アートと文藝のCafe

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歌声喫茶

   
 「歌声喫茶」という喫茶店がある。
 ロシア民謡とか昔の小学唱歌のような歌を、店に居合わせたお客たちが一斉に合唱する喫茶店のことだ。

 

▼ 「歌声喫茶」 BSフジ『昭和は輝いていた』より

 
 そういう店が都内にもたくさんあるという話を聞いたのは、50年以上も前のことだ。
 1960年代中頃。
 中学生だった私の勉強の世話をしてくれた家庭教師が、そういう喫茶店のことを話してくれた。

 

 当時、私の家の近くに東大の駒場に通っている学生たちの寮があった。
 私の親がその寮の管理者に話を付けてきたのか、そこで暮らす東大生が、私の高校受験のための勉強を教えてくれることになった。

 

 家庭教師は、相次いで2人来た。
 というのは、最初に来た1人が、
 「そろそろ就職活動に入る」
 といって2ヶ月ほどで辞めて行ったので、そのあと、その後輩だという男が引き継いだからだ。

 

 2人とも、家に来るときは詰襟の黒い学ランを着ていた。
 今から50年以上も前の学生たちは、みな学ランが普通のファッションだった。

 

 で、2人とも、
 「町田君、歌でも教えてあげようか」
 と話してくることがあった。
 (私の本名は町田である)

 

 勉強の合間の休憩時間になると、2人とも、まるでそれが儀式でもあるかのようにすっくと立ち、背筋を伸ばして歌う体勢を取った。
 「どんな歌がいい?」
 
 「何でも」
 と、私は上目づかいに教師の目を見上げながら答える。
 すると、これまた2人とも判で押したように、同じような歌をうたった。

 

 「♪ カァーリンカ、カォーリンカ、カリンカマヤロシア民謡 カリンカ)」
 とか、

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 「♪ リンゴの花ほころび、川面にかすみたち ロシア民謡 カチューシャ)」
 とかいう歌。

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 そういう歌をどこかで聞いたことはあったが、目の前でまじまじと歌われるのははじめての経験だった。
 
 「今みたいな歌をうたえる喫茶店があってね。そこでは、はじめて来た人もみんな仲間同士になるんだ。今度連れていってやろうか」
 と、2人は同じようなことを言った。
 2人とも、きっとそういう店の常連だったのだろう。

 

▼ 「歌声喫茶」 BSフジ『昭和は輝いていた』より

 

 「町田君はロシア民謡は歌わないのかな?」
 と、最初に家庭教師になった男が尋ねたことがあった。
 そう聞かれても、自分の生活環境のなかに、あまりロシア民謡というものがなかった。

 

 「はい、あまり聞いたことがありません」
 と答えると、その男は、「町田君はブルジョワの歌しか知らないんだろうな」と、人を見下すような顔で私の顔を覗き込み、今度は、
 「♪ ああインターナショナァール、我れらがもの~。立て飢えたる者よ、いまぞ日は近しぃ ~」
 などと声を張り上げた。

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 当時は、何の歌か分からなかったが、それは60年安保闘争などを戦ってきた学生運動家がデモなどで歌う革命歌だった。(それから10年経って、自分も学園闘争のデモの隊列で歌うことになるとは夢にも思わなかった)。

 

 その2人の家庭教師とのつきあいを通じて、私の頭のなかに、「歌声喫茶というのは左翼学生のたまり場なんだ」というイメージが定着した。

 

 それはまったくの誤解であったかもしれないが、身近に知り合った2人の男が立て続けに同じような態度をとったので、私のそういう思い込みは確証に近い形で脳裏にプリントされた。

 

▼ 『シベリア物語』でロシア民謡を聞くソ連の軍人たち。―― 第二次大戦後、シベリアで抑留生活を送っていた日本人たちが、現地でこういう雰囲気を味わい、帰国後喫茶店に集まってロシア民謡を歌い始めたことが「歌声喫茶」の原点だという

 
 
 私の2人の家庭教師は、当時ほんとうに共産主義革命が起こると信じていたようだ。

 

 勉強の合間にそのうちの一人は声を潜めて、こう言った。
 「町田君、いまに全世界が共産主義国家になります。そのときのために、受験勉強だけでなく、共産主義の勉強もしておいた方がいいですよ」

 

 まるで、特殊工作員であることを打ち明けるかのように、彼は声を潜めて、そう言う。
 「はぁ そうなんですか」
 半信半疑のままで聞く。
 というより、中学生ながら「そんなことありえねぇだろう」という気持ちの方が強かった。

 

 当時(1960年代中頃)、ラジオをひねると、もうビートルズが流れていた。
 ビートルズが資本主義の側にいるグループだということは言われなくても分かる。
 家庭教師たちが歌う共産主義国家のロシア民謡より、資本主義のビートルズの方がはるかに刺激的で、元気が良さそうに思える。

 

 「どう考えたって、資本主義の方が強そうだ」

 

 そうは思うのだけれど、現役の東大生というのは頭が良いはずだという思い込みもあったので、彼らの言うことを頭から否定することもできない。
 
 けっきょく、彼らは一度も私を「歌声喫茶」に誘ってくれることもなく、自分の就職活動が忙しくなると、こちらの勉強のことなどあまり気にする様子もなく、さっさと去って行った。

 

 それから50年近く、「歌声喫茶」のことは忘れていた。

 

 だが、この前テレビを観ていたら、『昭和は輝いていた』という番組(BSジャパン)で、司会の武田鉄矢が「歌声喫茶」を取り上げていた。
 なんと、50年前と同じくらい今でも盛況なんだという。

 

 ライブ演奏の画面も紹介されていたが、それを見るかぎり、客層は70歳からそのちょい上ぐらい。いわゆる団塊の世代だ。

 

 白髪のおばさん・おじさんがみな朗々と、「♪ カァリンカ、カァリンカ、カリンカマヤ 」などと歌っている。

 

 テレビ番組のインタビューに答えたシニア層たちは、
 「とにかく知らない人同士でも仲間意識が持てるのが『歌声喫茶』の魅力だ」
 という。

 

 「連帯感」
 けっきょく、歌声喫茶に集まる人たちが求めるものは、それに尽きるようだ。

 

 同じ歌をうたって、“ウルッとしてしまう” 規模の人間社会。
 おそらく、人が「共同体」というものをイメージするときの原点はそこにあるのだろう。

 

 そもそも「民謡」というのは、共同体の歌である。
 そのなかでも、ロシア民謡というのは、合唱の効果を最大限に発揮し、共同体の “絆” をいちばん強く喚起させる民謡である。

 

 その番組を観ていた私は、50年前にそんな歌を教えてくれた2人の東大生家庭教師のことを思い出した。
 年齢を考えると、彼らももう(元気ならば)80歳を超える歳になっているはずだ。
 
 東大を出たあと、2人はどんな人生を歩んで行ったのだろう。
 共産主義革命を信じて、就職しながらも政治活動を続けていったのだろうか。
 それとも、あっさりと「革命」に見切りをつけて、官僚への道でも進んで行ったのか。

 

 2人のその後の足取りは分からないまでも、もしかしたら、今でもどこかの「歌声喫茶」に通い、昔と同じ歌をうたっているのかもしれない。