アートと文藝のCafe

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コロナウイルスによって人間の動物化が始まる

 

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 新型コロナウイルスの感染拡大が世界経済に与える影響が深刻化している。
 
 日本でも、政府や自治体が呼びかける「週末の外出自粛」という通達によって、居酒屋やバー、クラブといった接客をともなうサービス業が壊滅的打撃を受けている。

 

 多くの人が、「早くコロナ禍が終息してほしい」と願っていると思うが、このコロナ騒動は、脅威が消えたとしても、その後の世界を変えてしまう可能性がある。

 

 すでに、
 「コロナの蔓延が世界の資本主義を消滅させる」
 などとぶち上げる論文さえ出てきた。

 

 もちろん資本主義というのは、そんな脆弱なものではない。

 

 しかし、資本主義が機能するためには、利益が右肩上がりに確保されるという条件が不可欠である以上、各国の産業構造が地盤沈下している現状では世界の資本主義が危機的状況に直面していることは間違いない。

 

 そうはいっても、多くの資本家は楽観視しているだろう。
 「このコロナ禍が未来永劫続くなんてことはありえない。感染拡大が止まれば、やがて経済も元に戻る」
 と。

 

 その通りだと思う。
 しかし、そこで姿を現すのは、これまでと違った資本主義かもしれない。

 

 少なくとも、生産、物流、販売、消費などという経済活動は、「コロナ前」と「コロナ後」に分けられるくらい大きく変わっている可能性がある。

 

 すでに、街の「販売」と「消費」の間では、新しい試みがいくつも生まれている。
 「テイクアウト」と「デリバリーサービス」だ。

 

 コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、一時ピークを過ぎたと思われていたデリバリーピザの売上げがまた伸びているという。

 

 繁華街の飲食店も、店内で飲食する来店客の減少を憂慮して、テイクアウトやデリバリーサービスに力を入れる店も増えてきた。

 

 このように、すでに消費スタイルにおいては、店舗を介して店員と顧客が接触しないシステムが広まり始めているのだ。

 

 テイクアウトやデリバリーサービスの対象となる商品の幅も増えつつある。
 これまではパンやピザといった、持ち運びの簡単な食品が主流だったが、すでに中国では、運ぶことが面倒だと思われるラーメンのようなものさえ、デリバリーサービスの対象になってきたという。
 
 いっぽう、デリバリーサービスやテイクアウトに適さない飲食関連の経営者のなかには、売り上げがジリ貧におちいる前に、別の業種にくら替えすることを検討し始めた人たちも現れているらしい。

 

 様変わりし始めたのは、サービス業だけではない。
 ビジネスの世界ではテレワークが急速に普及し始めているし、学業の場においても、教室に生徒を集めるスタイルから、オンライン授業に切り替えるところが増えてきた。

 

 要は、人と人が密接に触れあう文化が後退し、人と人の間に距離を取る文化が生まれつつあるといっていい。

 

 この傾向は、コロナ禍が収束した後に元に戻るかどうか微妙なところがある。
 コロナ感染率が世界一高いアメリカでは、都市部においては人と人との距離を2mほど取ることが推奨され始めた。

 

 この距離を「ソーシャルディスタンス」というが、今では世界中の人々がこの感覚に慣れ始めているという。

 

 もちろん、このような人工的距離の空け方を、人々は最初不自然に感じたことだろう。


 しかし、それが当たり前になると、逆に、これぐらいの距離を取った方が人間関係が爽やかになったと感じる人も出てくるはずだ。

 

 そもそも動物には、「臨界距離」といって、捕食者から身を守るために他の動物とは一定程度の距離を保つ本能があり、それによって彼らは精神の安定と安心を手に入れている。

 

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 サルの仲間だった人類も、最初はそのような「臨界距離」を確保する動物だったのだ。
 コロナの感染拡大は、人類に何万年ぶりの「臨界距離」の安心感を思い出させたといっていい。

  

 人類がこういう感覚を身に付け始めると、「スキンシップ」といった言葉が含むニュアンスも変わる。
 それは、単なる個体と個体の愛情表現を超えて、
 「お互いにコロナから免れた者」
 という “選ばれた人間同士” という意味を込めた言葉になる。

 

 このように、世界中を大混乱に巻き込んだコロナ禍は、世界の政治・経済・文化を変えようとしているが、さらに宗教の領域すら変えてしまうかもしれない。
 
 個人的に危惧するのは、このコロナの世界的脅威を、なにがしかの宗教的メッセージとして、過剰な意味合いを込めて語り始める人々が出てくるのではないかということだ。

 

 アメリカの一部の宗教者あたりには、このコロナ禍を、
 「神が人類に与えた試練」
 などと喧伝する人たちが出てくる可能性がある。

 

 もちろん、社会現象・自然現象をどのような世界観・宗教観で論じようともそれは自由なことだし、それによって人々が励ましと希望を得られるのならまったく問題はない。

 

 しかし、アメリカ人の一部には、スピリチュアルなものに傾倒する傾向を強く持つ人がいる。


 今はまだ多くのアメリカ人は合理的な判断でコロナに立ち向かっている。

 

 だが、今後ウイルスの蔓延に歯止めがかからなくなってくると、ヨーロッパ中世の人々のように、「魔女や悪魔のしわざだ」などと言いふらす人々が出てくるかもしれない。

 

 もちろん本物の宗教者のなかには、そういう見解を持つ人はいないはずだが、どんなところにも狂信者はいる。
 
 それはちょっと嫌だと思う。
 そういう狂信的な思考が、差別や偏見の温床にならないとは限らないからだ。

 

 コロナウイルスの感染が今後も拡大していけば、近代を生きる人々の心に、再び中世的思考がよみがえる可能性がないとはいえない。 

 

独りでいることへの耐性が必要な時代

  

無意味な論争

 

 コロナウイルスの感染率が激増している状態を反映して、無益な対立が広まっている。
 “世代間対立” といわれるもの。

 

 「国家的緊急時だというのに、お花見や卒業旅行などに出かける若者が多いのはけしからん」
 というシニア世代に対し、
 「若者ばかり批判されるが、俺たちから見ると、老人の方が外を出歩いている」
 という若者の反論が増えているという。

 

 無意味な論争である。

 

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 「外出自粛」という政府や地方自治体からの要請を無視して外に出歩いている人たちは、若者においてもシニアにおいても、一定程度の割合で存在する。
 それを、それぞれの世代が攻撃し合うというのは、無益であり、不毛である。

 

 この不毛な対立を煽っているのは、マスコミである。
 テレビしかり、ネットニュースしかり。

 

 テレビなどの街頭インタビューでは、外出自粛の呼びかけにもかかわらず、繁華街を無防備に歩いている若者をつかまえて、年寄りを怒らせるような発言ばかりしゃべらせる。

 

 「コロナが流行っているといっても、いまお花見しないと桜が散っちゃうから」
 「自分たちの周りには一人も感染者がいないので、世間が騒ぐほど深刻な病気じゃないのでは?」
 「計画していた卒業旅行をキャンセルすると違約金を取られるから、思い切って出かけました」
 「今日は自粛しろといわれている日ですけど、友だちが地方から上京してきたので、会ってあげないと可哀想だし

 

 ワイドショーでは、家でテレビを観ている年寄りがカリカリするような若者の発言を次から次へと採り上げるが、実は、その大半はテレビ局の印象操作だと私は思っている。

 

 おそらく、事態を深刻に受け止め、慎重な発言をしていた若者もいたはずである。
 しかし、それでは面白くないので、そういう慎重論は編集段階でカットされてしまう。

 
 当然、老人たちの批判は、コロナに無頓着な発言をする若者たちに向かう。
 それに対し、若者も反撃しなければならなくなる。

 
 「私たち若者を非難する老人は多いけれど、お年寄りだって、スーパーに殺到して物を奪い合っているし、居酒屋では年寄りたちが大声で笑い合っている」

 

 実際に、最近は私もそういう光景をよく見かける。
 街に出ると、若者だけでなく、あまりにも無防備な年寄りが多いことも事実だ。

 

 この前、駅前のスーパーに買い物に出たら、着飾ったバアサン3人組が、
 「こうコロナコロナといわれると、気持がクサクサしちゃうわよね」
 「そうよ。気晴らしも必要よ」
 と、唾を飛ばして騒ぎながら、いそいそと駅に向かって行くのを見た。

 

 このように、社会の動向に無頓着な老人が多いのも事実だ。

 

 しかしまた、そういう状況だけを切り取り、若者の不満が爆発していると誇張するのも、マスコミの印象操作にすぎない。

 

 視聴者は、「どちらの世代が悪いのか?」などと詮索する前に、コロナの危機を乗り越えるためには、世代を超えた連携が必要だと思うべきである。

 

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コミュ力信仰” の間違った浸透

 

 それにしても、若者も老人も、なぜ人に会わないと不安になったり、退屈したりするのだろうか。
 
 私は、多くの日本人が、「孤独と向き合う耐性」を失ってきたのだろうと思う。
 独りでいることに耐えられない脆弱な精神がはびこってきたのだ。

 

 ここ30年ぐらいか。
 特に平成になってから、日本人の間に、急激に「孤独状態」を悪いことだと決めつける風習が広まってきた。


 
 「引きこもり」は病気であり、「友だちができない」ことは精神障害だと見なすような風潮が当たり前になった。

 

 独身のまま年老いていく男女は「変人扱い」を受けるし、家族に看取られることなくアパートで死んだ老人は、「孤独死」という悲惨な言葉を与えられる。 

 

 そういう “孤独を悪” と決めつける風潮の高まりと波長を合わせるように、“コミュニケーション能力” というあいまいな能力が過大評価されるようになってきた。

 

 人と円滑な関係を結ぶ能力は、確かに必要である。
 しかし、多くの人は、“コミュ力” という言葉を、「人づきあいの多さ」と勘違いしている。

 

 多くの人がイメージする “コミュ力” とは、インスタのようなSNSでいかに「いいね!」をいかにたくさん集められるかというような、自我の量的拡大のことしか意味していない。

 だからこそ、人に会ってもらえないことが不安材料になる。
 自我がしぼんで消え入りそうに思えるからだ。

 

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 本当のコミュニケーション能力というのは、相手の立場に立ってモノを考えられる能力のことをいう。
 つまり、時には「いま相手に会うことはよくない」と判断する力のことでもある。

 

 しかし、コミュ力のことを「人との付き合いの量」だと思い込んでいる人たちには、そういう配慮ができない。

 

 こういう間違った “コミュ力信仰” が定着している間は、
 「コロナの感染を防ぐためには、外で人と会うな」
 と、いくら政府や自治体が言っても無駄である。

 

 
孤独への耐性はどうすれば得られるのか?

 
 「孤独への耐性」を養うためには、いうまでもなく、「孤独状態」を楽しめるような感性が必要となる。

 

 そういう感性はどこから来るのか?

 

 「文化の力」がもたらすものである。
 具体的には、好きな本を見つけて読書するとか、ネットで好きな音楽を探し出すとか、テレビなどの映画配信サービスで好きな映画を発見するとか。

 

 もちろん、このブログ記事のひとつ前に書いた「ソロキャンプ」を楽しむなどということも大いに推奨できる。
 要は、基本的に、「独りでいることが苦痛にならない」ものに熱中することである。

 

 それは、すぐに身につくものではない。
 実もフタもない言い方をすれば、幼少期の環境に左右されてしまう面も確かにある。

 

 ただ、自分自身が文化的な環境で育った親は、子供に文化的な環境を用意してあげることも容易だ。
 
 いつも母親の膝の上で絵本を読んでもらっていた子供は、その後、自分の力で面白い本を選び出す力を身につける。
 その蓄積が、「孤独に対する耐性」をつちかう。

 

 平成から令和にかけて、日本の家庭で失われていったのは、このような「孤独」を飼いならす技術であり、それがなくなったことによって増えたのが、「孤独」を恐れる心と、孤独に見える人をあざ笑う軽薄さである。

 
  

バーチャルリアリティーの時代こそキャンプだ

 

コロナは世界のグローバル化によって広まった

 

 新型コロナウイルスが世界的に蔓延している状況をみると、これほどまでに “世界のグローバル化” が進んでいたのか、という証拠を改めて突き付けられたような気分にな

る。

  

 コロナウイルスは人と人の接触によって感染する。
 各国の感染経過をみてみると、海外に渡航したときに罹患する率が非常に高いことが分かる。

 

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 もし世界の国々が閉ざされていたならば、これほど早く地球規模で蔓延することはなかったろう。


 航空機もなく、海洋交通も帆船に頼っていたような時代だったら、世界中の人々がコロナウイルスに感染するのに5年か10年、あるいは20年ぐらいかかっていたはずだ。

 

 ところが、世界のグローバル化が進んできた現代社会では、疫病が地球規模で広がるには2~3ヶ月あれば十分だということが分かった。


仕事も遊びもますますバーチャル化を深める
 

 コロナウイルスへの感染がこれほどまでに早まってきたことへの警戒心から、「人と人」の接触を避けようという意識が人々の間に生まれてきている。

 

 ビジネスの現場では、在宅勤務を原則とするテレワークが浸透するようになり、エンターティメントの世界でも、YOU TUBEを活用して、自宅で音楽動画やアニメを楽しむ風潮が強まっている。

 

 この傾向は、今後の「遊び」のスタイルをガラッと変えていくだろう。
 「VR
 すなわち人間の視覚システムをIT 機器と連動させることによって、実際に旅行に行ったり、冒険を始めたりするような映像を目の前に繰り広げる「バーチャル・リアリティー」の技術がより進化していくことは間違いない。

 

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 このような楽しみを盛り込んだ “VRコンテンツ” は、すでに何年も前から実用化が進んでいたが、それが、コロナウイルスの世界的な感染を機に、より注目を集めることは火を見るより明らかだ。

 

インドア的文化がますます花開く

 

 他人と接触することなく、自宅で “疑似リアル” な世界を旅できるVRコンテンツが世代を超えて定着していけば、ユーザーたちは自分が恐竜時代にタイムトリップしたり(ジュラシックパーク)、海底を遊泳しているうちにサメと遭遇したり(ジョーズ)、宇宙船を操縦して敵の宇宙船とバトルを展開したり(スター・ウォーズ)できることになる。

 

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 そういう遊び方が一般的になると、家の外に出る楽しみというのは、おいしい料理を食べさせてくれるレストランや食堂に行くことぐらいしか考えられなくなる、という声もある。
 
 しかし、人間の嗜好がすべてインドア的な快楽に収斂していくかといえば、実は、そうとばかりはいいきれない。


いっぽうではキャンプが注目される

 

 文化がVRテクノロジーに侵食されるようになると、逆に、より一層「自然」に接するような遊びが復活してくる可能性も出てきた。
 たとえば、キャンプである。

 

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 昨今のテレビを観ていると、やたら「キャンプ番組」が増えている。
 特に人気なのは、芸人のヒロシがYOU TUBEで動画を流す “ソロキャンプ” コンテンツ。


 ヒロシは、視聴者に向かって、はっきり言う。
 「キャンプというのは、不便を楽しむ遊びなんです」

 

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 つまり、キャンプ場に行くと、自分が身体を動かさなければ何も始まらない。
 テントを立てないと寝る場所もつくれないし、火を熾さないと料理も作れない。

 

 しかし、そうやって、自分の身体を使ってその場を生き抜くコツを身に付けることが、今や新しい “ステータス” になってきた。
 ヒロシのソロキャンプが人気を保つ理由はそこにある。

 

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焚き火に対する関心度が
かつてないほど高まっている

 

 そのとき、アウトドア的楽しみ方の軸となるのが、焚き火である。

 

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 現在「冬キャンプ」や「春キャンプ」がブームになっているのは、ひとつは、焚き火を楽しむ風潮が浸透してきたからだという人もいる。

 

 人類は、火を確保し、それをコントロールすることによって、はじめて野生動物の恐怖などから逃れることができた。

 
 そのとき、人類は「温かさ」や「明るさ」という物理的な豊かさを手に入れただけではなく、同時に「安全」、「安心」、「幸福」などという抽象的な概念も手に入れた。

 

 つまり、人間は、焚き火という習慣を身に付けることで、はじめて抽象的な “思考” を獲得したのだ。
 それが、「哲学の始まり」となった。

 

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 なぜ、焚き火が「哲学」を用意するようになったのか。
 それは、哲学が「沈黙」から生まれる学問だからだ。
 
 人間は、ある種のひらめきによって、新しい思考を獲得することがある。
 たとえば、人との会話がヒントになって、今まで考えたこともないようなイメージを思い浮かべることがある。

 

 だが、イメージの段階では、ただの “アイデア” でしかない。
 そのアイデアが、堅固な論理を持つ哲学に至るには、どんな人間にも沈黙の時が必要になる。

 

 

 実際に、焚き火愛好家のなかには、「焚き火を囲んでいるときの “沈黙” が心地よい」という人が多い。

 

 人間は、満ち足りたときには、「沈黙」の中に身を潜めることで安らぎを得られるようになっている。
 ソロキャンプというのは、そのことを端的に教えてくれる遊び方だともいえる。

 

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 今は面白い時代である。
 身体を動かさなくても、“世界の果て” まで旅に出られるVRの便利さが浸透してきたことによって、その対極にある不便なキャンプも面白く感じられるようになってきたのだ。

 

 人間の身体には、原始時代を生き延びてきた血と、未来を切り開く想像力の両方が詰まっている。

 

 コロナウイルスのために、他人とあまり接しないソロキャンプ(あるいは自分の家族だけのキャンプ)が脚光を浴びてきたというのは、きっと何か意味があることに違いない。

 

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桐野夏生の『抱く女』を読む

 

70年代全共闘運動の終焉
  

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 『抱く女』は、日本の現代女流作家を代表する桐野夏生(68歳)が2015年に発表した、自伝的色彩を持つ青春小説である。
 
 それをこのブログで取り上げるのは、先だって書いた記事( 『全共闘運動はまだ総括されていない』 )を補完する意味がありそうに思えたからだ。

 というのは、この小説が、全共闘運動の終焉に立ち会った活動家たちの一部の姿をうまくとらえているからである。

 

 小説の主人公は、1972年に、東京の吉祥寺で大学生活を送る女子学生。
 目次には、
 「1972年 9月」、
 「1972年10月」、
 「1972年11月」、
 「1972年12月」
 という四つの章が並ぶ。

 

 たった4ヶ月の時間を切り取っただけの小説なのに、そこにはこの時代が抱えていた “空気” のようなものが凝縮している。

 

 1972年というのは、まさに、1960年代末から盛り上がった全共闘運動が急速にしぼんでいく時代を象徴したような年であった。学生反乱の闘争課題だった「日米安保条約」も調印され、反戦闘争のメインテーマだった「ベトナム戦争」も収束する気配が見えた時期だった。

 

 この年を境に、戦争や政治闘争の影を引きずっていた「発展途上国の日本」が消え、かわりに “明るい希望に満ちた” 「先進国日本」が浮上する。

 

 新しく日本の首相となった田中角栄は「日本列島改造論」をぶち上げ、それに呼応するかのように、国を上げての建設ラッシュが始まる。


 地価が高騰し、道路網が整備され、自動車産業アメリカを脅かすほどの成長を示し始め、日本はアジア一の大国への道をひた走るようになる。

 

 そのような日本の繁栄ぶりを呪うように、追い詰められた新左翼活動家たちは最後の抵抗を試みた。
 連合赤軍あさま山荘銃撃事件を起こし、日本赤軍はテルアビブ乱射事件を起こした。


 しかし、世間はそれらをもう新左翼過激派の末期的痙攣(けいれん)症状としてしか見なかった。

 

 特に、連合赤軍あさま山荘事件は、わずかに残っていた知識人たちの “左翼幻想” を完全に谷底に突き落とした。

 

 仲間同士が殺し合うという彼らの凄惨なリンチ事件を知ることによって、「全共闘」に携わっていた学生たちは、みな自分の関わってきた運動の意義を検証する作業を放棄してしまったのだ。

 

 (余談だが、現在「左翼」という言葉が死語になり、替わりに「リベラル」という言葉が用いられるようになったのは、この事件によって、「左翼」という言葉に忌まわしい響きがこもるようになったからではないかと思う)。
  
 話を戻す。
 1972年に闘争が終焉を迎えた時期、過激派にも属すことなく、学園闘争の拠点も失ってしまった全共闘の若者たちは、いったいどのように生きたのだろうか。

 

 学生運動をリードするぐらいの頭の良かった連中は、さっさと気持を切り替え、自分たちが批判していた大企業への就職活動に励み、後に企業戦士として、発展する日本経済の繁栄の影に身を隠した。

 

 しかし、すべての学生活動家が優秀な企業戦士に変身できたわけではなかった。
   
 大学を「権力の補助機関」として否定した全共闘に対し、運動に参加しなかった学生たちは冷たかった。


 政治闘争に肩入れしなかった者にとっては、“全共闘” は学業の破壊者でしかなかったから、クラスに戻ってきた彼らを歓迎する空気は生まれにくかった。

 いっぽう、活動家たちも、自分たちが否定した学園生活に戻るのはプライドが許さなかっただろう。

 

 そのため、多くの “全共闘の残党” は、学園から遠ざかり、雀荘に入り浸り、居酒屋に身を潜め、自分たちが政治闘争に関わったことなどをおくびにも出さず、街の底に身を沈めた。
 卒業もしないままアルバイト生活に明け暮れた者も多かった。

 
 桐野夏生の『抱く女』は、そういう状況に身を置いた70年安保闘争の敗残者たちの生活を「女の視点」であぶり出した小説である。

 

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 ヒロイン三浦直子は、70年安保を直接戦った学生ではない。
 年齢的にも、この時代の全共闘世代より2~3歳若いという設定になっている。
 しかし、彼女の交友関係や周辺の空気からは、まぎれもなく、1972年当時の学生運動家たちの生活が浮かび上がってくる。

 

 ただ、ここで作者がはっきり書きたかったことは、同じ活動家といっても、男の活動家と女の活動家では意識にそうとうのへだたりがあったということだ。 

 

 ヒロインが見た新左翼の男たちの多くは、既成の権力への抵抗を口にしながらも、同じ組織の女たちには驚くほど旧態依然とした男尊女卑の態度を貫いた。

 

 彼らはみな横柄で、女性を “物” として扱い、「愛」をくれないばかりか、女からの「愛」も求めなかった。
 そのような男たちと、いくら関係を結んでも、ヒロインの鬱鬱たる気分は晴れることがなかった。

 

 組織を離れて街を歩けば、今度は後ろ姿を執拗に追い回す街の男たちの下卑た視線が絡みつく。
 彼らは野卑な言葉で女を誘い、それを無視した女に「なんだこのブス!」とあからさまに侮蔑の言葉を投げつけてくる。

 

 そのような屈辱的な形であっても、この時代、男に声を掛けられてセックスを求められることが、女のアイデンティティであるかのように錯覚する女は多かった。

 

 しかし、ヒロインだけは、そのような男と女の不均衡な関係を許す社会に息苦しさを感じ始める。

 

 それだけではない。
 男の横暴さや身勝手さを断罪するウーマンリブの女性闘士にも、ヒロインは、男たちと同じ匂いを感じるようになる。
  
 女が化粧することを、「男に媚びている」と断罪するウーマンリブの闘士たちは、男と寝た女を「公衆便所」と揶揄する下品な男たちの思考と表裏をなしている、とヒロインは思い始める。

 

 男も女も、どこか狂っている。
 ヒロインはそう感じながらも、なすすべもなく、男たちに混じって麻雀を打ち、酒を喰らい、タバコをふかし、JAZZを聞き、男と同衾する。

 

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 ここには、後の桐野作品に多く登場するようになる “戦う女” はまだ生まれていない。 
 しかし、戦う女が生まれてくる背景は、たっぷりと描かれている。

 

 そういった意味で、この小説は、この後の桐野作品でひとつのスタイルを確立する “戦う女” の揺籃(ようらん)期を描いた作品なのだ。

 

 だから、ヒロイン直子は、この時点ではまだ人格を確立していない。
 男社会の価値観に不公平さを感じる女でありながら、自分が戦うべき “敵” の正体をつかめていない。

 

 しかし、やがてヒロインは次のように思うはずである。
 「女」のことを、男を喜ばせる無邪気な愛玩物か、あるいは男の労働力の補完物のように扱う社会はどのようにして生まれてきたのか。
 それを許容している社会的構造とは何なのか?

 

 その根源を見つけ出して戦おうとするヒロインが、少しずつ爪を研ぎ始める。
 ただ、それはこの作品が終わった後の話である。
   
  
 舞台となる場所は、中央線が通る東京の吉祥寺。
 この作品に登場する店は、ほぼ1972年当時に実在したものばかりだ。
 もちろん、店の名前は変えられているものもある。
 しかし、実名どおりに出てくる店もある。

 

 ヒロインたちが入り浸る雀荘の『スカラ』は、当時「スカラ座」という映画館の2階にあった(作品で描かれたまんまの)ウナギの寝床のような店で、これは実名で登場する。


 今のパルコ通りにあったR&Bスナックの『ロコ』も実在していた店だ。
 フォーク喫茶の『ぐゎらん堂』も同様。

 

 雀荘『スカラ』の向かい側にあるジャズ喫茶『COOL』は、あの有名な『FUNKY』のことである。
 公園通りにある『甚平』は、当時『甚助』といった餃子と沖縄ソバの人気店だった。

 

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▲ 「FUNKY」のマッチ

 

 吉祥寺の周辺で生まれ、桐野夏生と同じように1972年を吉祥寺の繁華街で過ごした私には、この小説に出てくるだいたいの店を特定できる。
 それほど、桐野夏生の生活圏と私の生活圏は重なっていたといってよい。

 

 重なっていたのは、生活圏だけではない。
 交友関係も重なっていた。

 

 あの時代には、全共闘運動の敗残者や勤労社会からはじき出されて鬱屈した精神を刹那的な遊びでまぎらわす若者たちのコミュニティーのようなものが吉祥寺の裏街で成立していた。

 

 だから、私には、ヒロインが入り浸っている雀荘『スカラ』で卓を囲んでいる男たちのほぼ半数の顔を脳裏に浮かべることができる。

 

 もちろん、名前は変えられている。
 風貌も、来歴も、実際の人物たちとは異なる。
 フィクションだから当然のことなのだが、しかし、登場人物たちの基本的なキャラクターをみるかぎり、誰をモデルとしたものなのかは、私はすぐに推測できた。

 

 なかには、「これ、ひょっとして俺のこと?」と思えるような人物も登場した。

 「黒いシャツに黒いジーパン。痩せ型で目が鋭い。ブルースが好きで、麻雀が好きで、自分が好き。いつも手が濡れているから、彼の握る牌はぬるぬるして気持ちが悪い」
 と書かれた男は、ほぼ私である。

 

 確かに、私は緊張すると手に汗をかくことが多く、麻雀をしていると、ときどき牌が私の汗で濡れた。

 

 さらにいえば、この時代の私はそうとううぬぼれの強いエゴイストであったから、ヒロインが「自分好きの男」と見抜いたとおりのキャラクターでもあった。

 

 さすが小説家。
 人間をよく見ている。

 

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▲ 作者近影
 

 表面的には、意味もない空騒ぎに時間を浪費する若者たちの姿が描かれた小説ではあるが、彼らの生活の背後には、無慈悲な死がいくつも転がっている。

 

 テルアビブ空港で銃を乱射した日本人テロリストの行為を「革命的」として評価し、その “英雄的(?)” な壮挙に後れを取った自分を恥じて自殺してしまう青年が出てくる。

 

 ヒロインの兄も、セクトの幹部に祭り上げられたが、過激派同士の内ゲバによって惨殺される。
 「革命に命を捧げる」という男の身勝手なヒロイズムは、女の目で闘争を見ているヒロインの心を寒々とさせる。

 

 このあたりの事実関係は作者のフィクションだと思うが、“革命戦争” などとは無縁のところで、若くして死んでいった何人かの登場人物を、私も知っている。
 1972年という年は、今の時代とは違った意味で、若者の間に無慈悲な「死」がごろりと転がっていた時代だったのだ。

  

 
 読んでいて、心のなかでずっと比較していた作品があった。
 ヒロインの年齢より10歳ぐらい上の世代の学生群像を描いた『されどわれらが日々ー』(柴田翔 1964年)である。

 

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 こちらの作品も、“60年安保闘争” に敗れた学生たちをの生活を描いた小説で、作品全体を通して、政治闘争に敗れた若者たちのやるせない敗北感が色濃くにじんでいた。
 しかし、そこから立ち昇ってくるセンチメンタリズムは、文芸的な香りをともなった爽やかなものだった。

 

 桐野作品の『抱く女』には、それがない。
 男社会の身勝手さを女の立場から暴くというテーマがある以上、センチメンタリズムに頼る作風を作者が避けたのは当然であったろう。
 
 しかし、センチメンタリズムを拒否した分、『抱く女』に出てくる人物造形は殺風景でもある。

 

 さらにいえば、無気力に生きる若者たちの姿を追うのだったら、もっとズブズブの退廃が描かれていてもよかったような気がする。
 もし、彼らの姿に濃厚なデカダンスと虚無的なアンニュイが盛り込まれていたら、それはそれで世情の評価の高い作品になっていたと思う。
  
 最後に、タイトルについて、一言。
 『抱く女』というのは、ヒロインがこれまでの「抱かれる女」から脱却し、自ら恋人を選び、「抱く女」へと生まれ変わっていくことを表す言葉。
 これまでの桐野作品に接してきた読者なら、それがヒロインの新しい “戦い” の始まりであると察するはずだ。

 

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コロナウイルスに対する正しい意見は?

マスコミがコロナウイルス報道を混乱させている

  

 新型コロナウイルスのために、世界的な大混乱が起きている。

 「中国の武漢で新しいウイルスが猛威を奮っている」
 という報道が最初に出されてすでに3ヶ月経つというのに、ウイルス感染地域は世界中に拡大し、死者数も増加の一途をたどっている。

 

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 もちろんこの世界的感染はいつかは終息するだろうが、連日のマスコミの報道ぶりを見ていると、年内どころか、ここ数年はコロナウイルスの猛威が衰えないのではないか? という不安すら芽生えてくる。

 

 こういう状況を伝えようとするメディアの対応も様々だ。

 

 ニュース、ワイドショーのたぐいは朝から深夜までコロナウイルスの専門家を総動員してコメントを流し続けているが、問題は、コメンテーターによって話す内容も異なれば、見通しも異なること。

 

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 概して、医療関係の専門家たちは、国民に厳しい対応を求める論調に傾く。
 彼らは、
 「自粛ムードが高まると経済的損失が大きくなることも覚悟せねばならないが、まずは “人命維持” が最優先だ」
 と主張する。
 そのため、国民は旅行やイベントの参加、外食などを控え、しばらく自宅待機するようにと訴える。

 

 しかし、反対に、政治・経済の専門家は、国民が生活行動を縮小することによる経済損失の方が大問題だと主張する。
 「コロナで死ぬ人もいるかもしれないが、企業倒産で死ぬ人も出てくる。どちらにも犠牲者が出るとすれば、コロナよりも、経済破綻によって死ぬ人が増えることの方が深刻だ」

 

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 こういうとき、いちばん困るのは、二つの意見を聞かされた視聴者だ。
 どちらの意見に耳を傾けるかによって、人の行動は正反対に向かう。

 

 この3月下旬、日本列島はちょうど桜の満開期を迎え、さらに天候にも恵まれた。
 お花見や居酒屋にくり出す若者たちも多かったそうだ。

 

 そういう現場を取材したテレビ報道のスタッフに向かって、若者たちは悪びれることもなく、こう語る。
 
 「マスコミは大変だと騒いでいるけれど、自分たちの周りには感染者もいないし、案外たいしたことはないのかな と。
 人間には気晴らしも必要だし、それを禁じられると神経がおかしくなっちゃいますよね」

 「政府があんまり自粛を要請すると、経済が低迷しちゃうじゃないですか。だから自粛ムードもほどほどにした方がいいんじゃないですかね」

 

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 こういう声が若者たちから出てくるというのは、彼らの認識が甘いからではない。マスコミのなかには、そういう意見を主張する者も多いからだ。

 

 中国をはじめ、ヨーロッパやアメリカでは、政府が強硬な姿勢を打ち出して、感染拡大を実力で阻止しようとしている。
 それに対し、日本の政府や自治体は、「自粛を要請する」という呼びかけで、国民の自主判断に任せている。

 

 どちらが正しいのか、なんともいえない。
 国民性の違いもあるだろうし、医療システムの違いもあるかもしれない。
 
 私自身は、政府や医療関係者が「外に出るな」と勧告するかぎり、外出をひかえて、“内向きの遊び” を発見するチャンスにするべきだろうと思っている。

 

 ネットで今まで聞いたこともなかったアーチストの音楽に触れたり、動画を探したりするチャンスかもしれない。
 日頃読んだこともないジャンルの本に親しむチャンスかもしれない。

 

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 21世紀の人間は、日本人・外国人問わず、あまりにも「人間の内面」を見つめるような文化を軽視しすぎてきた。

 

 平成から令和にかけて、アニメ、コミック、ポップスなどの分野で、目を見張るような新しい創造物はたくさん生まれてきたけれど、そこからさらに人間の心の奥底にまで踏み込んでいくような、デーモニッシュな迫力を持つものは少ない。

 

 私は、昭和の中頃に生まれた世代として、第二次世界大戦を経験した小説家や芸術家の作品に多少は触れてきた。
 そこから、「人間の内面」というものがこんなに深いものかと学んだ。

 

 戦争体験を持った世代は、いずれも自分の家族の死、敬愛する隣人の死など、たくさんの「死」を見つめてきた。
 それが、自然に、彼らに人間の生死を考える「哲学」を授けた。

 

 コロナウイルスによる室内待機の要請を、そういうものに触れるチャンスだと感じてくれる人が増えるといいなぁ と思っている。 
 

 

全共闘運動はまだ総括されていない


いまだに沈黙を守る元・全共闘の活動家たち

 

 50年ほど前、全国の大学で勃発し、その後政治闘争として街頭に広がった “全共闘運動” とは何であったのか。

 

 それは、いまだに総括されていない。
  
 強圧的な国家権力に対する学生たちの「反抗」であったのか。
 資本主義の矛盾を暴き立てようとした「革命」であったのか。
 それとも、「革命」の名を借りた、若者たちの憂さ晴らしであったのか。

 

 マスコミによる断片的な論評はあまた残されているが、当時運動に参加した学生たちからは、聞くに値するような証言はほとんど提出されていない。

 

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 あの世代の物書きのなかには、学生として全共闘運動を体験した作家がいないわけではない。

 

 当時学生組織の先端に立って、運動を指揮した糸井重里や、学園内でデモ行進などをさんざん眺めていたはずの村上春樹は、みな時代の空気をたっぷり吸う場所に立っていた。

 

 さらにいえば、テリー伊藤坂本龍一中沢新一松岡正剛猪瀬直樹立松和平などといった知識人も、みな全共闘運動の洗礼を浴びていた。

 

 だから、彼らはあの時代を観察した人間として、「全共闘運動とは何だったのか?」ということを、肯定するにせよ否定するにせよ、それぞれの立場から証言してもいいはずである。
 しかし、彼らのまとまったレポートを読む機会はまだない。

 

 物書きという肩書を持つ人ですら沈黙を守ろうとしているのだから、ましてや一般の運動経験者が、「全共闘運動」のリアルな実態を語ることはほとんど期待できない。

 

 彼らの後の世代に属する小熊英二社会学者=1962年生・58歳)は、2009年に『1968』というタイトルで、全共闘の全貌に迫る前後2巻に及ぶ長編レポートを執筆した。
 このとき、彼は、元・全共闘運動家を探し出し、全部で5千通のアンケートを発送したという。

 

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 しかし、返ってきたのはその1割でしかなかった。
 そのことから小熊は、
 「元・活動家たちが、いまだに言葉がみつからない状態のままでいる」
 と確信したそうだ。

 

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連合赤軍事件の悪夢
 
 では、元・活動家たちに沈黙を強いているものは、いったい何なのか?

 

 たぶん、そこには、全共闘運動をより過激に突き進めたある政治党派の事件が関与しているはずである。
 
 「連合赤軍

 その名でマスコミをにぎわした若者たちの組織が、きわめて凄惨な事件を起こしたことが、それ以外の多くの全共闘世代から「言葉」を奪ってしまった、と私は思っている。
 なぜなら、この私自身がそうだからだ。

 

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 連合赤軍事件とは何か。

 この事件の起こった1971年~72年というのは、学園から飛び出した運動家が、「ベトナム戦争反対」、「安保反対」をスローガンに戦った街頭活動の退潮期だった。

 

 この時期、学生活動家の多くは、就職などを考えて運動から離脱していったが、残った少数の活動家は、逆により過激な路線を選び、暴力闘争に突き進んだ。

 

 「連合赤軍」というのは、その過激派の筆頭に位置した組織だった。
 彼らは、武装闘争によって “革命” を成就するという方針のもとに、銃器を手に入れ、「あさま山荘」(群馬県)という山小屋に立てこもり、機動隊と銃撃戦を展開した。

 

 銃撃戦自体は、10日ほどで終焉した。
 しかし、山小屋に立てこもった学生たちが逮捕されたあと、さらにショッキングな事件が明るみに出た。


 警察に隠れて武装訓練を行っていた学生たちの間で、仲間同士の凄惨なリンチ事件が繰り返されていたことが発覚したのである。

 

 それは、「革命的人間になり切れていない」という理由を掲げた幹部から部下に対する陰湿な “いじめ” であった。

 

 処罰の根拠はめちゃくちゃなものだった。
 ある女性活動家は、化粧品を隠し持っていたという理由で「反革命だ」というレッテルを貼られ、別の女性は、「目が可愛すぎるから男性の闘士を誘惑しかねない」という理由で詰め寄られ、リンチを受けた。

 
 このように、誰もが常軌を逸した言いがかりを受けて粛清され、結果、男女合わせて12名の若者が命を失った。

 

 この理不尽な殺戮が行われている最中、どのメンバーも自分の良心を押し殺し、幹部の命令通りに、黙々と仲間のリンチに加わった。
 全員がマインドコントロールを受けていたのか、それとも組織の同調圧力に屈したのか、幹部の命令に異を唱える者は一人もいなかった。

 

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全共闘」に関わったという負の遺産

 

 この事件が明るみに出て以来、“全共闘運動” に関わった者たちは、運動の結果が目を覆いたくなるようなリンチ殺人に収斂していったことを、“自分自身の負の遺産” として抱え込まざるをえなくなった。

 

 もちろん、私もその一人だった。
 私は、早いうちに、全共闘運動の脱落組になっていたが、いろいろな情報網を通じて、「連合赤軍」なる組織がどういうものか知っていたので、この事件は他人事ではなかった。

 

 だから、私もまたこの事件以降、誰かとの会話で、「全共闘に関わっていた」ことを漏らす気にならなくなった。
  
  
 数年ほど前、この事件の経過を検証するテレビ番組が放映された。
 そこで、組織内で仲間が殺されるのを黙認していた元幹部や、殺された被害者たちの兄弟・係累が登場した。
 みな私とほほ同じ年齢(現在70歳ぐらいから70代後半くらい)であった。

 

 このドキュメント番組では、いろいろなゲストが招かれてこの事件に言及していたが、強く印象に残ったのは、田原総一朗の一言だった。

 

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 「けっきょく、あの事件が起こったために、それまで学生運動に携わっていた若者の多くが運動の検証を放棄してしまった」 
 つまり、みな “思考停止” 状態におちいった、と彼は言ったのだ。
 
 それを聞いて、「ああ、これは俺のことだな !」と思った。
 私もまた事件を起こした人間たちと同列に見られるのが嫌で、過去から逃げていたからだ。

 

 たぶんこの気持ちは、あの時代に学生運動に関わった人間には共通したものではないだろうか。

 

 もし、あの事件が起こらなかったなら、闘争から離脱していった若者たちのなかには、その後 “挫折と敗北” というセンチメンタルな神話を手に入れて、甘美な回想に酔えた人もいたかもしれない。

 

 しかし、あの事件は、すべての学生運動体験者から甘い夢を奪い去った。
 事件の衝撃から逃れるためには、田原総一朗が言ったように、「思考停止」状態になることがいちばん楽だったのである。

 

 
「豊かさ」への疑問と嫌悪

 

 ここでもう一回原点に戻ろう。
 つまり、1960年代末期に全共闘運動に身を投じた当時の若者たちの気持ちが何であったのか、それを再検討したい。

 

 ドキュメンタリー映画三島由紀夫と東大全共闘』で表現されたとおり、彼らの気持ちは、60年代の日本が高度成長の波に乗って、豊かな社会を実現しようとしたことへの疑問、不安、焦燥からきたものである。

 

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 このとき、日本は歴史上まれなほどの空前絶後の繁栄を実現し始めていた。
 長い間、日本人が憧れていた “豊かさ” がようやく目に見える形で生活に根をおろし始めたのだ。

 

 ただ、この急激に訪れた「繁栄」に、すべての人が手放しに喜んだわけではない。
 前例を見ない豊かな社会に、むしろ戸惑う人たちも現れた。

 

 それは主に知識階級だった。
 彼らは、世の中の物理的な繁栄が人間の知的好奇心や向上心の芽をつみ、世の中を “金儲け” 主義一辺倒に染め上げていくことに嫌悪を感じ始めた。

 

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 全共闘運動の先駆けとなった「東大全共闘」のメンタリティーはまさにそこにあった。


 だからこそ、彼らは東大アカデミズムが、見せかけの繁栄に疑問を提出しなかったことに意義を突き立てたのだ。

 

 その段階で、当時「右翼」と目された三島由紀夫も、彼らと同じ精神を共有していた。
 三島もまた、戦後の経済的繁栄を人間を堕落させる元凶ととらえた。

 

 ただ、三島由紀夫と違い、全共闘の学生たちの多くは、自分の本音を主張するための “言葉” を持ち得なかった。

 

 
反戦」「反権力」「革命」はどこから来たのか?

 

 全国の全共闘が掲げた「反戦」、「反権力」、「反米」、「反安保」、「革命政権樹立」などというスロガーンは、実は、彼らの本音ではない。

 

 それは、全共闘の学生たちを組織に取り込もうとした当時の新左翼系の政治セクト革共同革マル・中核、共産同=ブント・赤軍社青同=反帝学評)等が用意したプロパガンダであり、「全共闘」のヘルメットを無邪気に被った若者たちの曖昧模糊たる精神性とはそうとうなズレがあった。

 

 しかし、自分たちの言葉を持てなかった多くの全共闘学生たちは、簡単にこの政治セクトが用意した言葉を、あたかも自分自身の言葉のように脳裏に刷り込んで、他の学生を煽り、教室を封鎖し、街頭に出て機動隊に石を投げた。

 

 現在、多くの元・全共闘活動家が沈黙を守っているもう一つの理由は、学生時代に自分が発していた言葉が、実は政治セクトが用意したものに過ぎず、自分自身の本音とは異なっていたことへの気まずさや恥の気持ちからくるものだと思う。

 

 全共闘運動の闘士たちが、卒業後にあっさりと大手企業に就職し、企業戦士に生まれ変わったことを非難する声は多いが、もともと彼らの本音は、「反権力」でも「革命」でもなかったのだから、彼らはきわめて自然な身の処し方をしたのだろう。

 

 言葉をかえていえば、当時全共闘運動に身を投じた学生というのは、いざその気になれば、大手企業に就職できる境遇にいた “特権階級” だったということでもあるのだ。

 

 
学生運動に携わったのは
たった一握りの若者だった

 

 全共闘の学生たちは、世代的には「団塊の世代」(1947~49年生まれ)といわれるグループに属する。
 しかし、実は団塊世代の大半は、全共闘運動とは無縁な生活を送っている。
  
 「全共闘」に参加するためには、まず学生でなければならなかったわけだが、1960年代当時、団塊世代で大学まで進学できた人は、たったの15%だった。
 つまり、あの時代で大学に進むということは、裕福なエリート階級に育った一部の子弟でしかなかったのだ。

 

 さらに、その15%の学生のなかで、実際に政治闘争に参加したのは、その1割程度。
 そう考えると、「全共闘」といわれる人たちは、団塊世代のうちのわずか1~2%でしかない。

 

 残りの98%の人間は、全共闘の若者に対し、
 「親のすねをかじりながら都会の大学で遊び、“革命” などと称して、ファッション感覚で学園や街を破壊した」
  と苦々しい思いを持ったはずである。

 
 にもかかわらず、なぜ、「団塊世代はみな全共闘運動に関わった」というような幻想が生まれたのか?

 

 それは、そういう報道を流すメディアの人間が、ほとんど大卒だったからだ。
 大卒の人間は、基本的に、自分のいた学園生活を通してしか世の中を見ていなかった。
 だから、学生運動が普遍性を持っていたと思い込んでしまった。
 
 しかし、その思い込みは間違っている。
 繰り返すが、団塊世代の8割以上は、学園生活を経験していない。

 

 1950年代から60年代は、地方の農家に暮らす中卒の若者たちが、「集団就職列車」という特別仕立ての列車に乗せられて東京、大阪などの大都市に集められた時代だった。
 集団就職列車が運行を開始したのは1954年で、修了したのが1975年だった。

 

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団塊世代ビートルズ
など歌わない

 

 今日「団塊の世代」といわれる人たちの多くは、実はこのときに大都会にやってきた人たちによって占められている。

 

 彼らが口ずさんだ歌は、守屋浩の『僕は泣いちっち』(1959年)や、井沢八郎の『ああ上野駅』(1959年)といった望郷歌謡であり、少し洒落たところでは、石原裕次郎の『銀座の恋の物語』(1961年)や『夜霧よ今夜もありがとう』(1967年)だった。
 そして、その後の彼らの好みは、洋楽っぽいメロディーを日本語で歌うグループサウンズの方に移行した。

 

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 「団塊の世代」というと、すぐに「全共闘世代」とか「ビートルズエイジ」などという言葉に置き換えられるが、実は、団塊世代はけっして “全共闘世代” でもなければ、“ビートルズエイジ” でもない。
 彼らの青春の歌には、ほとんどビートルズなど出る幕はなかったのだ。

 
 私の友人に、中卒で旋盤工として働いていた男がいた。
 マージャン仲間の1人だったが、彼は、私たちが学生運動ビートルズにうつつを抜かすような生活を嫌悪する一方で、われわれの生活に憧れ、嫉妬しながら、働き過ぎと遊び過ぎで、短い生涯を終えた。

 

 その男は、全共闘くずれの私たちに、こう言い放ったことがある。
 「あんたたちが偉い思想家だと思い込んでいるヨシモト・リュウメイ(吉本隆明)だっけ?
 そいつがあんたたちに飯でも奢ってくれたことが、一度だってあるのか?」

 

 彼は、吉本隆明を思想的な教祖と崇め奉る全共闘学生の、生活感の乏しい観念性をあざ笑ったのだ。
 
 私は、こういう男たちをたくさん知っている。

 

 彼らは、私たちのような学生と遊ぶ時間を「土曜の夜」だけに限定し、それ以外の日はストイックに勤労に励んだ。
 そして、「土曜の夜」以外に遊ぶ時間を持とうとはしなかった。

 

 そのような勤労青年の別の仲間に、徹夜マージャン明けの日曜の朝、こう言われたことがある。
 「あなたたちは、これから家に帰って昼寝するんだろうけれど、俺には明日の仕事の準備がある。しょせんあなた方と俺は住む世界は違うから」

 

 日本の高度成長時の繁栄は、実はこういう人たちの手によって実現されたのだ。
 彼らは、「豊かさこそが不安になる」などという全共闘の心を、ただのインテリの甘えとしてしか受け取らなかったろう。 
 全共闘の言葉には、「生活」がなかったからだ。

 

 一方、全共闘に参加した学生たちの方も、“豊かさへの不安” を自分の言葉にする力がなかった。  
 それは、政治や経済の言葉を超えた “哲学の言葉” であったからだ。 

  

  

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三島由紀夫『英霊の聲』を読み解く

三島由紀夫 ふたつの謎  その2

  
 1年ほど前のブログで、大澤真幸(おおさわ・まさち)氏の書いた『三島由紀夫 ふたつの謎』(2018年11月初版)という本に触れた。

 

 

 上記のブログで、私は『花ざかりの森』や『中世』といった三島の16歳から20歳ぐらいにかけて書いた初期短編が好きだという話を書いた。

 

 しかし、彼が成人してから書いた有名な作品に対しては、実は、私はほとんど感動した記憶がない。

 
 三島の作家的名声を確立した『仮面の告白』にしても、日本の文学史の 金字塔といわれる『金閣寺』に関しても、「永遠の青春小説」と賞賛される『潮騒』についても、「素晴らしかった !」と称える気持ちがほとんど起こらない。

 
 
 職業作家となってからの三島の小説は、おしなべて観念性が強く、いってしまえば “理屈っぽい” 。
 
 普通、小説というものは、“理屈” では割り切れない曖昧な空気感がつきまとうもので、それが結果的にリアルな感触を伝えることになるのだが、三島の代表的な小説といわれるものは、みな写真を輪郭線で切り抜き、そのまま紙に貼って並べたような奥行きのなさを感じてしまうのだ。

 

 こう思うのは、私だけでないようだ。
 「文学としての構築性が堅固であることは認めるものの、登場人物たちに、生きている人間の息づかいが感じられない」
 そういう感想を漏らす読者を何人も知っている。
   
 
魔物の降臨
 
 ただ、禍々しいものが降臨するという作品においては、この限りではない。

 

 三島はときどき、人知を超えた「凶ごと(まがごと)」が天から降ってくるような不思議な作品を残すことがある。

 

 そのなかには、「ホラー」として書かれたものではないにもかかわらず、ホラー以上の怖さを秘めたものがある。
 こういう作品に触れた後は、夜中にトイレに立つのも怖くなる。
 2~3日悪夢にうなされる。

 

▼ 『英霊の聲』

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 その代表例のひとつに、『英霊の聲(えいれいのこえ)』がある。
 
 これは、三島の割腹自殺事件の4年前、1966年(昭和41年)に発表された小説で、戦前の2・26事件に決起して銃殺刑に処せられた青年将校たちと、特攻隊となって空に散った航空兵たちが霊となって主人公のもとに降臨し、自分たちの怨念を表明するという内容のものである。

 

▼ 2・26事件に関与し陸軍皇道派兵士

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 悲劇の英霊たちが降臨するのだから、「ホラー」などと言うと礼を失するかもしれないが、大方の読者は、やはりこれを恐怖小説として読むだろう。
 
 
闇の彼方から
“凶ごと(まがいごと)” が近づく
  
 三島の「凶ごと」に対する感受性は、そうとう若い頃から養われてきたようだ。
 彼が15歳の中等科の学生だった頃、こんな詩を残している。

 

▼ 10代の三島

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  わたくしは夕な夕な
  窓に立ち椿事(ちんじ)を待つた
  凶変の獰悪な砂塵が
  夜の虹のやうに、町並の
  むかうからおしよせてくるのを
  (中略)
 
  空には悲惨きはまる
  黒奴たちあらはれてきて 
  夜もすがら争ひ合ひ
  星の血を滴らしつゝ
  夜の犇(ひしめ)きで閨(ねや)にひゞいた。

  わたしは凶ごとを待つてゐる
  吉報は凶報だつた
  けふも轢死人(できしにん)の額は黒く
  わが血はどす赤く凍結した …………
 
 
 実に不吉な色合いに染められた詩篇である。
 15歳の少年が見つめる世界にしては、あまりにも暗い。
 しかし、闇の中をつんざくように、何ものかが迫りくる怖さは見事に捉えられている。
  
 三島由紀夫という作家は、このように日常性の膜を突き破って、この世ならぬものが降りて来るとき、それをリアルに感受する能力に恵まれた人だったのかもしれない。

 

 実際、あまり知られていないかもしれないが、三島はホラー小説の名手でもあった。
 『雛の宿』、『切符』、『孔雀』といった怪談味の濃い小説はもとより、エッセイ風の “私小説” といわれる『荒野より』などという作品においても、日常性の裂け目からただならぬ空気が漏れてくるのを感じることができる。
 
 
『英霊の聲』のリアルさは
どこから来るのか?
 
 そのようなホラー的迫力がもっとも突出しているのが、前述した『英霊の聲』である。
 
 厳密にいうと、これはホラーというよりも政治的メッセージを盛り込んだ思想小説の部類に入るが、奇怪な出来事をダイナミックに描写していく三島の筆力は驚嘆に値する。 

 

 書き出しは、こうだ。

 

 「浅春のある一夕、私( ← 三島と思われる架空の人物)は木村先生の帰神(かむがかり)の会に列席して、終生忘れることのできない感銘を受けた。
 その夜に起こったことには、筆にするのが憚られる点が多いが、能うかぎり忠実にその記録を伝えることが、私のつとめであると思う。……

 

 その会場で、「木村先生」が石笛を吹き鳴らすと、やがて霊媒を務める盲目の青年の顔に変化があらわれ、突然、手拍子を打ったり、歌をうたいはじめる。

 

 「木村先生」は、そこで「いかなる神にましますか?」と問う。
 すると、霊媒の口を通じて、
 「われらは裏切られた者たちの霊だ」
 という答が返ってくる。

 
  
▼ 2・26事件に関わった兵士たち

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 それは、昭和11年に起きた2・26事件で、鎮圧されて処刑された陸軍皇道派青年将校たちの霊だったのだ。
 
 自分たちは天皇への忠義をしっかり果たすために、それを妨げる奸賊たちを撃ち滅ぼしたつもりであったが、逆に天皇の怒りを買い、死を賜ることになった。そのことが悔しくてならない。

 

 それでも、陛下が「神」でいてくれたのならば、まだ私たちも納得がいこう。
 でも、陛下は、戦後ただの「人間」になってしまった。
 私たちの死は、犬死になった。
 
▼ 「神」として白馬にまたがる戦前の昭和天皇

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 そして、英霊たちは、霊媒師の口を借りて、こう叫ぶのだ。
 「などて すめろぎは、ひととなりたまひし !」
 (なぜか、天皇は、人間になってしまった)
  
 2・26事件の将校たちの声が弱まっていくと、今度は神風特別攻撃隊の英霊たちが降臨する。
 
 彼らもまた、自分たちは米軍空母に体当たりして、命と引き換えに陛下をお守りしようとした。

 
 それは陛下が「神」であったからこそ、できたことだ。
 なのに 「などて(なぜか) すめろぎ(天皇)は、ひと(人間)となりたまひし !」
 
▼ 日本軍航空機

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 今度のリフレインは家中を揺るがすほどの大合唱となり、居合わせた人々はその怨嗟の迫力に声を出すこともできず、じっとうずくまるほかはなかった。

 

 英霊たちが次第に退いていくと、霊媒を務めた青年はそのまま床に倒れ込み、息を引き取った。
 その死顔は、もはやどこの誰とも判らぬ、何者かのあいまいな顔に変貌していた。

 

 要約すると、これだけの話なのだが、全編を通じて読者を圧倒するデーモニッシュな霊たちの描写には、息をのむような怖さがある。
 
▼ 「人間宣言」後の天皇

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死んだ青年将校たちが三島に憑依した?
  
 実際に、これを書いたときの三島は異様だったといわれている。

 
 ネット情報(Wikipedia)には、三島の母の倭文重(しずえ)が、三島から『英霊の聲』の原稿を渡されたときの回想が紹介されている。
 
 「(息子の三島由紀夫から)『昨夜一気に書き上げた』と渡された原稿を一読して、私は全身の血が凍る思いがした。
 どういう気持から書いたのかと聞くと、ゾッとする答が返って来た。

 

 『手が自然に動き出してペンが勝手に紙の上をすべるのだ。止めようにも止まらない。真夜中に部屋の隅々からぶつぶつ言う低い声が聞える。大勢の声らしい。耳をすますと、2・26事件で死んだ兵隊たちの言葉だということが分った』

 

 三島の母(平岡倭文重(ひらおか・しずえ)は、
 「怨霊という言葉は知ってはいたが、現実に、息子に何かが憑いているような気がして、寒気を覚えた」
 と書く。 
   『暴流のごとく――三島由紀夫七回忌に』
  

 
 同じような話は、三島の親友であり、文芸評論家の奥野健男も書き記している。
 
 「『英霊の聲』を読んだとき、三島が2・26事件の首謀者の一人である磯部浅一の霊に憑依されていたのではないかと感じた。

 その昔、三島宅に夫婦ともども訪れ、澁澤龍彦夫妻などと一緒にコックリさんをやっていたとき、不意に三島が『2・26事件の磯部の霊が邪魔している』と大真面目につぶやいたことがあったからだ」
  

 
 こういうオカルト話はまだまだ出てくる。
 三島と親交の深かった美輪明宏も似たような体験をしている。
  
 美輪は、三島邸を訪れたとき、三島の後ろにカーキ色の軍服を着て、帽子をかぶった兵士が立っているのを見た。
 
▼ 若い頃の美輪(丸山)明宏

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 三島にそのことを告げると、三島が、「どんな特徴をした男か?」と風貌などを尋ねた。
 そこで美輪は、見たとおりのことを言った。
 すると三島は、「それなら磯部浅一という将校だ」と答えて青ざめた。
 それと同時に、軍服姿の男はさぁっと消えたという。
  

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戦後日本の惰弱な文化への嫌悪
 
 以上のような話が、どこまで信頼できるものなのか、私にはわからない。
 ただ、『英霊の聲』を書いたころの三島は、何者かにせき立てられるように、自分のやるべきテーマに邁進し始めたことだけは確かだ。

 

 “やるべきテーマ” とは何か?


 それは、「日本が滅びる前に、国民にはっきり警告しなければならない」
 ということだった。
  
 『英霊の聲』を読んでいくと、降臨した英霊たちが、次のようなことを叫ぶ個所がある。


 (戦後の平和な時代になってからは)、
 戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、
 夫婦朋友も 信ずるを能(あた)はず、
 いつはりの人間主義たつきの糧となし、
 偽善の団欒(だんらん)は世をおほひ

  (中略)
 年老ひたる者は 卑しき自己肯定と保全をば、
 道徳の名のもとに天下に広げ、

  (中略)
 人々はただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば、
 人の値打は金よりも卑しくなりゆき、……
  

 
 このように、『英霊の聲』に登場する英霊たちは、戦後の民主主義によって成立した社会が、実は人間としてのモラルを失った、低俗な金儲け主義の社会でしかなかったことを嘆くのだ。
 
 それが、三島の心のなかから生まれてきたものなのか、それとも、ほんとうに降臨した英霊たちの声だったのか。
 そこはなんともいえない。
 
 ただ、何かが憑依したことは間違いない。
 それは「霊」というよりも、三島自身の無意識が脳の古層を破って浮上し、三島自身に憑依したのかもしれない。
  
 
戦後生まれの人間には、「天皇」が
「神」であるというイメージが浮かばない
  
 彼が『英霊の聲』を世に問うた1966年。日本は高度成長期の真っただ中にいた。
 
 三島は、その経済的な繁栄によって日本から失われていくものを思い、強い焦燥感を抱いた。
 
 太平洋戦争で、あれほどの犠牲者を出したにもかかわらず、多くの日本人はそのことすら忘れ、日本文化の伝統に対する畏敬の念も失い、飽食と華美な風俗に酔いしれるだけの軽佻浮薄な生活を享受するようになった、と三島は思った。
 
 確かに、あの時代、三島のように、「軽佻浮薄な高度成長期の文化」を批判する知識人はほかにもいた。
 
 ただ、三島由紀夫はそれを戦争中に戦死した「兵士(英霊)たちの声」という形で表現した。

 文学なのだから、そういう構成をとっても不思議ではないが、私自身はこのような三島の論の進め方に、多少疑問を持つ。

 

 太平洋戦争で死んだのは兵士たちだけではないからだ。
 広島、長崎に投下された原爆による被害者はもとより、空襲で亡くなった民間人も多い。
 戦争の犠牲者となった民間人はどうなのか?
 
 三島は、そのことについて、多くを語らない。
 私は、そこに三島理論の限界を見る。
 
 天皇が「神」であった時代を知る三島にとっては、天皇が「人間」になったことに対する失望があるかもしれないが、私のように戦後に生まれた人間は「神」であった天皇そのものを知らない。

 つまり、「神としての天皇」には感情移入できないのだ。

 多くの戦後の人間は、みなそうであると思う。 
  
   
ヒューマニズム人間主義)」という虚妄、
「生命尊重」という偽善
  
 ともあれ、『英霊の聲』を書き終えた頃の三島は、戦後思想のすべてに耐えられなくなってきたようである。

 

 彼は、戦後民主主義の世で、金科玉条のように称えられる「ヒューマニズム」というものが、人への礼節を失った “うわべだけの人間主義” であることを見抜き、「命の価値を大切にする」などというスロガーンが、結果的に「生きるための緊張感を失った惰性的生活」を強いるものでしかないことを見破っていた。

 

 『英霊の聲』を書いたあと、三島はこういう。
 「現代日本の飽満、沈滞、無気力には苛立たしいものを感じていたが、この小説を書いたことによって、生き生きとした自分を取り戻せたような気になった」
 
 つまり、この『英霊の聲』を書いて以降、彼は、
 「まやかしに満ちた戦後日本を呪詛することを自分の使命とした」
 わけだ。

 

 それを理論化するように、1968年には、昭和元禄の退廃的な文化風潮をいましめる『文化防衛論』が執筆される。
 ここで三島は、クーラー、カー、カラーテレビ(3C)という耐久消費財を揃えることだけが幸せにつながるという薄っぺらな高度成長を批判し、戦後の安手な生命尊重主義や、欺瞞的な平和主義を攻撃する。
 
 
天皇は「みやび」の文化である
 
 そういう批判軸の中心に三島が据えたのが、「文化概念としての天皇」というビジョンであり、彼はそれを「みやびの文化」と表現した。

 

 ただし、その「みやび」とは、優雅な日本文化の象徴という側面を持ちつつも、いざ国と民族が危機に直面したときは、テロリズムという形態さえとるものとされた。

 

 そして、同年(1968年)、その “みやびな日本文化” を守るための三島の私兵ともいえる「盾の会」が結成される。

 2年後(1970年)、ついにあの事件が起こる。 
  
▼ 盾の会

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70年大阪万博でガラリ
と変わった日本の空気
 
 1970年というのは、不思議な年であった。


 この年を境に、全国規模で広がっていた学園闘争は退潮期を迎え、かわりに、若者たちの過激な活動は、成田空港反対運動や赤軍派による「よど号ハイジャック事件」というように、学外に拡散していく。

 

 同時にまた、“政治闘争の終焉” を予感させるものが世の中の空気をつくり始めていた。

 

 1970年というのは、「大阪万博」の年でもあったのだ。
 大阪・吹田市千里丘陵には、岡本太郎が設計した太陽の塔が建ち、アメリカのパビリオンでは、アポロ11号が月から持ち帰った「月の石」が飾られ、三波春夫の歌う “万博音頭” がテレビ・ラジオを通じて日本中に流れた。

 

▼ 70年大阪万博

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 そういう情景を、「新しい時代が到来した」と好意的に回顧する人々は多い。

 

 生物学者福岡伸一氏などは、10歳ぐらいのときに接した70年大阪万博に感動し、
 「学生運動ばかり続いた暗い時代を、あのイベントが吹き払ってくれた」
 と、そのときの気持ちを週刊文春の連載エッセイに綴っている。
  
 事実、1970年を境に、時代の空気は変わった。
 自動車や家電といった日本の産業がこの頃から世界進出を果たし、豊かな生活を背景に、人々の顔も明るくなった。

 

 ただ、三島由紀夫だけは、そこに「日本文化の衰退」を感じていた。
 実際、その先には、やがて80年代の狂乱バブルが待ち受けており、バブルの清算のために、その後日本は “失われた20年” を経験しなければならなくなる。
 
 三島がそこまで見通していたかどうかは別としても、彼は、70年大阪万博
「欺瞞的な平和と、底の浅いヒューマニズム、むき出しの欲望賛歌にまみれた “愚者の祭典”」
 と感じていた。

 

 彼はもう “決起” するほかはなかったのだ。
  
自衛官に呼びかける三島由紀夫

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三島の自決という「謎」は、どう解く?
 
 しかし、最後の疑問が残る。
 三島由紀夫は、決起したあとに、なぜ割腹自殺を遂げなければならなかったのか。

 

 自死することで、自分の政治的メッセージを、より印象深く、より鮮明に国民に訴えたかったという意図があったかもしれない。
 とりあえず、そう解釈することも可能だが、それだけでは釈然としない。

 

 答は、やはり『英霊の聲』にあるのではないか?

 

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 三島は、天皇人間宣言を行ったことによって魂の行き場所を失った英霊たちを、自死によって鎮魂させようとしたとは考えられないか。

 

 実際、『英霊の聲』という小説は、三島の割腹事件と関連付けられることによって、はじめて意味を持つ。

 

 彼の死後にあの小説を読んだ読者は、昭和の惰弱な文化を呪う英霊の一人に、三島本人を加えるかもしれない。


 あるいは、英霊たちの声を伝えたあとに息を引き取った霊媒師の青年に三島の影を投影することも可能だ。

 

 作品の最後に、霊媒師の若者の死顔は、「もはやどこの誰とも判らぬ、何者かのあいまいな顔に変貌していた」と書かれているのだが、その顔が三島の顔であっても不思議ではない。

 

 通説では、「霊媒師の顔は昭和天皇の顔になっていた」とされている。


 それを最初に見抜いたのは瀬戸内晴美(寂聴)で、彼女はそのことを指摘した手紙を三島に送ったところ、「ご炯眼に見破られたようです」という三島からの返事があったといわれており、大方の説は、英霊たちの怒りが天皇に届いたいう解釈に収まっている。

 

 しかし、「何者かのあいまいな顔」で死んでいった霊媒師が、実は三島の顔であったとすればどうか?

 

 三島は、
 「お前たちの行き場のない魂は、俺の死によって鎮魂させてもらう」
 というメッセージを彼らに返したのかもしれない。

 

 いかん、いかん !
 こういう解釈をすること自体が、またしても、「謎をもっと深めてやろう」という三島の企みにハマってしまうことになる。

 

 三島由紀夫という作家は、いつまで経っても謎そのものであり続ける。 

 

三島由紀夫 vs 東大全共闘

 

 この20日金曜日に、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』というドキュメンタリー映画が公開された。

 

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 まだ映画は見ていないが、この討論会の存在を19歳の頃に知っていた私にとって、その場で何が語られたのか、それはいまだに興味の尽きないテーマの一つであった。

  

 この討論会が行われたのは、1969年。
 全国で起こっていた大学紛争のシンボルともいえる東大安田講堂の “陥落” によって、現象としての東大全共闘運動が終わった年である。

 

 この騒動によって、東大キャンパスは機動隊に制圧され、バリケードのたぐいはみな解除されたが、運動としての全共闘運動はあいかわらず激しいうねりを見せていた。

 その東大生たちに対し、三島由紀夫は討論の相手として会場の教室に乗り込み、1,000人の全共闘学生を相手に、1人で論陣を張った。

 

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 詳しい経緯は、このドキュメンタリーを見ていないので分からないが、YOU TUBEにアップされているいくつかの情報をたぐり寄せみると、日本において、政治思想がガチにぶつかり合った最後の “討論らしい討論の場” ではなかったかという気がする。

 

 もちろん政治討論のようなものは田原総一朗がMCを務める『朝まで生テレビ』の例を持ち出すまでもなく、昭和から平成に引き継がれ、令和まで続いている。

 

 しかし、現在行われている論争番組は、すべて “政治討論” の名を借りた経済政策論争のようなものでしかない。


 そこでぶつかり合う議論は、「どうしたら日本の繁栄を維持できるか」というテーマを外れることはない。

 

 三島由紀夫と東大全共闘は、この1969年(昭和44年)の段階において、そのような “経済的繁栄” を維持しようというすれば死んでしまうものを語り合ったのだ。

 

 つまり、三島も東大全共闘も、経済的な繁栄によって、多くの日本人が “金儲け一辺倒” の貧しい精神構造に陥っていくことに警鐘を鳴らしたといっていい。
 
 三島は、文武の魂を忘れた戦後の日本人の経済至上主義を、「精神の堕落」として捉え、東大全共闘は、それを「権力構造を補完するイデオロギー」として捉えた。

 

 お互いの認識をそれぞれのシンボルに置き換えれば、三島が掲げたのが「天皇」であり、東大全共闘が目指したのが「革命」であった。

 

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 両者の主張は、その時点では「右派」と「左派」の対立として捉えられたが、今その違いを考えると、それはともに現状の政治・社会・文化に対する強烈な批判からきたものであり、根は同じところにあったことが分かる。

 

 特に、三島の戦後社会批判は、もう批判のレベルを通り越した「呪詛」であった。
  
 これ以降、日本の政治討論で、右派と左派の論争はなくなる。
 
 それまで、日本の右翼は「天皇の護持」を自分たちの思想の中核に掲げていたが、三島の持ち出した「天皇」は、現実の天皇などとはまったく関係のない思想的ニヒリズムを代弁する “幽界” の概念であった。
 そのため、既成右翼は、もう三島の思想的深度についていけなくなってしまったのだ。

 

 もちろん、三島がイメージしている “天皇制” を、東大全共闘のすべてが理解できたわけではない。

 

 YOU TUBEの画像を見ていると、
 「天皇というのは、労働者階級の抑圧を正当化するブルジョワジーのシンボルだ」
 などという頓珍漢な迷妄を言い張る学生も登場する。

 

 そういう発言が出てくるところに、当時の全共闘学生の思想的限界を見ることもできる。

 

 三島がイメージした「天皇」は、彼の小説『英霊の聲(こえ)』に描かれているとおり、太平洋戦争で亡くなった英霊たちに、「死ぬことの意味」を納得させるような超越的存在であった。
 言葉をかえていえば、それは “死の宗教体系” をつかさどる神である。
 三島は、その司祭になろうとしたといえる。

 

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 『英霊の聲』は、戦後の天皇の「人間天皇」宣言によって、多くの英霊が裏切られたというメッセージを綴った小説である。それによって、英霊たちは還る場所を失い、いまだ霊としてさまよっていることを訴えるものであり、つまりはホラー小説としての怖さがある。

 

 三島は、天皇の「人間宣言」を戦後日本が堕落した要因の一つとして掲げた。

 

 しかし、このような戦前の「天皇制」を蘇らせようとするような思想が、戦後の日本人から拒否されることを誰よりも知っていたのは、三島自身ではなかったろうか。

 

 彼にとって、「天皇」とは、有形無形のあらゆるものを呑み込むブラックホールそのものであり、最後には、その信奉者である三島自身をも呑み込むものであったはずだ。

 

 三島が、市ヶ谷の自衛隊駐屯所で幻のクーデターを挙行し、謎に満ちた自決を遂げてブラックホールに吸い込まれていったのは、この討論会の一年後である。

 

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campingcarboy.hatenablog.com

冬キャンプ&ソロキャンプ

 

 キャンプ用品が売れているという。
 コロナウイルスの蔓延によって、人々の消費スタイルが変わったことを前回のブログで書いたが、キャンプ用品が売れているのも、コロナの影響らしい。

 

 つまり、ウイルスの感染率が高い都会の繁華街を避け、比較的他人との接触が少ないキャンプ場で遊ぼうという機運が高まってきたといえる。

 

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 子供たちは休校になっているのに、家や学校の許可がないと外に出られない。
 お父さんは在宅勤務が増え、昼間から家にいる。

 

 「では、気晴らしも兼ねて、家族でキャンプに行くか?」
  というのは、きわめて自然な選択のような気がする。

 

 この前、『スッキリ』という朝のワイドショー(日本テレビ)を見ていたら、冬のキャンプがブームになっているという特集をやっていた。

 

 私の若い頃は、冬にキャンプをする人は、そうとう偏屈な趣味の持ち主というイメージがあった。

 

 冬山登山のためのテント泊なら別だが、キャンプ場が最終目的地で、そこにテントを持ち込んで泊まるというのは、ただのモノ好きの遊びだろうと思っていた。

 

 そんな偏見をずっと持っていたが、最近は違うらしい。

 

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 冬の方が空気が爽やか。
 人が少ないので、のんびりできる。

 夏より星空がきれい。

 虫がいない。
 寒いからこそ、焚き火の楽しさが味わえる。

 

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 そう思う人たちが増えているらしく、冬のキャンプ場もそれなりににぎやかになってきたらしい。

 

 電源サイトを持つキャンプ場も増えてきているので、テントのなかで電気毛布なども使える。

 焚き火台もそうとう普及したし、アウトドア用薪ストーブなどの器具も充実してきた。
 私の若い頃とは違い、冬キャンプを楽しむ環境がかなり変わってきたことは確かだ。

 

 

 冬キャンプの盛り上がりのもう一つの要因は、ネットを通じて “キャンプの楽しさ” を伝える情報発信が強力になってきたことも挙げられる。

 

 芸人のヒロシがYOU TUBEを使って「ソロキャンプ」の魅力やノウハウを伝授する企画は今は大人気。

 

▼ 「ジャパンキャンピングカーショー2020」にも登場してキャンプトークを披露したヒロシ氏

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 「ソロキャンプ」という言葉はいまや完全にメッセージ性の強いキーワードになっていて、『スッキリ』という番組でも、冬のソロキャンプを楽しむ中年女性(WEBマガジンの編集長)のキャンプスタイルが大々的に採り上げられていた。

  

 

 このような流れを反映して、キャンピングカーにおいても、「ソロキャンプ」専用の車両が登場するようになった。
 その名もずばり「BASE CAMP SOLO(ベースキャンプ ソロ)。

 

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 リリースしたのは、愛知県岡崎市でキャンピングカー製作・販売を行っている「NONIDEL(ノニデル)」。

 

▼ 「ノニデル」の島川康一郎社長

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 この会社は、ハイエースの注文製作を得意とするビルダーとして知られているが、最近のソロキャンプブームを意識して、より軽快に走る乗用車ライクのキャンパーも手掛けるようになった。
  
 ベース車は走行性に優れ、かつリーズナブルな車両価格を実現する日産NV200。
 基本的には、若者の “一人旅” をテーマにした企画で、広いベッドスペースを維持しながら、サイドカウンターに設定されたキャンプ装備を使って車中泊の夜を楽しむことができる。

 

▼ ベースキャンプソロ 室内

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 ベッドサイズは全長1870mm。「ソロ」とは言いながらも、2名就寝が可能。
 電子レンジ、冷蔵庫、FFヒーター、液晶TVなども用意されているので、それらを買い足していけば、そうとう快適なキャンピングカーに仕上がる。

 

 この「ソロ」の仕様を少し変え、4人乗り乗車を実現しているのが、「BASE CAMP SOLO+(ベースキャンプソロプラス)。

 

▼ ベースキャンプソロ+(プラス)外装

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▼ ベースキャンプソロ+内装

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 こちらの車なら、4人で使えるレイアウトを狙った分だけベッドスペースも広くなっているので、小さな子供のいるファミリーでも使えるし、シニアカップルにも向いている。

 

 お値段は、車両本体価格で、ともに200万円台後半から300万円台。

 

株式会社NONIDEL(ノニデル)
愛知県岡崎市大平町字瓦屋前54-10
電話:0564-73-8833
https://nonidel.jp/
 

 

コロナウイルスで消費スタイルが変わった

 
 世界規模で蔓延しているコロナウイルスの感染が終息する気配がまったく見えない。
 いつまで続くのか。
 あるいは今後、さらなる予想を覆すような猛威が迫ってくるのか。
 未知のウイルスのため、専門家にもそれが分からない。

 

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 ただ、はっきりいえることは、これを機に、これまでとは違った消費スタイルが生まれてくることだけは確かだ。

 

 「巣ごもり消費」
 あるいは
 「内向き消費」
 などという言葉がすでにマスコミでは使われているが、ウイルスに感染するリスクを避けるため、野外に出ず、家に閉じこもる消費スタイルが広がり始めている。

 

 テレビニュースを見ていたら、子供たちの学級閉鎖が始まったことを機に、調理の要らない冷凍食品の購買率が高まり、その貯蔵場所として、新たに小型の冷凍庫を買い求める傾向も出てきているらしい。

 

 都心の居酒屋やライブハウスも閑散としてきたらしいが、その分職場に行かず、テレワークで仕事を済ませるお父さんを中心に、家のなかで子供たちとカードゲームなどに興じる家族が増えているとか。

 

 外から内へ。
 繁華街から家へ。
 人々の消費エリアが変わり始めている。

 

 これは、世界構造の変化だという人もいる。
  
 そもそもコロナウイルスの世界的蔓延は、世界経済がグローバル化した結果だという。
 経済のグローバル化のなかで、世界的なサプライチェーンとしての中国産業が驚異的な発展を遂げた。

 

 当然、そのことによって、中国の「人間」と「物質」が世界の企業と交わりを深めることになった。

 

 コロナウイルスの蔓延は、その交流の深度と関係している。
 ヨーロッパでいちばん汚染が深刻なのは、習近平主席の「一帯一路」構想に積極的に手を組んだイタリアだった。

 

 アジアとヨーロッパを結ぶ “新シルクロード” ともいうべき「一帯一路」は、人と物質や情報の伝達を盛んにするだけでなく、中国のウイルスもまた大量にヨーロッパに運んだ。

 

 このような経済のグローバル化が、今それぞれの国でのウイルス遮断対策によって寸断されようとしている。

 

 時代が前に戻り始めたともいえる。
 つまり、世界各国は人と物の出入りを制限し、国境を閉ざして自国中心のブロック経済へと回帰した。

 

 もちろん、これは一時的なものだ。
 ウイルス汚染が終息し始めると、世界経済は再び中国を軸としたグローバル体制を回復させるだろう。

 しかし、そうなったとしても、コロナウイルスの蔓延によってでき上ってきた新しい消費スタイルはそのまま定着していきそうな気がする。

 

 すなわち、前述した “内向き消費” だ。
  
 ウイルス汚染を防ぐために大規模イベントがのきなみ中止されるなか、あえて無観客イベントを行い、それをYOU TUBEにアップする人たちも目立ってきた。
 つまり、人々の遊びのスタイルが、ネット中心に移行し始めてきたのだ。

 

 もちろん、この傾向は今に始まったことではないが、若者たちの遊びのスタイルがコロナウイルスの蔓延を機に、ネットを軸に展開し始めたことは間違いない。

 

 もちろん、今後少しずつライブ活動なども復活していくはずだが、だとしても、ネットの動画配信の比重が低くなることはないだろう。

 

 このような “内向き消費” を一概に否定的に見ることもないように思う。
 なぜなら、“内を向く” ことによって、個人の内面生活を充実させるきっかけが生まれる可能性もあるからだ。

 

 たとえば、外に行かない時間を利用して、本を読む。
 あるいは、動画配信などを利用して、映画・音楽に親しむ。
 また、親・兄弟などという家族と向き合って、これまで語り合ったことのないテーマを議論する。

 

 今まで “面倒くさい” と避けてきた課題をこのさい見直してみようという機運が生まれたとしたら、それは悪いことではない。

 

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 特に、本や新聞というオールドメディアに接することはとても重要だと思う。
 それらの活字文化と格闘することは、人間の想像力を養う。

 

 “東大王” としてクイズ番組で人気を集めている学生たちの勉強方法を知る機会があったが、彼らは例外なく、幼少期から活字文化に接していた。
 私自身は、東大生の “エリート臭さ” というものが苦手なのだが、彼らの本に親しんできた体験は、クイズを解くための “ひらめき” には絶対欠かせないものだと分かった。

 

 「クイズ」というのは、出題されてから答を探すものではない。
 出題される前に、その問題が要求する「解」をイマジネーションの力で推理しなければならない。

 

 たとえば、歴史問題で、「中国大返し」という言葉が出てきたとき、問いが要求するのは「秀吉」という人物なのか、それとも「山崎の戦い」という戦場なのか、あるいは「明智光秀」という対戦相手なのか。

 

 それを、出題される前に、イマジネーションを駆使して予想しなければならない。
  
 そのイマジネーションはどこから来るのか?

 

 それは、本や新聞といったオールドメディアの読書量から来る。

 

 コロナウイルスで外に出られないと嘆くよりも、これを “チャンス” と思い、今まで読まなかったような本を手に取ってみる。


 そうすると、心のなかで、何かが変わる。

 

 「ピンチ」を「チャンス」に変えるというのは、そういうことだ。

   

コロナウイルスとキャンピングカー(2)

 昨年(2019年)の暮れから報じられるようになった新型コロナウィルスの感染が止まらず、世界中が大混乱に陥っている。

 
 日本でも、多くのスポーツイベント・文化イベントがのきなみ中止となり、観客動員数の減少が「経済的損失」としてカウントされるようになってきた。

 

 キャンピングカー関連のイベントも同様で、前回言及したように、1月31日から2月2日まで幕張メッセ(千葉)で開かれた「ジャパンキャンピングカーショー2020」を最後に、大阪や名古屋のビッグイベントは中止された。

 

▼「ジャパンキャンピングカーショー2020」

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 キャンピングカーは、「動く家」として、外部と遮断された状態で旅行できる道具なので、コロナウイルスに感染するリスクを避けながら野外生活を楽しむことができる。

 

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 そのため、こういう時節には、ぜひとも多くの人に知ってもらいたいレクリエーションツールだが、春のビッグイベントが中止となったため、一般の人がいろいろな車両を一括して見る機会がなくなってしまった。

 

 そのため、ここでは今春唯一開催された「ジャパンキャンピングカーショー2020」における注目車両をあらためてピックアップしてみたい。

 

 今回のショーは、これまでのショーとは多少趣(おもむき)が異なっていた。

 

 これまでは、「国内最大級のビッグイベント」を謳うだけあって、各社の “イヤーモデル” ともいえる車両が並ぶだけでなく、話題性を先行させるため、モーターショー的にいえば、「コンセプトモデル」のような作品が展示されることもあった。

 

 ところが、今年は “奇をてらった” 新車開発は影を潜め、パッと見は地味であった。
 しかしながら、車両づくりのレベルは例年にないほど上がっていた。
 
 つまり、本当の意味での使いやすさ、安全性、コストパフォーマンスなどを真摯に追求したユーザーファーストの車両開発が中心となっていたといってよい。
 
 それを一言でいえば、「熟成」。
 ようやく日本のキャンピングカーづくりが、地に足の付いた実質本位の企画を打ち出す時代が来たように感じる。

 

▼「ジャパンキャンピングカーショー2020」

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 一つのトレンドとして浮かび上がってきたのは、「気楽に買えて、気楽に乗れる車中泊車」。
 すなわちミニバンキャンパーやバンコンを中心とした小型キャンピングカーだ。

 

 この手の車両は、従来は本格的大型バンコンやキャブコンの入門編として位置づけられていたが、ここ数年のキャンピングカーユーザーの底辺の広がりを反映し、それ自体が独立した新ジャンルを形成しつつある。

 

 こういうミニバンコンセプトのキャンピングカーは、女性にも運転しやすいとあって、買い物や育児に忙しいヤングミセスに人気があり、コストパフォーマンスの良さから若いファミリー層の注目を集めている。
 もちろんリタイヤ後の “くるま旅” を楽しむシニアカップからも支持されており、令和のトレンドとして急成長しつつある。

 

 今回のショーで、この手のミニバン系キャンピングカーの注目株の一つが、トイファクトリーがリリースした「グランエース」のポップアップルーフ車だった。

 

▼ トイファクトリーのグランエースポップアップ仕様

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 グランエースは、ノーマル車でもその価格が600万円超えなので、それに架装するとなると、オプション次第によっては、1,000万円に迫るキャンピングカーになりかねない。
 
 そうなると、わざわざこの車両をベースにしたキャンピングカーまで欲しいと思う顧客はそうとう限定されてしまうだろう。

 

 それでも、この車がキャンピングカーベース車として提案された意義は大きい。
 過去にグランドハイエースという空前絶後の人気ベース車が一世を風靡したことがあったが、このような高級ミニバンタイプのベース車は、グランドハイエースの供給が途絶えた後姿を消していたからだ。

 

▼ グランドハイエースのキャンピングカー
 ファーストカスタム製作「グランドロイヤル」(2003年モデル)

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 今回のグランエースは、すでに “レジェンド” になった昔のグランドハイエースの面影を復活させるものとして、東京モーターショー(2019年秋)で展示されて以来、ビルダーからも、ユーザーからも注目を集めていた車両である。

 

 ただ、ベース車として考えると、過去のグランドハイエースと今回のグランエースは成り立ちが異なる。


 グランドハイエースがキャンパーベース車として脚光を浴びたのは、ノーマル車として売り出されたグランドハイエースの救急車用車両として、ホイールベースを延長した特装車が登場したからだ。 
 それがキャンピングカーとして架装する場合の居住性を保証することとなった。

 

▼ ノーマル「グランエース」(トヨタ車体) のボディフォルム

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▼ グランエースのインパネ

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 それに比べ、今回のグランエースはノーマル仕様のままでは本格的な架装を施すほどの居住性が取れない。


 したがって、現行のままでは、キャンピングカーとしての本格的な装備を積むような仕上がりは期待できない。

 

 また、そうとう使い勝手のいい高級シートがノーマル車には奢られているため、架装するとき、それを捨ててしまうのはあまりにももったいない。

 

▼ ノーマル「グランエース」(トヨタ車体)のシート

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 では、今回のトイファクトリーが取り組んだグランエースのキャンパーモデルは、いったいどういう意図のもとに開発されたのだろうか。
 同社の藤井昭文社長に、その経緯を聞いてみた。
  
 「ずばり、これは “キャンピングカー” というより、トヨタさんが提案している高級送迎車の延長線上にある車両として位置づけています」
 と、藤井社長は語る。

 

▼ トイファクトリー 藤井昭文社

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 もともとこのグランエースというミニバンは、個人の顧客よりは法人需要を意識して開発された車である。
 つまり、接客部門を持つ企業がVIPを乗せ、空港からホテル、あるいはホテルからゴルフ場などへと送迎用に使う高級ワゴンとして開発されたものだ。

 

 諸外国では、すでにこの手の市場が確立されており、欧米ではベンツのVクラス。タイやフィリピンでは、ヒュンダイのH1などが人気を博している。

 そのような市場が日本ではまだ未成熟だったがゆえに、トヨタが目を付けたということになる。

 

▼ トイファクトリー「グランエースポップアップ仕様」リヤビュー

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 トイファクトリーでも、今のところ、このノーマル車の基本コンセプトを変えるつもりはないという。


 ただ、ノーマル車にポップアップルーフを架装することによって、
 「送迎車としての幅を広げ、ルーフベッドで仮眠も取れるようにして、お客様の移動距離を伸ばしたり、災害時などにも備えられるようにした」
 という。

 

 もちろん、今の形がキャンパーとしての “最終形” ではない。
 あくまでも、ひとつの「提案」。
 この仕様を見た多くの見学者やトヨタ自動車の意見も聞き、この車のさらなる可能性を引き上げていきたい、と藤井社長は語る。
 そのため、現段階では、まだブランド名も考えられていない。

 

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 トイファクトリーとしては、キャンピングカーとして考えている車両はあくまでも200系のハイエースであり、200系がこれからも存続していくかぎり、グランエースは、主流キャンピングカーとは異なる路線を意識した「試作車」という位置づけになるという。

 

 藤井社長へのインタビューは、このあと「未来のキャンピングカー」という方向に進んだ。

 

 「キャンピングカーもこれからはそうとう変わっていくだろう」
 と藤井氏は予測する。
 「今後キャンピングカーというカテゴリーそのものがなくなっていくかもしれない」とか。
 つまり、「キャンプ」とか「車中泊」という使用目的から解放された、まったく未知の車に生まれ変わっていく可能性もあるという。

 

 キャンピングカーのベースとなる自動車自体がすでに “100年に一度” という変革期を迎えている。
 自動運転を可能にする乗用車のテストもすでに最終段階を迎え、“空飛ぶ自動車” まで企画される時代になった。
 さらには、リチウムイオン電気を超えるさらなる高性能バッテリーの研究も進んでいる。

 

 そういう時代に備え、同社では、すでに次世代のキャンピングカー開発を水面下で進めているという。
 
 なお、トイファクトリーのグランエースキャンパーの価格が発表されるのは、5月ぐらいになる予定である。

 

 次回のブログでは、このシリーズの続編を掲載する予定。

 

キャンピングカーで身を守れ!

キャンピングカーはコロナウイルス
の感染から身を守るシェルターだ

  

 連日ニュースで報道される新型コロナウイルスの感染情報に接していると、まるで全世界が未知の細菌によって破滅していく “SF映画” でも見ているような気分になる。

 

 もちろん、この騒動もやがて終息するだろう。
 そのときが来たら、
 「今年の春はコロナウイルスにずいぶんやられたね」
 などと苦笑しながら今の状態を振り返るのかもしれない。

 

 しかし、安堵してもいられない。
 今後このウイルスが、世界の滅亡を描いた “SF映画” のような惨劇をもたらさないとは、今の段階では誰にも分からない。

 

▼ 核戦争による “死の灰” によって人類が滅亡
 するというストーリーを描いたSF映画渚にて

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 実際、世の中の風景は変わりつつある。
 学校は休校となり、職場ではテレワークが推奨され、繁華街のレストランや観光地にも人影が少なくなった。
 街は、まさにSF映画の終末モノを見ているような寂しい空気に包まれ始めている。

 

 スポーツイベントや文化イベントものきなみ中止か延期。
 政府や医療関係者も、「不要不急の外出控えるように」と呼び掛けているので、街に出ること自体が “悪いこと” でもするかのような空気が広まっている。

 

 キャンピングカー業界でも、1ヵ月ほど前に幕張メッセで開かれた「ジャパンキャンピングカーショー2020」を最後に、大きなショーは中止ないしは延期することになった。
 
 3月7日~8日の「大阪キャンピングカーショー」は中止。
 3月14日~15日の「名古屋キャンピングカーフェアSPRING」も中止。
 3月21日~22日に予定されていた「東北キャンピングカーショー」も、8月に延期されることになった。

 

 これらのキャンピングカーイベントの中止決定は、もちろんコロナウイルスの感染拡大を防止する意味でやむを得ないものであるが、ある意味、非常に残念である。

 

 なぜなら、キャンピングカーというのは、現在のコロナウイルスの脅威から家族を待燃える格好の “シェルター” でもあるからだ。

 

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 キャンピングカーイベントに足を運び、購買することを意識しながらキャンピングカーを眺めるとき、これはまでは、誰もが「レジャー」や「行楽」という目的で車両を吟味する習慣を身に付けていた。

 

 しかし、キャンピングカーには、ウィルスの脅威や自然災害から家族の生活を守り抜くというシャルターとしての機能が十分にある。

 

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 政府や医療機関が「不要不急の外出控えるように」と通達しているということは、早い話、「家に閉じこもっていろ」ということになるのだが、キャンピングカーは、その “家の機能” を保持したまま、外界から隔離された状態で移動できるので、買い物や家族の送迎、ビジネスの場が各段に広がる。

 

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 キャンピングカーには、家族の大半が安眠できるベッド機能が備わっているほか、電気、水道、ガス、冷蔵庫、テレビ、エアコンなどが完備しているものが多い。

 

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 要は、キャンピングカーというのは冷暖房機能、キッチン機能、娯楽設備などをコンパクトに配置した “小宇宙” なのだ。
 パソコンやモバイル通信機器を搭載すればオフィスになるし、児童たちの勉強部屋、遊び場にもなる。

 

 人が密集するレストランなどに行きづらいという今のご時世。
 キャンピングカーに搭載されたガスコンロ、電磁調理器、電子レンジ、冷蔵庫などを活用すれば、人と接することのない駐車場などで、そのまま車内のキッチン機能を生かして食事を作ることもできる。

 

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 コロナウイルスの感染の危険が多いのは、人が密集した都市部だが、人気がない地方のアウトドア施設などはそれほど感染が広がっていない。

 

 そういうところに車両を持ち込み、家族だけの休息を楽しむ。
 そうすれば、家に閉じこもるよりも、大人も子供も、心がリフレッシュされて、生活の励みを取り戻せることは間違いない。

 

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 次回は、2月のはじめに行われた「ジャパンキャンピングカーショー2020」で取材した今年の新型キャンピングカーなどについて、少し語ってみたい。
 
 

 

奥行きを失った絵が獲得したリアル感

 

絵画批評
日本の屏風絵の魔術

 
 長谷川等伯尾形光琳らの “屏風絵” について、何かひと言書きたいと思っていたのだが、鑑賞眼もないし、予備知識もないので、何も書けないままでいた。
 
 でも、圧倒されるのだ。
 いったい、こういう空間造形は、どういう精神から生まれてくるのか。 
 それを考え始めると、とてつもない魅力的な課題に立ち向かっているような気になってくる。


▼ 長谷川等伯「楓図」全体

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なんでこんなにポップなの?

 

 西欧近代の絵画を見なれた人からみると、等伯狩野派の屏風絵に描かれる世界は、奥行きを失った、立体感の乏しい平面的な図像にしか見えないだろう。

 
 しかし、現代のポップカルチャーに親しんだ人なら、逆に、このような絵は “絵画” というより、新しい都市環境を彩る “デザイン” だと感じるはずだ。
 
 下の絵は有名な尾形光琳の『紅白梅図屏風』である。
 18世紀(江戸時代)に描かれたものだが、もし、これが現代の高級ホテルのロビーに飾られていたら、どうだろうか。
 ほとんどの人が、現代のアーチストが手掛けるポップアートだと思うのではないだろうか。
  

尾形光琳紅白梅図屏風

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 実際に、デザイナーズ旅館や新意匠の割烹料理店などで見かけるインテリアには、けっこうこのような意匠をモチーフにした装飾が見られる。

 

 それらを称して「和モダン」などともいうが、そういう意匠は、今や大都市圏の店舗設計の中などに相当採り入れられており、西欧風の意匠を施したインテリアを古臭いものに見せるほど、現代の都市空間の中では主導的なデザイントレンドになっている。
 
 現代の「和モダン」的意匠と、安土桃山時代の巨匠の絵画が類似しているのは、いったいなぜだろう?
 それは、どちらも、現代アートとは異なる視点で描かれたものだからだ。

 

 
「絵」ではない、別の何か

 

 長谷川等伯にしても、狩野永徳にしても、彼らは「絵」を描いているという自覚はなかった。
 いや、もちろん「絵」は描いていたのだけれど、それは近代西洋絵画でいわれるような、芸術家が自分の主観のおもむくままに描く “アート” ではなかった。

  
 では、どんなものを描いていたのかというと、建築物の一部を飾る “装飾” だったのである。


 つまり、時の権力者の壮麗な建築物をきらびやかに飾るために、請われるままに細工した室内装飾だったのだ。 

 

 確かに、等伯の代表作といわれる『楓図』にしても、永徳の傑作といわれる『唐獅子図屏風』にしても、要するに “家具” である。 
 彼らは、その “家具” を造形するための「職人」としての自覚をもって制作に励んだ。
 

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狩野永徳 『唐獅子図屏風』

 


奥行きを失った世界の深い「奥行き」
 
 しかし、それにしても、その不思議な空間造形は、圧倒的な迫力でわれわれの胸に迫る。
 そこには、ヨーロッパ的な芸術観などでは解釈できないような、異次元の空間が造形されている。

 

 遠近法という絵画表現を手に入れたヨーロッパ近代絵画は、「奥行き」を手に入れた。
 それを見ていると、われわれは、その絵の中に入っていけるような “深さ” を感じることができる。

 

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▲ 遠近法で描かれたヨーロッパ絵画

 

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▲ 日本の屏風絵
 
 それに対し、日本の屏風絵は、自然がテーマであっても、奥行きがない。
 すなわち、屏風絵に描かれている “自然” は、「絵」としては、人が入ってくることを拒んでいる。

 

 しかし、「家具」としては、(取り外しが自在な屏風絵は)簡単に人の出入りを許す。

 

 つまり、「家具の実用性」と「絵画の芸術性」が、互いに反目し合いながら、溶け合っているという言い方ができるだろう。
  
 この相反するベクトルのせめぎ合いから、一種の “超越性” が立ちのぼってくる。
 奥行きを失ったことが、逆に、見せかけの「奥行き」では表現できない、手が届くことのない世界の存在を浮かび上がらせてくるのだ。
  
 絵画ににじみ出てくる “超越性” というのは、けっして “神秘性” のことをいうのではない。

 
 むしろ、日本の屏風絵のような、奥行きを排した “超フラット空間” から生み出されてくるものだという気がする。

 

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▲ 長谷川久蔵 『桜図』

 

 

▼ 関連記事 ジュリアン・オピーのスーパーフラット画法

campingcarboy.hatenablog.com

 

 

自分にとって最高のドライブ音楽

 オールマン・ブラザーズ・バンド(写真下)の音を最初に聞いたのは、ラジオのFM放送だったが、あるいはFENだったか。
 放送局も番組名も忘れてしまったが、曲名だけははっきりしている。
 『ジェシカ』だ。

 

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 1973年に発表された『ブラザーズ&シスターズ』のなかに収録された曲だが、私がそれを聞いたのは、1970年代の後半だった。

 
 当時、私が好んで聞いていたのは、ビートルズ、クリーム、ブラインド・フェイスレッド・ツェッペリンというブリティッシュ系ロックだった。

 

 その後アメリカの音楽にも興味が出てきたが、主に聞くようになったのは、BLUES、R&B、SOUL MUSICという黒人音楽ばかりで、白人系ロックにはまったく関心がなかった。

 

 そういう自分の好みを変えたのが、オールマン・ブラザーズ・バンドの『ジェシカ』だったのだ。 

 「あ、心地いい!」

 一回聞いただけで、思わずのけ反った。

 

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オールマン・ブラザーズ・バンドジェシカ』
https://youtu.be/eyIim9dGW-M
 
 こういう躍動感を持った曲をそれまで聞いたことがなかった。
 自分がずっと身体(からだ)の中に蓄え込んできたのは、「ブルースの波動」であり、本家の黒人ブルースをもとより、白人系ロックでもクリームやツェッペリンのようなブルースのコード進行やリズム感を維持した曲しか受け入れなかった。

 

 『ジェシカ』という曲は、そういうブルース好きの私の好みをあっさりとくつがえした。

 

 なぜ、そういうことが起こったのか。
 この曲を聞いたとき、自分は自動車を所有するようになっていたのである。
 つまり、自動車の走行感覚にフィットする音楽というものを意識するようになっていたのだ。

 

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 自動車を手にしたことは、新しい世界の扉を開いた。
 自分がまったく関心を持たなかった音楽のなかにも、ドライブミュージックとしては最適な曲があることを発見したからだ。

 

 その代表的な例が、ディープパープルの『ハイウェイスター』で、ラジオなどでこの曲が流れると、最初はプチンとスイッチを切っていたが、カーラジオで聞く限り、これが妙に車の走行感とマッチすることを知った。
 
 ドゥビー・ブラザーズの『ロングトレイン・ラニング』なども好みの曲になった。
 あれは “トレイン(列車)” をテーマにした曲ではあるのだが、やはり軽快なギターカッティングによる “疾走感” の表現が素晴らしいと思った。

 

 一方、テクノポップ系でも、“疾走感” を追求した音楽というものがあった。
 ドイツのクラフトワークである。
 彼らには『アウトバーン』(写真下)という曲があって、これはドイツのアウトバーンの走行感覚を無機的な電子音でなぞった音楽として一世を風靡した。

 

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 このように、自動車に乗るようになって、世の中には、モビリティーをテーマにした音楽というものがたくさんあることに気づいた。


 それらは、室内の固定した環境で聞いているかぎり何の感興もわかないことが多いが、「リスナーの肉体が音楽といっしょに水平移動するとき」に聞くと、がぜんそれまでとはうって変わって刺激的な音に生まれ変わる。

 

 しかし、オールマン・ブラザーズ・バンドの『ジェシカ』は、もう机の前に座って聞いただけで、自分が運転しているときの情景が浮かんだ。

 

 そのとき脳裏に浮かんだのは、アメリカ中西部あたりに広がる乾いた荒野だった。
 そして、そこを貫いて地平線まで伸びている一本道。
 「この曲を聞きながら、そんなところを走ってみたい !」
 そういう衝動を強く喚起する音だった。

 

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 アルバム『ブラザーズ&シスターズ』に収録されている『ジェシカ』の演奏時間は7分28秒である。

 
 アコースティックギターのカッティングに始まり、それにディッキー・ベッツ(写真下)の奏でる主旋律が重なっていく。

 

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 ディッキー・ベッツのギターは、どことなくカントリーフレイバーが効いていて、いい意味で軽い。
 苦悩も内面的な深みもないかわりに、陽光のきらめきを感じさせるような、あっけらかんとした明るさがあって心地よい。
 これを聞いた後は、そういう「アメリカ白人の楽天主義もいいものだ」と思うようになった。

  
 『ジェシカ』では、このディッキー・ベッツのギターを引き立てるように、2台のドラムスとベースのリズム隊が、レシプロエンジンのピストン運動を想像させるような軽快なリズムを刻み続ける。

 

 聞きどころは 2分30秒を過ぎたあたりから始まるチャック・リーヴェルのピアノソロ。


 多少、えげつない表現を使えば、この個所から、ベッドの上で上下動する男女が、来たるべくエクスタシーを予感し、リズム隊と呼吸を合わせて、絶頂を迎えようと準備を始めた気配が伝わってくる。

 

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 ピアノの音が、海面を跳ねるイルカのように踊り始めると、それに呼吸を合わせて、リズム隊が追う。

 

 いよいよそのときが迫る。

 
 チャック・リーヴェルのピアノソロからバトンを受けて、ディッキー・ベッツのギターソロが始まる瞬間が、そのときだ。
 リスナーの頭の中で “何か” が弾ける。

 

 そのとき、リスナーが口にするのは、
 「来た ! 来た !」という言葉。
 運転していると、もう本当にヤバイ。
 
 この『ジェシカ』は、リスナーに何を伝えようとしているのだろうか。

 

 本当によくできたドライブミュージックには「性交の快感」があるということを教えようとしているのだ。
 つまり、(多少上品な表現に変えれば)モビリティの本質が “エクスタシー” にあることを伝えようとしている。

 
 『ジェシカ』については、別のWEBサイトでより詳しく書いた。
 興味をお持ちの方は、そちらも開いてみてほしい。
 (↓) 
https://www.gogo-gaga.com/posts/5131079?categoryIds=1485906

  

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ハマスホイ 『陽光習作』

 

絵画批評
ハンマースホイの「扉」


 この1月21日(2020年)から3月26日まで、東京都美術館台東区上野)で『ハマスホイとデンマーク絵画』展が開かれている。

 

 ヴィルヘルム・ハマスホイ

 

 昔は、「ハンマースホイ」といった。
 最近日本語で表記するときには、「ハマスホイ」と呼ぶようになったらしい。
 その方がデンマーク語の発音に近いからだという。

 

 ただ、私は新しい呼称に慣れないため、ここでは従来どおり、「ハンマースホイ」と表記するつもりでいる。
  

 

 この画家のことを知ったのは、テレビ東京の「美の巨人たち」という番組を観たときである。
 
 その2010年 3月に放映された回で、ハンマースホイが描く様々な扉の絵が紹介された。

 

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 たとえば、上の絵。
 描かれているのは、開け放たれた3枚の「扉」だ。
  
 白っぽい扉が並んでいるだけなのに、この絵がはらんでいる不穏な空気は、観る人に奇妙な沈黙を強いる。

 

 「扉」というのは「境界」なんだな、とそのとき思った。
 そこを開けると違った空間が開けるという意味で、「扉」は日常生活の中で最もポピュラーな「異界」への入口かもしれない。

  
 こんなに鮮やかな異界へ渡る「装置」が、われわれの生活の中にあるというのに、われわれは日頃そのことに気づかない。
 
 「扉」の向こう側が、ある日突然 “異なる世界” へ通じてしまったかもしれないのに、われわれは、そんなことを思いもせずに、扉を開ける。
 毎度、見慣れた景色が広がる。
 でも、そこは、昨日とは違った世界なのかもしれない。

 ハンマースホイの描く扉は、そんな感覚を私に刷り込んできた。

 

 

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ハンマースホイ自画像
 
 ハンマースホイは、19世紀にデンマークで生まれた人である。
 人と交わることの嫌いな、寡黙な人だったと伝えられている。
 自分のアパートに閉じこもり、ほとんどその室内だけを描いた。
 たまに登場する人物は彼の妻だが、それも、ほとんどが後ろ姿だ。
 
▼ 「背を向けた若い女性のいる室内」

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 そのことだけを取り上げみても、「人間味の薄い人」という印象が伝わってくる。 
 しかし、作風として、“この世ならぬ世界” を描く画家は、みなこのような絵を描く。

 

 フェルメールの影響を受けているという人もいるが、フェルメールとの共通性は、その画面を覆う “静謐感” だけで、フェルメールが持っている「人間の存在感」のようなものはハンマースホイには希薄だ。
 むしろエドワード・ホッパーに近い画家だという印象を受ける。

 

エドワード・ホッパー 「空っぽの部屋の太陽」

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 ホッパーとの共通性は、「光」。
 淋しいのか、暖かいのか分からないような、独特の太陽光。
 
ハンマースホイ 「居間に射す陽光」

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 われわれの住む地球を照らす太陽は一つしかないはずなのに、彼らの描く陽光は、われわれの知らない、もう一つの太陽から射してくる光を思わせる。
  
 「美の巨人たち」で取りあげたハンマースホイの『陽光習作』は、まさにそのような空気感に満たされた絵であった。

 

 
『陽光習作』の謎


▼ 「陽光習作」

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 この絵について、小林薫さんのナレーションが次のような解説を加える。
 
 「描かれているのは、窓とドアのある部屋です。
 人はおらず、家具も調度品もありません。
 生活の匂いも、温もりもありません。
 あるものは、窓の外の曖昧な景色。
 そして、窓から差し込む光が作りだす心細い陽だまりだけです。
 この絵には、見るべき物が何もありません。
 しかし、なぜか目が離せず、惹き込まれてしまうのです」
 

 
 見るべき物がないのに、なぜ惹きこまれてしまうのか。
 それは、この絵が、鑑賞者の意識の整合性を、微妙に狂わせているからだ。

 

 つまり鑑賞者は、自分の感じる違和感の正体を知りたいがために、この絵から目が離せなくなるのだ。
 
 番組では、この絵には「騙し絵」の効果が盛り込まれているという。
 
 まず、右側の扉。
 ドアノブがないのだ。
 よく見ると、外に出ることのできない扉であることが分かる。

 

  
これはこの世の「扉」ではない!

 
▼ 「陽光習作」 部分

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 さらに、左側の窓を通して差し込む陽の角度。
 これが、床に落ちた影の角度と微妙にズレている。
 本来ならば、床の影はもう少し右側に描かれていなければおかしい。
 画家の故意なのか。
 それとも画家の無意識なのか。

  
 いずれにせよ、相当注意して見なければ分からない作画上のズレが、この “な~んにもない” 部屋に、ただならぬ空気を呼び寄せている。

 

 「現実」の世界を描きながら、鑑賞者が見つめているうちに、「非現実」のほうに誘導していくような画家の視線。

 「現実」と「非現実」の間に広がった、淡い “透き間” 。
 そこから「虚無の深淵」が顔を覗かせる。

  
 怖い絵でもある。
 しかし、デジャブ体験をしたときのような、ノスタルジックな懐かしさが、絵の奥からそおっと忍び寄ってくる。

 

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 すでに、記憶の古層に沈殿して、思い出すこともない昔。
 場所はどこか分からないが、遠い昔、このような部屋にいて、誰かを待っていたことがある …… というような気分にさせる絵だ。
 

 幼児期の記憶というのは、自分のものであっても、すでに自分から遠ざけられた世界に行ってしまっている。
 そこは、まさに「扉」の向こう側にある「異界」である。
 その異界が、ドアの向こう側でじっと待っている。
 『陽光習作』とは、そんな絵だ。 

  

 

調律されていないピアノの音色

  
 ハンマースホイの名を知って、少しネットで調べてみた。
 いろいろな人が、この画家についてさまざまな発言をしていた。
 それらの記事のレベルの高さにびっくりした。
 どこかのブログのコメントで、「(彼の絵には)きちんと調律されていないピアノの音が流れているような 」という表現があった。
 言いえて妙だと思った。

 

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 ネットを見ていると、この画家の絵に触れると、つい何かを語りたくなってしまう人がたくさんいることを知った。

 しかし、その感想の大半は、次のようなものだった。

 

 「(これらの絵には)何かが象徴されているのだが、それが何なのかは、いつまで眺めていてもけっして明らかにならない」

 

 絵画というのは、描かれたもの中に、「描かれないもの」を描くことだと思う。
 ハンマースホイの絵は、そのことを端的に教えてくれる。