アートと文藝のCafe

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印象に残る人、印象に残った言葉

 
 もう5年ぐらい前の話だ。
 NHKで、終戦からバブル崩壊までの70年の歴史を追った特番が企画されたことがあった。
 タイトルは忘れたが、“戦後70年を振り返る” という言葉が入っていたような気がする。

 

 そのとき、NHKが保存していた1945年から1990年までの実写フィルムが次々と流され、登場したコメンテーターたちがその感想を語り合った。

 

 コメンテーターたちが誰だったのか、そして何を語ったのか、実はあまり覚えていない。
 ただ、1人印象に残ったのはタモリだった。
 そのとき私は、タモリのクレバーぶりと、その含羞のこもった発言の味わい深さにほんとうに感心した。

 

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 Wiki によると、タモリは、1945年生まれ。現在74歳だという。
 その番組に出たときは70歳だったので、“戦後70年” を語る生き証人のような役割を与えられて登場した。

 

 彼は、70年の人生のうち、
 「いちばん印象に残る時代はいつでしたか?」
 というアナウンサーの問いに対し、
 「バブル以降ですね」
 と明確に答えた。

 
 
 彼が芸人として世に出たのは、1970年代中頃。
 世は高度成長のまっただ中だった。

 

 しかし、タモリは、どうもその時代を好きになれなかったらしい。
 高度成長期は、とにかく “重厚長大” なものを尊重する風潮が強すぎて、それに対する息苦しさみたいなものを感じていたという。

 

 そして、それに続くバブルの時代は、今度は一転して、軽くて派手なものばかりが珍重されるようになった。
 しかし、それに対しても、彼は違和感を抱いていたとも。

 

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 タモリはいう。
 「バブルの頃というのは、誰もが時代に乗り遅れまいと必死に狂騒のなかに身を投じていたんですね。それは、そうしないと自分自身と向き合うことになってしまうから」

 

 すごい言葉だと思った。
 こんな簡潔にバブル期の人間の心象を的確に表現できる人など、ほかにいないのではないか。

 

 私はタモリの説明で、バブル文化にずっと感じていた自分の違和感の正体を教えてもらったような気がした。
  
  
 戦後の日本が繁栄した時代は、「高度成長期」と「バブル期」の二つに分けられる。

 

 その前半に当たる高度成長期は、とにかく「重厚長大」をよしとする風潮が強すぎて、その時代に生きた人たちは、自分のサクセスのイメージを「成長」というキーワードでしか語れなかった。

 それでも、当時の人々は、それなりに “自分” を確立するためにもがいていたともいえる。

 

 ところが、バブル期に入ると、「自分を確立する」というのはもっとも “ダサい” 行為となった。

 

 「自分の “顔” はひとつではない」
  
 誰もが、いろいろな局面に応じて自分の “仮面” を使い分け、その場その場の “ノリ” で多様なキャラクターを演じながら遊ぶようになった。

 

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 そして、それが常態になっていくにしたがって、みな心のどこかに漠然とした不安を抱えるようになっていった。
 いろいろな “仮面” を付けたり外したりしているうちに、誰もが本当の自分というものを見失ってしまったのだ。

 

 しかし、タモリは、そういう「混乱」と「不安」の中にこそ、人間が自分を見つめ直す契機がある思っていたようだ。


 だから、「バブル崩壊後」の時代の方が、タモリにとって、本来の人間と触れ合うことのできる時代に思えたらしい。

 そう語るタモリの姿は、実に印象的だった。

 

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 小島慶子というラジオパーソナリティーがテレビに活躍の場を移し始めていた頃、彼女もまた、朝日新聞のインタビューに答え、印象的なことを話した。

 

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 彼女は、「人の顔」がけっして映し出されることのないラジオというメディアの特質を、次のように語った。

 

 「人の姿は、けっこう遠くにいても見えます。では声は? 近くにいないと聞こえないですよね。つまり、声が聞こえるということは、生活空間に他者が現れるということなんです」

 

 このとき彼女の言った「他者」という言葉にシビれた。
 それは、「目の前に突然 “人” が現れた」という意味で使われた言葉だった。

 

 彼女はラジオ時代に、電話を通じて、リスナーからいろいろな相談を受けるコーナーを持っていたという。

 

 電話を通じて話しかけてくる相手は、もちろん顔も見えず、素性も分からない。

 
 その “まったく知らない相手” が、のっぴきならない不安を抱え、会ったこともな小島慶子に向かって、必死に何かを訴えかけてくる。

 

 そのときの相手の真剣さ、熱っぽさ、必死さが、いつのまにか小島慶子の目の前で、鮮やかに人間の輪郭を取り始める。

 

 それを彼女は「他者」と呼んだ。
 そして、その言葉から、電話を通じて自分のふところに飛び込んできた相手を丸ごと抱きかかえるという、小島慶子の覚悟のようなものが伝わってきた。

 

 こういう印象的な言葉に触れたとき、なるべく自分はそれを書き写すようにしている。

 
 そのときは意味が分からなくても、書き写して、何度か読んでいるうちに、何かが見えてくる。


 その「何か」が、今度は次の言葉を探す力を与えてくれる。