歌っていた曲は、その透明な光の中を、枯れ葉といっしょに宙にたなびいていた。
  ウィスキーでも、ビールでもなく、紅茶が似合う日だな と思った。 

 



 

 

 

バンド「漁港」のマグロ節

  
 スーパー地下のフードコーナーに行った。
 買い物カゴをひょいとつかんで、カートに載せ、
 「さぁて、晩メシのおかずは何にするべぇ
 と、おもむろに歩き出したとき、売り場のはずれから “太鼓ドンドン” の景気いい音楽が流れてくるじゃありませんか。

 

 「♪ マグロ マグロ マグロ マグロ マグロ マグロ マグロ マグロ ♪ 」

 
 歌は、鮮魚コーナーから響いてくる。
 
 近づくと、マグロをいっぱい並べたトレーの向こうに、CDラジカセが置いてあって、そこから、「♪ マグロ マグロ マグロ マグロ マグロ マグロ ♪ 」 とうなる声が流れているのだ。
 
 マグロのセールスプロモーションのために、“全国鮪協会” のような団体が、販促ツールとしてCMソングみたいなものを作り、マグロキャンペーンでもやっているのだろうか?
  
 「♪ マグロ食いたきゃ、いつでも来やがれ、オレがいつでも面倒みてやる。
 食べりゃ分かるさ、漁師の心。
 赤身、中トロ、大トロ、マグロ
 タンパク、良質ミネラル豊富、
 黒潮運ぶ 自然の恵み
 とか、歌っているわけ。

 

 そのサウンドがなかなかカッコイイんだわ。
 シャキシャキした音は、まさにROCK 。
 コード進行はブルース。
 ヴォーカルはラップっぽくやっているんだけど、エンディング近くになると演歌。
  
 ま、キワモノ・ソングなんだけど、ドラムスは和太鼓みたいな野太い音で、ベースと絡んで、ノリの良いリズムをキープしている。

 

 それを聞いていると、自然に腰が揺れてきた。
 気づいたら、マグロのトレイの前で、一人でステップを踏んでいた。
 無性にその音楽の素性が知りたくなった。

 

 で、近くを通った鮮魚コーナーのオッサンを呼び止めて、
 「これ、何の歌ですか?」
 と聞いてみた。

 

 オッサン、奇妙なことを聞くヤツだな ってな顔をしながら、それでも作業の手を止めて、
 「歌手はよく知らないんですわ。でも、マグロを売るならこれがいいって店の方で決めたみたいだね」 
 と話してくれた。

 

 「この歌に引き寄せられて、マグロを買っていく人もいるんですか?」
 と、続けて聞いてみた。

 

 「さぁ、そこはなんとも (笑)。でも、にぎやかな雰囲気にはなるよね」

 

 「サウンドは確かにいいですねぇ」

 

 「私らは、音楽的なことまでは分からないけどね(笑)。インターネットで調べてみれば、誰が歌っているか分かると思いますよ。
 しかしねぇ、音楽のことで質問されたのははじめてですよ(笑)」

 

 ってなわけで、家に帰ってからYOU TUBEで拾ったのが、下の画像。
 

 

 どうもこれは、漁業関係に携わる人たちで構成された「漁港」というロックバンドのデビュー曲らしい。(画面を見ると、漁港の “港” という文字が、左右にひっくり返っている)

 

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 「漁港」というバンドのHPを見てみると、20年ぐらい前にデビューしたという。
 かなり前に作られていた曲なんだね。

 
 
 「テレビ、ラジオ、新聞、海外メディア、水産業界新聞などに取り上げられている」 とも書いてあったから、それなりに有名な人たちだったのかもしれない。
 知らないのは、オレだけだったのか ??

 

 リズム感があって、なかなか楽しめる曲だ。
 カラオケのレパートリーに入れようかな。
 
 

 

「うでまくら」(日暮し)で歌われた世界の終わり

 

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▲ 日暮し

 

 人間にとって、いちばん恐ろしいのは「恋愛の終焉」の場に立ち尽くすことである。

 

 もちろん、戦争や災害、食糧難による飢餓は恐ろしい。
 「今は細々と食っていけるけど、明日は食えなくなるかもしれない」という経済危機や雇用危機の方が、確かに「失恋」より深刻かもしれない。

 

 しかし、世の文学者や心理学者がいうように、恋愛が「自我の投影」であるならば、自我を投影した相手が自分から離れていくことは、すなわち自我の崩壊であり、いってしまえば「この世の終わり」である。

 

 一人の人間が、薄暗い部屋の中で、電灯もつけずに「失恋」を噛み締めるとき、地球温暖化の不安も、金融危機も、雇用不安も、ウイルス汚染も、身の周りの社会的事象が、すべて頭の中から消えている。
  
 そして、そのとき沸き上がる妄想は、ときに、相手を殺そうという意志に発展するかもしれず、あるいは、自分の生を、自分で絶つ決意につながるかもしれない。

 だから、失恋をテーマにした歌は、時として、鬼気迫るような「怖さ」を宿すことがある。

 
 そのことを端的に表現した歌がある。

 70年代に活躍していた「日暮し」というフォーク・グループが歌った『うでまくら』(1979年)という曲だ。

 

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 日本語で歌われた曲のなかで、これほど怖い歌を、私はほかに聞いたことがない。
 ここには、恋愛の終わり、いわば「この世の終わり」が、それらしい言葉など一言も使わずに歌い込まれている。

 

 

 歌詞は、次のようなものだ。

 

♪   ねえ、あなたの話は寂しくて
  雲の切れ間から、雨さえポツン
  ひとつここらで、話題を変えて
  昔のことでも話しませんか

 

  不意に巻き起こる、遠い日の影
   忘れられない、あの暑い日に
  あなたの腕枕で見た空の青さ

 

  あなたの心がもう見えない

  ひとつここらで、指切りはいかが
  あの頃のふたりに戻れるように

 

  さっきから話は、尻切れたまま
  流れる人波、あなたはうわの空


   水しぶき上げて、車が通る
   飛びよけた私から、あなたがこぼれた

 

  あなたの腕枕でもう一度だけ

 

  夢を見させて、愛の眠りで
  あなたの心が見えるように

    作詞・作曲 武田清一

  
 日暮しのサウンドの特徴は、透明度の高い叙情性にある。
 ヴォーカルを務める榊原尚美の声質に依るところが大きいのだが、高原の林の隙間から眺める湖のような、純度の高い清涼感が彼らの持ち味となっている。


  
 それは、時として、望郷の念に人を駆り立て、時として、異国の空の下を旅するような新鮮なときめきを呼び覚ます。
 彼らの歌には、常に前方に向かって開かれた世界が描かれている。

 

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 だが、この『うでまくら』で歌われた世界は、見事に閉じられている。
  
 歌詞を読んで分かるとおり、これは、男の気持ちが分からなくなった女性の立場をうたった歌だ。
 かつてあれほど愛しあった二人の記憶は、今はどこにいってしまったのか という「絆の喪失」がテーマになっている。

 

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 しかし、二人の関係は、まだ終わったわけではない。
 あくまでも、「相手が去りつつある」という予感だけが、影のように漂っているにすぎない。


 だが、実は、こういう状況がいちばん苦しいのだ。

 

 相手は、まだいる。
 自分の目の前に。

 

 しかし、その相手は、声は出しても、語ってはくれない。
 瞳はあっても、自分を見ていない。
 触っても、冷たい彫刻のようになっている。

 

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 主人公の女性は、たまりかねて、言う。
 「ねぇ、あなたの話は寂しくて」

 

 何が寂しいのか?


 それは、彼の話が、コミュニケーションとしての会話ではなくて、沈黙を埋めるためのモノローグになっているからである。

 

 声だけは発しているが、そこには、語るべき相手に気持ちを届けようという意志がない。
 それは、女にとって、ラジオから流れ出るアナウンサーの声を聞いているようなものだ。


  
 それでも彼女は、“人の形をしたラジオ” に向かって、必死に語りかける。
 「ひとつここらで、指切りはいかが?」

 

 何を誓うために、指切りをしようというのか。

 

 「あの頃のふたりに戻れるように」

 しかし、彼女には、自分が求めている「指切り」そのものが、すでに空しいことに気がついている。

 

 ♪ 流れる人波、あなたは上の空
 水しぶき上げて、車が通る
 跳びよけた私から、あなたがこぼれた

 

 こぼれる とは、もはや人間の存在を示す動詞ではない。
 男が、ついに 「物」 になった瞬間が、そこに描かれている。

 

 ここには、血のぬくもりを失った “異形の物体” が、じわっと浮上するときの 「不安」 が歌われている。

 

 かつて愛した相手が、ただの「物」に変わる。
 「世界の終わり」とは、このことを指す。

 

 日暮しにしては珍しい、いや、日暮しだからこそ表現できた、哀しく、恐ろしい歌であるように思う。 
  

 

『第三の男』は今でこそ見るべき映画


『第三の男』に描かれた魔都ウィーン

 

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 50年以上の前の話だ。
 冷戦時代の西ドイツのボンやケルンを回ってから、オーストリアのウィーンに入ったことがある。

 

 同じゲルマン系の人々が住む街だから似たようなものだろう、と思っていたが、ウィーンに着くと、まったく別の世界にさまよい込んだような気分になった。

 

▼ 映画『第三の男』のなかのウィーン

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 にぎやかながらも、健全で、清潔な西ドイツの諸都市に比べ、ウィーンはアジア的なエキゾチシズムに満ちているように思えた。
  
 「アジア的」という表現が誤解を生みそうだから、言葉を変えていうと、写真や映画でしか見たことのなかった “東欧” をそこに感じた。
 


▼ 映画『第三の男』のなかのウィーン

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 それまで、「ウィーン」という語感から、単純に「ウィンナーコーヒー」とかヨハン・シュトラウスの音楽とか、「ウィーン少年合唱団」などといった、愛らしく、洗練された文化に満たされた街を想像していたが、実際に目の当たりにしたウィーンは、(確かにメルヘンに出てくる街のようではあったが、)それ以上に、カフカの小説に出てくるプラハのような妖気が漂っていた。

  

 
これは「歴史的な名画」である

 

 そんなウィーンの不思議な妖気を忠実に表現した映画の一つに、キャロル・リード監督の『第三の男(The Third Man)』(1949年)がある。

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 実は、私がWOWOWで、この映画を観たのはたかだか5~6年ぐらい前のことにすぎない。
 『第三の男』が有名な映画であることは知っていたが、どんな内容なのか、それまでまったく気にとめたこともなかった。

 
 しかし、映画を観ているうちに、
 「これは、人々がこのまま忘れてしまうにはもったいない作品だ」
 という思いを強くした。

 

 こういう映画は、現代ではもう撮れない。
 1949年という、あの時代でなければ撮れない作品なのだ。
 その理由はあとで述べるが、一言でいうと、現代のハリウッド映画などを空しく感じさせるような中味の濃い映画でもあった。 

 

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 サスペンスドラマだが、ストーリーはそれほど複雑ではない。
 第二次大戦が連合国軍の勝利に終わったので、アメリカ人作家のホリー・マーチンスは、敗戦国のオーストリアで暮らしている幼なじみハリー・ライムを訪ねようと、ウィーンにやってくる。
   


▼ ジョセフ・コットン演じる「ホリー・マーチンス」

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▼ オーソン・ウェルズ演じる「ハリー・ライム」

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 しかし、ホリーがウィーンに来たとたん、ハリー・ライムは謎の交通事故で死亡したと関係者から聞かされる。

 

 その後、ハリー・ライムは死んでいなかったことが判明。
 彼が死んだというニュースは、幼なじみのホリーとは会いたくないハリー・ライム側の事情による嘘であることが分かってくる。 

 

 (一気にネタバレになるが)、ハリー・ライムは、実は犯罪組織の大ボスで、自分の身元を知る人間と会うことを極力避けたかったのだ。

 

▼ しかし、ついにホリーは、街角の闇に消えゆこうとしているハリー・ライムの顔を発見する。

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▼ そして、遊園地の観覧車のそばで旧友のハリー・ライムと再会をはたす。

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第二次大戦 直後でなければ
描けなかった映画

 

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 ストーリーは、このホリー・マーチンスとハリー・ライムという二人の男によって進められていくのだが、実は、ウィーンという「街」そのものが、もうひとつの “主役” であると言い切れるほどすごいのだ。

 

 つまり、ウィーンという美しい街並みが、そのまま “魔宮” にもなっていることが分かってくる。
  
ジョルジョ・デ・キリコの絵画を彷彿とさせる夜の街

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 ウィーンの画家クリムトの描くような装飾化された建物群。
 古色蒼然としたアール・ヌーヴォー様式で貫かれた家屋の室内。
 めまいを起こさせるような複雑な螺旋(らせん)階段。

 

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 そして、冥界の象徴ともいえる入り組んだ地下水路。
 カフカ的な混沌に満ちた世界が、次々と広がっていく。

 

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 そこに第二次大戦の傷跡が重なるため、街には戦禍の後を生々しく伝える瓦礫が残り、さらに「廃墟の美」が加わる。

 

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魔王の棲む「地下宮殿」

 

 映画が墓地のシーンで始まり、墓地のシーンで終わるのも象徴的だ。
 その墓地と、墓地との光景をつなぐものこそ、ハリー・ライムが逃げこむ「地下水路」なのである。

 

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 それは、死者しかいないはずの地下世界こそ、地上からは発見できない “真実” が隠された場所であることを語っている。
 あたかも、生者が住む「地上」というのは、実は “廃墟” に過ぎず、地下こそ、真の宴の世界であるかのように。

  
 オーソン・ウェルズが演じるハリー・ライムは、その地下の宴の世界を仕切る魔王のような存在だ。


 戦争による秩序の混乱。
 価値の転換。
 モラルの低下。

  
 それらを巧みに利用し、大量の人間を死に追いやっても、平然と自分の利益だけをむさぼろうとするハリー・ライムは、地下では魔王でありながら、秩序が回復した地上の世界では生きてはいけない、哀しい生き物である。
  
 その哀しさは、女の心をとろけさせる。

 

 

愛に生きる女には男の
ずるさが理解できない

  
アリダ・ヴァリが演じるハリー・ライムの愛人アンナ。
 彼女はハリー・ライムが極悪非道の大悪人であることを決して信じようとはしない。

 

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 小説家のホリー・マーチンスは、ハリー・ライムの恋人アンナに横恋慕するが、“魔王” の哀しみに共感している女の気持ちを変えることはできない。

 

 ホリーが、ハリー・ライムのことを、
 「女を平気であざむく、不実な男だ」
 と力説すればするほど(それが事実なのだが)、女の気持ちは、逆の方向に固まっていく。
 
  
 映画のテーマは、たった三つ。
 「愛」
 「友情」
 「正義」

 しかし、その三つが、けっして並び立つことがないことを、この作品は教える。

 

 

生きている男が
死んだ男に負けた瞬間
  
 最後は、あの有名なラストシーン。
 一直線に伸びる並木道のなかほどに立ち止まり、ホリーが女(アンナ)を待ち受けている。

 

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 しかし、ハリー・ライムを愛し続けたアンナは、ハリーが死んだ後も、その気持ちをひるがえそうとはしない。
 彼女は、並木道の途中で待ち続けるホリー・マーチンスの存在を認めながら、振り向くことすらしない。

 

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 女に完璧に無視された彼は、やがてけだるい手つきで、煙草を地面に投げ捨てる。
 誠実だけど退屈な「生きている男」が、残忍で狡猾な「死んだ男」に負けた瞬間だった。
  
 ハリー・ライムという魔王のような男も大戦直後のウィーンでなければ生きていけない男だったが、それを慕うアンナもまた、まぎれもなく魔都ウィーンでなければ生きていけない女であったのだろう。

 

 

 
  
【古いヨーロッパ映画

 


 



 

「資本主義」の女神 瀬戸内寂聴

 

高度成長期の思想を反映した不倫小説

 

 作家の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)氏が2021年11月9日に逝去。

 

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 いっときテレビのワイドショーやニュース番組は、この報道に明け暮れた。

 

 享年99歳。
 その年まで明晰な頭脳を保ち、現役作家として活躍し、講演(法話)なども欠かさなかったということは驚異的なことである。
 まさに、「人生100年時代」をそのまま地で行ったような生涯だった。

 

 ただ、私は瀬戸内氏の「良き読者」とはいえない。

 

 もちろん、彼女が書いてきた作品には、昔からとても興味を抱いていた。
 しかし、今日まで、その代表作すら読んでいない。
 たまたま縁がなかった、というしかない。
  
 彼女の100年に近い生涯とは、どんなものだったのか。

 

▼ 若い頃の瀬戸内氏

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 氏は、1943年に20歳で見合い結婚し、1944年に女の子を出産。
 やがて夫の教え子と不倫し、1948年には、夫と3歳の長女を捨てて家を出る。

 

 その後は無名に近い作家と不倫し、さらに、大作家の井上光晴と講演旅行にいったことを機に、また恋愛関係に陥る。


 1950年代末になると、氏はそういう不倫や三角関係をテーマにした小説『花芯』で新潮同人雑誌賞を受賞。


 1963年には、そういうテーマをより深めた『夏の終わり』で、女流文学賞を取り、小説家としての人生をスタートさせる。

 

▼ 2012年に満島ひかり主演で映画化された『夏の終わり』(熊切和嘉監督)

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 このたび、テレビで、瀬戸内氏の追悼番組を観ていると、そこに出演した人たちが口々にいうのは、次のような言葉だった。

 

 「若い頃の瀬戸内さんは、自由奔放に恋愛を追求し、欲望のおもむくままに人生を謳歌した人だった」

 

 やがて、そういう生き方に歯止めをかけるために51歳で出家。
 以降、『源氏物語』の現代訳なども手掛ける大作家に転身する。

 

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 しかし、出家してからも、自分の若い頃の生き方を肯定する人であったようだ。
 若い人たちにも「恋愛」を奨励し、
 「青春とは、恋愛と革命だ」
 といってはばからなかった。

 

 テレビで紹介される名言集には、次のようなものもある。

 

 「人生はいいことも悪いことも連れ立ってやってくる。不幸が続けば不安になり、気が弱くなる。でも、そこで運命に負けず勇気を出して、不運や不幸に立ち向かってほしい」

 

 「もし、人より素晴らしい世界を見ようとするなら、どうしても危険な道、恐い道を歩かねばならない」

 

 「恋を得たことのない人は不幸である。それにもまして、恋を失ったことのない人はもっと不幸である」

 
 どれを聞いても、間違ったことは言ってはいないと思う。
 しかし、私の心にグサッと突き刺さってこなかった。
 
 なぜだろう? と思う。

 みな、「どこかで聞いたことのある言葉ばかり」だったからだ。

 

 私は、そういう言葉を、これまでいったいどこで聞いたのだろう?

 

 それらはみな、1960年代から70年代にかけて、日本で興隆していく各企業のCM文化などが生み出してきた言葉だった。

 

 恋愛と冒険。
 不幸を恐れるな。
 危険な道。

 

 今でいえば、
 「ときめきを手に入れるために、リスクをとれ」
 という思想である。

 

 企業広告というのは、「文化」に紛れ込むのが得意だから、文学や映画、音楽などに象徴されるその時代の文化は、みな企業が宣伝したがっている物品の影響からまぬがれることができない。

 

 つまり、瀬戸内氏の考え方の底流にあるものは、日本の高度成長期の高揚感だといってもいい。
 
 そこに、「資本主義」の本質がある。
 「煩悩の積極的な解放」。

 

 資本主義というのは、人間の「煩悩」を全面開花することで繁栄した経済原理だ。
 その結果として、「中世」や「近世」の堅苦しいモラルが崩れ、人々のあらゆる欲望を明るく解き放つ「近代」が出現した。

 

 日本でそれが顕著になってきたのが、ちょうど戦後の復興期。
 瀬戸内氏のメンタリティーというのは、この日本の資本主義がもっとも高度な成長を遂げようとした時代の精神をそのまま体現している。

 

 つまり、彼女が若い頃に追求した「自由恋愛」や「不倫文化」というものは、そういう分野にマーケットを創造しようとしていた企業精神が目指したものと言ってもかまわない。

 

 実際、不倫文化というのは、マーケットが育たないと出現しない。
 恋を知り始めた若者たちは、小遣いがまだ少ないから恋愛にあまりおカネをかけられない。

 

 しかし、大人の恋を始めた中年層ならば、飲食に伴う経費、お洒落に費やす資金、取り交わされるプレゼント品の金額も膨大なものになる。

 

 そういう年齢の人々は基本的には家庭持ちになるから、彼らが恋愛にいそしむときの経費は、みな不倫経済となって世に還流する。

 

 特に、60年代ぐらいに活躍した資産家の男たちは、家庭外に “妾” を抱えることを「男の甲斐性」などといって自慢する傾向すらあった。
 そうなると、妾宅を用意したり、相方に小料理屋を持たせたりするための資金も必要となる。
 この時代の「家庭外恋愛」は、こういう形で経済を活性化させたのだ。

 

 1960年代の高度成長期と同じように、1980年代のバブル期にも、不倫経済が活発化した。


 それを盛り上げる役目を数々のトレンディードラマが担い、不倫ソングがチャートをにぎわした。
 それというのも、(前述したとおり)不倫は、おカネを世に回すからだ。

 

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 2000年代に入って、こういう風潮は沈静化する。
 不倫をしている人はあいかわらず多いのかもしれないが、そういう行動が社会にバレることは恥ずかしいこととなっていく。

 

 つまり、不景気の風が世を支配し、浮かれた不倫文化によっておカネが還流するような空気が色あせることになっていった。
 最近は、そこにコロナ禍の影響も加わった。

 

 現在、不倫を敵対視する主婦層は、旦那がこれまで外で不倫したときに流していたおカネを家庭内に回収するようになっている。
 そういう動きが、不倫する芸能人や政治家をきびしく取り締まる風潮をつくっている。

 

 こういう今の世相に照らし合わせて瀬尾内氏のトークを聞いていると、どこか、ひと時代前の思想に思えてくる。
 彼女のポジティブな物言いにも、なんとなく古臭さが伴う。

 

 「昭和の空気を代表する作家」が、また一人消えていったのを感じる。
 

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映画『燃えよ剣』の出来映え

 

強さのなかに甘さを隠した、新しい土方像

 

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 いい映画だった。
 『燃えよ剣』(司馬遼太郎・原作/原田眞人・監督)。

 

 あまり期待しないで映画館に入ったが、観ているうちに引き込まれ、土方歳三岡田准一)が戦死する最後の戦闘シーンでは、つい目頭がウルウルとなった。

 

 原作を知らない人がこの映画をどう評価するのか、そこはよく分からない。
 ただ、過去に原作を何度も読み、ドラマ化されたテレビなどもずっと観てきた私などからすると、かなりうまい脚本と演出だったと思う。

 

 原作と映画の “距離感” がいいのだ。
 原作のいい部分をそれなりに残し、そこに、映画としての味付けを上手に加えている。

 

 たとえば、ヒロインの「お雪」(写真下)の設定。
 原作では、まさに “春の雪” のようにさらりと溶けてしまうような存在として描かれているが、映画では土方の恋人として、かなり濃厚な役柄を与えられている。

 

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 つまり、「女性」というジェンダーに気を配る時代になってきたせいか、かなり主体的に振舞う女性像が生まれているのだ。
 だから、原作では濃厚だった “マッチョな男性群像” というイメージがだいぶやわらいでいる。
 

 
 普通、原作の評判がよすぎるものは、映画化でだいたいつまづく。
 広範な読者に支えられた “名作” になると、観客はみな自分なりのイメージを頭のなかで完成させているから、イメージ通りに話が進まないと、たいていの人は映画の方を “駄作” と感じてしまう。

 

 特に『燃えよ剣』は、司馬遼太郎の幕末もののなかでも名作中の名作といわれた作品。
 つまり、映画を観に来るたいていの読者は、それぞれ自分なりの土方像を心に刻み込んでいるから、下手に映画化されて、それを壊されることを嫌う。

 

 しかし、この映画はそこをうまくかわした。
 一番の理由は、主役を張った岡田准一の存在感が際立っていたからだ。

 

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 もとは、ジャニーズ出身のアイドル(V6)。
 甘いマスクが売りの役者だった。  

 しかし、いくつかの時代劇映画や大河ドラマの主役を張った経験が生きてきたのか、愁いを秘めた大人の顔立ちが似合う役者になっていた。

 

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 私のような年寄りのなかには、新選組ドラマとしては、いまだに1960年代から70年代に制作された『燃えよ剣』(&『新選組血風録』)が最高傑作だと思う人が多いかもしれない。


 だから、私なども、土方歳三のビジュアルとしては、そのとき主役を演じた栗塚旭(下の写真 左から2人目)の姿を思い浮かべてしまう。

 

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 栗塚旭土方歳三は、冷酷非情な “鬼の副長” という性格を強く打ちだしていた。

 

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 岡田准一の土方は、それに比べると、まだ甘い。
 もちろん「強さ」を強調した演技に徹しているが、その奥底には、甘さが残り、その甘さのなかに、女性あしらいが苦手だった土方という男の弱さも見え隠れする。

 

 しかし、岡田准一はそういう弱さを表現できたからこそ、お雪という恋人と切ない感情をかわす演技がこなせたと思っている。

 

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 脇役たちはどうか?

 今回近藤勇を演じた鈴木亮平は、どうしても “人の良さ” みたいなものが表情に浮かんでしまう。
 江戸末期に、百姓からサムライを目指した人間の凄みに欠ける。

 

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▼ 本物の近藤勇

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 芹沢鴨を演じた伊藤英明はどうか?
 もともと端正な顔立ちの役者なので、演技やメイクだけでは「芹沢鴨の怖さ」が出てこない。


 このあたり、別のドラマで芹沢鴨を演じた豊原功補(写真下)ぐらいの “いやらしさ” があっても良かったと思う。

 

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 沖田総司を演じた山田涼介はどうか?
 まぁまぁの演技だった。
 無邪気な青年剣士という役柄はうまくこなしていた。

 

 でも、やはり1970年代の『燃えよ剣』で沖田を演じた島田順司(写真下)にはかなわない。

 

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 “イケメン度” では山田涼介の方が上かもしれないが、男の剣客を恐れることのなかった沖田総司でも、おそらく童貞のまま死んでしまったのだろうなぁ という風情を色濃く残した演技をこなしていたのは、山田よりも島田順司であったように感じる。
 
 
 本映画の最後は、北上してきた新政府軍と、函館政府軍が五稜郭周辺で戦う野外の戦闘シーンとなる。

 

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 前半の池田屋事件芹沢鴨暗殺の場面がほとんど濃密な室内劇だったので、この野外戦闘シーンには解放感がある。

 

 ラストシーン。
 あらかたの勝敗が決まり、単騎新政府軍の陣地に向かう土方。

 

 「何者だ?」
 と誰何(すいか)する新政府軍の隊長に対し、死を覚悟した土方は、京の町で浪士たちを奮えあがらせた「新選組副長、土方歳三」と叫んだまま抜刀する。
 無数の銃弾を受けた土方の姿がストップモーションで凍結し、エンドマーク。

 

 このへんは、司馬遼太郎の原作通り。

 

 司馬遼太郎によると、土方の名を聞いた政府軍兵士たちは、
 「白昼、大空から突然龍が舞い降りるのを見たかのように震え上がった」
 ことになっている。
 いつもながらの、ずいぶん盛った描写だ(笑)。

 

 土方の戦死については、近年の研究では諸説あるようだ。
 しかし、こういう司馬ファンにはなじみのある定番で終わらせるところに、私などは納得する。 

 

 

 

 

 

イカゲームにみる格差社会

  
 朝のワイドショーで、韓国産のテレビドラマ「イカゲーム」(Netflix配信)を紹介するコーナーがあった。

 

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 「イカゲーム」というのは、(私は観たことがないが)、経済的に困窮する何百人かの人々が巨額の賞金を手に入れるために、サバイバルゲームを展開するという物語らしい。


 最後に残った勝者が莫大な賞金を独り占めするわけだが、そこに至らなかった人はみな残酷な死に方を迎えるというストーリーだという。

 

 殺伐とした暴力シーンも多いらしい。
 ただ、面白さは抜群らしく、9月に全世界で公開されてから、28日間で1億4,200万世帯が視聴したといわれている。

 

 このニュースを企画したワイドショーでは、金慶珠(キム・キョンジュ 写真下)氏が、「イカゲーム」がヒットした要因を解説していた。

 

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 こういう物語がリアルに感じられる背景には、いま世界中で蔓延している「格差社会」が影を落としているという。

 

 1980年代あたりから、どの世界においても新自由主義的な経済のグローバル化が進み、これまでになかった厳しい格差社会が生まれてきた。
 富める者は、あらゆる特権的な地位を確保し、自分の身の安定を図る。
 逆に、貧しい者は、ホームレスすれすれの生活を強いられる。

 

 そういう世の中では、ライバルがバタバタ死んでいくのをしり目に、自分一人が巨額な富を手に入れるというストーリーは説得力を持つ。
 荒っぽいやり方だが、それは一つの “敗者復活戦” だからだ。

 

▼ 「イカゲーム」の一場面

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 こういう殺伐とした「敗者復活戦」がウケる韓国社会の裏側には、何があるのか?

 

 金慶珠氏がいうには、今の韓国社会では、この「格差社会」が固定化して、そこから脱出できる人々がますます少なくなっているからだという。

 

 韓国は世界でも名だたる受験大国で、どれだけレベルの高い学校を出たかが一生を左右する。一流大学を出れば、大財閥が営む会社に就職できるし、そのまま質の高い生活水準を謳歌できる。

 

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 もちろん、そのコースに乗れなかった人は、一生 “うだつの上がらない” 生活に甘んじるしかない。

 

 まさに競争社会の宿命ともいえるものだが、問題は、そういう “出世コース” がどんどん固定されてしまい、お金持ちの家にでも生まれないかぎり、「バラ色の人生」を送ることは不可能になってきたということなのだ。

 
 受験競争に勝つ。
 (10大財閥といわれるような)一流企業に入る。
 そうすれば、贅沢な暮らしが保証され、良い縁談に恵まれて幸せな生活を築ける。

 しかし、それはお金持ちの家に生まれた人だけの特権なのだ。


 それ以外の人は、経済苦にあえぐしかなく、家も持てなければ、結婚もできない。

 

 韓国だけの話ではない。
 今の日本でもそういう傾向は強まっている。
 日本でいえば「親ガチャに外れた」という言葉になるのだろう。

 

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 もともと各家庭の間に広がる経済格差は1960~1970年代からすでにあった。
 しかし、当時そういう「格差」が人々に意識されなかったのは、その時代の日本が高度成長期を迎えていたからだ。

 

 「仕事に頑張れば、収入が増える」
 日本の多くのサラリーマン家庭は、より豊かな生活を目指して必死に仕事に精を出した。

 

 こういう時代では、「格差はいつかは解消される」という幻想を持つことができる。

 

 しかし、80年代から90年代になると、日本の企業もグローバルな競争社会の中で “儲け” を確保するため、働き手の非正規雇用化を進め、正社員とフリーター(もう死語?)の間の給料格差を増やしていった。


 やがて、バブル経済が破綻し、今度は正社員のリストラも進行していく。

 

 以来、30年以上、日本の若者はゼロ成長の時代を生きることになり、各家庭の経済格差はどんどん固定化していく。
 こうやって、「親ガチャ」が話題になる背景が整う。


 日本や韓国だけにとどまらず、東アジアの国々では、いまこのような悲惨な若者が増えている。

 

 中国では、「躺平(たんぴん)」という “生き方” を志向する若者が話題になっている。
 「躺平(たんぴん)」とは、日本語に直すと「寝そべり」。
 つまり、日々 “寝そべって” いるような暮らし方をする人たちのことをいう。

 

 毎日を無気力に過ごし、何も求めない。
 マンションも、車も買わず、消費全般に対して関心がない。
 もちろん恋愛にも興味がなく、当然、結婚する気もない。

 

 「躺平」の特徴を言葉だけで紹介すると、「だらしない若者」というネガティブなイメージしか浮かんでこないが、実は、これは今の中国政府に対する若者たちの「無言のプロテスト」だという見方もある。
 


 習近平政権の中国は、経済成長をうながすために、国民に過酷な労働環境を強いてきた。
 若者もその例外ではなく、激しい受験や過酷な就職競争にさらされてきた。

 しかし、ここに至って、「もうそういうのに疲れた」という若者たちが生まれてきたのである。

 

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 中国は、反抗する国民には容赦がない国だけに、若者たちは抗議の声をあげることができない。


 そこで、「寝そべり主義」という “だらけた態度” で、不服従の姿勢を消極的に表明し始めたと解釈する世論もある。

 

 もちろん習近平主席は、このことを問題視し、共産党の党内会議で、若者の「躺平主義」を批判するようになったという。

 

 日本や韓国の若者が、「格差社会」に対する抵抗を表明している間、中国の若者たちは、その「格差社会」を生み出す過酷な市場原理そのものに抗議しているという気もする。
 
 いずれにせよ、資本主義の無慈悲さに対し、東アジアの若者たちは抵抗を始めたのは確かだ。