人生の真実を、気の利いた言葉の中に鮮やかに集約する「ことわざ」。
日本人が、古来より受け継いできた「ことわざ」は、まさに、生きるための知恵の結晶である。
だけど、よく考えてみると、どれも「なんか変 … 」という感触がつきまとう。
たとえば、
「負けるが勝ち」
… とかいうけれど、では勝ったら負けちゃうのか?
「逃した魚は大きい」
… とかいうけれど、では捕まえた魚は小さいのか?
「嘘つきは泥棒の始まり」
… では、泥棒は嘘つきの “終点” か?
「可愛い子には旅をさせろ」
… では、醜い子は家に閉じ込めておくのか?
「風邪は万病のもと」
… では、“万病” は風邪の “結果” か?
ま、ことわざって、考えてみると、突っ込みどころ満載の表現なんだよね。
たとえば、
「勤勉は成功の母」
父は誰だ?
「五十歩百歩」
五十一歩の場合はどうなのか?
「山椒 (さんしょう) は小粒でもピリリと辛い」
唐辛子と比較した上でのことか?
「舌を巻く」
イタリア語では珍しくないぞ。
「雄弁は銀。沈黙は金」
“饒舌” は、さしあたり “銅” ぐらいか。
「血は水よりも濃い」
その水が「塩水」の場合だったらどうなのか。
「井の中のカワズ(カエル)は大海を知らず」
カワズを大海に放り出せば生きていけるのか?