ここ一ヶ月ほど、全世界のテレビ、新聞、雑誌、SNSなどを通じて一番連呼された人の名前は、
「プーチン」
ではなかろうか。

なにしろ、この名前の露出度は、ここ3ヶ月ほど群を抜いている。
政治家としてはバイデン、トランプ、習近平、金正恩などというビッグネームを抜き去り、アスリートとしては、大谷翔平、リオネル・メッシ、タイガー・ウッズ、大坂なおみなどを置き去りにしてしまう。
イーロン・マスク、ジェフ・ベソス、ビル・ゲイツなどという大富豪たちも「プーチン」の前にはかすんでしまう。
そのイメージは「極悪非道のラスボス」。
なにしろ、侵略しているウクライナで、どれだけの民間人が虐殺されようが意に介さない。若いロシア兵たちが駆り出されて戦死しようが、それも「当然のこと」と黙殺。
こういう冷酷非情さを堂々と世界にさらして開き直っている国家元首というのも最近では珍しいのではないか。
このままでは、
「20世紀のヒットラー」
「21世紀のプーチン」
という呪われた評価のまま終わるだろう。
しかし、そういうプーチンの支持率がロシア国内では “うなぎ上り” になっている。
3月31日に集計されたロシアの世論調査では、ついに83%を超えたという。

世界中の「悪」が、ロシア国内では「ヒーロー」。
この評価の落差に、現在のロシアという国の秘密が隠されていそうだ。
多くの “西側メディア” は、ロシア政府の言論統制により、
「今回の紛争ではウクライナが一方的に悪い」
というロシア当局のプロパガンダに、ロシア国民が洗脳されていると告発する。
なにしろ、ウクライナの市街地が爆撃で破壊している画像には、
「ウクライナのネオナチ勢力が、自分の国の町を破壊している」
「ウクライナの極右部隊が、親ロシア住民を虐殺している」
というように、すべてウクライナ側が一方的に暴力を奮っているという説明がなされている。
国営テレビしか見ないロシアの中高年はみなそれを鵜呑みにし、より一層プーチン支持の気持ちを固める。
もちろん、ネットを通じて海外から伝わる「戦争の真実」を知る若者も多いという。
しかし、それほど意識の高くない若者たちは、けっきょくロシアの中高年同様、プーチンを英雄視する傾向を強めているという話も聞く。

ロシア人たちが、プーチンの催眠術から解かれ、世界の真実を眺める日がくるのだろうか。
いずれは、そういう日が訪れるとは思うが、「プーチン魔術」は、そう簡単には色あせない。
なぜなら、プーチンが語る「ロシアの夢」や「ロシアの希望」は、この国が200~300年かけて積み重ねてきた「ロシア帝国」の栄光を引き継ぐものだからである。

『独裁者プーチン』(2012年)という本を書いた拓殖大学の名越健郎教授によると、プーチンが評価するロシア史上の人物は、ピョートル大帝とエカテリーナ2世だという。
二人とも、帝政ロシアの発展に尽くしたロマノフ王朝の “ツァーリ(皇帝)” だ。

プーチンは、ソビエト連邦のKGB(秘密警察)出身だから、ソ連をつくりあげた革命家を評価してもおかしくないはずなのに、彼が尊敬する人物名には革命家レーニン(写真下)などの名は出てこない。

それよりも、プーチンは、革命によって倒されたロマノフ王朝の方がお気に入りらしい。
実は、プーチンは、「革命」という概念に恐れを抱いている人だという話もある。
1989年、ベルリンの壁が崩壊したとき、東ドイツでKGBの勤務をこなしていたプーチンは、壁を打ち砕いて侵入してきた西ドイツの民衆たちに恐怖を抱いたと述懐している。
彼は、そのことを西側民衆の「革命」ととらえ、以降、自分自身は「ソ連」という革命政権に仕えながらも、「革命」をもっとも恐れる政治家になっていく。

彼の好みは、たぶんレーニンのような暗くて陰気な革命家よりも、きらびやかな帝政ロシアの絢爛たる皇帝たちの方にあるのだろう。
昔、『ニコライとアレクサンドラ』(1971年)というハリウッド映画(写真下)があった。
ロシア革命が起こり、最後は革命政権に銃殺されてしまうニコライ2世とその家族を描いた映画だったが、おそらくプーチンは、(もしその映画を観たら)処刑されるロマノフ王家の人々に感情移入したのではなかろうか。

壮大なロシア帝国の滅亡。
彼は、それを本気で嘆いた人なのかもしれない。
だから、彼は、今回のウクライナ侵攻においても、ロシア帝国の再興をリアルに夢見た可能性がある。
彼の尊敬するピョートル大帝(17~18世紀)は、ロシアの後進性を打破して、ヨーロッパ諸国と並ぶ大国に押し上げた。
そのために、スウェーデンと戦い、バルト海に進出した。
▼ ロシア帝国の発展に寄与したピョートル大帝

また、プーチンの愛したエカテリーナ2世は、ポーランド、ウクライナを併合し、クリミア半島を制圧してロシアの領土を広げた。
▼ ロシアの人気ドラマ『エカテリーナ2世』の1シーン

プーチンの意識には、常に、膨張・拡大を続けた「ロシア帝国」のイメージがある。
それを、彼は「大ロシア主義」、あるいは「ユーラシア主義」と呼び、ヨーロッパともアジアとも異なる独特の文化共同体であると訴える。
この共同体は、別名「ルースキー・ミール(ロシアの世界)」とも呼ばれ、そもそもロシア、ウクライナ、ベラルーシなどは同じロシア文化圏に属する盟友同志であるという理論で補完されている。
その共同体を支えるのは、軍事力だ。
帝政ロシアのツァーリも、プーチンも、ともに軍事力を国力の根幹にすえる発想は変わらなかった。

ここで注意しなければならないのは、「大ロシア主義(ルースキー・ミール)」というのは、そのまま、
「他国には嘘をついてもかまわない」
という精神状況を作り出すということだ。
なにしろ、「ロシアはどこまでも膨張していく」のだから、その過程で 《外》 というものはやがてなくなる。
つまり、今まで外だったものが、やがて 《内》 になるのだから、「嘘と真実」を分ける必要もなくなる。(内に入れば、みな真実だ)
それがプーチンの論理である。
彼が “国際法” を守らないのも、同じように、すべてがやがて「ロシア」になるのだから、国と国の関係を法律化する「国際法」も意味がないという議論に進んでいく。
それは、プーチンの願望がそのまま反映された思想でもあるが、同時に、ロシア人が伝統的に夢見ていたものでもあるのだ。
ロシア人の夢とは何か?
「ロシアは、いつでも膨張の過程にある」という信じ込みだ。
そして、その膨張を訴えるリーダーに忠誠を誓い、祖国愛が鼓舞されることに陶酔することである。
仮に、その祖国愛が、経済や政治のレベルで高コストになろうとも、情念の力でそれを補っていくというのが、ロシア人のメンタリティーである。
戦前の日本の思想に置き換えると、「大和魂」というものに近いのかもしれない。

ロシア帝国の時代は、そういう精神を統合する人物はツァーリ(皇帝)だった。
帝政時代の農民は、「農奴」といわれるまでに人権を奪われたみじめな存在になりさがっていたが、農奴を含め、純朴な国民はみなツァーリを愛した。

彼らは、自分たちを貧しい環境に追い込んだものこそツァーリ体制だったにもかかわらず、ツァーリの家族の慶事を素直に喜び、ツァーリの家族を襲う悲しみには涙をこぼした。
ツァーリとは、あの広大なロシアの “大地” そのものだった。
帝政ロシアの時代に、版図はユーラシア全土に及んだ。
東は極寒のベーリング海峡を望み、西はポーランド、ウクライナを併合してドイツ、オーストリアというヨーロッパ列強と国境を接した。
南ではオスマン帝国(トルコ)を破り、黒海、アゾフ海を自国の海に定めた。
このように、ロシア人は帝政ロシアの時代に(軍事力によって)国土が無限に膨張していく感覚を身につけた。
そのときの高揚感がロシア人の身体感覚に焼き付き、それが代々受け継がれていった。
だから、1991年の「ソ連崩壊」というのは、帝政ロシアの夢を打ち砕いたという意味で、ロシア人にとっては負の記憶でしかない。
それは当然「ソ連」という国家そのものを否定するような歴史観を醸成する。
ロシア人にとって、「ソ連」の解体は、領土の損失そのものだったからだ。

その歴史の節目に登場したのがプーチンである。
彼こそは、ソ連崩壊の悪夢を乗り越え、帝政ロシアの栄光を復興させるヒーローだと、オールドロシア人は歓迎する。

このような一途なロシア人たちの精神をつちかってきたのが、ロシア正教である。
ロシア正教というのは、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の国教ともなった東方正教会のロシア地区を束ねる壮大な宗教体系だが、西側のカトリックやプロテスタントとは異なり、より内面性の強いところに特徴がある。

インフラ的には絢爛豪華(↑)。
宗教的には、神秘主義的な傾向がロシア正教には備わっている。
あらゆる宗教を排除しようとしたソ連時代には、ロシア正教もずいぶん弾圧された。
しかし、プーチンの時代になるとロシア正教は見事に復活し、徐々にプーチン政権と蜜月関係を結ぶようになる。
帝政ロシアの時代に、ロシア人民の精神的支柱となり、純朴なロシア人をたくさん生み出したロシア正教の力を、プーチンが利用しないわけはなかった。
現に、現在のロシア正教を統率するキリル総主教は、
「プーチン大統領の軍事侵攻は西側諸国に責任がある。西側諸国がプーチン大統領との約束を守らず、NATOをロシアとの国境に近づけてきたからだ」
と発言。プーチンを支持する声明をはっきりと打ち出している。

この神秘主義的なロシア正教の宗教観で “ロシアの大地” を眺めてみると、また不思議な光景がせり上がってくる。
「地平線の彼方に、また別の大地が広がっている」
という感覚だ。

2018年に開かれた『ロシア絵画の至宝展』(東京富士美術館)で、18世紀以降のロシア美術の風景画を観に行ったとき、その展示スペースに、同時代のヨーロッパ絵画とはまったく異なる空間造形が広がっているのを見て、その圧倒的な光景に驚嘆したことがある。
この大地の壮大な “奥行き感” こそ、「大ロシア」の感覚、すなわち「ユーラシア主義」といわれる世界観の反映であると思わざるをえない。

ロシア人の意識の底には、合理性の及ばない領域が潜んでいる。
ロシア絵画やロシア文学には、それを示す作品が多々ある。
しかし、そういうロシア人の感性を、プーチンがいつまでも利用できるはずはない。
ロシアの思想やアートには、基本的に「愛」が備わっている。
しかし、プーチンが今人々に示しているのは、残虐性を嘘で塗り固めた虚偽の「栄光」に過ぎない。
ロシア芸術が示してきた「愛」は一かけらもない。
そもそも、21世紀のハイブリッド戦の時代になっても、プーチンの戦いは相変わらず大砲を打ちながら陸軍が行進するという18世紀・19世紀型の戦闘だ。
そういう戦争しかイメージできなかったところに、プーチンの限界があった。

やがて、プーチンが失脚する日が訪れるだろう。
日本のYOU TUBERのなかには、「プーチンは失脚しない」と言い切って、西側諸国の底の浅さをあざ笑う人たちもいる。
しかし、そういう人は(仮にその観測が正しくても)、大切なことを見逃している。
プーチン個人が胸のなかに抱えている人間に対する残虐性を批判する目を失っている。
だから、プーチンの失脚は必ず来る。
今すぐではないかもしれないが。