フィルム・ノワールに影響を
与えたエドワード・ホッパー
▲エドワード・ホッパー 「ナイトホークス」(1942年)
「ホッパーの作品はしばしば映画のワンシーンに例えられる」
と、よくいわれる。
特に、この「ナイトホークス(夜ふかしする人々)」という絵は、まるで古典的なアメリカのギャング映画のポスターなどに使われそうな雰囲気がある。
1950年代、アメリカに限らず、フランスなどでも、まさにこの絵のようなタッチの映画がたくさん作られた。「フィルム・ノワール」といわれる犯罪映画である。
▼ フィルム・ノワールの代表作『ビッグ・コンボ』(1955年)
「ノワール」とは、フランス語で黒の意味。
これらの映画においては、基本的に白・黒のコントラストの強いモノクロフィルムを使い、音楽にはジャズを使うのが一般的だった。
● ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』(音楽 マイルス・ディビス) 1958年
● ロジェ・ヴァディム監督の『大運河』(音楽 MJQ) 1959年
● 同じくロジェ・ヴァディム監督の『危険な関係』(音楽 モンク/アート・ブレイキー) 1959年
● ミシェル・ガスト監督の『墓にツバをかけろ』(アラン・ゴラゲール) 1959年
● ロバート・ワイズ監督の『拳銃の報酬』(MJQ) 1959年
50年代の後半には、フィルム・ノワールの傑作といわれる映画が集中している。
▼ 『死刑台のエレベーター』(1958年)で、愛人に自分の
夫を殺させた夫人を演じるジャンヌ・モロー
下はマイルス・デイビスの演奏するメインテーマ
これらの映画に共通しているのは、夜の都市に垂れ込む霧、噴き上げる蒸気、点滅するネオンサイン、乗り物のヘッドライト、タバコの紫煙がよどむ暗いナイトクラブ ……
こういう「光と闇」がきわ立つさびしい画面に、1950年代のクールなジャズはよく似合った。
登場人物たちも、ジャズの香りを持った者たちばかり。
犯罪映画であるから、犯人と探偵・刑事などが登場するわけだが、追う者(探偵、刑事)も追われる者(犯罪人)も、いずれも逆光の暗がりから抜け出せないような「スネに傷を持つ者」である場合がほとんど。
だから、どちらが勝利しても「敗残者の自覚」を抱えた者同士なのだから、観客にカタルシスを与える明快なハッピーエンドは訪れない。
そういう映画のペシミスティックな雰囲気が、このエドワード・ホッパーの「ナイト・ホークス」から色濃く伝わってくる。
この絵の右側カウンターで、肩を並べてぼそりと話し合う男女の荒廃した感じはいったい何を意味しているのか !?
この絵が伝えるものは、すさまじいほどのアンニュイ(倦怠)だ。
都会の喧騒が絶えた深夜のカフェの静寂に、息がつまりそうだ。
▼ 「ナイトホークス」(部分アップ)
年代的な考証を試みると、このホッパーの絵が制作されたのは1942年。太平洋戦争が起きた2年後のことだ。
だから、一連のフィルム・ノワールの映画が作られ始めた頃よりも、16~17年ほど早いことになる。
逆にいえば、このホッパーの「ナイトホークス」が、戦後の娯楽映画として脚光を浴びるようになる「フィルム・ノワール」に影響を与えたということもできる。
40~50年代のフィルム・ノワールの映画を観ると、もう映画に流れる大都会の空気感そのものが「ナイトホークス」的なのだ。
闇と光のコントラストがかもし出す、ミステリアスな陰影。
すなわち、都会の夜をさすらう人々の寂寥感、孤独感を、フィルム・ノワールの映画はホッパーの「ナイトホークス」から学んだといえそうだ。
「ナイトホークス」は、その後も映画にも影響を与え続けた。
1982年に公開されたリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』がそれだ。
リドリー・スコットは、猥雑なにぎわいを見せる未来のロサンゼルスの光景にも、夜の都会の孤独感を導入することにこだわった。
そのときに集められたサンプリングの中には、この「ナイトホークス」もあり、スコットは、プロダクション・チームの面々にいつもこの絵の複製をかざし、「私が追い求めている気分は、映像にすればこんな調子だ」と言い続けていたという。
▼ 「ブレードランナー」に描かれる深夜のビルの一角
1997年になると、『パリ・テキサス』、『ベルリン・天使の詩』などで知られるドイツ人映画監督のヴィム・ヴェンダースが、『エンド・オブ・バイオレンス』(The End of Violence)という作品を撮った際に、映画の中に出てくる映画セットとしてこの「ナイトホークス」のバーカウンターの場面を再現したともいう。(私は未見なので詳しいことは言えない)。
▼ 「ザ・エンド・オブ・ザ・バイオレンス」
20世紀に制作された数々の映画に影響を与えた「ナイトホークス」。
それは、この絵が、20世紀になって出現した「都会の憂愁」というものをはじめて描いた絵であったからかもしれない。
ホッパーは、これ以外にも、都会の夜の深さと、そこに住む人々の孤独を描き続けた。
▼ 「カフェテリア」
▼ 「ドラッグストア」
資本主義文明の興隆とともに、パリ、ロンドン、ベルリン、東京と、数々の近代的な国際都市が地球に誕生した。
しかし、その多くは人類の繁栄を謳歌するかのように、華やかで享楽的な色彩を帯びた都市として文明の上に君臨した。
その繁栄の極致を行く世界都市として、ニューヨークがその頂点に登ったとき、ホッパーは逆に、そこに繁栄に疲れた都市の素顔を視てしまったのだ。
「疲れ」を知った都市は、さびしくも、謎めいて、美しい。
「ナイトホークス」は、20世紀の享楽的な都市が、厚化粧の裏にふと潜ませた荒廃の美学をいち早く先取りした絵であったかもしれない。
映画『拳銃の報酬』(Odds Against Tomorrow)に出てくるジャズの演奏シーン。本物のミュージシャンであるハリー・ベラホンテが好演
▼ホッパーに関する参考記事