アートと文藝のCafe

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見城徹氏の直球勝負で書かれた読書論

  文芸批評
『読書という荒野』 

 
 見城徹(けんじょう・とおる)氏の『読書という荒野』という本を読んだのは、2018年7月の猛暑日だった。

 

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 まさに、真夏の炎天下を思わせるような、熱い本だった。
 すべて直球勝負。
 それも、うなりとともに人の胸元をえぐってくる剛速球である。

 

ページをめくると、そこから火花が散る

 

 本を開くと、最初に「はじめに」という文章が出てくる。
 その章には次のようなタイトルが掲げられている。

 

 「読書とは、『何が書かれているか』ではなく、『自分がどう感じるか』だ」
  
 う~ん !
 あまりにもまっとうな正論に、ぐうの音も出ない。
 さらにページをめくっていくと、ページが発熱して燃え上がりそうな小見出しが次々と登場する。
 
 「世界の矛盾や、不正や、差別に怒れ」
 「正しいと思うことを言えなくなったら、終わり」
 「自己嫌悪と自己否定が、仕事への原動力となる」
 「絶望し切って死ぬために、今を熱狂して生きろ」

 

 タイトルというより、アジテーションに近い。


 1960年代末期に、日本の各大学で学生運動が巻き起こった。デモ隊が集結した広場で、左翼革命を目指した活動家のリーダーが、みなこういう口調で演説していた。
 現にこの本には、「左翼に傾倒しなかった人はもろい」というタイトルを持った章もある。

 

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 見城徹氏。
 幻冬舎社長。
 1950年生まれ。
 今年(2019年)で69歳。

 

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学生運動の経験が見城氏を育てた

 

 高校時代から学生運動に身を投じ、慶応大学に入学してからはさらにその活動に拍車がかかり、「革命によって世の中の矛盾や差別を正さなければならない」と本気で信じていたという。

 

 この見城氏と私は、まったく同年代である。
 私もまた、1950年生まれ。
 1960年代末期には、彼と同じように学生運動の周辺を逍遥していた。

 

 だから、似たような体験も重ね、似たような読書経験も持っている。
 しかし、この本を読み終わったとき、若い頃の話においては、私と見城氏が精神的に重なっているところはほとんどないと感じた。


 私は見城氏が胸に秘めた “燃える闘魂” とは無縁な青春を送っていたからだ。

 

 彼が世の中の差別に憤りを感じ、弱者に対して理不尽な圧力をかけてくる社会に闘争を挑もうとした頃、私はナンパに精を出して、ディスコに通い、マージャンにうつつを抜かしていた。


 ときどき学生運動のデモ隊に加わったが、政治集会が終わったあとは、敵対するはずのセクトの学生と一緒に酒を飲み、そいつらのアパートでギターを弾いてフォークソングを歌った。

 

 見城氏が、吉本隆明詩篇(『転位のための十篇』)に触れ、その切ない思想の切れ味に涙していた頃、私は吉行淳之介の恋愛小説を読みあさり、ナンパするための女心の研究に余念がなかった。

 

 あの時代に読書体験を持ったインテリ学生が傾倒した高橋和巳の著作に対しても、見城氏は「夢中でのめり込んだ」と述懐するが、私は『憂鬱なる党派』一冊を読んだだけで胸焼けを起こした。

 

 もちろん、それ以外の読書体験としては重なっている部分も多い。


 この本で見城氏が触れているヘミングウェイ夏目漱石小田実沢木耕太郎吉本隆明五木寛之石原慎太郎村上龍村上春樹山田詠美宮本輝、北方健三、高村薫三島由紀夫などという作家たちの著作は、(代表作だけかもしれないが)私もまた目を通している。

 ただ、どうしても微妙なズレを感じた。

 
 好きな作家として共通する名が挙がっても、そこで論評される個々の作品は必ずしも同じではないのだ。


 もちろん、私の読書量の浅さが問題なのだが、いくつか共通して読んでいる作品のなかには、「えっ? この作品のどこが素晴らしいの?」と首をかしげるようなものも、彼の愛読書のなかに混じっている。

 

なぜ歴史書美術書はスルーしてしまったのか?

 

 全体的な読書傾向としていちばん感じたのは、歴史書美術書のたぐいを見城氏がほとんど話題にしなかったことだ。

 
 私なら、塩野七生司馬遼太郎といった歴史本の2大エンターティナーがまず筆頭に挙がってくるところだが、見城氏はそのへんをスルーしてしまう。


 その2人は、氏にとっては、すでに大衆的評価の定まった “大御所” という位置づけなのだろう。つまりは、編集者としての食指が動かなかった人たちなのかもしれない。

 

 また、角川書店に勤めたこともあるというのに、片岡義男に対して冷淡なのも少し気になる。村上春樹を称えるならば、春樹と片岡義男の違いは何なのか? というところまで踏み込んでもよかったと思う。


 
 自慢ではないが( といって自慢してしまうわけだが)、私は当時フィレンツェにいた塩野七生氏に手紙を書き、東京にこられたときにインタビューすることができた。
 また、片岡義男氏には電話で原稿を申し込み、当時私が携わってきた冊子に原稿をもらうことができた。


 だから、これらの著者たちには、私は今でも熱い思いを抱いている。 
 
 
 閑話休題
 『読書という荒野』に戻る。

 

「読書」は「格闘」であるという信念

 

 見城氏の読書というのは、一言でいうと「格闘」である。
 「本」という名の “リング” に登り、著者と血のにじむような闘争を繰り広げる。
 著者に対する畏敬の念も、共感も、すべて格闘を通じて獲得される。

 

 それは確かに素晴らしいことだ。
 はっきりした対決姿勢で臨まないかぎり、ほんとうの意味で、著者への共感も生まれない。


 読書における「共感」とは、著者との “刺し違い” の別名でもあるからだ。

 

 しかし、著者と刺し違えるということは、(自分も成長して大きくなることも意味するが)基本的には、リングの上に自分と等身大の相手を見つけることにすぎない。
 
 もともと「理解する」ということは、対象を自分の “身の丈(たけ)” のサイズに縮めて手に入れることである。


 人間は、身の丈よりも大きなものは理解できない。
 だから、この本では、すさまじい格闘の末に、見城氏が著者の思想を理解するに至った顛末は述べられるけれど、見城氏の理解を超えたものに関しては、それと格闘したという気配すら描かれない。

 

 余談だが、若い頃に吉本隆明に染まった人は、往々にしてそういう傾向が強い。

 
 吉本隆明という思想家は、手ごわいライバルや敵対的な思想に対して真正面から闘争を挑み、相手の反撃を打ち砕いて、乗り越えていった人だが、それだけに、最初から  “歯が立たない”  ものへの畏敬の念が薄い。

 

 彼には、真正面から挑めば論破できないものはないという信念がある。だが、その分独りよがりになってしまうところがある。 

 

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 つまりは、吉本氏も見城氏も、「己を信じる気持ち」が普通の人の何倍も強いのだ。
 困難な状況を乗り越えてきたという自負が、自分を超える力の存在を過少評価してしまうのだろう。
 
 生意気な結論を一言だけいうならば、見城氏のこの読書論にも、自分の理解を超えるものへの “おののき(畏れ)” がない。

 

貨幣と言語が通用しない “荒野” をめざせ !
 

 それでも、この見城氏の著作からはいろいろなものが見えてきた。


 印象に残ったくだりは、村上龍と見城氏の交遊録。
 2人で、伊豆の川奈ホテルに投宿し、昼間の時間はテニスだけに費やし、夜はひたすら贅沢な食事を繰り返して、酒類を痛飲したという。

 

 そういう非生産的な行為の繰り返しに価値を置く見城氏のスタンスは、それなりにカッコいい。


 シャンパンの泡にも似た軽さと、贅沢さと、アンニュイと、メランコリー。
 そういう宿泊体験の蓄積が、村上龍の『テニスボーイの憂鬱』という小説に結実した。

 

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 実は、この小説は村上龍の作品のなかでも、私がもっとも好きなものの一つである。

 
 一度だけ、西新宿の高層ホテルのスイートルームで村上龍に取材したことがあったが、彼がインタビューする私に興味を抱いてくれたのは、私が『テニスボーイの憂鬱』の感想を口にしてからであった。

 

 「ほんとうによく読んでくださってますね」
 村上龍は、ようやく眠気が吹っ飛んだという目で、私を見つめ直してくれた。

 


 最後に、なぜこの『読書という荒野』という本を買う気になったのかということを記す。
 ずばり、タイトルに惹かれたからだ。
 
 「荒野」という言葉は、無類に私の想像力を刺激する。


 この言葉には、ルーティン化した日常生活から脱し、身の危険すら覚悟して、いまだ足を踏み入れたことのない地平を目指せというメッセージが込められている。

 

 このタイトルだけで、もう販売部数の7割方は確保できたのではなかろうか。
 それだけ、イマジネイティブな書籍名だといっていい。

 

 見城氏は編集者だけあって、本のなかに使うキャッチ類(章タイトル)がとてもうまい。


 「極端になれ! ミドル(中庸)は何も生み出さない」
 「旅に出て外部にさらされ、恋に堕ちて他者を知る」
 「死の瞬間にしか人生の答は出ない」

 

「夢」や「希望」を語る人間は薄っぺらい

 

 文章のなかに隠れている次のような “啖呵(たんか)” もカッコいい。
 
 「『夢』『希望』『理想』『情熱』などについて熱っぽく語る人間は嫌いだ。これほど安直な言葉はない。夢や希望を語るのは簡単だ。しかしそれを語り始めたら自分が薄っぺらになる」

 

 同感である。

 

 “旅” に関しては、こんな記述もある。

 

 「旅の本質は、『貨幣と言語が通用しない場所に行くこと』だ」

 

 つまり、貨幣と言語というのは、それまで生きてきた自分が無意識のうちに手に入れた、“使い慣れた武器” である。
 その武器が使えない場所にあえて身を置いてみろ、と彼はいう。

 

 もちろん、「貨幣」も「言語」も比喩である。
 要は、自分がもっとも使い慣れた “武器” を捨てなければならない場所に立て、ということだ。
 具体的にサハラ砂漠やアマゾンの奥地を指しているわけではない。

 

 見城氏は、そういう場所に立つことを、自分を守ってくれる環境の『外部』に身をさらすことだと語る。
 その “外部” こそが、すなわち “荒野” である、と見城氏はいいたいのだろう。

 

 編集者というのは、けっきょく “アジテーター” なのだ。
 私もまた見城氏のアジテーションに魅せられた人間の1人である。 

 

春という季節は亡くなった人を妙に思い出す

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エッセイ 
伯父さんの話 
  

  
 伯父がいた。
 その妹である母の話によると、きっぷのいい遊び人だったという。

 「きっぷのいい」という言葉は死語かもしれない。
 現代風に言うと、「気性のさっぱりした」というような意味になるのだろうか。

 

 母は、その言葉を、半分は褒め言葉として使った。
 しかし、残りの半分には、「おカネを無造作に使ってしまうダメな人」というニュアンスを込めていた。
  
 つまり、「蓄財の才覚がない」ということだ。
 母も金銭感覚にうとい人間だったが、その母が眉をしかめていうくらいだから、伯父のカネの使い方は浮世離れしていたのかもしれない。

 

 もともと母方の実家は、地方の有力な事業主だったという。
 母も伯父も、幼少の頃は贅沢な暮らしをしたようだ。

 伯父は長男だったので、その家業を継ぐことになるはずだったが、実際には継いでいない。

 

 その経緯は、私には分からない。
 ただ、伯父はおカネを持てば、大金でもその晩につかい果たしてしまうような人だったらしく、どっちみち家業を継いでも、うまくいく見込みはなかっただろう。

 

 代わりに、漢詩を読んだり、短歌をつくったりする趣味には長けていたという。
 事業家の血筋を引きながら、文学趣味の濃い人だったようだ。
 

 

 伯父が元気だった頃、私はまだ小学生だった。
 家人との会話で、「出版社」を経営しているということを得意げに話していたのを小耳に挟んだような気もする。
 
 もっとも、「出版社」という言葉を聞いても、当時の私にはあまり理解できなかったし、第一、それほど関心もなかった。

 

 伯父は新潟に住んでいた。
 古町という市内でも最もにぎやかな目抜き通りだった。
  
 夏休みだったろうか。
 母と遊びに行った。
 一階が他人の経営するレコード店で、伯父の住まいはその二階だった。
  
 レコード屋の裏の細い階段を上がる。
 靴が4~5足集まれば床が見えなくなってしまうような小さな玄関を上がり、その二階に入る。


 そうとう古い建物らしく、階段の手摺も天井板も、醤油で煮染めたように黒ずんでいた。

 8畳ほどの居間と、4畳半の台所と、3畳程度の仕事場があった。
 その3畳のスペースに小さな本棚と机が置かれ、そこで伯父は原稿を書いていた。

 

 雑誌をつくる仕事をしていたのだ。

 一人で雑誌をつくり、一人でそれを売り歩く。
 たしかに “出版社” には違いなかった。

 

 一冊手にとってみる。
 週刊誌サイズの20ページほどの薄い雑誌。
 正装した紳士たちの写真が掲載されていて、その周りを小さな活字が埋めていた。
 地元の名士たちらしい。

 

 伯父は、その名士たちを順繰りに取材し、その業績を文字にすることで、広告料の代わりにしていたのだ。

 

 今でいうタウン誌の “人物版” のようなものだったのかもしれない。
 名士たちが、その雑誌に載ることで、自分の功績が世に喧伝されるようになると期待していたかどうかは分からない。
 
 彼らは自分の半生記を人にまとめてもらうことで満足していたのかもしれないし、あるいは、たぶんに個人的な付き合いの範囲にとどまるものだったかもしれない。
 だから、その雑誌の発行が、どれだけ伯父の家計を支えていたのかは分からない。

 

 もっとも、当時小学生の私に、収益構造のことは分からなかったし、それに思いを馳せるほどの智恵もなかった。


 ただ、小学生の目から見ると、怪獣もロボットも戦艦も出てこない「まったく面白くない雑誌」だった。

 

 

 伯父は甥っ子の私が来たことをいたく喜び、夜は私だけを伴って、近所の寿司屋に連れていった。
 自分の子供が2人とも娘だったせいか、血縁の中に男の子がいたということがうれしかったのだろう。

 

 「回転寿司」も「立ち食い寿司」も生まれていない時代。
 寿司は、大人だけに許された贅沢な食事だった。
 
 遠慮を知らない私は、好きなネタだけを選び、ひたすら食べまくった。
 伯父はそんな私を目を細めて見つめながら、自分はほとんど何も食べず、酒ばかり飲んでいた。
 人が喜ぶ姿を見ることにカネをつかってしまう性格だったのだ。

 

 

 私が住んでいる東京にも、伯父は何度か遊びに来た。
 いつも、子供の目から見ても高そうなスーツを着ていた。


 しかし、それがみな古そうだった。
 昔つくった贅沢な服を、大事にしながら、ずっと着ているという風情だった。

 

 夕方になって、「帰る」という伯父を駅まで送っていくのが私の務めだった。
 たいてい、すぐには電車に乗らない。
 
 必ず、駅近くのバーとか小料理屋のようなものを見つけ、
 「ちょっと寄っていこう」
 と、私を誘う。
 
 見知らぬ土地の、見知らぬ飲み屋に入るのが、無類に好きだったのだろう。
 私は、また母に怒られることを知りながら、伯父に付き合う。

 

 小学生だから、酒は飲まない。
 ジュースを飲みながら、伯父と、そのママさんの会話を黙って聞いている。

 

 何が楽しいのか。
 伯父は、ママさんの手料理の品評などしながら、淡々と酒を喉に流しこんでいく。
 そして、二度と来ることもないような店なのに、高い酒をどんどん頼み、ママさんにも気前よくおごる。

 

 酔うと歌が出る。
 カラオケなどまったくない時代。
 つぶやくような低い声で、歌が始まる。
 北原白秋が詩を書いた「からたちの花」とか「砂山」のような童謡だ。

 

 「♪ 海は荒海、向こうは佐渡よ。すずめ鳴け鳴け、もう日はくれた

 

 伯父の目には、新潟の海の向こうに見える佐渡ヶ島が映っていたのかもしれない。

 

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 伯父は、結局、貧乏のうちに死んだ。

 

 しかし、いま思うと、私はことごとく伯父の嗜好を受け継いでいる。
 二度と来ないような知らない飲み屋でカネを使うのが好き。
 酔って歌を唄うことも好きだ。
 蓄財が苦手で、カネが貯まらないところも似ている。

 

 一つだけ違うことがあるとすれば、大金を使うことに対して、私はちょっと臆病であるということだけかもしれない。

 

 

 伯父が亡くなって、一度だけ、母と新潟に墓参りに行ったことがある。
 私はもう学生になっていた。
 伯父の家はすでになく、私たちはホテルに泊まった。

 

 せっかく新潟に来たのだから、「甘エビを食べよう」と母がいう。
 今のように、食品の流通が活発でなかった時代。
 甘エビは、新潟や北陸で食べるのが一番鮮度が高く、おいしいと言われていた。

 

 母は気前よく、甘エビをたくさん注文し、それを食べているうちに、私は寿司屋に連れていってくれた伯父のことを思い出していた。
 
 店を出ると、春先だというのに、雪が舞っていた。
 桜の花が散るような雪で、頬に当たっても冷たくはなかった。

 

 翌日、墓参りをすませ、私たちは少し足を伸ばして、海を見に行った。
 雪は止んで、日本海には青空が広がり、佐渡ヶ島がくっきりと見えた。

 

 小さい頃見た新潟の砂浜には何もなかったように記憶していたが、そのとき見た浜辺には、殺風景なテトラポットがたくさん積まれていた。

 

 しかし、砂山らしきものは残っていた。 
 伯父が飲み屋で唄った「砂山」の歌が、頭の中でかすかに鳴った。

  

 砂山(中山晋平 作曲)/渥美清

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「フェイクニュース」とはネット時代の「デマ」を意味する言葉

 トランプ米大統領が、自分に批判的なマスコミの報道を「フェイクニュース (fake news)」と切り捨てるようになって以来、この言葉は流行語となった。

 

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 しかし、メディア評論家によると、この概念はけっして新しいものではないという。
 すなわち、昔風にいえば「デマ」のことだ。

 

 ただ、「デマ」という言葉には、二通りの意味があるとか。
 民衆側から出たニセ情報のことをいうときは、「デマ」。
 それに対し、権力側が意図的に流すニセ情報を「プロパガンダ」というのだそうだ。
 
 今でいう「フェイクニュース」というのは、その両方を含んでいる。

 

 しかし、「フェイクニュース」という言葉には、「デマ」とか「プロパガンダ」という言葉とはまた違った、新しいニュアンスがあるような気がする。

 
 それは、ネット社会の情報錯綜を反映した言葉であるように思える。

 

 「デマ」や「プロパガンダ」は、活字媒体が支配的であった時代の言葉。
 それに対し、「フェイクニュース」は、情報がペーパー媒体からネットメディアに移行した状況を示している。

 

 「デマ」や「プロパガンダ」という言葉からは、(意図は悪意であっても)一度印刷してしまうと情報の修正がむずかしいことを理解している活字媒体世代の責任感のようなものが匂ってくる。

 

 それに対し、「フェイクニュース」という言葉からは、愉快犯が面白がってニセ情報を流しているという無責任さが感じられる。

 

 つまり、世界中の誰もが簡単にネットにアクセスできるようになったために、恣意的に加工したニセ情報を流して他人が右往左往するのを見たいという人々のシンプルかつ陰湿な欲望が野放しになってきたのだ。
 
 
 このような事態を招いた背景には、ネットのおかげで、情報拡散のスピードが、旧社会の人間の持っていたスピード感をはるかに超えてしまったことが挙げられる。
 つまり、情報の消費が早すぎて、誰もが情報の真偽を確認できなくなったのだ。
 

 さらに、もう一つ。

 ある意味 “豊かな社会” になって、人々がニュースに娯楽性を求めるようになったためだ。

 
 同じニュースでも、「えっ? それってホントー?」という刺激性の強いニュースの方に人々は惹かれるようになってきた。

 

 そういう傾向が助長された遠因として、私はテレビのワイドショーに出演するキャスターやコメンテーターが芸人によって占められる率が高くなってきたことを挙げたい。


 今やダウンタウン松本人志やタレントの坂上忍などは、もう立派な天下のご意見番である。


 今のワイドショーでは、この人たちの発言の方が、専門家の解説よりも視聴者の支持を得やすくなっている。


 このように、フェイクニュースの横行には、ニュース番組の “芸能化” も背景にあることは間違いなく、それはそのまま、今の日本の若者たちが置かれている状況を反映している。

 

 すなわち、東大のような大学に入って、官庁や優良企業に進み、日本を支えるエリートになるか。
 それとも、お笑いの世界に入って頭角をあらわすか。

 

 今の日本の若者が、「夢」を持つときには、その二つの選択肢しかなくなってきたのだ。

 

 今の時代は、勉強さえ一生懸命やれば東大に行けるような世の中にはなっていない。

 そこに至るまでには、塾代や家庭教師料も含め、親が途方もない資産家であることを求められる時代になってきている。


 そういうコースを最初から諦めざるを得ない家の子弟は、幼いころから芸人を目指して、他人を “いじって” 笑いを取る訓練に励むようになる。

 

 今のテレビには、どちらにもロールモデルも用意されている。
 東大志望の子弟には、現役の東大生がどれだけ頭が良いかを際立たせるようなクイズ番組がたくさん企画されている。

 

 そういうクイズ番組に出演する東大生は、普通の社会人では理解できないような設問を一瞬のうちにクリアし、ものすごい知識量があることを喧伝する。

 

 視聴者はあっけにとられて、正解者に賛辞を贈るが、そこに落とし穴がある。
 クイズの正解は一つかもしれないが、人生の正解はけっして一つではないからだ。

 

 しかし、視聴者はこのようなクイズ番組に慣れることによって、人生の正解も一つしかないような錯覚に陥る。

 

 だから、最初からエリートコースにおける “正解” を放棄した若者は、「人生には答がない」ことを示し得る “お笑いの世界” を目指す。

 そして、こっちの方向に進むときのヒーローとして、松本人志爆笑問題カンニング竹山坂上忍らがいる。

 

  という私の発言も、まぁフェイクニュースの一つかもしれないね。
  
   
 

1978年に女の歌が変わった

エッセイ 
男から脱出した女たち

 
 昭和歌謡を振り返ってみると、女性シンガーの歌が途中からガラっと変わる時期がある。
 1970年代の後半あたりからだ。
 女たちが、自分の正直な気持ちを歌い始めたといっていい。
 
 たとえば、杏里の『オリビアを聴きながら』。
 尾崎亜美の作品で、杏里のデビューシングルともなった曲である。

  

▼ 『オリビアを聴きながら

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 曲調は優しい。
 メロディーもきれいだ。
 杏里の歌い方には、どことなくアンニュイの影が漂う。

 

 しかし、深夜のラジオからこの曲が流れてきたとき、激痛に近いショックを感じた。
 それは、男から見ると、ついに「異形の女」が現れたというくらいの衝撃だった。
 同時に新鮮だったし、興奮もした。
 
 静かな曲調とはうらはらに、残酷な歌でもあると感じた。
 自分の心から、ひとりの男を追い出す女の歌なのである。

  
 この歌に登場する “男” は、女の誕生日にはカトレアの花を贈ることを忘れない優しい男である。

 
 なのに、彼女は「優しい」と断言しない。
 「優しい人だったみたい」
 と過去形の、しかも推測の形を残した言い方で終わらせている。

 

 つまり、男の “優しさ” が、この時点で効力を失っていることが、「 だったみたい」という過去形の言葉になっていることから分かる。
 
 続く歌詞は、
 「♪ 夜更けの電話、あなたでしょう
 話すことなど何もない
 愛は消えたのよ、二度とかけてこないで
 
 おとなしい言葉だが、ここには断固相手を拒否する強靭な神経がむき出しになっている。
 
 「いつのまにか、女が化物のように強くなっている ! 」
 当時は、そう思った。

 

 いま聞くと、きわめて当たり前のことが歌われているに過ぎない。
 なのに、その時代にこの歌が新鮮に聞こえたのは、このようにはっきりと男を拒絶する歌が、それ以前にはなかったからだ。


女たちは「待つ女」をやめた
  
 それまで、演歌においては、ひたすら女は、男を待ち、騙され、傷つけられ、耐え忍ぶものとして描かれてきた。
 多くの男たちは、この演歌的な “待つ女” をそのまま女の実情としてとらえてきた。

  
 『オリビアを聴きながら』は、そういう世の男たちに、はじめて女の真実の声を届けたといってもかまわない。
 女が男を捨てるときは、いかにあっさりしたものか。
 そのことをズバリ歌にしたのが、この1978年の『オリビアを聴きながら』だったのだ。
 

「昔の男」には、もう出る幕がない

 

 同じ年、そのことを別の角度から歌い上げた曲が誕生している。
 桃井かおりが歌った『昔のことなんか』だ。
 作詞・作曲は荒木一郎
 彼は、この時代、突出した恋愛関係の洞察者だった。

 

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 歌詞は、こういう調子である。
 
      昔のことなんか聞かないことにしましょう。
    もう夜も更けてきたわ。
    昔の恋なんかママゴトみたいなものよ。
    もうあなたのことだけよ。
    昔の私は、何色だったのかしら。
    もう思い出せないのよ

 

 この曲は、ただ漫然と聞いていると、現在進行形の恋に夢中になっている幸せな女の歌にしか聞こえない。


 だから、男が聞いた場合、女から、“新しい恋人として選ばれた自分” に酔える心地よい歌に聞こえるはずだ。

 

 しかし、「ママゴトみたいな恋だった」と吐き捨てられた “振られた男” の立場に立つと、今度はとたんにやりきれなくなるだろう。
   

 

ピンクレディの『UFO』は老練な男
の恋のテクニックを示唆した歌だ

 

 この時代、女たちが、同世代の男に見切りをつけて、恋愛のハイグレード化を図ったことが分かる、もう一つの歌がある。

 

 ピンク・レディーの『UFO』がそれだ。
 作詞を担当したのは阿久悠である。
 
 歌のなかの少女は、UFOに乗ってきた “宇宙人” と遭遇する。
 その宇宙人は、
 「見つめるだけ愛し合えるし、話もできる」。

 

 そして、自分が言葉に出さずとも、何を願っているのか、さりげなくキャッチして、
 「飲みたくなったらお酒」
 「眠たくなったらベッド」
 と、うぶな女の子を巧みにリードしていく。

 

 この “宇宙人” が、恋の手管を知り尽くした老獪な男性を意味していることは、いうまでもない。

 つまり、年上男の高級なくどきのテクニックに酔ってしまった少女は、
 「近頃すこし、地球の男に、飽きたところよ」
 と、同年代の若い男たちに物足りなさを感じてしまうのだ。

 

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 この歌がヒットしたのも、『オリビアを聴きながら』と同じ時代。
 1977年の12月。
 このとき、精神の未熟な若い男には、女の心をつなぎとめることができないという女性側のメッセージが明るみに出てしまったのだ。  

 

女の恋愛は常に「上書き」保存される

 

  「男は、過去の女たちとの恋愛を、別々のフォルダに保存して思い出すことができる。しかし、女の恋愛は、そのたびごとに、常に上書き保存される」
 という言葉がある。


 これは、歌手の一青窈(ひととよう)が、あるテレビ番組に出演したときの発言らしい。

 

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 それを聞いた精神分析学の斎藤環は、『関係する女 所有する男』(2009年講談社現代新書)で、次のように書く。


 「男は、恋愛関係の思い出を、別々の『フォルダ』にいつまでもとっておける。だからこそ、同時に複数の異性と交際できる。

 女性にとっては驚きかもしれないが、男は過去の恋人に対しても、実は小さめのフォルダをずっと残している。
 別れに際して、男の方がはるかに未練がましいのは、フォルダがなかなか捨てられないからである。

 いっぽう女は、現在の関係こそがすべてだ。
 女にとって性関係とは、まさにあらゆる感情の器にほかならず、それゆえ『一度に一人』が原則だ。新しい恋人ができるたびに、過去の男は消去(デリート)され、新たな関係が『上書き』される。

 夫婦の場合、男の浮気は元のサヤに戻ることが前提だが、女性の浮気は事実上、結婚生活の終わりにほかならない。
 複数の男性と同時につきあえる女性がいたとしたら、それは自暴自棄あるいは自傷行為のようなものかもしれない」

 

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演歌に歌われた「耐える女」
とは「母」のことだった 

 

 このように、1978年というのは、演歌で歌われた「待つ女/耐え忍ぶ女」が、ニューミュージックの「去る女」に変化した年だった。
 
 この「待つ女/耐え忍ぶ女」という存在を別の言葉に置き換えると、それは「母」である。

 
 つまり、男の存在を丸ごと肯定し、庇護し、男のわがままにも唇をかんでじっと耐えてくれる存在。

 
 そのような「母」を、女性全般に求めたのが、それまでの男性社会だった。
 それが、1978年まで続く。
 
 そこに至るまで、男たちは、女の母性に支えられることを前提に、「社会」という戦場に出撃できる と思い込んでいた。


 この時代(まさに高度成長期 ! )、世界に伍して日本の繁栄を勝ち取るために戦ってきた男たちというのは、実はマザコン的精神構造を抱えて生きてきたともいえる。

 


1970年代後半から
キャリアウーマンの比率が増える
 
 ところが、1970年代後期頃から、女たちは、男に対して「母」として振舞うことをやめる。


 この過程には、専業主婦よりキャリアウーマンの比率が増えていくという時代背景も関係している。

 つまり、経済的に自立できれば、男に頼る必要もないという風潮が女性の間に広まっていった時代が訪れたということなのだ。
 
 それまでの演歌で歌われた「待つ女」とは、「結婚を待つ女」だった。
 「結婚が女にとって最大の幸せ」という前提があったからこそ、「待つ女」が演歌の美学にも成り得た。

 

 逆に言えば、結婚できないような恋愛を強いられた女は、日陰に生きて「耐え忍ぶ女」にならざるを得なかった。

 


山口百恵も『プレイバック Part2』で
未熟な男を切り捨てる
 
 その構図が崩れ始めたのが、1978年だったのだ。
 この年、山口百恵は、『プレイバック Part2』(詞 阿木燿子)で、「バカにしないでよ」と未熟な男を怒鳴りつけ、「坊や、いったい何を教わってきたの?」とあざ笑う。
  

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 このような流れに、男たちはどう対応しようとしたのか。
 結局は、なすすべもなく、あっちの女に振られ、こっちの女に振られ、必死に昔の女を頼ろうとして、また振られ

 
  
 そんな女々しい男を見つめる女の気持ちを歌った歌が、1984年に小柳ルミ子がリリースした『今さらジロー』。
 ここでは、一度振った女のもとに再び現れ、ものの見事に拒絶される悲しい男が描かれている。

 
昔は昔、今は今 

 

▼『今さらジロー』

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 歌い出しが秀逸だ。
 「あれは確か、2年前の雨降る夜に、あたしの手を振り払って、出て行ったっけ」

   
 カギとなる歌詞は、最後の「 たっけ」 。
 この「 たっけ」で、ものの見事に、「いまさら」が表現されている。

 

 「あんた自分から出ていったんだよね。それを今になってノコノコと
 というニュアンスが、この「 たっけ」に集約されている。
 
 そして、未練たらしく戻ろうとする男に対して、女はつぶやく。
 「昔は昔、今は今」

  
 作詞・作曲は、シンガーソングライターの杉本真人。

 阿久悠荒木一郎もそうだが、こういう歌を男が作っているというのがミソ。
 たぶんこういう形で、男たちは、女たちの新しい主張に徐々に耳を傾け、それに対応するすべを身につけていったのかもしれない。 
 

 

「七人の侍」のような映画は今後100年生まれない

 映画批評  
七人の侍

 

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 3月21日に、NHKBSプレミアムで放映されていた黒澤明の『七人の侍』を、また観た。
 「また」という言葉を使ったが、もう5~6回観ている。

 

 それだけ観ていれば、ストーリー展開の細かい部分も覚えるし、登場人物たちのセリフもだいたい覚える。

 

 しかし、観るたびに、まったく新しい作品に接したような感動が得られる。
 こんな映画はほかにない。
 おそらく、この先観るであろう映画も含めて、自分が一生かかって鑑賞した全映画のうちの最高傑作だと断言できる。

 

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 だからこそ、フランシス・コッポラも、ジョージ・ルーカスも、スティーヴン・スピルバーグも、自分たちの映画制作の基本をこの『七人の侍』に置いているのだ。

 

 私も、この作品以外の黒澤明のちゃんばらモノはほとんど観てきた。
 『用心棒』、『椿三十郎』、『影武者』、『乱』
 しかし、それらを全部足しても、この『七人の侍』にはかなわないのではなかろうか。

 

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数々のリメイク版を生み出した傑作

 

 制作されのは、1954年。
 もう70年近い歳月が流れているにもかかわらず、まったく古さを感じさせない。
 まずもって、それが不思議だ。


 1980年代につくられた『影武者』や『乱』の方が、いま観ると古めかしい感じがするくらいだ。

 

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 『七人の侍』の概要を一言で記す。

 時は戦国時代。
 村の収穫期に必ず来襲する野武士の侵攻に怖れをなした村人たちが、村を自衛するために侍を七人雇って、野武士と対抗するという話だ。


 ハリウッド西部劇の『荒野の七人』というリメイク版も出たから、ストーリー展開がどのようなものであるか知っている人も少なくないだろう。

 

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▲▼ 野武士の頭領

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 しかし、やはり本家の迫力には、リメイク作品も及ばない。
 いったい、この映画はどういう “奇跡” を起こしてしまったのだろう?


「人間」をリアルに捉えたすさまじい戦闘シーン

 

 今回久しぶりに観て、その理由が少しだけ見えてきた。

 これほど、“戦いのリアリティ” を真剣に追求した映画というのは、ほかに類例がないのだ。

 

 もちろん、その「リアリティ」という言葉のなかには、殺陣の迫真性というものも含まれる。

 

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 突風の中を、土煙をあげて襲いかかる軍馬。
 雨のぬかるみを這いずり回って繰り広げられる侍たちと野武士の死闘。
 気象条件を上手に使った戦闘シーンは、この映画の白眉である。

 

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 しかし、それ以上に挙げておかなければならないものがある。
 戦いに挑む人間たちの「光」と「影」を徹底的に暴き出すという、「人間」を描くときのリアリティが際立っているのだ。 

 

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 たとえば、こんなシーン。
 剣を振り回しながら馬を疾駆させて村に乱入する野武士に、百姓たちは最初は怖れをなして逃げまどう。

 

 しかし、その野武士が落馬したと思いきや、一転して、彼らは狂気に駆られたように竹槍を振りかざし、惨殺の雄たけびを上げる。
 
 そこに描かれた百姓たちの弱さと、ずるさと、強さと、醜さ。
  というか、「人間」そのものの弱さと、ずるさと、強さと、醜さを画面は正直に伝えてくる。

 

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 対照的に、野武士の悲惨さも描かれる。
 村の広場で、落馬した野武士は、情けないほどうろたえ、逃げまどい、地面に身体を摺り寄せて、命乞いする。

 

 もちろん、日頃痛めつけられている百姓たちには、そんな命乞いの悲鳴も耳に入らない。


 剣や槍といった「武器」ではなく、スキ、クワ、カマという「農具」が、倒れた野武士の頭に振り落とされる。
 観ているとやりきれなくなるくらい人間の醜い、弱い部分がそこには露呈している。

 

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 確かに、切られた腕が宙を飛ぶこともない。
 槍が内臓を抉り出して、臓腑が飛び散ることもない。
 最近のハリウッド映画の戦闘シーンでよく見られる、「視覚上の誇張」はここにはない。

 

 しかし、この『七人の侍』で観客がつかまされるのは、まさに生理的な「痛み」や慟哭するほどの「悲しみ」、身が凍るような「恐怖」である。

 

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 腕を切られた痛さ、槍が突き刺さった苦しさが、観客に「痛覚」として伝わってくるのだ。

 

 ハリウッド活劇の戦闘シーンが、どんなに残酷な映像を写そうが、どこか「スポーツ」のような軽やかさを伴っているのに対し、ここには、まぎれもなく「戦闘」がある。

 

 だから、ひとつの戦闘シーンが終わるたびに、百姓たちと一緒に、観客もへたへたと地面に倒れ込むような疲労感に包まれてしまう。

 そして、画面のなかにいる人間たちと一緒に、死者への哀悼や生き残れたことに対する安堵を共有する。


この映像には戦争体験が反映されている

 

 たぶん、ここには制作者たちの戦争体験が反映されているはずだ。
 太平洋戦争が終結したのが、1945年。
 『七人の侍』が生まれたのは、その 9年後。


 悲惨な戦争の足跡が、まだ街の至るところに残されていた時代である。

 

 そのなかで、制作者たちの多くは、米軍の空襲で焼かれた民家や、沖縄の地上戦で、多くの民間人が殺傷されたときの生々しい記憶を持っている。

 

 だから、この映画を印象づける “逃げまどう百姓たち” という映像には、そういう戦争体験が反映されていると見る方が自然だ。

 
 それが、その後につくられた「戦争を知らないスタッフ」たちによってつくられた戦争映画とはいちばん異なる点である。


百姓たちにとって、あの戦闘は「祭」だったのか?
 
 終わり方も秀逸。
 野武士を殲滅して平和を取り戻した村では、太鼓と笛の音に合わせて、田植えが始まる。

 

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 村人たちのはしゃぎぶりを見つめる生き残った侍たち。
 志村喬が演じる「勘兵衛」、木村功演じる「勝四郎」、加藤大介の「七郎次」の3人が、平和の戻った村の様子を眺めている。

 

 3人の侍たちの表情に、明るさはない。
 
 「また、負け戦だったな」
 と、リーダー格だった勘兵衛(志村喬)がつぶやく。
 「え?」
 と、勘兵衛の部下であった七郎次(加藤大介)は、怪訝そうに勘兵衛の顔を覗き込む。

 

 「勝ったのは俺たちではない。あの百姓たちだ」
 有名なセリフだ。

 

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 勘兵衛のつぶやきに、田植えの作業を景気づける百姓たちの笛と太鼓と、歌声がかぶさる。

 

 すでに百姓たちの心には、自分たちを守ってくれた侍に対する感謝の念もリスペクトもない。

 

 生き残った3人の侍の心を領する徒労感と喪失感。
 ここにはハリウッド映画的なカタルシスはない。
 つまり宿題を渡された形で、観客は置き去りにされる。

 

 

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 この映画に描かれた戦闘って何だったのだろう。
 戦争って何だろう。
 
 その宿題の解を求めるために、きっとまた観てしまうだろう。

 


   

アフロヘア・ガール

 めちゃめちゃに、ブラックミュージックに凝っていた時期があった。
 20代のはじめの話だ。
 
 大学は卒業したけれど、職がなくて、アルバイトをやっていた。
 イタリアンレストランだったが、ハンバーグもカレーもあるっていう店。
 1階と2階に分かれていて、2階がレストラン。1階がスナック。
 夜の10時にレストランのレジを閉めて、その後、1階のカウンターに入ってバーテンをやる。
 
 そんな生活を繰り返しながら、貯めた金で SOUL ミュージックのレコードを集めた。

 

   Mavin Gaye     「What's Going On」
 Four Tops     「Aint't No Woman」
 Chi-Lites       「Oh Girl」
 Curtis Mayfield  「Super fly」
 AL greenn       「Let's Stay Together」
 Gladys Knight&The Pips  「Midnight Train To Georgia

 

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▼ The Four Tops 「Ain't No Woman (Like The One I've Got)」 

youtu.be

 

 その時代には、鳥肌が立って、血が泡立つような曲が次々とリリースされていた。

 コンサートにもよく出かけた。

 

 Stevie Wonder
 Wilson Pickett
 The Tempstations
 James Brown
 
 JBがスタンドマイクを引き寄せて、「ゲロッパ!」と叫べば、観客全員が椅子の上に総立ち。会場全体がディスコになった。
 

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 やがて、週末は青梅線に乗って、横田ベースの近くの町まで遊びに行くようになった。

 福生
 牛浜

 その二つの町には、黒人兵がたむろするバーやカフェが点在していた。 
 そういう店では、FEN でリアルタイムに流れる最新の SOUL ミュージックがかかっていた。

 カウンターのストゥールに座っている黒人兵たちに、誰かまわず質問した。
 「今かかっているのは何の曲 ? この曲好き ? 」

 
 片言の英語で聞きまくる。
 なかには面倒くさそうに、うるせぇみたいな目を向けるやつもいたが、たいていのブラックは陽気で、いろいろ教えてくれた。
 
 自分が国に残してきた恋人の写真を見せる男もいた。
 「浮気していないかと心配だ」なんてボヤく。

 そう言う舌の根も乾かないうちに、店に入ってきた日本人の女の子に向かって、
 「へーいキミコ、遅いじゃないか」
 なんて手を振るんだから、お調子者だよ、連中は。
 
 実際、黒人目当てにやってくる日本人の女の子も多かった。
 そういう子たちは、話しかけても、「ナニ ? この Jap」みたいな顔をする。
 おめぇだってジャップだろうが って思ったけど、女が目当てじゃないから放っておく。
 
 たまに黒人兵にあぶれた日本人の女の子と隣り合って話すこともあったが、基本的には「なんで黒人が素敵なのか」って話ばかり。

 
 やつらが言うには、
 「黒人は優しい。女を尊重する」
 もちろん、ベッドの上でもそうなんだそうだ。
 そんなことを、あけすけにしゃべる女もいた。 

 

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 明け方、店がハネてから、仲良くなった米兵たちとベースの中に入る。
 例のカマボコ型の兵舎が並んでいるやつ。

 
 学校の体育館を三つぐらい繋げたような、だだっ広い食堂のストゥールに腰かけ、大味なサンドイッチをほうばりながら、電車が動きだすまでの時間をつぶす。
 
 地元のツッパリ坊主 ヤンキーの日本人たちも、よく来ていた。
 ひでぇ英語なんだ、やつらの会話。
 
 「YOU ね、イエスタディ、サケ飲みすぎ。BUT、ドンマイドンマイ。TODAY ね、ホリデー」
 
 米兵が、それを聞いて愉快そうに笑う。
 そんな会話が、知らないうちに、こっちにも身についてしまう。
 
 ブラックのバーで仕入れた新曲情報のなかから、輸入版があるやつは銀座まで買いに出て、手に入れた。

 
 今度はそれをアルバイトをしているレストランのBGMとして流す。
  「イタリアン」の看板を掲げていたけれど、かまうもんかって気持ちだった。
 そういう曲が流れ出すと、客層も変った。

 

 中年夫婦や家族連れよりも、若いカップルが多くなる。
 「この曲知ってる ? バリーホワイトの『愛のテーマ』っていうんだぜ」

 
 男が、連れの女に向かって得意げに話している。
 そういう会話を耳にするのがうれしかった。
 

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 いつかは、自分の店を持つつもりだった。
 バリバリの SOUL ミュージックの店。
 出す料理は SOUL フード。
 踊れる店にするつもりはないが、片隅に小さなフロアをつくる。
 
 そのうち、アフロヘアの似合う少女が一人、常連客として通うようになる。
 … なんていうことを夢想する。

 

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 看板の明かりを落とし、その日最後のバラードをかけて、客のいなくなったフロアでそいつと踊る。
 “そいつ” がヨメさんになるはずだった。

   
   
 …… 思えば遠くに来たものだ。
 
 今は SOUL ミュージックとは何の関係もない職種のライターをやっている。
 カミさんとなったのは、カーペンターズさだまさしの好きな女だった。
 
 彼女はブラックは聞かない。
 フジ子・ヘミングなんか聞いている。
 日曜日には、それを一緒に聞きながら、豆を挽いてコーヒーを飲む。
 
 ときどき、独りになってから、Mavin Gaye や AL Green を聞く。

 

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 あの時、店を持っていたら、今どうなっていたんだろう
 ふと、とりとめもなく、考える。
 
 空想の中の、アフロの少女が、
 「それも楽しかったかも」
 と、ささやく。

 

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芸能人装うサクラサイトに要注意

 「サクラサイト」っていう言葉があるらしいな。
 
 桜の開花時期を教えてくれる「桜前線情報」のようなものだと思っていたら、“サクラ(成りすまし)” を使った出会い系サイトのことらしい。
 
 ま、昔からある詐欺メールのたぐいで、
 「カレシいない歴3年のOLで~す。スイーツに目のない人がいたらぜひ連絡くださいね。いいお店の情報を知っていたら大歓迎。今度お茶しませんか?」
 みたいなやつ。
 
 こういうのに、ウハウハとアクセスしちゃうと、メールのやり取りだけでお金を取られたあげくに、ドロンされることになるらしい。

 
 ま、途中で気づけば、「やっぱ怪しいわ」で、ポチッと消して終わりだからがいいんだけど、最近のは凝っているとか。
 
 なんでも、芸能人がお忍びでアクセスしてくるサイトを装うやつがあるという。


 そこでは、「4人組の国民的男性アイドルグループの1人◯◯◯◯」とか、「握手もしてくれる超人気女子アイドル集団の◯◯◯◯」とかのメールも寄せられる(ことになっている)んだそうだ。

 

 ま、どうせ返事なんて来ないだろう ぐらいのダメモト気分でその有名人にメールを送ると、なんと、しっかり返事が来るではないか !?

 

 その内容が超リアル。

 

 「昨日の夕食も楽屋でコンビニ弁当。もうこれで10日目だ。さすがに飽きたな。今いちばん食いたいのは、ちょっと早いけど冷やし中華。どこかおいしい店知らない?」
  ってな質問が送られてくるという。

 

 そこで、もらった方は舞い上がる。
 ええ !? あの◯◯◯◯(国民的アイドルグループのメンバー)が私にぃ? うっそ~! ありえなぁ~い! とか思いつつ、返信するわけ。

 

 「冷やし中華のお店をお探しですか? 正統的な冷やし中華なら、私の会社の近くにある『上海厨房』の子ダヌキ冷やしが絶品です! 激辛なら『燕京飯店』の辛味噌クラゲ冷やしもいいですよぉ!」

 
 とか、書いて送る。

 

 すると、来るんだな。
 それに対するお礼のメールが。

 

 「『燕京飯店』か。ビックリっすね! 俺のスタイリストで独身の大河原のマンションの近くですよ! わぁ、今度行ってみよう。教えてくれてありがとう」

 

 で、しばらくはこういうやりとりが “無料” で続く。
 そのうち、やりとりの口調がどんどん親密になっていく。

 

 たとえば、女性アイドルグループの一人(になりすましているサクラ)とやりとりを始めた男性のもとに届くメールは、こんな感じだ。

 

 「タケくん! NHKホールでのライブが決まったよ! テレビ中継は20時からだから、絶対観てねぇ! 私、カメラがアップになったら、タケくんに向けて、思いっきり手を振って笑顔を送るからね」

 

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 あるいは、
 「今日もビデオ撮りで12時過ぎだよ。これから家に戻ったらもう爆睡。でも大丈夫。寝る前に、タケくんに “おやすみ” って、投げキッス送るからね」

 

 こんな感じで、やりとりしていると、ある日突然、メールがつながらなくなる。

 

 わぁ  どうしたんだぁ?
 と悩んでいると、

 

 「実はね、プライベートなメールのやりとりは事務所から禁じられていたの。それがバレちゃったの。
 ごめんね、もう直のやりとりはダメになっちゃった。
 だけど、マネージャーを通せば大丈夫。だから、以下の口座に1回500円ずつ振り込んでね」

 

  とかいうのが、サクラサイトのだいたいの手口らしい。

 
 なぁんだ、500円なら安いじゃん !
 と課金していくと、いつのまにか500円が5千円になり、5万円になり、気づけば20万円、30万円と振込額が蓄積していく。

 

 もちろん、芸能人パターンだけでなく、普通のサラリーマンやOLを装う詐欺も増えているという。

 

 そういうのに狙われるのは、孤独なバアさんとか、ジイさん。
 さびしいから、コミュニケーションを取れる相手が欲しい なんて思っているところに、“人の好さそうなメール” で、サクラの若者がするりと入り込んでくるんだな。

 

 そうすると、なかには逢わずに “恋愛” を始めちゃうバアさんやジイさんが出てきちゃうわけよ。
 
 すると、途中から、
 「このあとは有料ね」
 といって、500円、1,000円とつり上げていく。

 

 相手は、「こいつどのくらい払う気があるんだろう?」ということを冷静に見ているから、取れそうだと思えば、さらに100万、200万とふっかけてくる。
 
 で、詐欺に遭った方が、さすがに変だな   と思い始めて、疑問を投げかけたりすると、それを引きどきの合図に、ドロン。

 

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 こういう詐欺の被害総額が、現在100億円を超えているんだとか。

 

 なにしろ、メールのやりとりだと、相手の顔が見えないし、声も聞こえない。
 だけど、その方が、人間の想像力ってふくらむじゃない?

 

 「恋愛」もそうだけど、相手に対する妄想をはぐくむのは、すべて想像力だから、詐欺を仕掛けている方には都合がいいわけよ。

 

 アルバイトの男の子が仕掛けていても、相手は勝手に “超美人” の女の子を思い浮かべているわけだからね。

 

 もう、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世の中だよ。

 

「人間」という思想は “砂漠” で生まれた


評論
イエス・キリストはいかにして「人間」を発見したか?

  
 1960年代ぐらいまでは、人間の精神活動の主要テーマは「思想(イデオロギー)」という言葉を中心に回っていた。

 

 それは、アメリカの「自由主義」と、ソ連の「社会主義」という二つのイデオロギーが対立していた冷戦構造を反映していたからである。

 

 しかし、1980年代に冷戦が終結し、「思想」というテーマが色あせてきた代わりに、現在は「宗教」が浮上してきている。

 
 世界を読み解くためには、宗教を理解することが大事であるという見解がこの時代から生まれてきたといえよう。


日本人には理解できない一神教
 
 そのとき、われわれ日本人の前に立ちはだかるのが、キリスト教イスラム教という一神教の世界である。
 
 ジャーナリストの池上彰氏は、『宗教がわかれば世界が見える』(2011年刊)。という著作のなかで、こう語っている。

 

 「宗教は、それぞれの土地の気候風土が反映している。たとえば中東の砂漠地帯では、人間は本当に無力な存在でしかなく、ちょっとした砂嵐に巻き込まれただけで死んでしまう。
 それが、一神教の教えの根幹をなしている。
 キリスト教の母胎となったユダヤ教イスラム教も、ともに砂漠から出現している。
 それほど激しい環境の中で生かされているという実感が、人間は神の怒りに触れるとあっけなく死んでしまうという『旧約聖書』(や『コーラン』)の世界と通じ合う」

  

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 解りやすい説明であるとは、思う。
 
 たぶん、今の日本人が必要としているのは、この手の “解りやすい解説” であるという信念が、池上氏やこの本の企画者たちにはあったのだろう。

 
 「小むずかしい宗教論や哲学ではなく、一言でスゥーっと頭の中に入っていく解説こそ、現代人の求めているものである」という確信が。

 

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 しかし、この解説は十分でない。
 大切なことが見落とされている。

 
見慣れた風景の中の新しい発見
 
 「世界が変わって見える」とき、人間は、必ず日常の見慣れた風景の中から今までとは違ったものを発見している。

 
 たとえば、一神教は、「砂漠の厳しさ」から生まれたといわれるが、そうではない。
 それは逆だ。
 
 一神教によって、逆に「砂漠の厳しさ」が発見されたのだ。
 
 「神は民の苦しみを取り除き、心の平穏を約束してくださるはずなのに、なぜ、この世には “砂漠” のような荒涼とした不毛な地が広がっているのだろうか?」
 
 砂漠は、ユダヤキリスト教あるいはイスラム教の民が、「神」を知ることによってはじめて見つけた新しい「風景」なのである。
 
 もちろん、一神教が誕生する前から砂漠はあったというべきだろう。
 しかし、それは単なる「交通の困難な空間」にすぎなかった。
 
 そのような砂漠が、「不毛の地」という認識を脱して、「超越した空間」に変わっていくのは、“神” が人々の心に降りるようになってからである。

 

 「キリスト教」という思想がこの世に誕生した背景には、このような “砂漠” という空間に対する認識の転換があったのだ。

 

 それは、どのような転換であったのか?


 その場所で、「人間」が発見されたのだ。 

 いきなり、そう言い切ると、理論の飛躍がありすぎるかもしれない。
 もう少し、順を追って話してみたい。


エスとは、何を視た人間だったのか

 

 原始キリスト教グループを創出した “ナザレのイエス” は、それまでユダヤ教の戒律では「人間」としては下位に位置する人々に対し、積極的なアプローチを試みた。

 

▼ 映画に出てくるイエス

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 イエスは、ことさら徴税人や精神疾患の病者、売春婦たちといったユダヤ人の市民階級から嫌われ、蔑まれてきた人々と親しくつきあい、彼らに教えを説いた。
 
 この情景を現代人が目撃したとしても、そこに違和感はないだろう。
 むしろ、「貧者にも慈悲の心を示す」キリスト教らしい布教の1シーンと眺めることだろう。
 
 しかし、当時のユダヤ社会の中では、それは、きわめて異例の光景だった。
 つまり、徴税人や売春婦、精神疾患のある人たちというのは、「人間」としてカウントされない「余計者」だったのだ。
 
 そのような「蔑まれ、嫌われる人々」は、共同体のケガレを一身に背負うことで、いわばスケープゴートのように、共同体の結束を取り結ぶ道具としてのみ存在を許されていた。
 
 イエスは、そのような人々にこそ、熱心に教えを説いた。
 
 なぜなら、イエスは、そのようなユダヤ人共同体から忌み嫌われる人々に対しても「人間」を見出したからだ。
 
 ここで注意しなければならないのは、この時代にまだ「人間」という概念は存在していなったということである。

 

 この時代に存在していたのは、「貴族」であり、「兵士」であり、「農民」であり、「奴隷」であり、「売春婦」ではあったが、「人間」はいなかった。
 
 古代社会では「奴隷」が人間として認められなかったように、少なくとも、その時代に「人間」を名乗れるのは、自分の属する共同体の恩恵にあずかれる人々だけに限定されていた。


「人間」という思想は近代になって定着した
 
 「人間」がようやく一般概念として認知されるようになったのは、それから1500年ほど経ったルネッサンス期においてであり、さらに「人間」という存在が思想的にも容認されるようになったのは、18世紀の啓蒙主義の時代以降のことである。
 
 ならば、なぜナザレのイエスは、そういう時代が来る前に「人間」という概念を手に入れることができたのか?
 
 こう言いかえれば分かりやすいか。
 なぜ、イエスは、「王」や「貴族」や「商人」や「奴隷」という階層化された人々の区分を超えて、「人間」という普遍法則があることに気づいたのか?
 
 イエスは理解したのだ。
 「人間」は “砂漠” から来るということを。


▼ イエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、40日間荒野に留まり、悪魔(サタン)の誘惑を退けながら、思索を深めた。(イワン・クラムスコイの絵)

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「人間」 という思想は砂漠で生まれた
 
 砂漠は、人の住めない不毛の地であったが、そこは象徴的な意味で、人間が共同体の中で保証されていた身分や出自を無効にする空間でもあった。

 

 砂漠のなかでは、「王」であろうが、「貴族」であろうが、「奴隷」であろうが、そのような身分や肩書が通用しない。
 「水」と「食料」を維持できる立場にいる者だけが、その不毛な空間を越えていくことができる。

 

 そういった意味で、砂漠は、「王」や「奴隷」という身分上の区別を維持していた村、町、国家の効力が途切れる場所であったのだ。
 いいかえれば、「王」でも「奴隷」でもない、「人間」が生まれる場所であった。

 

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 「人間」に出会うためには、「家族」も、一度は切断されなければならなかった。
 イエスは、『マタイ伝』の中で、こういう言葉を残している。
 
 …… 私が来たことを、地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。私は、平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。父を、娘と母を、嫁としゅうとめを “敵対させる” ために来たのだ。
 
 イエスが語るこの言葉を、「家族」を直接否定したものと読む必要はない。
 ここで語られる「父」や「娘」は、「王」や「貴族」と同様に、“共同体が保証する身分” という意味だ。
 
 彼は、こう言おうとしている。
 「父や娘を棄てたときに、“人間” に出会う」
 
 ここで、いきなり突出してきた「人間」という概念は、おそらく当時の人々にとっては、どう理解していいのか、“手に余る” ものであっただろう。
 
 しかし、神の前に等しく平等な存在としての「人間」を手に入れたことで、一神教はようやく成立することになる。
 
 イエスは、いかにして、個々に分かれて存在していた人々の中から、「人間」という共通したものを抽出できたのか。
 問われなければならないのは、そのことである。
 
 そして、そのような謎の存在に気づかせてくれるものを、真の意味での宗教解説書と呼んでいいだろう。
 
 宗教によって「世界が見える」というのなら、そこで見えてくる世界は、そのようなものでなければならないはずだ。 

 

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春の夜風

 春の夜風は、なまめかしい。
 なまめかしい、とは「艶かしい」と書く。

 

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 女性の性的な魅力を表現するときに使われる言葉だ。
 「色っぽい」の同義語として使われることが多い。

 

 しかし、春の夜風にまぎれ込む「なまめかしさ」には、もっと根源的な、生きることの “狂おしさ” みたいなものが潜んでいる。

 
 たぶん、冬の間に生命のタネを胚胎していた生物たちが、気温の上昇とともに、新しい命として “うごめき出す” 気配のようなものが、立ち昇ってくるからだろう。
 
 命の形をとる前のものが、ようやく「命」という形をとろうとするときに生まれる、無音のざわめき。
 それが「なまめかしさ」の正体のような気がする。

 

 だから、落ち着かない。
 吉兆のしるしか、それとも凶事の前ぶれか。

 

 ひとつの種の誕生は、別の種の死滅を意味することもある。
 新しく生まれる生命が、この世に何をもたらすのか、それは誰にも分からない。

 何かが生まれ、じっとこちらを見ている気配。

 

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 春の夜風に吹かれていると、風の向こう側に、何億年という虚無の闇を突き抜けて、ようやくこの世にたどり着いた「命」がたたずんでいる気配がある。

 

 胸騒ぎがする。
 そういう夜は、闇夜にぼんやりと浮かぶ飲み屋の赤提灯が、奇妙に恋しい。
 

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卒業 ―― 高校三年生

今週のお題「卒業」

 
 「卒業」という言葉から受け取るイメージは、世代によってずいぶん異なるように思える。

 

 それをテーマにした歌ともなれば、多くの日本人が思い浮かべるのは、まずユーミンの『卒業写真』であったり、海援隊の『贈る言葉』だったり、森山直太朗の『さくら』、長淵剛『乾杯』、レミオロメン『3月9日』、いきものがかり『YELL』といったところだろうか。

 

 しかし、私のような1960年代に中学の詰襟を着た世代になると、“卒業の歌” といえば、もう圧倒的に舟木一夫の歌った『高校三年生』になる。

 

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     赤い夕陽が 校舎をそめて
     ニレの木陰に はずむ声
     ああ 高校三年生 ぼくら
     離れ離れに なろうとも
     クラス仲間は いつまでも

 

 この歌が大好きな友人が、昔いた。
 小学校の同級生だった。
 卒業後は別々の中学に進んだが、その友人は地元の中学に入り、そこで “番を張った” 。

 

 この表現が、今の若い人たちに通じるのかどうか、私にはあまり自信がない。 
 “番を張る” というのは、要するにその学校の番長をやっていたということである。

 

 彼によると、「番長」というのは、いわばその学校の「私設警護団長」のようなものだという。


 つまり、他校の不良中学生から自校の生徒を守るため、昼は校門の近くに張り込み、放課後は繁華街にたむろして、いじめられそうな自校の生徒を守るため、他校の不良とケンカをすることが “役目” だったとか。
  
 武勇伝がある。
 他校の番長から呼び出されて、「タイマン」だという言葉を信じ、1人で決闘場に出向いたところ、10数人に囲まれてケンカになったという。

 
 そのとき、相手方全員に体を拘束され、口の中に丸太を突っ込まれたらしい。
 そのせいで、歯が全部欠けた。

 

 「オレ全部差し歯なのよ」
 飲み屋で昔話になると、彼はそう語りながら歯をむき出し、ニッと笑う。

 

 「でも、オレは一歩も引かなかったぜ。その後向こうの番長を町のなかで見つけ出してよ。しこたま仕返ししてやったわ」
 というのが自慢話。

 

 つまり、彼は中学生の頃から、授業に出ることもなく、ましてや校門をくぐることもなく、街で他校の不良学生とケンカばかりしていたということになる。

 

 その彼の愛唱歌が、舟木一夫の『高校三年生』だった。

 

 中学を卒業した彼は、やがて地元の旋盤工場に勤め、機械工作の技術を身に付ける。
 ガタイもよいし、根性もあり、手のひらも大きく、器用な男だったから旋盤の扱いがうまく、優秀な工員として経営者にも気に入られたらしい。

 

 彼と再会したのは、そんなふうに、彼の仕事も充実していた頃だった。
 私はまだ親のすねをかじった大学生。
 社会人の彼は大きく見えた。

 

 そんな男が、酔うと、『高校三年生』を歌う。
 カラオケのない時代。
 居酒屋で飲んだ深夜の帰り道。
 あるいは、人気の絶えた夜の公園の野外ステージ。

 

 「♪ あかぁ~い、夕陽が、校舎を染めぇてぇ」

 

 中卒の彼は、そもそも高校生活を経験していない。 
 クラスメイトとのなごやかな交流に背を向け、他校の不良たちと殺伐としたケンカに明け暮れた男が、『高校三年生』という歌に何を求めていたのか、私はいまだによく分からない。

 

 ひとつだけ言えることは、この歌が、彼にとっての “卒業” を意味していたということだ。
 中学すらろくに通っていなかった彼は、当然、卒業式というものも知らなかったろうし、クラスメイトの顔すらもろくに覚えていなかったろう。

 

 ましてや、この歌の2番にあるような歌詞。 

 

   ぼくら フォーク・ダンスの 
     手をとれば
     甘く匂うよ 黒髪が

 

 ここで歌われるようなフォーク・ダンスというものを、彼は在校中に踊ったことがないはずだ。

 
 気になった女性がその中学にいたかどうかも分からぬ。

 

 いたとしても、“番を張っていた” 硬派の少年が、それを態度で示すようなことはプライドが許さなかっただろう。

 

 そうであるならば、歌にうたわれる “幻の学園生活” は、彼にとってキラキラ輝いて見えたはずだ。

 

 彼にとっては永遠に訪れることのない「卒業式」。
 それをイメージさせる『高校三年生』という歌を、彼は社会人になってからも、酒に酔った晩には、歌い続けた。

  
 やがて、彼は地味な旋盤工を辞め、半場を流れ歩く工事現場の建設作業員になった。
 バブル前。
 建設系の仕事はどんどん増えていった。
 彼の金遣いは派手になった。

 

 われわれカネのない学生を引き連れ、彼は、女性のいる高い店に遊びにいくようになった。

 
 ボトルを入れ、店のホステスたちにも酒をふるまい、豪勢なツマミをたくさんテーブルに並べた。

 

 中卒の自分が、大学生たちに高い酒を奢ってやるということが、彼の自尊心をいたく満足させたのかもしれない。

 

 その頃になると、すでにスナックにはカラオケが常備されていた。
 彼は店のマイクを握り、演奏付きの『高校三年生』を朗々とうたった。

 

 その後、バブルは弾け、建設系の仕事はめっきり減った。
 彼は、徐々にホームレスに近い生活になっていき、昭和が終わる頃に亡くなった。

 

 酔って、歩道からいきなり車道に飛び出したという。
 自殺か事故か。
 それはいまだに分からない。

 

 ただ、なんとなくだが、もし酔っていたのなら、彼は死ぬ直前まで、『高校三年生』を口ずさんでいたような気がするのだ。

 

youtu.be

 

映画の話題で知り合った女性

エッセイ・追憶・映画
ウッディ・アレン『マンハッタン』
 
 
 ウッディ・アレンが監督を務め、かつ主演を張った『マンハッタン』が公開されたのは、1979年だった。
 公開前から、このクィーンズボロー・ブリッジのベンチの写真が色々な媒体で紹介されていて、それを見るたびに、僕はその美しさにため息をついた。
 

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 だから、この映画が上映されるやいなや、僕はすぐに封切館に飛び込んだ。
 
 観た印象はどうであったかというと、実は、あまり記憶に残っていない。
 たぶん、期待したものが大きすぎて、ちょっと裏切られたような気分であったからだ。
 
 都会的なセンスを身に付けた教養人といわれたウッディ・アレンであったが、彼の「都会性」と「教養」は多分に複雑すぎて、僕の頭と感性ではついていけなかった。

 

 きっと、今もう一度観ると、この映画の良さが分かるのかもしれない。

 

 でも観ないだろう。
 このクィーンズボロー・ブリッジのスチール写真だけ眺めていれば、それで十分だという気もするからだ。

 

 だから、今日ここで書くのは、映画『マンハッタン』の話ではない。
 このスチール写真がきっかけで知り合った、一人の女性の話だ。

 

 

 

 映画を観終わって、少し索莫とした気分でいた僕は、家に帰るまでの時間を持て余していた。
 夕飯を食うことを思いつき、ついでに酒を飲むつもりで、ときどき顔を出したことのある地下の居酒屋の階段を下りた。 
 
 その店に特徴があるとしたら、酒と料理が安いこと。
 それ以外に、何の魅力もない居酒屋だった。
 
 店内は混み合っていて、相席となった。
 客の98%は中年男性のサラリーマンで占められ、僕が相席を勧められたテーブルだけが、残りの2%である女性の二人連れだった。
 
 一人は、都会生活に慣れたOL風。25~26歳ぐらい。
 もう一人は、田舎から遊びにきたその友だち風。27~28歳ぐらい。
 
 二人は何を間違えて、この中年男たちの「巣窟」に迷い込んでしまったのか。
 酔狂な女たちもいるもんだと思いながら、僕は一人でコップ酒をあおり始めた。

 


 
 「あら
 田舎から遊びに来た風の女性が、僕がテーブルの上に置いたウッディ・アレンの『マンハッタン』のパンフレットに視線を注いだ。
 この映画に興味を持っている風情だった。
 化粧気の薄い、地味な顔立ちの女性だったが、好奇心をみなぎらせた目が美しかった。
 
 「ご覧になりますか?」
 そう言って、僕はパンフレットをテーブルの上に滑らせて、相手の方に押しやった。
 
 「いいんですか?」
 そう発した声に、どこかの地方のなまりがあった。
 
 「今日、これを観ようと思って新宿に出てきたんです。だけど時間が合わなくて」
 と、彼女はパンフレットを手に取ってから、同僚の同意を求めるように振り向き、二人でクスっと笑った。
 
 その後は、たぶんその映画の話になったと思う。
 僕は正直に、「映像はきれいだったけれど、話はよく分からなかった」と伝えた。

 「いいんです。映像がきれいなら、ストーリーなんてどうでもいいんです」
 
 妙に自信を持った彼女の言いっぷりが面白くて、僕は「なぜです?」と聞き返した。
 
 どうやら彼女は絵を描く女性だったようだ。
 しかも、テンペラという、今ではあまり使われない技法で描いているというのだ。
 
 「テンペラって、ルネッサンス期の画家たちが教会の壁なんかに描いていたやつでしょ?」
 「あら、ご存知なんですね」
 笑うと、浅黒い肌から白い歯がのぞき、南国育ちのおおらかさのようなものが、彼女の笑顔からこぼれ出た。
 
 話題は、それから絵画の話になった。
 それがつまらなかったのか、もう一人の女性が「明日早いから」と席を立った。
 
 取り残された田舎から遊びに来た風の女性も、一緒に店を出ようとするのだが、
 「いいの、いいの。あなたはいなさい」
 と、立ち上がったOLは取り合おうとしない。
 たぶん気を利かせたつもりだったのだろう。

 

 僕たちは、取り残されたことで、なぜか幸運を手にしたような気分になり、その後しばらく店の喧騒に負けないくらいの声で、絵画について、映画について語り合った。

 

 

 その女性とは、その後一度だけデートしたことがある。
 どういう経緯で逢うことになったか思い出せないのだが、たぶん別れ際に渡した会社の名刺を頼りに、彼女が電話をくれたのだと思う。

 
 僕たちは、銀座で落ち合って、食事をしてから、ジャズのライブを聞きに行った。

 絣の和服を着た彼女は、どこかしら都会のライブハウスでは浮いていた。
 肌の色が浅黒かったその女性に、暗色の和服は、地味で暗い印象を与えていた。
 
 でも、それは、もしかしたら彼女の精いっぱいの盛装だったのかもしれない。
 僕はそれを愛しいと思った。
 
 曲と曲の合間に、尻切れトンボになりつつも彼女が語ったのは、やはり自分の目指している絵のことだった。

 

 平凡でも幸せな主婦になるつもりで普通の勤めを始めたのだが、自分の中に巣くう絵に対する炎のようなものをかき消すことができない、と言う。
 
 でも、絵で食べていくのはあまりにもリスキーだ。
 もし失敗したら、自分には帰る場所がない。
 
 そういう彼女の話には、せっぱ詰まったものが鬱積していて、今ようやくそれを吐き出せる相手が見つかったといわんばかりだった。

 詳しいことは分からなかったが、どうやら家族の反対を押し切って家を飛び出してきたという雰囲気がある。
 きっと、それにまつわる様々な葛藤や事件があったのだろう。
 
 彼女の話が激しさを帯びるにつれ、ライブを演じるジャズメンたちの顔が間延びした表情に思えてきて、彼らの出す音が薄っぺらな音に聞こえた。

 


 
 店を出て、夜の舗道を歩いた。
 「一度、絵を見せてもらえませんか」
 と僕は言った。
 「駄目なんです。描けてないんです。今はどうしてもうまく描けないんです。たぶん焦っているのでしょうね」
 
 そういうとき、なんて励ませばいいのか。
 「頑張ってください」
 と月並みな言葉をかける気にならなくて、たぶん僕は言葉を探しながら、黙って自分たちの足音に聞いていたのだと思う。

 


 
 彼女の個展の招待状が届いたのは、それから4~5年経ってからのことだった。
 名前が変っていたが、「旧姓」として、出会った頃の苗字も添えられていたから、僕はすぐ彼女だと分かった。
 
 その頃、僕も結婚をしていて、子供も生まれていた。
 その招待状が届かなければ、僕はもう彼女のことを思い出すこともなかったろう。

 


 


 個展の会場で久しぶりに会った彼女は、相変わらず暗色の絣の着物に身を包み、浅黒い肌に白い歯を見せて、以前と同じように美しい目で笑った。

 

 彼女が描いたという数点の絵の前にたたずみ、それが想像したようなものとはおよそ違っていたので、僕はびっくりした。

 

 みな裸婦だったのだ。
 それも、赤身の強い、まるで林武の描く「赤富士」のような筆致で描かれた雄渾(ゆうこん)な裸婦だった。
 
 「男の人が描いた絵だと思いました」
 月並みな表現しかできなかったが、それに続く感想として、そのデフォルメの妙が生んだ、裸婦たちのみなぎるような生命感を讃える言葉を探した。

 
 ソファに座り、あるいは壁を背にして立ち、そして窓にもたれかかる裸婦たちは、どれもゴーギャンの描くタヒチの女性のような体躯を与えられ、自分の内なる叫びを必死になってその体躯の中に押し込めようとしているように思えた。

 

 それは、「自分の内なる(絵に対する)炎を抑えることができない」とライブハウスの中でうめいた彼女そのものに見えた。

 もしかしたら、モデルも彼女自身なのだろうか。


 そう思ったとたん、赤黒い肌を与えられた裸婦たちが、画家の分身であるかのように一斉にこちらに目を向けたような気がした。

 

 
 この話はこれで終わりである。
 それから、もう個展の招待状は届かなかった。

 たぶん、彼女は自分の “内なる炎” を封じ込めることができるくらい、幸せな結婚生活を送ることになったのだろう。
 
 『マンハッタン』のスチール写真を眺めると、僕はときどきそのパンフレットを手に取った彼女のことを思い出す。
 

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しつこい営業電話の断り方

 今はフリーランスになったが、前いた職場には、けっこう「金融ビジネスのお誘い」みたいな電話がかかってきた時期があった。
 
 「町田部長はいらっしゃいますか?」
 … などと尋ねられると、“部長” とか “編集長” などと肩書きがあっても、けっきょく部下のいない私が、直接電話を取っていたわけで、
 「はい、私ですが」
  などと言おうものなら、
 
 「いやぁ、町田さんですかぁ! その後お変わりありませんか? お元気そうなお声でよかったぁ」

 
 お前だれだよ? 
    
 「◯◯です! △△証券の◯◯ですが、覚えていらっしゃいますか?」

 
 覚えてねぇよ。
 
 「以前、資産運用のお話で、お電話にて失礼させていただいた◯◯です」 

  

  知らねぇよ。

 

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 結局こちらから、「いま接客中なので、失礼します」
  ってな感じで、電話を切らざるを得ない。

 

 この手の電話は、交換を通す場合は、
 「町田君いる?」
 みたいな口調で話してくるらしい。友達を装って取り次がせようとするわけだ。
 
 で、本人に替わると、手のひらを返したように、
 「いやぁどうもぉ! 突然のお電話でさぞや驚かれたこととは思いますが、ホントお忙しいところ、たいへん恐縮でございますが
 と、平身低頭な対応にとって変わる。
 
   おめぇさっき「町田君いる?」とかいって電話してきたろ?
   こっちは知ってんだぞ。

  

 

 いっとき、先物取り引きの勧誘が集中することがあった。
 
 ちょっと、話を聞いていると、
 「大豆、トウモロコシ、砂糖などが、おいしい投資の対象になる」などと説明してくれる。
 
 投資のからくりなどには全く無知なので、相手が何を話してくれても、さっぱり解らない。
 「… まぁ、またの機会にお願いします」
 と、こちらから電話を切ることになる。
 
 その後が、面白い!
 10分後ぐらいに、また同じ人から電話。
 
 「町田ぶちょぉー! 大変なことになりましたぁ! たった今入った情報で、△△地方の大干ばつでトウモロコシが高騰中! いやぁ千載一遇の好機ですよぉ! とにかくこの情報を、真っ先に町田さんにお知らせしたいと思いましてぇ」
 
 俺が何人目の “真っ先” なんだよ。
 
 で、さっきとはうって変わって、電話の向こう側があわただしい。
 途切れることなく電話のコール音が鳴り響き、絶叫する女性の声が聞こえる。
 まるで爆弾テロにでも巻き込まれたような雰囲気だ。
 
 「ハリー、ハリー!」なんていう英語が、なかなか効果的なタイミングで入っている。
 
 「町田ぶちょぉー! 聞こえてますかぁ? トウモロコシが ……

 
  ポップコーンにでも化けたのかい?

 

 たぶん、そういう “あわただしさ” を効果音として流す装置でもあるんだろうな。
 浮気のアリバイ作り用に、受話器の周りで「居酒屋の音」とか「パチンコ店の音」などを流すテープがあるとか、聞いたことがあるし。

 
  
 とにかく、無味乾燥な私の職場に、突然ドラマが割り込んできた感じで、この手の電話は大いに気分転換になる。
  

 
 こういう電話をかけてくる方々は、「直接お会いしたい」というのが通例だ。
 
 「このたび、この地区を担当することになりました◯◯です。元気なだけが取りえの不調法者ですが、ひとつ、その元気な顔を見てやろうとお情けをいただきたく思い、これからそちらにお邪魔します」

 
 来なくていいよ。 
 
 「今日の午後、ちょうど御社の前を通るのですが、部長いらっしゃいますか?」

 
 いねぇよ。
  

 
  でも、こういう人たちは、きっと毎日厳しいノルマに責めたてられて、一件でも多く実績を作りたいんだろうな。
 ご本人にとっても、ストレスの多い仕事なんだろうと思う。
 だから、無愛想に断ると可哀想な気もする。
 
 そこで、この手の電話は次のように処理していた。
 
 「町田部長はいらっしゃいますか?」
 「あいにく町田は、昨日から海外出張なんですが
 と、秘書のようなふりをして、私が答える。

 「お戻りはいつぐらいでしょうか?」
 「1ヵ月後の予定になっております」
 「そうですかぁ 。では日を改めて
 
 これなら、相手も傷つかない。

 
 
 夜遅くかかってくる電話の場合は、
 「町田部長はいらっしゃいますか?」
 「はぁて。この会社の社員はみな帰られたようですなぁ」
 「部長は、明日はお見えになりますかね?」
 「さぁ。ワシはただの用務員でね、たまたま見回りに来て、この電話を取っただけなんですわ」
 
  と答えるのも、当の “町田部長” である。
 
 たまに感じの悪い電話だと、
 「町田部長さんいる?」
 「あいつ夜逃げしたんや。あんただれや? 居場所知ってるんなら、教えろや、こら!」
 
 いろんな役をこなすので、けっこう忙しい。
  

 

フェルメールの絵からこっそり消されたものは何か?

   書籍紹介
  藤田令伊・著

フェルメール 静けさの謎を解く』

 

 
フェルメール人気はどのようにして生まれたのか?

  
 17世紀のオランダの画家ヨハネス・フェルメールに対する人気は、近年「異常」といえるほど高い。
 書店では、各種の解説本が出回っているし、美術展でも、フェルメール展は、今もっとも集客の見込める人気展覧会になっている。

 

 30年ほど前までは、フェルメールといえば、相当な美術好きが話題にする画家に過ぎず、それも「上品で教養のある紳士・淑女の趣味」として片付けられてしまう程度の認知度だった。

 

 それが今は、「謎」と「神秘」に満ちた孤高の天才画家というような扱いになっており、その名を口に出すことが、ちょっとした「知的なステータス」のようになっている。

 

 このフェルメール人気は、いったい何に由来するのか。
 
 藤田令伊(ふじた・れい)氏の書いた『フェルメール 静けさの謎を解く』(2011年 集英社新書)という本は、その秘密を明かす格好のフェルメール入門書であるかのように思う。

 

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 フェルメールに関する研究本を読んだのは、本書がはじめてだが、この本は、広い意味での “美術解説書” としてかなり面白い読み物に仕上がっている。


 というのは、クールな分析に満ちたアカデミックな研究書としての体裁と、ディレッタンティスト(オタク)でなければ書けないような、熱っぽい惚れ込みが、とてもいい按配でバランスされていると思うからだ。

 

 著者は、自分のことを「美術史家といった専門の研究者ではなく、ただのアートライターにすぎない」と告白する。

 
 しかし、「フェルメールが好きだということにおいては、人後に落ちないつもりはある」 とも自負する。

 
 その “素人(?) ” としての情熱が、逆に、これまでの専門家も気づかないような、フェルメール絵画の闇に隠れた細部をランタンの灯りのように照らし出す。

 

 いわばこの本は、フェルメールに宛てた「ラブレター」が、そのまま知的な研究書にもなっているという稀有な例なのである。


▼ 『牛乳を注ぐ女』

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▼ 『窓辺で水差しを持つ女』

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フェルメールの絵の静けさに
注目した画期的な論考

 

 著者が注目したのが、本書のタイトルともなっている「フェルメールの静けさの謎」。

 
 その代表作である『窓辺で水差しを持つ女』、『牛乳を注ぐ女』、『青衣の女』 などに漂う森閑(しんかん)とした静けさが、いったい何に由来するのか、そして、それは何を表現しているのか。


 それを解き明かすことが、この本の最大のテーマであり、逆にいえば、そのことしか書かれていない。

 

 ただ、この「静けさ」への考察は、万華鏡のような多様な変化を見せる。
 あるときは、色彩心理学に分け入り、あるときは、画材の化学的分析に飛び、別の章では光学的な考察に至り、さらには、人文科学的な思想史にまで及ぶ。 
 
 それらを読み進むうちに、読者は、いつしか17世紀のオランダに迷い込み、フェルメールのアトリエを訪れ、絵筆を動かしているフェルメールの背中を覗き込んでいるような錯覚に陥る。
 著者の、この画家に対する「愛」がそうさせるのだろう。


▼ 『青衣の女』 青を表すラピスラズリという顔料は、
  当時は「金」と同等の価値を持つくらい高価な
  顔料だといわれたものだが、それを惜しみなく使う
  ことで、フェルメールは、独特の静けさを画面に導
  入することに成功したといわれる

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 ここでは、すべての章を紹介したい誘惑に駆られるが、長くなるので、個人的に、特に興味を感じた部分だけを手短に紹介する。

 
 それは、第四章の「剥奪される意味」という章だ。


絵画の “お約束事” から抜け出したフェルメール

 

 今日、絵画というのは、文学や物語というジャンルの芸術とは独立した、純粋に視覚の愉楽のみを享受する芸術だと思われている。

 
 しかし、フェルメール以前の絵画というのは、実は、文学や物語と同じように、そこに込められた画家のメッセージを読み取る芸術だったのだ。

 

 宗教画というのが、その最たるもので、磔刑に処せられるキリスト像聖母マリア像などは、すべて「罪深い人間を神への信仰へ誘う」という意味や、「慈悲や慈愛の精神を喚起する」意味などに満ち満ちたメッセージ色の濃いメディアとして機能した。

 

 17世紀のオランダにおいて発達した風俗画(庶民の暮らしをテーマにした絵)においても同様で、家庭の主婦が慎ましやかに働く場面を再現したような絵ですらも、「人間はこのように働くべし」という教訓やら寓意が込められていた。

 

 しかし、フェルメールは、そのような「絵画に込められた意味」をはじめて剥奪した画家であった、と著者はいう。
 それは、彼の死後、約300年経ってから生まれた「近代絵画」の精神を先取りするものであったとも。


絵のなかで消された “物” の正体

 

 そのことは、彼の絵画のどこを見れば分かるのか?

 

 絵の中に、塗り込められた部分を見れば、それが分かるという。
 つまり、フェルメールの絵というのは、一度描いたものを何度も描き直し、少しずつ修正されることによって、完成に近づいた絵だというのだ。

 

 何が描き直されたのか?
 厳密にいえば、消されたのだ。
 
 エックス線で彼の絵を詳細に調査してみると、彼のもっとも充実した時期に描かれたとされる絵は、それ以前に描きこまれた「楽器」や「果物」や「動物」 などといった小物が、すべて「壁」やら「カーテン」やらで塗り込められて、消されていることが判明したという。

 

 絵の中に描きこまれた “小物類” というのは、いわば、鑑賞家がその絵のメッセージを読み取る鍵になる。

 
 たとえば、男女を描いた絵の中に、エロスの使徒であるキューピッドの像を添えれば、それは「愛の成就」や「性愛の誘惑」を意味し、ヘビを配すれば、それは「よこしまな智恵」や「嫉妬」を意味し、犬を添えれば「忠義」や「誠意」を意味するといったように、絵のメッセージを増幅するものが、絵に添えられた小物類だった。

 

 フェルメールも、最初はそのようなものを描きながら、やがて、それらを「壁」や 「カーテン」で塗りつぶしていった。

 
 つまり、彼は、自分の絵の中から、徹底的に「物語」や「文学」 要するに、言葉に翻訳できるような “意味” を排除していったのだ。

 

 そこから、彼の絵の「静謐感」が生まれることになった。
 いわば、彼の絵の中に漂う「静けさ」というのは、“意味” を探るために生まれる “おしゃべり” をシャットアウトするところから生まれた と著者はいうのである。

 


▼ 『真珠の耳飾りの少女』 この少女が、なぜカメラ目線
  でこちらを向いているのか、現代のわれわれはその意味
  を探るようなことはしないが、当時の人にはむしろ謎だっ
  たかもしれない

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フェルメールの絵を最初に見た人たちは
「難解な絵だ」と思ったかもしれない

 

 今日、われわれは絵画を見て、そこに何らかの意味を求めようとすることに、それほど “こだわり” を持たない。
 純粋に、色と形のハーモニーから得られる感覚的な愉楽に身をゆだねることができる。

 

 しかし、17世紀の鑑賞家たちは、意味を覆い隠したフェルメールの絵に接して、口々に、「解からない!」と叫んで頭を抱えた可能性がある、と著者は語る。
 
 そして、著者は、そのようなフェルメールの作業に、20世紀のミニマルアートや無調音楽のような、極限まで意味を削ぎ落しても、なお芸術の領域に踏みとどまろうとする、実験的な芸術精神との類似性を認める。

 

 だから、今日、古典絵画の王道を歩んでいるように見えるフェルメールの絵は、もしかしたら、17世紀の人たちから見れば、下の絵のように感じられたかもしれないのだ。

 

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▲ ジュリアン・オピーのスーパーフラット絵画
  
 ともすれば、伝統的な写実絵画を忠実に描いたと思われがちなフェルメール

 
 しかし、著者は、フェルメールという画家が、当時の人間にはまだ見ることができなかった新しい絵画空間を造形し、現代美術にも通じる世界を切り開いた、たぐいまれなる人間であったことを、著作を通じて伝えようとする。

 

 フェルメールの絵は、時代の制約を突き破って、ひとつの普遍性を獲得した絵である。
 それは、今日に通じる絵というだけにとどまらず、さらにその先の世界においても、人を魅了し続ける。

 
 著者は、この200ページを超える著書で、その一言をひたすら訴えているように思える。
   

  

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短歌から学べる現代社会

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 「短歌の会」というのに入って、3ヶ月経つ。
 月に1回合評会が開かれる。
 2月はサボってしまったが、その間につくった一首が「秀歌」に選ばれて、住んでいる市の広報に載った。

 

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 「おぉ !」
 と思った。
 だって、わが人生でたった3首つくったうちの1首だからね。

 恥ずかしいが、ちょっとご披露。

 

 休日の 朝はのんびりお茶のむも
     空しさつのる 定年後の日々

 

 まぁ、65歳で定年退職して、それから3年。
 会社に行かず、自宅で仕事をするようになっただけで、仕事内容が変わったわけではないけれど、目覚まし時計によって起こされる朝からは解放された。

 

 そのため、「朝はのんびりお茶を飲む」というライフスタイルも実現するようになったわけだけど、それってどこか空しいよね。

 
 会社勤めが忙しいからこそ、“休日の朝” に価値があるわけで、毎日が日曜日じゃ、休日のありがたみっていうのもなくなる。

 

 だから、「休日の朝」って言ったって、「どうせ毎日が休日だろ?」という突っ込みを想定したジョークなんだけど、まぁ、それでもこの歌は、短歌の会の参加者の方々からはいちおうの合格点をいただいた。

 

 なにしろ、その前に提出した歌が、

 
 元カレのインスタ見つけて悪ふざけ
      十代の女に化けて “いいね” 押す


 というやつで、これはそうとう評判が悪かったからだ。

 
 この歌を提出した後、はじめての合評会に顔を出したら、
 「どんな怖い人が来るのか心配だった」
 と言われた。

 

 「ふざけすぎている」という意味なのか、
 「おちょくりもいい加減にしろ」という意味なのか。
 真面目に歌を作っていない、ととられたようだった。

 

 以来、多少は真面目に歌を作り始めている。
 一昨日2回目の合評会に顔を出した。

 

 今回は、お題が出されていて、そのテーマが「紙」。
 そこで提出させてもらった歌が、次の一首。


 一片の 紙で始まり また終わる
      結婚離婚 軽さは同じ


 これも合評会では、
 「結婚も離婚も、けっこう重いもんじゃないかしら?」
 という感想が出た。

 

 そうしたら、合評会を仕切っている短歌の先生が、
 「その重いはずの結婚と離婚が、婚姻届けや離婚届けというペーパーになってしまうと、意外に軽いもんだ という皮肉交じりの詠嘆になっているところが面白い」
 と助け船を出してくれた。

  
 「短歌会」に参加されている方は、だいたい12~13人ぐらい。
 年齢は、基本的に70歳代。
 男性3に女性7という割合だ。

 

 それぐらいの年齢の方って、仕事から解放されているから、家族の介護や子育て、両親への追憶といった “家庭内の視線” で社会を眺めることが多い。
 
 そうすると、意外や意外、仕事場で悪戦苦闘されている現役世代よりも、世の中を的確に観ていることがあるのだ。

 たとえば、こんな歌。

 

 また一人 乗り込んでくる昼間のバス
           乗客に老人多し

 

 こういう情景は、通勤バスなどに乗っている現役世代はあまり見ることがないだろう。
 昼間のバスに乗る機会の多いリタイヤ世代だからこそしっかり見ている景色だと思う。

  

 元号が変わる前にと急ぐのか
      喪中はがきの多くなりけり

 

 この歌にも、年を取った知り合いの多いシニア世代の実感が反映されている。
 これらの歌からは、ひたひたと押し寄せる高齢化社会の影が感じられる。

 

 リタイヤ世代の歌というのは、このように、年輪を重ねたからこそ見えてくる風景をしっかりとらえた正統派の短歌になる。

 

 私は、穂村弘さんなどが書かれるような現代短歌の方から入ってしまったから、正統派の方々の歌と歩調を合わせるのに、まだしばらく時間がかかりそうだ。

 

 穂村弘さんという歌人は、

 

    酔ってるの? あたしが誰かわかってる?
     ブー、フー、ウー(童話に出てくる3匹の子豚)

     のウーじゃないかな

 

  というような歌を作られる方だから、どうしても、どこか「読み手をはぐらかす」ような視点をもった歌になりがちだ。

 

 私はそういう歌が面白いと思うのだけれど、しかし、穂村さんだって、もとは地道に正統派の短歌を勉強された人なのだろう。

 
 私も地道に精進しなければならない、と思っている。

 

  
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陳腐な言葉の新鮮なニュアンス

謡曲批評
よこはま・たそがれ

 

 五木ひろしの『よこはま・たそがれ』という曲をはじめて聞いたのは、もう50年くらい前の話になる。
 私はまだ二十歳だった。

 

 最初に聞いたのは、五木ひろしの歌ではなかった。
 友人の一人が、マージャンの牌をつまみながら、この歌を口ずさんでいたのである。

 

 場末の暗いマージャン屋で、牌をかき回す音に混じって流れていた『よこはま・たそがれ』は、妙にもの悲しく聞こえた。 

 

 私はつもってきた牌をリーパイしながらも、歌に託された情景の方に心を奪われていた。

 

 東京の中央線の西側に住んでいたから、横浜などにはあまり行ったことがない。
 なのに、横浜という街がどんな街であるのか、すぐさま明瞭なイメージが頭のなかに湧いた。
 
 木枯らし
 水色
 冷たい夜明け
 海鳴り
 灯台
 一羽のかもめ

 

 なんという荒涼とした、 また、なんという寂寥感の漂う街なのか。

 
 私は、ほとんど知らない横浜に、まるで詩の中か、夢の中で出遭った街のようなイメージを持った。

 

 結局、その後自分で横浜に遊びに行くようになってからは、さすがに歌にうたわれた情景は詩人(山口洋子)の創作であることを知った。

 

 しかし、今でも自分が「横浜」という街を頭の中に浮かべるときは、まずこの歌の情景が真っ先に浮かぶ。

 

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▼ 「よこはま たそがれ」 五木ひろし

youtu.be


謡曲の転換期に登場した歌

 

 山口洋子(写真下)がこの詞を書いたのは1971年。
 昭和歌謡の転換期であった。

 

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 この年、南沙織小柳ルミ子天地真理がデビューし、フォーク畑のミュージシャンたちが、『戦争を知らない子供たち』や、『花嫁』などをヒットさせ、阿久悠が『また逢う日まで』や『ざんげの値打もない』などの新しい歌謡をつくり、その翌年には吉田拓郎が『結婚しようよ』、『旅の宿』などのヒットを飛ばすようになっていた。

 

 そんな歌謡シーンが変化していくなかで、『よこはま・たそがれ』に使われる言葉は、聞いている方が恥ずかしくなるくらい古かった。

 

 徹頭徹尾、当時の若者が辟易とする陳腐な演歌調の単語だけで構成されていたのだ。

 

 なのに、それらの単語の使用を名詞だけにとどめ、ぶつぶつとコマ切れに並べていくことで、まったく新しい情緒が生まれていた。それは、どのような若手シンガーソングライターの作る歌詞よりも新鮮だった。

 

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 後に聞いた話では、山口洋子は、歴代の歌謡曲で使われた歌詞のなかで「もっとも陳腐な言葉」として批判されていた言葉を、あえて拾い集めてつなげてみたのだという。
 
 だが、それらの陳腐な言葉は、ぶつぶつとコマ切れに並べられることによって、単語と単語の間に<余白>を生み出した。

 
 この<余白>のところに、歌でうたわれた情景が濃密に滴り落ち、それが “見えない言葉” となって、歌全体に複雑な陰影を与えることになった。 

 

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見事に「物語」を構成している歌詞
 
 一番の歌詞。


 よこはま たそがれ ホテルの小部屋
 くちづけ 残り香 煙草のけむり
 ブルース 口笛 女の涙

 

 ここには、濃密な情事の後の匂いが立ち込めている。
 
 情事がどのようなものであったかは一切描かれていないのに、女の体から離れた男の冷めた動作が浮かび上がり、快楽の余韻を体にとどめながら、別離の予感に打ちひしがれる女の未練が立ち昇ってくる。

 

 そのような “情感” は、「くちづけ」、「残り香」、「煙草のけむり」、「ブルース」、「口笛」といった単語と単語の<余白>に、歌われない言葉として描き込まれているのだ。

 

 その情感を、一言でいえば、切ないアンニュイ(もの憂さ)。
 生命を燃焼させた情事の終わりに二人を襲うものは、本来は満ち足りたアンニュイであるはずなのに、ここで女が感じているのは、もの憂い感情の底をひたひたと浸す別離の切なさである。

 
 それが、さばさばした男の所作と対照的に描かれているから、よけい悲しい。

 

さまよい出す女
 
 二番の歌詞は、

 裏町 スナック 酔えないお酒
 ゆきずり 嘘つき 気まぐれ男
 あてない 恋唄 流しのギター

 

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 おそらく、男が去ってから、もの憂くベッドから立ち上がった女は、ホテルを出ても家に戻る気になれず、街をさまよい歩いたのだろう。
 
 「裏町」、「スナック」、「流しのギター」
 いかにも、今は廃れた “昭和” の情景が続く。

 

 ここでは、男がどんな男であったのかが、「嘘つき」、「気まぐれ男」という言葉から伝わってくる。 

 

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 三番は、


 木枯らし 想い出 グレーのコート
 あきらめ 水色 つめたい夜明け
 海鳴り 燈台 1羽のかもめ

 

 女は結局、裏町のスナックを渡り歩いて飲み明かしたわけだ。

 

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ホテルに戻って朝のカモメを眺める

 

 そして、夜明けに、男と別れたホテルの前まで戻る。
 そこに、男のよすがを求めて。

 

 しかし、目の前に広がる光景は、木枯らしが吹き、海鳴りがとどろく冷たい海。
 一棟の燈台と一羽のかもめには、一人ぽつんと置き去りにされた女の孤独感が投影されている。

 

 たそがれから明け方までの、半日にわたる女のドラマは、こうして幕を閉じる。

 

 この歌が、いまの若い人たちにどう聞こえるのか、私には分からない。
 たぶん、「いかにも昭和臭い歌だ」と敬遠されるのだろう。
 それでいいと思う。

 

 流行歌は、「個人史」だと思っている。
 「個人史」は、他人が読んでも面白くない。
 本人だけに意味がある。

 
 私にとっては、自分の半生を綴るよりも、これらの歌を記憶の中から引きずり出して味わうことが、大事な「個人史」なのだ。