アートと文藝のCafe

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「余韻」の正体


 俳句や短歌、そして短いポエムといった文芸形式は、みな短い言葉のなかに、最大級の「美」と「真実」を残すため、言葉の壮絶な “ダイエット” が行われている。

 

 面白いのは、削られた言葉の方に、「美」や「真実」が残ることだ。

 私たちは、通常それを「余韻」という言葉で表現する。
 
 すなわち、「余韻」とは、言葉の残響(エコー)をいうのだ。

 

 
 『現代短歌100人20首』と言う本には、三枝浩樹という歌人の次のような一首が収録されている。

 「寂代(さびしろ)という街、夢にあらわれぬ。いかなる街か知るよしもなし」

 

 基本的に、この短歌は「残響(エコー)」だけでできている。
 「知るよしもなし」
 という表現そのものが、実体が失われた後に残った幻影のようなをたぐりよせているといえる。

 

 そのため、ここで歌われている世界は、夢の中をさまような頼りなさ、心細さ、はかなさみたいなものに包まれている。

 

 

 芸人のタモリが、ある番組で語った言葉にも、ものすごい「余韻」を感じたことがあった。

 

 もう10年ぐらい前のことである。
 1945年の終戦の年から、1990年初期のバブル崩壊に至るまで、NHKが保存していた実写フィルムを次々と流しながら、コメンテーターたちがその感想を語り合うといった番組があった。

 

 そのゲストのなかで、アナウンサーの問に対し、タモリはこんなことを答えていた。

 「いちばん印象に残る時代は何ですか?」
 というアナウンサーが問う。

 タモリはすかさず、
 「バブル以降ですかね」
 と答えた。

 

 つまり、(バブル前の)高度成長の時代までは、とにかく “重厚長大” なものを尊重する時代風潮があって、それに対する息苦しさみたいなものを感じていたという。

 

  そして、バブルの時代になると、今度は一転して、軽くて派手なものばかりが珍重されるようになった。
  しかし、それに対しても違和感を抱いていたとも。

 

 

 彼はいう。
  「バブルの頃というのは、誰もが時代に乗り遅れまいと必死に狂騒のなかに身を投じていたんですね。それは、そうしないと自分自身と向き合うことになってしまうから」

 

 私は、…… ああ、すごいことをいう人だなぁ と思って聞いていた。
 「虚を突かれた」
 といってもいい。


 「余韻」というのが、言外に示唆される “空気感” のようなものだとすれば、タモリがいった「狂騒に浮かれるというのは、自分と向き合うことを避ける手段」というメッセージは、まさに「言外に示唆された空気感」であった。
 私は、それも立派な「余韻」であると感じた。

 

 
 今は、もうテレビタレントとして、しっかりその存在基盤を確立した小島慶子だが、彼女は長い間ラジオの世界で活躍していた人だった。
 
 その小島慶子が、ラジオパーソナリティーからテレビの方に軸足を移し始めた頃、朝日新聞からインタビューを受けたことがある。

 

 

 彼女は、けっして人間の映像が映ることのないラジオというメディアの特質を次のように語る。

 

 「人の姿は、けっこう遠くにいても見えます。では声は? 近くにいないと聞こえない。声が聞こえるということは、生活空間に他者が現れるということなんです」

 

 このとき彼女の言った「他者」という言葉にシビれた。

 彼女は、リスナーから電話を通じて、いろいろな相談を受けるコーナーを持っていたときの思い出を、このように語ったのだ。

 

 「他者」とは、この場合、顔も見えず、素性も分からないただの他人が、突然のっぴきならない存在として、パーソナリティーである小島慶子の意識に食い込んできた状況を表現している。

 

 「声」だけを頼りに、相手の人生を丸ごと抱えて引き受けるという、小島慶子の覚悟のようなものが、「他者」という言葉から伝わってきた。
 この言葉も、いつまでも私の心の奥底に、「余韻」として響き続けた。

 

 こういう表現に触れたとき、なるべく自分はそれを書き写すようにしている。
 そのときは意味が分からなくても、書き写して、何度か読んでいるうちに、何かが見えてくる。


 その「何か」が、今度は次の言葉を探す力を与えてくれる。