アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

『月はどっちに出ている』は今だからこそ解る映画だ

  
 去年(2023年)の暮れに近い時期のことである。
 2022年に亡くなった映画監督の崔洋一を偲んで放映された『月はどっちに出ている』を、BSシネマで久しぶりに観た。
 


 最初に観たのが1990年代だったから、30年ぶりである。
 細部はかなり忘れていたが、それでもやはり、見直して面白い映画だと思った。
    
 在日コリアンのタクシー運転手(岸谷五朗)と、フィリピンパブのホステスであるコニー(ルビー・モレノ)の恋愛を中心に、三流タクシー会社の従業員の間で繰り広げられる「事件ともいえないような “事件”」が淡々と描かれる。

 

 根っこには、在日コリアンが味わってきた「差別への怒り」、「生活苦」、「怨念」、「諦念」 などといったドロドロしたテーマが横たわっているはずなのだが、映像としては、それがきれいさっぱり濾過(ろか)され、乾いた笑いを湛えた不思議な作品になっている。

 

 特に印象に残るのは、彼らが交わし合う「ドライな人間関係」。

 

 主人公の姜忠男(かん・ただお)は、フィリピン娘のコニーに対してひたすら「愛している」とささやくが、彼の求めるものは往々にしてセックスだけで、そこに「文学」で語られるような “愛” は希薄だ。

 

 一方のコニーは、つきまとう忠男に向かって、
 「この腐れチンポ、死んでしまえ!」
 「お前のホラ話など聴きとうない!」
 と悪態のつきっぱなし。

 

 この “潤いのない” 人間関係こそが、この映画の「乾いた笑い」の正体なのだ。

 

 監督の崔洋一がこの作品をリリースした平成5年は、バブル経済が崩壊し、それまで浮かれていた日本人がみなギスギスした空気に包まれた時代だった。
 別の言葉でいえば、「昭和が崩壊」していった時期でもあった。

 

 

 昭和を支えていた人々の労働環境はどんなものだったのか?
 「長期雇用」、「年功序列」といった、サラリーマン生活の安定を保証した企業環境が当たり前に機能していた時代だった。

 

 それが、急激に崩壊していったのが、平成(1989年以降)になってから。
 この時期、日本の各企業がグローバルスタンダードとしてのアメリカモデルを導入し、市場そのものが流動的になっていった。


 当然のごとく、労働環境も安定感を失い、貧困と経済格差が蔓延していく。

 

 労働者たちの生活スタイルが目まぐるしく変わっていく時代には、人と人の結びつきなど生まれにくい。
 温かい人間関係を構築しようにも、昨日までいた同期のサラリーマンが今朝からは左遷されてしまうような職場には、「人の絆」は育たない。

 

 『月はどっちに出ている』という映画は、「昭和」が行き詰まっていく社会風土から生まれた作品といえる。

 

 この映画が誕生した1993年。
 実は、「昭和の笑い」を完成させた大ヒット映画シリーズが終焉を迎えようとしていた。


 1969年(昭和44年)に第1作が公開され、その後の1995年(平成7年)までに、48作品が供給された『男はつらいよ』である。

 

 ここに登場する渥美清演じる “寅さん” は、『月はどっちに出ている』の姜忠男と正反対をの姿を演じていた。

 

 寅さんは忠男と違って、セックスを目的としていない。
 「マドンナ」として登場する女性たちに「恋心」を抱くが、その基本精神は親切心の発揮である。

 

 「相手の身になって生きる」という発想を手放すことのできない寅さんは、相手との間に、自分の欲望を挟み込むことが苦手である。
 だから、もじもじしているうちに、いつも寅さんの恋は終わる。

 

 この人情ドラマに、多くの日本人は感情移入した。
 寅さんの恋愛は、涙とセットになったものだったからだ。

 

 それに対し、『月はどっちに出ている』の忠男とコニーの恋愛は、どこまでも乾いている。
 寅さんとマドンナたちと違い、忠男とコニーには「求める」ものがないのだ。
 家庭を求めなければ、「夢」も求めない。
   
 象徴的なことは、どちらも日本人ではないことだ。
 在日朝鮮人とフィリピン人。
 まさにグローバルスタンダード時代の恋人同士なのだ。

 

 忠男は、「コニーの故郷であるマニラにいって一緒に暮らそう」と言ってはみるが、もとより本気ではなく、当のコニーも忠男の言葉をウソだと知っている。
 それでも、2人は、その虚構の「夢」を語り合うことで、かろうじて関係を保っている。

 

 そういう空虚な生活感覚は、忠男が働くタクシー会社の社員たちにも共通している。

 

 彼らはいつも殺風景な会社に寄り集まり、仕事に出かけるとき以外は、ときにケンカし、ヤクザをからない、チンチロリン(サイコロ賭博)で遊び、所在なさそうに虚空を眺めて煙草をふかす。

 

 私にとって、こういう人間関係は、ある意味、新鮮だった。
 この映画を通じて、平成という時代を生きた人々の心象風景を学んだような気もした。

【予告編】

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 最後の展開が秀逸。
 いったんは別れたコニーを連れ戻すため、忠男は彼女が住んでいる長野のフィリピンパブに押し掛け、自分のタクシーに乗せて東京に連れ戻す。

 

 「どちらまで?」
 人気のない長野のフィリピンバーの前にクルマを止めた忠男は、助手席に乗り込んできたコニーに尋ねる。

 

 「フィリピンのマニラまで」
 そう答えるコニーは、もちろんそれを期待しているわけではない。
 ただ、そのやりとりに、自分と忠男の空虚な関係をまぎらわす魔法の呪文を手探りしているだけなのだ。

 

【エンドタイトル】

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 二人を乗せたクルマが、殺風景な街を滑り出し、歌がかぶさる。
 憂歌団の歌う『Woo Child』。

 

 それがエンドタイトルになるのだが、わずか3分ほどの歌にもかかわらず、そこからまったく別の物語が立ち上がってくる。

 

 それは、忠男とコニーの意識の底に埋もれている「根無し草」の慟哭であり、さらにいえば、それは『男はつらいよ』の寅さんが、後ろを向いて流すときの涙のしずくでもある。

 

 こんな歌詞だ。
  
 ♪ 風が吹く夜は
   いつも眼を覚ます
   まるでお前が
   窓をたたくようで
  耳を澄ませば
   声が聞こえる
  道に迷って
  俺を呼んでるようで
  Woo Child 泣かないで Woo Child きっといつか
  Woo Child 逢えるから Woo Child 風の中で

 

 これは「鎮魂歌」だ。
 昭和の高度成長期に乗り遅れ、貧困と格差社会を味わった人たちに向けた鎮魂歌であり、バブル崩壊後にバタバタと自滅していた人々に向けた鎮魂歌でもある。

 

 そして、個人的な想い出になるが、これは私の親父(おやじ)に対する鎮魂歌ともいえる。
 
 実は、『月はどっちに出ている』という映画は、親父が入院していた病院の部屋で観たものなのだ。

 

 深夜。
 午前2時頃だったか。
 それまで親父の面倒をみていたくれた介護士の女性が、ちょっとだけ仮眠をとったとき、代わりに親父の世話をすることになった私は、イヤホンを通して、この映画のエンドタイトルに接した。 

 

 私は、親父の命がもう長くないことを知っていた。
 だから、『Woo Child』の歌詞に登場する “お前” とは、まさに私にとっての親父そのものだった。

 

 (痰を掻きだすために)喉に穴を開けた親父は、もう言葉をしゃべれない。
 ただ、吐息だけを苦しそうに繰り返す。
 そのかすれた息の合間に、憂歌団の歌が流れる。

 

  ♪ 耳を澄ませば
     声が聞こえる
     道に迷って
     俺を呼んでるようで
 
 歌に耳を澄ませながら、私は親父の “声” を聞いていた。

  

 

 

1箱に入っている煙草の本数は、実は決まっていない

 
 煙草をやめて、7~8年経つ。
 その時期に肺を患って入院したおかげで、スパッと断ち切ることができた。

 

 おかけで、禁煙後に会った人たちからは、
 「ずいぶん顔色が良くなったな」
 と言われた。
 それ以前は、土葬されて掘り起こされたゾンビみたいな顔色だったそうだ。
 
 しかし、入院する前は、煙草を1日40本以上吸っていた。
 原稿を書くような仕事をしていると、四六時中加え煙草でキーボードに向かっているという状態になる。

 

 仕事中、自分の書いた記事をチェックしようと思ったときは、必ず煙草に火をつけてからモニターを眺めた。
 そうすると、自分の原稿を “他人の視線” で読み返すような気分になれたのである。
 もちろん “錯覚” でしかない。
 ただ、そういう習慣は、一度身についてしまうとなかなか抜け出せない。
   
 
 そんなわけで、煙草を吸っていた時代は、カミさんにずいぶん迷惑をかけた。
 「あなたと一緒にいると、肺ガンになりそうだ」
 と事あるごとに、怒られた。

 

 彼女は煙草が嫌いだったから、煙草そのものに対する知識も乏しかった。
 だから、煙草のパッケージに何本入っているか知らなかった。

 

 ある日、
 「1日何本煙草を吸っているの?」
 と聞かれたことがある。
 「ま、せいぜい1~2本かな」

 

 「そんなわけないでしょ。その箱から立て続けに取り出しているじゃない。いったい1箱に何本入っているの?」
 「店によって当たり外れがあるんだよ。15本ぐらいしか入っていないときもあれば、25~26本入っているときもある」

 

 「そんなバラつきがあったら、みんな困るじゃない」
 「そうだよ。俺がこの前買った煙草の箱には、12本しか入っていなかった」

 

 「どうしたの?」
 「煙草屋のオバサンに文句を言ったのよ。あまりにもヒドイんじゃない? って」

 

 「そうしたら?」
 「オバサンこう言うのさ。文句を言われてもあたしゃ困るわ。だって、いちいち封を切って、中身を調べることなんかできないから」

 

 「そんなの当たり前じゃない」
 「そうだろ? だから『日本たばこ産業』に文句をいってくれってわけさ」

 

 「で、文句を言ったの?」
 「そう。そしたら、グローバル時代になった現代では、工場も海外に移っていてさ。東南アジアの山奥にある工場なんかでは、労働者が一仕事終わるたびに、お客さんに渡す前の商品から一本ずつ抜いて、一服してしまうらしい」

 

 「バカバカしい。山奥で密造拳銃をつくっているわけでもあるまいし」
 「そうなんだよ。そんなずさんなクオリティーコントロールで、よく『日本たばこ産業』なんて看板を掲げられるものだ、と怒ったわけ」

 

 「そうしたら?」
 「電話に出た担当者が言うわけよ。お客さんね、本数が少ないときもあったろうけれど、多いときは24~25本入っていたときもあるでしょ? だから皆さん最終的には平均20本ぐらいは確保しているわけですよ ってさ」

 

 「もうそんないい加減な商品買うのやめなさい」

 

 「そうなんだけどさ。でもね、煙草を買うときに、今日は多く入っているかな? それとも少ないかな?  というスリルを味わうのがたまらないわけよ」
 「バカバカしい !」

 

 ま、その昔、こんな会話が日常的に交わされていたわけよ。

 


 ホントの話。

 

「余韻」の正体


 俳句や短歌、そして短いポエムといった文芸形式は、みな短い言葉のなかに、最大級の「美」と「真実」を残すため、言葉の壮絶な “ダイエット” が行われている。

 

 面白いのは、削られた言葉の方に、「美」や「真実」が残ることだ。

 私たちは、通常それを「余韻」という言葉で表現する。
 
 すなわち、「余韻」とは、言葉の残響(エコー)をいうのだ。

 

 
 『現代短歌100人20首』と言う本には、三枝浩樹という歌人の次のような一首が収録されている。

 「寂代(さびしろ)という街、夢にあらわれぬ。いかなる街か知るよしもなし」

 

 基本的に、この短歌は「残響(エコー)」だけでできている。
 「知るよしもなし」
 という表現そのものが、実体が失われた後に残った幻影のようなをたぐりよせているといえる。

 

 そのため、ここで歌われている世界は、夢の中をさまような頼りなさ、心細さ、はかなさみたいなものに包まれている。

 

 

 芸人のタモリが、ある番組で語った言葉にも、ものすごい「余韻」を感じたことがあった。

 

 もう10年ぐらい前のことである。
 1945年の終戦の年から、1990年初期のバブル崩壊に至るまで、NHKが保存していた実写フィルムを次々と流しながら、コメンテーターたちがその感想を語り合うといった番組があった。

 

 そのゲストのなかで、アナウンサーの問に対し、タモリはこんなことを答えていた。

 「いちばん印象に残る時代は何ですか?」
 というアナウンサーが問う。

 タモリはすかさず、
 「バブル以降ですかね」
 と答えた。

 

 つまり、(バブル前の)高度成長の時代までは、とにかく “重厚長大” なものを尊重する時代風潮があって、それに対する息苦しさみたいなものを感じていたという。

 

  そして、バブルの時代になると、今度は一転して、軽くて派手なものばかりが珍重されるようになった。
  しかし、それに対しても違和感を抱いていたとも。

 

 

 彼はいう。
  「バブルの頃というのは、誰もが時代に乗り遅れまいと必死に狂騒のなかに身を投じていたんですね。それは、そうしないと自分自身と向き合うことになってしまうから」

 

 私は、…… ああ、すごいことをいう人だなぁ と思って聞いていた。
 「虚を突かれた」
 といってもいい。


 「余韻」というのが、言外に示唆される “空気感” のようなものだとすれば、タモリがいった「狂騒に浮かれるというのは、自分と向き合うことを避ける手段」というメッセージは、まさに「言外に示唆された空気感」であった。
 私は、それも立派な「余韻」であると感じた。

 

 
 今は、もうテレビタレントとして、しっかりその存在基盤を確立した小島慶子だが、彼女は長い間ラジオの世界で活躍していた人だった。
 
 その小島慶子が、ラジオパーソナリティーからテレビの方に軸足を移し始めた頃、朝日新聞からインタビューを受けたことがある。

 

 

 彼女は、けっして人間の映像が映ることのないラジオというメディアの特質を次のように語る。

 

 「人の姿は、けっこう遠くにいても見えます。では声は? 近くにいないと聞こえない。声が聞こえるということは、生活空間に他者が現れるということなんです」

 

 このとき彼女の言った「他者」という言葉にシビれた。

 彼女は、リスナーから電話を通じて、いろいろな相談を受けるコーナーを持っていたときの思い出を、このように語ったのだ。

 

 「他者」とは、この場合、顔も見えず、素性も分からないただの他人が、突然のっぴきならない存在として、パーソナリティーである小島慶子の意識に食い込んできた状況を表現している。

 

 「声」だけを頼りに、相手の人生を丸ごと抱えて引き受けるという、小島慶子の覚悟のようなものが、「他者」という言葉から伝わってきた。
 この言葉も、いつまでも私の心の奥底に、「余韻」として響き続けた。

 

 こういう表現に触れたとき、なるべく自分はそれを書き写すようにしている。
 そのときは意味が分からなくても、書き写して、何度か読んでいるうちに、何かが見えてくる。


 その「何か」が、今度は次の言葉を探す力を与えてくれる。 

 

 

女同士のケンカ

 
 お昼時ぐらいに商店街を歩いていたら、私鉄の駅前で、何やら騒がしい一団が口角(こうかく)泡を飛ばして、激論していた。

 

 男1人に女2人。
 男を挟んで、左右の女が眦(まなじり)を決して、お互いを罵り合っている。
 その声のでかいこと、でかいこと !!
 近づく前に、彼らがしゃべっているのが中国語だと分かった。

 

 女2人の形相が凄まじい。
  お互いが相手を指差し、白目をむき出し、大地を踏み固めるように足を鳴らし、まるで京劇の格闘シーンのようなパフォーマンスを繰り広げている。
  
  ちょっと日本人のケンカと違う。
  「闘志」の形が “演技的” というか。
  一種の “口論ショー” という雰囲気もなきにしもあらず。

 

 あまりにも珍しので、駅の時刻表を見るふりをして、しばらく観察した。
 眺めること10分。
 1人の女の方が黙りこみ、一方の女の罵倒がいっそう激しくなる。
 男は というと、女の間にぼおっと立っているだけで、どちらの話にも加担しない。

 

 中国語が分からないので、何が争点なのか見当もつかないが、そこから歩いて10分ほどのターミナル駅まで歩いていくか、私鉄を使うかということで意見が分かれた … みたいな様子にも見える。
 いや、もっと深刻な対立が生まれたのかもしれないが、推測するすべもない。
  


 やがて、黙りこくっていた女の方が反撃に出た。
 つっ立っている男の方に向き直り、
 「あんたはどうなのよ」
 と、男を責め始めたのだ。

 

 するともう一人の女も男をにらみ、
 「そうよ。黙ってないで、この女にビシッと言ってやんなさいよ」
 という感じで、そっちの方も男に詰め寄っている。
  
 それに対して、男はだんまりを決め込んで、どちらの言い分も公平に聞いてやるという態度をとっている。
 泰然自若というか、開き直っているというか。

 

 「この男はダメだ」
 と、女同士は思ったのか、再び男を放って罵り合いを始めた。

 

 淡白で気の短い日本人だったら、さっさと取っ組み合いになっていたはずだ。
 しかし、中国人たちはそれをしない。
 顔と、言葉と、ボディランゲージで相手を威嚇しながらも、ドツキ合いまでには至らない。

 

 日本人のケンカはそうはいかない。
 お互いに、あっというまに「手」が出る、「足」が出る。

 

 昔、朝の通勤電車内で女同士のケンカを見たことがある。

  ひとりはOL。もうひとりは女学生 … というか専門学校の生徒風。

  「なんだ、このぉ!」
  「何すんだよぉ!」

 

 

  いきなり車内で怒号が飛び交ったかと思うと、いきなり取っ組み合いが始まった。
  肩が触れたのか、カバンでも当たったのか。

 

  「今日はハッキリ決着をつけるわよ、私のカレと別れて!」
  というような “ワケあり” のケンカでもなさそうで、単なる偶発的なドンパチだと思うが、もう、草原でしとめた獲物を争うハゲタカとハイエナの猛々しさ。

 

  すげぇんだ!
  髪の毛の引っ張り合い。
  もう、ホントにお互いの毛がちぎれそうなんだわ。


  
  こういうときに仲裁に入るのが、たいてい中年オヤジなんだけど、どうして女同士のケンカを止めに入る男って、みんな余裕ぶっこいたニヤニヤ顔なんだろう。
 
  「まぁ、みっともないから止めなさいよ。かわいい顔が傷つくよ」
  なんて、中途半端に “大人の男” を演じようとするから、かえって火に油を注ぐだけ。

  「消えろよ! ハゲ」
  と2人に言われて、あっさり引っ込んじゃうんだから、男の時代も終わったよな。

  
  あとは、もう人間のいないジュラ紀白亜紀の大地。
  「このやろう、やったわねぇ!」
  「うるせぇ黙れ! このバカ」
  「てめぇ、逃げるんじゃネェよ、こいつぅ!」
  「死ねぇ、このバカやろぉ」
  
  言葉だけ聞いていると、もう男だか女だか分からない。
  取っ組み合った女同士は、そのまま転がるようにホームに降りて戦闘を継続していたけれど、残念ながら(?)、電車がホームを離れてしまったため、リングを変えた第2ラウンドは観ることができなかった。
  
  それにしても、男も女もイライラしている。
  みんな生きるのが大変な世の中になったようだ。

  自分が巻き込まれるのはイヤだけど、野次馬としては、楽しみが増えた。
 

 

米谷清和の絵は、観る人の「言葉」を奪う 

絵画批評   
絵を観るということは、何をすることか?

 

 

 絵を観るのは、昔から好きだった。
 特に気に入った絵に接すると、その絵から、目に見えない「扉」のようなものが突然開いて、その奥に見知らぬ空間が顔を覗かせているように思えることがある。
 そのときの未知の空気に触れたような感覚が、絵画を観ることのだいご味だと思っている。

 

 ただ、気に入った絵があったとしても、その魅力を言葉で人に伝えるのは難しい。
 そもそも、絵は言葉で言い尽くせないからこそ、「絵」なのである。
 逆にいえば、簡単に「言葉」に置き換えられるような絵画は、まだ一流の絵とはいえないのかもしれない。

 

 一流の絵画は、観る人間から「言葉」を奪う。

 「今の私には、この絵から受けた感動を言い表す言葉がない!」

 そう感じたとき、実はその人は、いちばんその絵のテーマと向き合っていることになる。
 「絵に感動する」ということは、これまで自分が言葉にしたことのない新しい言葉と出会う瞬間なのだから。

 
 昔、Eテレの『日曜美術館』という番組で、米谷清和(よねたに・きよかず 1947年~)さんという現代画家の絵を集めた絵画展の告知を見たことがあった。
 そこで紹介された何点かの作品に心を奪われた。

 

 さっそく彼の個展が開かれている会場(三鷹市美術ギャラリー)にまで足を運んだ。
 2016年の冬のことだった。

 

 展示スペースに足を踏み入れると、いきなり目に飛び込んできたのが、『老(ふゆ)』(↓)という絵だった。

 

 

 階段らしいところを登っていく老人の横顔。
 その老人が歩む階段の上は2階席になっているのか、3人の人間のシルエットが見える。


 しかし、シルエット以外の情報が大胆に省略されているため、観客は、どこか夢の世界をさまようような不安定な気分にさせられる。

 

 そう思うと、階段を登る老人を待ち構えているのは、すでに “あの世” に上がってしまった死者たちの影のようにも感じられる。「老」と書いて「ふゆ」と読ませるのも、季節の終わりと人生の終わりを重ね合わせているようだ。

 

 そういった意味で、この絵は、「絵画」として見れば、構図といい、テーマといい、観る者をかなり不安定な気分にさせてくれるのだが、「絵画」ではなく、「デザイン」として見るならば、黒地と白地のコントラストを生かした絶妙な安定感が伝わってくる。
 
 デザインとしての安定感と、絵としての不安定感。
 
 その二つの要素が、観る人間の心理状態によってネガとなったり、ポジとなったりして、一種の “だまし絵” 的な妙味が生まれている。

 
 下は『夜』と題された作品。
 1982年のものだという。

 

 

 紫色の夕景に包まれた歩道橋。
 家路に帰る人たちであろうか。黒いシルエットになったいくつもの人影が、紫の闇に溶け込むように、歩道橋を渡っていく。

 

 しかし、うなだれて背を丸めている手前の人間には、歩道橋を渡る人たちの姿すら目に入っていないようだ。
 寂しそうにうつむくこの人物の背中からは、彼が今の場所から動く気持ちを失っていることが伝わってくる。

 

 『夜』というタイトルは、夜景を描いたからではなく、むしろ、このうなだれた背中を見せている人間の心を表しているようにも思える。
  
 
 下は『夕暮れの雨』と名付けられた作品(1992年)。
 道路を上から大胆に覗き込んだインパクトの強い絵である。

 

 

 米谷さんは、「雨の夜」を題材にするのが好きだという。
 濡れたアスファルトは、晴れた日よりも、周りの光を美しく映し出し、路上をより幻想的に見せるとも。

 

 確かに、この絵では、濡れた光を反射させる道路が主役だ。
 黒い傘をぶつけ合うように駅の構内に向かう人々の姿が、アスファルトに反射した光に照らされて、躍動感に満ちたシルエットを浮かび上がらせる。
 
 それにしても、なんと水っぽい空気感をたたえた絵であることか。
 観ている観客の鼻腔には、雨の匂いを含んだ湿った空気がしっかりと忍び込んでくる。
 
 
 下は、『終電車 Ⅰ』(1971年)と名付けられた絵。

 

 

 仕事で帰りが遅くなったのか、遊びで遅くなったのか。この絵では終電車の席で疲れた体を休める人々の様子が描かれている。

 

 東京の新宿駅から出る終電だとするならば、時間はすでに午前1時を回っているはずだ。人々の表情にはけだるさが漂い、投げやりな足の組み方からは、どっぷりした疲労感が伝わってくる。

 

 彼らにとって「終電車」は家にたどり着くまでの “つかの間の安息の場所”。
 しかし、その中にとどまっていられるのは、せいぜい30~40分程度の時間でしかない。家までたどり着くには、自分が降りる駅でその安息の場所を放棄せねばならず、うっかり寝過ごしてしまえば、今度は家にもたどり着けない。 
 
 そう考えると、「終電車」は、帰るべき故郷を喪失してさまよう人々の都会生活そのものの寓意かもしれない。
 

 
 『新宿5番線ホーム』(下)と題された絵(1976年)も、都会人の朝の生活を切り取った1枚。

 


 向こう側のホームで電車を待つ人々の顔は、まるで判で押したように同じ表情になっている。
 おそらく、みな職場に着いたときの仕事の段取りで頭がいっぱいになっているからだろう。

 

 では、ホームのこちら側にいる人々は、どういう人々なのか?
 画面には黒いコートを着た3人の人物が描かれているが、この3人のたたずまいは、ホームの向こう側にいる人たちと、どこか違う。

 

 コートの襟を立てている右側の女性は、その背中の線から察するに、かすかにもの思いにふけっているように見えるし、中央の中年男性は、余裕ありげに手を後ろに組んでいる。


 さらに、左手の人物は疲れたように手を柱に伸ばして体を支え、通勤ラッシュなどには最初から無縁の姿勢を保っている。
 そのため、向こう側のホームとこちら側のホームでは、それぞれ異なる時間が流れているようにも見える。  

 

 米谷さんに言わせると、3人の人物が立っているこちら側の5番線ホームというのは、長距離列車の発車ホームなのだという。
 向こう側の人とこちら側の人では、行く場所が違うのだ。

 

 向こう側の人々が抱えているのは「通勤」。
 こちら側の人々が待っているのは「旅」。
 線路を挟んで、異なる目的を持つ人々の空間が対峙しているときのかすかな違和感と緊張感。


 それが、さりげない日常を切り取ったこの絵に、どこか張りつめたような空気を呼び込んでいる。
   
 
 下の絵は、1982年に描かれた『電話』。
 等間隔に並んだ黄色い電話機と、同じ方向を向いて話している3人の男性を描いたデザイン的なタッチの絵だ。
 こういう光景はスマホ時代には見られなくなったが、80年代には、まだこういう電話機が駅の一角などにたくさん並んでいた。

 

 

 当時は見慣れた光景だったとはいえ、この絵を観ていると、どこか奇妙な気分に襲われる。
 3人の男性が、ほとんど同じポーズを取っているため、リアルな情景を描いた絵というよりは、何かの寓意性が込められた絵であるように思えるのだ。

 

 さらに、電話機以外の背景が何も書き込まれていないので、逆にその “空白” に、なにがしかの意味が隠されているようにも感じられる。
 そういった意味で、ものすごくシュールな味わいが伝わってくる絵だ。

 

 こういう絵を見せられると、必死になってそのテーマを探り出し、それを文章化してみたくなる。


 だが、たいていの場合、失敗に終わる。
 自分の感性の乏しさゆえに、絵のテーマにたどり着けるような感想が書けることは少ない。
 
 それでいいような気もする。
 あえて文章化できないものを手に入れるために、絵を観ているようなところもあるからだ。
  
   
 この個展を観に行った日、会場を出たところに小さなテーブルがあって、その隅に作者の米谷清和さんが座っていらっしゃった。
 1600円のカタログを買い、顔写真の載っているページにサインをもらった。

 

 

 ついでに、一言二言、お話をいただいた。
 「自分の描いているものは、特別なものではなく、うっかりするとほとんどの人が見逃してしまうような日常生活の中の些細なシーンです」
 という。


 「しかし、絵にすることで、観た方が、“そういえば日常生活の中には確かにこういうシーンがあるよな” と気づいてくれたらうれしい」

 

 シンプルな表現だが、含蓄のある言葉だと思った。

 

 絵として描かないかぎり、見逃してしまうような光景とは何か?
 それは、無意識の世界から立ち上ってくる光景である。
 
 人は、日常生活のなかで、いろいろなものを見ているはずだが、自分の理解できるものしか拾っていない。
 理解できないものは(視界の中に入ってきたとしても)、情報として意識の中には取りこんではいないのだ。

 

 だから、理解できないものは、その人の無意識の底に沈んで、永遠に眠ったままになってしまう。


 何かの拍子に、そのうちのどれかの記憶が、無意識の底から引っ張り上げられることがあるかもしれない。


 しかし、大多数の眠れる記憶は、本人が死ぬと同時に闇の底に戻っていく。

 

 絵というものは、その闇に眠った記憶を、生きている間に一瞬だけ取り出す「装置」である。
    

 

ドリフターズの笑いの秘密が今よく分かる


 “昭和のお笑い” を代表する芸人グループ「ドリフターズ」のコントを久しぶりに観た。「ドリフターズ」の結成60周年を記念した「ドリフ大爆笑 国民が選ぶベストコント60」(フジテレビ)という番組である。

 

 彼らのお笑いのパワーに、改めて圧倒されたといっていい。 

 

 

 今の芸人たちのコントと何が違うのか?

 

 リズム感である。

 

 「次はこうなるだろう、その次はこうなるはずだ」
 と、視聴者もある程度コントの流れを予想できるものもあるが、たとえその流れどうりに進んでも、ドリフのコントは、いつのまにか視聴者の体内に心地よいリズムを発生させる。

 「間の取り方のうまさ」
 あるいは、
 「テンポの良さ」
 といってもいい。

 

 これは、彼らがバンドマンとしてスタートしたことと関係している。
 みなそれぞれ得意の楽器を持ち、全員でアンサンブルをこなす力量をもっているのだ。
 だから、コントの構成に関しても、グループ各自の関わり方にリズムが生まれてくる。

 

  
 リズム感というのは、ネタとして表現する言葉がない。
 まさに「無言の躍動感」ともいうべきものだ。

 

 それが、芸人を評価するときの「味」という言葉につながる。
  
 今の芸人たちのコントに「味」はあるのだろうか?
 
 私には感じられない。
 「味」というのは、今言ったように、「言葉にならない躍動感」だ。
 
 なのに、今の芸人たちは、トークによる “意味のはぐらし方” で笑いを取ろうとする。
 言葉による「はぐらかし」は、しょせん脳内の作業に留まらざるを得ない。

 

 ドリフターズは、その脳内の作業から飛び出したところで芸を披露した。
 だから、今観ても、「身体が笑ってしまう」のだ。

 

 

『イノセンス』の映像は資本主義のメタファーである  


押井守 作 アニメ『イノセンス』を読み解く  

 

 

 中学生のときに同じクラスで知り合い、今でも年に2~3度ほど会う友人グループがいる。
 みな70代に差し掛かった老人たちだ。

 

 しかし、中学時代に小説や評論を持ち寄って同人雑誌をつくった仲だけに、会うと、あいかわらず映画、文学、音楽などについて語り合う。

 この前そのメンバーが集まったとき、
 「日本のアニメ監督のなかで、誰の作品をいちばん評価するか?」
 といったテーマがあがった。
 1人が、宮崎駿をあげた。

 

宮崎駿風立ちぬ

  

 「宮崎作品は線画がきれいだ」という。
 「構図も整っていて、色の配分も美しい。だから上映時間が長くなっても、視覚的に疲れることがない」
 さらに、「メッセージ性が深い」とも。

 

 聞いていて、私もそのとおりだと思った。
 私が映画館に足を運んだのは、『もののけ姫』と『風立ちぬ』の2本だけだが、確かに、重厚なテーマをものすごく優しい画風で仕上げた出来映えに脱帽する思いだった。

 

 ただ、個人的な嗜好でいえば、私は押井守の『攻殻機動隊』とか『イノセンス』などの方が好きなのである。

 

押井守イノセンス

 
 私がそういう感想を述べると、先の宮崎駿を評価した友が、
 「押井守の画像はごちゃごちゃし過ぎて好きになれない」
 と言い始めた。
 「一つのシーンに、あまりにも多元的な情報を詰め込み過ぎるので、目も疲れるし、頭も混乱する」
 という。

 

 

 う~ん …… そうかもしれないと思いつつも、1人になってから、あらためて『イノセンス』の映像を思い浮かべてみると、その友人が語った「目の疲れと頭の混乱」という言葉が、なんだかとても重要な意味をもっていることに気がついた。

 

 

 結論を先にいうと、『イノセンス』の “ごちゃごちゃ感” こそ、まさに(我々を巻き込んで日々暴走していく)「資本主義社会」のメタファーなのではないか。


イノセンス』の映像は
資本主義をデザイン化したもの

 

 資本主義とは、本来なら同じ空間にあり得ないようなものを強引に組み合わせ、それまで誰も思いつかなったデザインの商品に仕立てあげるシステムのことをいう。
 その組み合わせが突拍子もないものであればあるほど、それが「新しい刺激」だと評価される。

 

youtu.be

 『イノセンス』で圧巻なのは、奇怪な山車が次々と街路を行進していくパレードのシーンである。
 山車に載せられているのは、中国の京劇のような仮面をつけた巨大人形たち。
 その山車を動かしているのは、インドの祭りで使われるような象の形をした巨大ロボット。

 

 

 パレードする群像の背後にそびえるのは、ニューヨークの摩天楼のような建築群。
 そういうシーンが連続する画面の背後に鳴り響くBGMは、日本の雅楽とわらべ歌を混在させたような土俗的かつ呪術的な歌。

 

 

 過去と未来
 西洋と東洋
 近代と古代
 
 『イノセンス』のパレードシーンはそれらが混在一体となった、まさに万華鏡のように錯綜したヴィジュアルで埋め尽くされている。


 これこそ、我々が日々体感している「資本主義社会のデザイン」そのものだといっていい。

 我々は、それに魅了されながらも、それに疲れていく。
 高度資本主義のもたらす情報過多社会に、目も疲れ、頭も混乱していく。
 ただ、不思議なことに、その疲労は、実に甘美なのだ。


資本主義には価値の序列がない

 

 なぜ、そのような疲労感が蓄積していくのか。
 資本主義のもたらす情報には、価値の序列がないからだ。

 

 価値の序列がないということは、個人がどんな商品を選んでも満足が得られないことになり、一つのものをゲットしても、すぐさま別の欲望に突き動かされることを意味する。

 

 

 『イノセンス』のパレードで描かれる京劇風仮面も、インド象ロボットも、ニューヨークの摩天楼的景観も、日本の土俗的歌謡も、そこには何一つ関連性がない。
 それらは、どぎついエキゾチシズムによって、視聴者の目を奪うことはあっても、どれひとつ価値の序列を持たず、意味もなく陳列されているにすぎない。
 この見事な “無秩序感” こそ、資本主義的ヴィジュアルの真骨頂だ。

 

主人公の “意味不明” 
のモノローグの正体

 

 『イノセンス』という作品において、そのことを別の側面から暗示しているのが、登場人物の会話に登場する “哲学的言辞” である。

 


 

 主人公のバトー(↑)は、古典哲学の文言をしょっちゅう口走る。

 

 「シーザーを理解するためには、シーザーになる必要はない」(マックス・ヴェーバー)。
  「ロバが旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけじゃねぇ」(西洋のことわざ)。
  「自分のツラが曲がっているのに、鏡を責めて何になる?」(ゴーゴリ)。

 

 こういうつぶやきの出典は、ロマン・ロランゴーゴリの小説、ミルトンの詩、マックス・ウエーバーの論文、旧約聖書の詩文、世阿弥能楽書、孔子論語仏陀の経典など多岐にわたる。

 

 だが、バトーはけっきょく何も語っていない。
 彼の “省察” は、ストーリーの展開にほとんど関与しないからだ。
 つまり、テレビからひたすらシャワーのように放水されるCMのようなものなのだ。

 

 ある商品の有益性を訴えたCMは、15秒後には、別の商品のCMによってかき消される。
 それは、ある意味、ニヒリズムの連鎖といってもかまわない。

 つまり、CMなどを通じて、その都度その都度、市場に “新しい商品価値” が出回るということは、結果的に、資本主義社会とは一種のニヒリズム社会であることを証明しているにすぎない。

 なのに、その渦中にいると、資本主義が紡ぎ出す夢のすべてが美しく、魅力的に輝いて見える。
 『イノセンス』のパレードに描かれるヴィジュアルは、まさにそういう状態を形象化させたものだといっていい。

 

 実は、水野和夫氏という経済学者の資本主義解説をよく読む。

 彼は自著のなかで、次のようなことを示唆する。

 

 「経済学において、数学的合理性だけでは人間の経済活動を説明するのは困難だということが昨今は知られ始めている。芸術作品のように、“有用性” のないものが投資的価値をどんどん上げていくということを従来の経済学の言葉では説明できない。…… 資本主義のほんとうの姿を解明するには、どうしても文学、演劇、哲学、美術の知識を総動員していく必要がある」

 

 『イノセンス』のパレードシーンを「資本主義社会のデザイン」のように感じたというのは、もしかしたら、水野和夫氏が語る資本主義論に触発されたものかもしれない。

 

 

 

 

レプリカントの命(ブレードランナー論序説)  

映画『ブレードランナー』に影響を与えた1940年代アメリカ文化

 

 
 昔、通勤で使っている駅前で、屋台のラーメンを食べていたときのことだった。
  
 「酔いざましに、ラーメンを食って解散しよう」
 … という感じの初老のサラリーマンが3人。酒臭い息を漂わせながら、肩を寄せ合うようにカウンターに陣取り、ラーメンがどんぶりに注ぎ込まれるのを持っていた。

 

  
 そのうちの1人が、駅を囲んだビルのネオンの見上げながら、ふと言った。
 「まるで『ブレードランナー』の世界だな」
  
 その一言は、胃の中にほとんど収まったラーメンの味を反芻しつつ、どんぶりの底に沈んだ残りの汁を飲み干そうとした私の無防備な心を不意打ちした。
  
 思わず私も、初老のサラリーマンの視線を追って、林立するビルの夜景を見上げた。
 何の変哲もない、普通のネオンに彩られた品川駅前のビル群。
 しかし、そこには確かに、1982年に封切られたSF映画ブレードランナー』の明滅する光にまみれた未来都市の姿が(かすかに)浮かんでいた。
  
 そのサラリーマンの一言に対する同僚の反応はまったくなく、話題は自然にゴルフかなんかの話に移っていたが、私は、丼の底のラーメンの汁を吸いながら、映画の中では「近未来」として設定された21世紀のロサンゼルスの姿を反芻していた。

 

 思い出しただけで、不覚にも、最初に見たときの感動がよみがえってきた
 とんでもない美学を発揮した近未来都市の造形。
 安っぽいオリエンタリズムと、無機的なテクノロジーが何の根拠もなく同居する猥雑怪奇な未来都市からせり出してくる “世界の終末感” は衝撃的だった。
 

▲ 『ブレードランナー』 に描かれた未来都市には、日本髪を結った東洋人の女性が宣伝する胃腸薬「わかもと」のCMがひんぱんに登場する

  

 
 すでに40年前の映画だから、『ブレードランナー』はSF映画としては「古典」の部類に入る。
 しかし、その後につくられた数々のSF作品などと比べても、その映像美は今もって新鮮である。2017年につくられた『ブレードランナー 2049』よりも、むしろ新しい。


  
 この『ブレードランナー』第1作の公開時期とほぼ同時期に、『スターウォーズ』シリーズも公開された。
 昔、その全6作がBS放送などで再放映されたことがあったが、『ブレードランナー』第1作に比べて、それを上回る印象をもたらした作品は一つもなかった。
 

 
 スターウォーズ』には画面に見えるもの以上のものは何ひとつ現れない。
 それに比べ、『ブレードランナー』は、絶えず画面では見えない世界が奥に潜んでいることを伝えてくる。
  
 では、「画面に見えない世界」は、監督がわざと隠しているのか? 
 そうではなく、画面に見えない世界は、観客の脳内に存在するということを訴えてくる。
  
 こういう言い方もできようか。
 『ブレードランナー』には、監督や制作者たちの計算を離れたノイズ(雑音)がたくさん混入しており、それがある意味での豊かさをもたらしているのだが、あくまでもノイズに過ぎないため、制作者たちも(そして観客も)、そのノイズが生む “豊かさ” を指摘する言葉を持つことができない。

 

▼ 主人公デッカードを演じるハリソン・フォード

  
 しかし、そのノイズは、人々の脳内にバクテリアのように侵入し、不協和音とハーモニーの繰り返しによる発酵を重ね、いつしか独立した妄想世界を醸成する。
 
   
 こういうことを指摘した、面白い本がある。
 加藤幹郎 著『「ブレードランナー」論序説』(筑摩書房)だ。

 

 

 その本の冒頭には、次のようなことが描かれている。   
 「映画『ブレードランナー』についてはすでに多くのことが語られている。にもかかわらず、やはりなにごとも語られてはいない」
  
 著者の加藤氏はいう。(引用ではなく、強引な意訳だけど … )

 「この映画には、“謎解き” の要素がたくさん散りばめられながらも、明確な答が与えられていないため、そこがファンの心を吸引する “甘い蜜” となる。
 たとえば、インターネットにアップされるファンサイトの記事には、登場人物意味のない動作をひとつひとつ取り上げ、“そこに込められた謎” を語りたがる無数の人たちの声がひしめいている。
 しかし、その大半は、問う必要もない問に対しての回答だ。『ブレードランナー』は、そのような些末な問に一つ一つ解釈を施して満足できるような映画とは根本的に異なる」

 

▼ ミステリアスな登場の仕方をする “謎の美女” レイチェル

  
 加藤氏は、この映画全体が1940年~50年代にかけて制作された「フィルム・ノワール」の系統を引き継ぐ映画だと指摘する。
  
 フィルム・ノワールという言葉は、一般的には「暗くてクールなギャング映画」というニュアンスで受け取られているが、そういった個性は映像的な特徴から生まれたものらしい。
  
 すなわち、夜の都市に垂れ込む霧、噴き上げる蒸気、点滅するネオンサイン、乗り物のヘッドライト、タバコの紫煙がよどむ暗い部屋 ……
 心に傷を持つ登場人物たちが、そういった環境を背景に、逆光の中に浮かび上がるところにフィルム・ノワールの映像的特徴があったが、『ブレードランナー』は、そういう1940~50年代の犯罪映画を、1980年代に復活させたものだという。

 

 

フィルム・ノワールの代表作といわれる『マルタの鷹』(1941年)。ハンフリー・ボガード出世作


  
 つまり、フィルム・ノワールに出てくる人物たちは、追う者(探偵や刑事)も追われる者(犯罪人)も、いずれも逆光の暗がりから抜け出せないような「スネに傷を持つ者」であり、どちらが勝利しても「敗残者の自覚」を抱えた者同士なのだから、観客にカタルシスを与えるハッピーエンドは訪れない。
 確かに、そういった雰囲気は、この『ブレードランナー』にもある。


 実は、『ブレードランナー』という映画が、1940年代のアメリカン・エンターティメントの流れを汲んだ作品であることを訴えたもう1冊の本がある。
 それが、町山智浩氏の『ブレードランナーの未来世紀』(洋泉社)だ。

 

 

 この本によると、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』というSF小説を映画化しようという話が生まれたときに、そのシナリオを担当することになったハンプトン・ファンチャーは、「主人公のイメージをレイモンド・チャンドラーの小説に出てくる私立探偵のフィリップ・マーロウ」に重ねるというアイデアを思い浮かべたという。
 それを聞かされた映画監督のリドリー・スコットは、「未来のフィリップ・マーロウ」というアイデアにすごく興奮したと伝えられている。

 

 金にもならないような安い仕事を物憂く引き受け、貧しい乗用車に乗って夜のロサンゼルスを気怠く徘徊するフィリップ・マーロウ
 彼は、ハードボイルド小説にセンチメンタルなアンニュイを持ち込んだ(少し疲れた)孤独なヒーローだった。
 その面影は、確かに、『ブレードランナー』のデッカードに重なっていく。  

 

 

 『ブレードランナー』に登場する荒廃した未来都市の姿も、どこか懐かしい。
 実は、この街の映像にも、1940年代のアメリカン・アートが絡んでいる。

 リドリー・スコットは、猥雑なにぎわいを見せる未来のロサンゼルスの光景にも、夜の都会の孤独感を導入することにこだわった。
 そのときに集められたサンプリングの中には、深夜営業のカフェにたたずむ男女の寂しさを描いたエドワード・ホッパーの『ナイト・ホークス』もあったという。

 

 

 1930年代から40年代にかけて多くの作品を残したエドワード・ホッパーほど、大都会の喧騒の中にぽっかり浮かんだ虚無的な静寂をうまく見つけた画家はいない。
 それは、満艦飾のネオンの裏に潜む未来都市の底に沈んでいる人間の孤独を描いた『ブレードランナー』の基調低音と密接に結びついている。

 

 ともすればゲテモノに堕するようなアールデコ、古典主義、エジプト風、ローマ風など様々な文化のごった煮デザインに満ちたこの映画に、美学的統一感を与えた秘密は、このホッパーの絵に漂うような寂寥感(せきりょうかん)であったといえよう。
 このあたり、未来都市の造形を担当したシド・ミードのセンスも大いに評価できる。


 加藤幹郎氏の『「ブレードランナー」論序説』も、町山智浩氏の『ブレードランナーの未来世紀』も、ともにこの映画を美しく語った名著であると思う。
 それぞれ視点も語り口も異なる本でありながら、結論として通底しているところが一ヵ所ある。
 それは、
 「この映画は、誰が意図したものでもなく、偶然に “傑作” になってしまった」
 という結論だ。

 

 

 加藤氏は、この映画には興行時に配給された劇場公開版と、後にそれを不満に思ったリドリー・スコットが再編集したディレクターズ・カット版の2種類のバージョンがあることを指摘して、こういう。

 

 「一般的に、劇場公開版というのは興行収益を目的とした商業主義的なバージョン。それに対し、ディレクターズ・カット版は、芸術性を維持しようとする監督の良心 …… というような分け方をされがちである。
 しかし、この映画に限っては、興行的な成功を意識した劇場カット版の方が優れている。
 そのことは、この映画が、リドリー・スコット監督の意図を離れて “独り歩き” していたことを示唆している」

 

 同じことを、町山智浩氏もいう。
 「この映画が、“傑作” として語り継がれてきた秘密は、実は “情報量の詰め込みすぎ” にあった」

 

 つまり、『ブレードランナー』は、通常の映画の何倍ものアイデアが詰め込まれたために、一回観ただけでは誰も完全に理解できない映画になってしまった。
 実際、この難解さがゆえに、封切り当時は、制作費2,800万ドルの半分も回収できなかったらしい。この映画がカルトムービーとしての地位を獲得したのは、初公開から10年経った1992年以降のことである。
  
 町山氏は、
 「この映画には、幾通りもの解釈が生まれるような余地があったため、逆にカルトムービーになれたのだ」
 という。

 

▼ 主人公デッカードを演じたハリソン・フォード

レプリカントの首領ロイを演じたルトガー・ハウァー

 

 すでに、制作中に監督と役者たちの間に反目があった。
 リドリー・スコットは、主人公のデッカードもまたレプリカントの一人に過ぎなかったという結末にこだわり、そのための伏線も、映画の中にたくさん忍ばせようとした。

 しかし、デッカードを演じたハリソン・フォードも、ロイを演じたルトガー・ハウァーも、監督の思惑を拒否しながら演技を続けた。

 

 つまり、監督も俳優も、制作中の段階からこの映画をコントロールすることが不可能になっていたということなのだ。

 

 それだけでも、普通の映画なら破綻していただろう。
 だが、そういう監督と演技者の思惑のズレすらも、この映画では良い方向に作用した。スタッフやキャストの異なる思いがそれぞれ乱反射のように飛び交い、そこから複雑な陰影が生まれたのだ。

 いってしまえば、この映画は、その制作にたずさわった総ての人々を裏切るような形で、独り歩きを始めたのである。

 カルトムービーとは、監督や観客も含め、誰一人支配下におくことができなくなった映画のことをいうのかもしれない。

 

 

 

参考記事
エドワード・ホッパー 『ナイトホークス』

campingcarboy.hatenablog.com

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ジャズはいつだって大人の音楽

 

 昔から、ジャズを聞いていると、いつも「大人の音」というイメージを持つことが多かった。
 その気分を伝えるためのうまい言葉がなかなか見つからない。
 強いていえば、大人の切なさ、大人の粋さ、大人のカッコよさ、大人のずるさといったものが、モヤモヤと浮かんでくるという感じだ。

 

 
 なぜ、そんなふうに感じるのか。
 最近ごく単純なことに気がついた。
 昔、そういう音を聞いていた私が、単にガキだったからだ。
 ガキの頃に聞いた大人の音楽が、「大人の匂い」を持っていたのは、考えてみれば当たり前のことである。

 

 そんな 大人の音を最初に教えてくれたのが、ラジオから流れてきたデイブ・ブルーベック・カルテットの『Take Five (テイクファイブ)』だった。
 それを聞いたときは、まだ中学生。
 ラジオを通じて、全米トップ40に浮上してくるようなポップスをずっとフォローしていたけれど、「テイクファイブ」は聞いたこともなかったサウンドだったから、とても印象に残った。

 

▼ 『TAKE FIVE』  Dave Brubeck Quartet

youtu.be

 

 「テイクファイブ」を含むアルバム『タイムアウト』が録音されたのは1959年。その中から取り出された「テイクファイブ」は、1960年代全般を通じてポピュラー音楽界の人気曲として君臨し、ジャズなど聞いたこともない人ですら、「このメロディーなら知ってる」とうなづかせるほどの大ヒット曲となった。

 

 このレコードを買ったのは、15歳のときだった。
 LPを買うほどの小遣いはなかった。
 けっきょく、シングル盤しか買えなかったが、それでも大好きだったビートルズのレコードを買うのを我慢して、こちらを優先した。

 

 それは、まさに “大人の音” だったからだ。
 特に、ポール・デスモンドの吹くアルトサックスの音色が、未熟な熱情に左右されない大人のクールさを表現しているようで、なんともカッコよく聞こえた。

  

 こういうクールさをたたえた音色というのは、当然ビートルズにはなく、それ以前に親しんでいたスイートなアメリカンポップスにもないものだった。

 

 コニー・フランシスポール・アンカ、パットブーンといったアメリカンポップスが、一口含んだだけで口いっぱいに甘みが広がるオレンジジュースなら、ビートルズは炭酸の刺激が強いコカ・コーラ
 
 そして、ポール・デスモンドのサックスは、アルコール飲料。大人だけが座ることを許されたバーカウンターの上にそっと置かれた、氷入りのカクテルのように感じられた。

 

 後に、少しジャズに関する能書きをかじっていたら、こういうクールな音色は、ウエストコーストジャズの特徴だ、という言説を読んだことがある。「ニューヨークを中心に発展したイーストコーストの黒人ジャズに対し、ウエストコーストは白人のミュージシャンが多かったからだ」という話なのだが、(それも一理あるのだろうけれど、)ポール・デスモンドの音のクールさは、けっきょく彼独特の個性だという気もする。
 
 この「テイクファイブ」以上に、「大人」を感じたジャズはマイルス・デイビスが手掛けた映画音楽『死刑台のエレベーター』(1958年)のテーマだった。

 

▼ 『死刑台のエレベーター

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 フランスのルイ・マル監督が、25歳のときにつくったというサスペンス映画で、その映画で使われる大半の曲を、マイルスがラッシュを見ながら即興でつくったという。

 

 不倫と、裏切りと、殺人を扱った絵に描いたような大人の犯罪映画だったが、マイルス・デイビスは、その映画のコンセプトをさらに4~5倍くらい増幅させたような「大人の頽廃」と、「大人のアンニュイ」と、「大人の哀愁」を盛り込んだ。

  

 そのサウンドから伝わってくるのは、人間の心の奥に潜む「無慈悲な冷酷さ」。運に見放された人間を襲う「孤独と寂寥」。そして、ネオン輝く街の底に沈む「夜の深さ」。


 中学生の頃に、この曲をラジオで聞いて、大人というものの怖さと美しさを同時に知った気になった。

 

 

 1950年代というのは、フランスで、ジャズと映画が結びついた時代でもあった。
 フランスの映画界に「ヌーベルバーグ」という運動が起こり、そこに参加した若い映画監督たちが、アメリカのモダン・ジャズをサウンドトラックに使うようになったのである。

 

 前述した『死刑台のエレベーター』(ルイ・マル 1958年)などはその筆頭だが、そのほかに、『大運河』(ロジェ・バディム 1957年)、『危険な関係』(ロジェ・バディム 1959年)、『殺られる』(エドゥアール・モリナロ 1959年)などといったジャズを使った映画が、この時代に集中した。

 

 もちろん、こういった一連の映画を、私はリアルタイムで見たわけではない。
 なにしろ、『死刑台のエレベーター』が公開された1958年は、私はまだ8歳だったから、そんな映画が封切られたことなど知るよしもない。

 

 すべてを知ったのは、高校生になって、『サントラにジャズを使った映画音楽集』というオムニバスレコードを買ってからだった。
  
 そのアルバムのなかに、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズがサントラを担当した『危険な関係のブルース』があった。ロジェ・バディム監督の『危険な関係』(1959年)のテーマソングである。


 この音楽がめちゃめちゃにカッコよかった。

 

▼ 『危険な関係のブルース』

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 ライナーノーツによると、映画の原作は、18世紀の作家ラクロによって書かれた貴族社会のモラルの崩壊を描いた官能小説だという。映画はそれを20世紀のパリに設定し直し、上流階級の退廃的な恋愛劇に置き換えたとも。

 

 それを読み、曲を聞いただけで、どのような映画なのか、私はすぐに推測できた。
 アート・ブレイキーの演奏が何よりも雄弁に、映画のかもし出す空気のようなものを暗示していたからだ。
 
 まず、のっけから飛び出すリー・モーガンのトランペットが、この曲のすべてを語っていた。
 行進曲のように威勢よく。
 パーティーのクライマックスのように華やかで。
 そして、人々の貪欲な欲望を解き放つように、ふしだらで。

 

 
 もし、パーティー会場でこんな曲が流れ始めたら、男も女も自分のお目当ての相手を血眼になって探し始め、お互いに、発情した獣同士のように相手を口説き始めるだろう。

 そんな情景を想像させるような曲だ。


 この演奏から、私は「大人の快楽」と「大人のふしだら」を嗅ぎ取った。
 それは私にとって、嫌悪すべきものではまったくなく、甘い誘惑に満ちたものだった。
  
 ここに書いた「大人の匂い」などという話は、70歳代も半ば迫ろうという私のようなジジイが書くこと自体、恥ずかしい話かもしれない。

 

 だが、ジャズを聴くと、いまだに若い頃の感覚がよみがえる。
 それは、ロックやR&Bを聞いたときには感じられないものだ。
 おそらく、
 「お前はいまだに本当の 大人 になりきっていないのだから、もっと精進しろ」
 という、もう一人の私が叱る声なのだろうと思っている。
 
 

   
 

1960年代の前衛ジャズ

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「ことわざ」は突っ込みどころ満載だ  

 
 人生の真実を、気の利いた言葉の中に鮮やかに集約する「ことわざ」。

 日本人が、古来より受け継いできた「ことわざ」は、まさに、生きるための知恵の結晶である。
 だけど、よく考えてみると、どれも「なんか変 」という感触がつきまとう。
 
 たとえば、 
 「負けるが勝ち」
  とかいうけれど、では勝ったら負けちゃうのか?
  
 「逃した魚は大きい」
  とかいうけれど、では捕まえた魚は小さいのか?

 

 「嘘つきは泥棒の始まり」
 では、泥棒は嘘つきの 終点 か?
 
 「可愛い子には旅をさせろ」
  では、醜い子は家に閉じ込めておくのか?
  
 「風邪は万病のもと」
  では、万病は風邪の結果 か?
  
 ま、ことわざって、考えてみると、突っ込みどころ満載の表現なんだよね。
  
 たとえば、
 「勤勉は成功の母」
 父は誰だ?
 
 「五十歩百歩」
 五十一歩の場合はどうなのか?  

 「山椒 (さんしょう) は小粒でもピリリと辛い」
 唐辛子と比較した上でのことか?
 
 「舌を巻く」
 イタリア語では珍しくないぞ。
 
 「雄弁は銀。沈黙は金」
 饒舌 は、さしあたり ぐらいか。
 
 「血は水よりも濃い」
 その水が「塩水」の場合だったらどうなのか。
 
 「井の中のカワズ(カエル)は大海を知らず」
 カワズを大海に放り出せば生きていけるのか?
 

 

 

歌声喫茶

   
 「歌声喫茶」という喫茶店がある。
 ロシア民謡とか昔の小学唱歌のような歌を、店に居合わせたお客たちが一斉に合唱する喫茶店のことだ。

 

▼ 「歌声喫茶」 BSフジ『昭和は輝いていた』より

 
 そういう店が都内にもたくさんあるという話を聞いたのは、50年以上も前のことだ。
 1960年代中頃。
 中学生だった私の勉強の世話をしてくれた家庭教師が、そういう喫茶店のことを話してくれた。

 

 当時、私の家の近くに東大の駒場に通っている学生たちの寮があった。
 私の親がその寮の管理者に話を付けてきたのか、そこで暮らす東大生が、私の高校受験のための勉強を教えてくれることになった。

 

 家庭教師は、相次いで2人来た。
 というのは、最初に来た1人が、
 「そろそろ就職活動に入る」
 といって2ヶ月ほどで辞めて行ったので、そのあと、その後輩だという男が引き継いだからだ。

 

 2人とも、家に来るときは詰襟の黒い学ランを着ていた。
 今から50年以上も前の学生たちは、みな学ランが普通のファッションだった。

 

 で、2人とも、
 「町田君、歌でも教えてあげようか」
 と話してくることがあった。
 (私の本名は町田である)

 

 勉強の合間の休憩時間になると、2人とも、まるでそれが儀式でもあるかのようにすっくと立ち、背筋を伸ばして歌う体勢を取った。
 「どんな歌がいい?」
 
 「何でも」
 と、私は上目づかいに教師の目を見上げながら答える。
 すると、これまた2人とも判で押したように、同じような歌をうたった。

 

 「♪ カァーリンカ、カォーリンカ、カリンカマヤロシア民謡 カリンカ)」
 とか、

youtu.be

 

 「♪ リンゴの花ほころび、川面にかすみたち ロシア民謡 カチューシャ)」
 とかいう歌。

youtu.be

 

 そういう歌をどこかで聞いたことはあったが、目の前でまじまじと歌われるのははじめての経験だった。
 
 「今みたいな歌をうたえる喫茶店があってね。そこでは、はじめて来た人もみんな仲間同士になるんだ。今度連れていってやろうか」
 と、2人は同じようなことを言った。
 2人とも、きっとそういう店の常連だったのだろう。

 

▼ 「歌声喫茶」 BSフジ『昭和は輝いていた』より

 

 「町田君はロシア民謡は歌わないのかな?」
 と、最初に家庭教師になった男が尋ねたことがあった。
 そう聞かれても、自分の生活環境のなかに、あまりロシア民謡というものがなかった。

 

 「はい、あまり聞いたことがありません」
 と答えると、その男は、「町田君はブルジョワの歌しか知らないんだろうな」と、人を見下すような顔で私の顔を覗き込み、今度は、
 「♪ ああインターナショナァール、我れらがもの~。立て飢えたる者よ、いまぞ日は近しぃ ~」
 などと声を張り上げた。

youtu.be

 当時は、何の歌か分からなかったが、それは60年安保闘争などを戦ってきた学生運動家がデモなどで歌う革命歌だった。(それから10年経って、自分も学園闘争のデモの隊列で歌うことになるとは夢にも思わなかった)。

 

 その2人の家庭教師とのつきあいを通じて、私の頭のなかに、「歌声喫茶というのは左翼学生のたまり場なんだ」というイメージが定着した。

 

 それはまったくの誤解であったかもしれないが、身近に知り合った2人の男が立て続けに同じような態度をとったので、私のそういう思い込みは確証に近い形で脳裏にプリントされた。

 

▼ 『シベリア物語』でロシア民謡を聞くソ連の軍人たち。―― 第二次大戦後、シベリアで抑留生活を送っていた日本人たちが、現地でこういう雰囲気を味わい、帰国後喫茶店に集まってロシア民謡を歌い始めたことが「歌声喫茶」の原点だという

 
 
 私の2人の家庭教師は、当時ほんとうに共産主義革命が起こると信じていたようだ。

 

 勉強の合間にそのうちの一人は声を潜めて、こう言った。
 「町田君、いまに全世界が共産主義国家になります。そのときのために、受験勉強だけでなく、共産主義の勉強もしておいた方がいいですよ」

 

 まるで、特殊工作員であることを打ち明けるかのように、彼は声を潜めて、そう言う。
 「はぁ そうなんですか」
 半信半疑のままで聞く。
 というより、中学生ながら「そんなことありえねぇだろう」という気持ちの方が強かった。

 

 当時(1960年代中頃)、ラジオをひねると、もうビートルズが流れていた。
 ビートルズが資本主義の側にいるグループだということは言われなくても分かる。
 家庭教師たちが歌う共産主義国家のロシア民謡より、資本主義のビートルズの方がはるかに刺激的で、元気が良さそうに思える。

 

 「どう考えたって、資本主義の方が強そうだ」

 

 そうは思うのだけれど、現役の東大生というのは頭が良いはずだという思い込みもあったので、彼らの言うことを頭から否定することもできない。
 
 けっきょく、彼らは一度も私を「歌声喫茶」に誘ってくれることもなく、自分の就職活動が忙しくなると、こちらの勉強のことなどあまり気にする様子もなく、さっさと去って行った。

 

 それから50年近く、「歌声喫茶」のことは忘れていた。

 

 だが、この前テレビを観ていたら、『昭和は輝いていた』という番組(BSジャパン)で、司会の武田鉄矢が「歌声喫茶」を取り上げていた。
 なんと、50年前と同じくらい今でも盛況なんだという。

 

 ライブ演奏の画面も紹介されていたが、それを見るかぎり、客層は70歳からそのちょい上ぐらい。いわゆる団塊の世代だ。

 

 白髪のおばさん・おじさんがみな朗々と、「♪ カァリンカ、カァリンカ、カリンカマヤ 」などと歌っている。

 

 テレビ番組のインタビューに答えたシニア層たちは、
 「とにかく知らない人同士でも仲間意識が持てるのが『歌声喫茶』の魅力だ」
 という。

 

 「連帯感」
 けっきょく、歌声喫茶に集まる人たちが求めるものは、それに尽きるようだ。

 

 同じ歌をうたって、“ウルッとしてしまう” 規模の人間社会。
 おそらく、人が「共同体」というものをイメージするときの原点はそこにあるのだろう。

 

 そもそも「民謡」というのは、共同体の歌である。
 そのなかでも、ロシア民謡というのは、合唱の効果を最大限に発揮し、共同体の “絆” をいちばん強く喚起させる民謡である。

 

 その番組を観ていた私は、50年前にそんな歌を教えてくれた2人の東大生家庭教師のことを思い出した。
 年齢を考えると、彼らももう(元気ならば)80歳を超える歳になっているはずだ。
 
 東大を出たあと、2人はどんな人生を歩んで行ったのだろう。
 共産主義革命を信じて、就職しながらも政治活動を続けていったのだろうか。
 それとも、あっさりと「革命」に見切りをつけて、官僚への道でも進んで行ったのか。

 

 2人のその後の足取りは分からないまでも、もしかしたら、今でもどこかの「歌声喫茶」に通い、昔と同じ歌をうたっているのかもしれない。

 

 

クールな空気感の静かなヤクザ映画

映画批評
北野武アウトレイジ』&『アウトレイジ ビヨンド

 

 
 前回のブログで、松本人志がつくった映画を語る際に、北野武監督の映画を引き合いに出した。

 今回は、その北野武の映画についてあらためて紹介する。
 2010年~2012年に公開された『アウトレイジ』&『アウトレイジ ビヨンド』だ。
初出は2015年10月6日。(ホビダスブログ 町田の独り言)     

 

 

 上記の2作を観るまで、私のもっぱらの関心事は、深作欣二が手掛けた『仁義なき戦い』シリーズ(1970年代)とどう違っているかということだった。
 
 70年代のヤクザ映画を代表する『仁義なき戦いは』シリーズは、邦画史上に残る傑作だといっていい。

 

 はたして、『アウトレイジ』は、それに匹敵する作品かどうか。
 目を凝らして注視していたが、これはこれで新しいヤクザ映画のスタイルを創出したように思う。

 

 『仁義なき戦い』との最大の違いは、一言でいえば、そうとう「クール」な空気感を持った映画だということだ。

 

  もちろん、ヤクザ同士の抗争をテーマにしているわけだから、そこには組員同士の死闘があり、熱い血が噴き出す肉弾戦があり、銃口が火を噴く銃撃戦もある。
 なのに『アウトレイジ』は、人間が死ぬ前から “死体” になってしまうような冷たさが全編に漂う。 

 

 『仁義なき戦い』の闘争シーンでは、被写体がブレることもかまわず、手持ちカメラを振り回し、粒子の荒いフィルムを使って、人が戦う熱さ を追求していた。

 

 しかし、『アウトレイジ』では、静的な描写に徹して、肉弾戦の熱さよりも、人があっけなく死ぬことの冷たさだけがクローズアップされる。

 

 

 だから、『アウトレイジ』のバイオレンスからは、人間のたぎる闘争心も、恨みの激しさも伝わってこない。ただ、「相手のシマを取る」という経済的な利害関係によって事務的に人を殺していくという、無機質性のみが強調される。

 

▼ 「仁義なき戦い


▼ 「仁義なき戦い


 人の殺し方にも、『仁義なき戦い』との違いは明瞭である。
 『仁義なき戦い』は、基本的に、猛り狂った集団と集団の戦いである。

 

 しかし、『アウトレイジ』は 不意打ち なのだ。
 殺されるヤクザたちは、何が起こったのかわからないうちに、あっけなく死んでいく。
 その分、不意の死に見舞われた人間には、恐怖も苦痛も免除される。
 そこには、いかにも現代的な、「無慈悲だが優しい、静かな死」がある。

 


 譬えていえば、1970年代を代表する『仁義なき戦い』が、製鉄や造船などの溶鉱炉の熱を感じさせる重工業社会を背景に生まれてきた映画だとすれば、『アウトレイジ』には、静寂に包まれた IT テクノロジーが主流を占める2010年代のひんやり感 が表現されている。

 

 

 さらにいえば、『アウトレイジ』のクールさは、現代の最先端コマーシャル映像で追求される お洒落感 にも近づいていくから、不思議なのだ。
  
 『アウトレイジ』の冒頭シーン。
 黒塗りのベンツが2台連なって、人気のない道路を進んでいく。

 

 

 カメラが、その1台のベンツに覆いかぶさる。

 

 

 黒光りしたルーフの、禍々しくも厳かな輝きが画面いっぱいに広がる。
 そこに、絶妙なロゴデザインの「OUTRAGE」というタイトルが落下する。

 

 「ああ、これは、今まで作られたどんなベンツのCMよりも美しい」
 とすら思った。

 

 そういう息を呑む ような新鮮な映像が、目を背けたくなるような残忍なシーンの合間に次々と現われてくる。

 

 また、そのような映像をサポートする音楽が絶妙。
 ムーンラインダースを率いていた鈴木慶一が、ミニマルミュージックのようなサウンドを担当していて、それが静かな緊張感を伝えてくる。
  
 こうしたトータルな雰囲気づくりを含めて、ここには新しいヤクザ映画が生まれている。
  

 

 ところで、『アウトレイジ』、そして『アウトレイジ ビヨンド』を観て、どの役者にいちばん惹かれたか。
 それは、この両方に出演している加瀬亮である。
 特に2作目の『アウトレイジ ビヨンド』での活躍ぶり(?) がいい。

 

  
 彼が演じるのは、頭の回転が速く、英語にも堪能なグローバル時代のインテリヤクザ
 しかし、性格的には凶暴で、上には媚び、下には容赦なく暴力を奮うのが日常茶飯事。

 

 

 そういう酷薄さが、細いきれいなアゴの線、感情の乏しい目つき、冷笑を浮かべる薄い唇に浮かぶ。

 そして、頭がいいから、他人を叱責するときの言葉にも鋭い毒がいっぱい詰まる。

 

 まさに、「人に好かれる」要素など一かけらも持たない幹部の役を、加瀬亮という俳優は、ほんとうに惚れ惚れするくらいの名演技で演じ切る。

 

 あの誠実で優しそうな青年役(写真下)が似合う加瀬亮のなかに、このような凶暴な役回りを演じ切る才能があったというのは、驚きとしかいいようがない。
  

  
 この加瀬亮の演じたインテリヤクザのような、観客の大半が「早く死んじゃえ、こいつ!」とイラ立つほどの嫌らしい男 を創造できたという意味でも、この映画は新しいのだ。
 こういう人物だけは、ぜったいに『仁義なき戦い』には出てこない。

 

 あと、もう一人印象に残る役柄をあげれば、1作目の『アウトレイジ』で死んでしまう椎名桔平である。

 彼は、どちらかというと、あまりヤクザ役が似合わない端正な2枚目。
 しかし、イケメンのヤクザが、下卑た笑いを浮かべるときの嫌らしさを、椎名桔平はほんとうに上手に演じる。

 

 

 もちろん、椎名桔平も、残忍な行動を平気で行える役で登場する。
 しかし、彼には、凄むときの凛としたカッコよさも与えられた。
 最後まで親分のビートたけしに忠誠を尽くし、そのために無残に殺される最期のシーンは、この映画では珍しい “潔さ” すら漂った。

 

 もう一人、印象に残る演技を披露している役者を追加すれば、ヤクザたちから賄賂をせびりながら、姑息に生き抜く刑事役を引き受けている小日向文世

 

 

 嫌なヤツ を演じさせたら、彼は当代一の芸達者ではなかろうか。
 人間の表情には、その性根がにじみ出るという言葉があるが、小日向の演じる刑事の顔は、まさに醜い人生を歩んでき男の顔そのものである。

 

 もちろん、それは役者としての演技にすぎない。
 この人も、それだけの演技力を備えているのだ。

 

 では、肝心の主役のたけしはどうか。


 私は、やっぱり俳優としてのたけしの演技が好きになれない。
 ヤクザとしての凄味がまったく出ないのである。

 

 

 「ふざけんなよ、このヤロー」
 「いい加減にしろ、バカヤロー」
 彼の啖呵(たんか)には、「このヤロー」と「バカヤロー」しか出てこない。
 (このあたり、『仁義なき戦い』の芸術品のような啖呵を見習ってほしい)

 

 たけしの啖呵は、小学生のケンカのように聞こえる。
 たぶん北野武という芸人は、ほんとうのケンカをしてこなかったのだろう。

 

 彼は、幼い頃から頭が良かっただろうから、ケンカをする前に、相手と自分の調整の方に頭脳が回ってしまうのだ。


 だから、彼の「このヤロー」は、親が仲裁に駆けつけて来た姿を横目で眺めながらの、小学生の「このヤロー」になってしまうのだ。

 

 たけしは、自分が主役にならずに、監督だけに徹していれば良かったのではないか。
 それだけが、私がまったく恣意的に感じたこの映画の欠点である。

 

 

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松本人志の闇のようなニヒリズム

 

 ネットニュースでは、松本人志の「性加害疑惑事件」への言及が止まらない。
 ジャーナリストも芸人たちも、この事件に対しては、こぞってコメントを発したがっている。

 

 たぶん、この件に言及すれば、自分の名前がSNS上で大いに拡散することに気づいたからだろう。

 そういった意味で、バラエティに加担する人々の「自己承認欲求」を満たすには恰好の事件だという気もする。

 

 この松本人志に対するコメントには、2種類がある。
 一つは、告発記事の掲載した『週刊文春』サイドの見方に沿って、批判的トーンで松本を語るもの。

 

 もう一つは、松本擁護だ。

 この松本擁護を匂わせるコメントを掲げる人たちは、その大半が松本の後輩芸人たちだ。

 彼らは、往々にしてこういう。
 「われわれはダウンタウンさんにお世話になってますから、(中略)肩を持つのはまあ普通というか、当然」(チュートリアル 福田充徳氏)

 

 ダウンタウンの同期で知られるトミーズ雅氏も、「(松本の)代わりはいない。あんな天才世の中にいないもん」と語る。

 

 このように、後輩芸人や同年代の芸人たちは、『週刊文春』で暴かれたような事件が本当にあったのかどうか疑問 というスタンスを堅持したまま松本賛歌に終始する。

 

 関西で絶大な人気を誇る上沼恵美子は、情報バラエティ番組で松本について語ったとき、
 「超一流の人間やのに、遊びは三流以下やったね」
 とコメントを残した。

 

 卒のない観察だとは思うが、「超一流の人間」という言葉には若干の違和感を感じる。

 

 このように、「松本人志は笑いの天才である」という共通認識の背景には何があるのか。

 

 

 実は、私個人は、松本人志にはほとんど関心がなかった。
 しかし、あまりにも「松本人志の天才性」を誇示する人たちが多いので、遅まきながら、松本が出演するバラエティ番組などを意識して何本か観ることにした。

 

 『水曜日のダウンタウン
 『酒のツマミになる話』
 『ガキの使いやあらへんで!』

 

 どこが面白いのだろう?

 

 こんなことを言ったら、松本人志のファンや擁護者からそうとう怒られそうだが、人々が評価する笑いの衝撃度も希薄だったし、“トークの冴え” も感じられなかった。

 

 人々がいう彼の カリスマ性 というのは、少なくとも私が観たいくつかの番組からは漂ってこなかった。

 まぁ、私の感性が「錆びついている」といえばそれまでだが
 
 ただ、こういう気持ちを抱いたことは、今回に限ったことではない。
 実はそうとう前に、松本人志が監督した映画というのを観たことがある。
 タイトルは、確か『R100』(2013年)。

 

 地上波で観たか、BSで観たか忘れたが、この映画はひどかった。
 あまりにも退屈で、途中から観るのをやめた。

 

 以降、松本人志の「才能」というものに思いめぐらせるとき、必ずこの映画のことが私の脳裏をよぎってしまう。


 結局彼は、お笑い芸人としてだけでなく、映画人としても北野武と肩を並べようとしたが、その足元に及ぶこともなく、ものの見事に地上に落下してしまった。(たけしは映画においてもお笑いにおいても、間違いなく天才である)

 それに比べ、松本人志は二流である。

 

 思うに、松本人志という人は、ほとんど本を読まない人なのだろう。
  というか、本当に勉強が嫌いなまま、芸人として60歳を迎えてしまった人なのだ。

 

 つまり、彼は「女性」というものに対しても、「映画」に対しても、感性がしぼんだまま時をやりすごした。


 私たちは、この彼の 無知さを、芸の奥行き と勘違いしたのだ。

 

 松本人志という芸人は、「天才」というより、闇のようなニヒリズムを抱えた人だと思う。

 
 

今の日本に何が起こっているのだろう?

 
 今年は、元旦から能登半島地震が起こり、翌2日には羽田空港の滑走路における航空機事故が起きた。
 なんとも波乱に満ちた幕開けとなった2024年。
 思い出せば、昨年(2023年)もとんでもないことがたくさん起こった年だった。

 

 世界的にみれば、一昨年から続いているロシアのウクライナ侵攻に加え、昨年にはイスラエルハマスの戦争(写真下)が勃発した。

 

 

 さらに、各国での気候異変による災害が恒常化しつつあり、地球規模で新しい脅威が生まれた。

 

 もちろん、日本国内においても、自民党の各派閥内における裏金疑惑が大問題となり、その結果、1月のFNN世論調査では、岸田内閣の支持率は27,5%という低レベルになっている(「支持しない」は66.4%)。

 

 これに加え、大阪・関西万博も莫大な費用がかかることが判明し、工事の納期も遅れがちになっていることもニュースネタになってきた。

 

 芸能系の話題としては、ジャニーズのジャーニー喜多川氏における性加害問題。さらにダウンタウン松本人志氏における性加害疑惑が明るみに出て、エンタメの世界も闇の怖さが目立ち始めた。

 

 what happened ?

  いったい、何が起こっているんだろう。

 

 たぶん、21世紀の初頭には見過ごされていた20世紀的なもの が世界的に崩壊しつつある時代を迎えたのだ。

 

 日本でいえば、「平成」という時代も組み込んだ 昭和的なものが一気に崩れ始めたといっていいのかもしれない。 
 
 つまり、「大量生産・大量消費」で経済を回してきた高度成長の幻影がものの見事に地上から消えたのだ。

 

 その象徴的な例が、前述した大阪万博
 「未来 がパビリオンという建築物の上に築かれる」
 という発想がもう昭和までの思考。

 

 

 「未来」が不安に満ちてきた今の時代に対し、「未来を夢見る」というスローガン自体がすでにうすら寒い。

 

 私などは、1982年に制作されたリドリー・スコットの『ブレードランナー』(写真下)に描かれたディストピア的な未来の方がアートとして輝いていると思うのだが、万博をデザインした人たちは、そういう芸術的感性を持ち合わせていないのだろう。

 

 

 この大阪万博は、基本的には、万博終了後のカジノの建設を目的としたものであることは明白である。

 

 それも時代を読み違えている。
 今日本を訪れている外国人観光客は、その大半は日本の自然や文化を求めてきている。
 その人たちがカジノに行って博打に興じるとはどうしても思えない。
  
 ジャーニー喜多川氏における性加害問題やダウンタウン松本人志氏における性加害疑惑なども、日本のエンタメ社会が昭和的な感性から抜けられなかったことを物語っている。

 

 松本氏の性加害がほんとうにあったのかどうかという問題は、どうでもいい。
 問題は、男の芸能人たちが、いまだに昭和的な合コン的 女遊びしかイメージできない状態に置かれていたということが問題だったのだ。

 

 つまりは、50代~60代の松本世代のお笑い芸人たちが、昭和的な貧困のなかに溺れていたということが明るみになっただけのことだ。 

 

 
 彼らは、バブル期の浮かれ感覚をそのままギャグとして紡いできたに過ぎない。

 

 政治においても、エンタメにおいても、現在その世界をリードしようとしている人たちのアイデアの枯渇には目を覆うばかりだ。