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「資本主義」の女神 瀬戸内寂聴

 

高度成長期の思想を反映した不倫小説

 

 作家の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)氏が2021年11月9日に逝去。

 

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 いっときテレビのワイドショーやニュース番組は、この報道に明け暮れた。

 

 享年99歳。
 その年まで明晰な頭脳を保ち、現役作家として活躍し、講演(法話)なども欠かさなかったということは驚異的なことである。
 まさに、「人生100年時代」をそのまま地で行ったような生涯だった。

 

 ただ、私は瀬戸内氏の「良き読者」とはいえない。

 

 もちろん、彼女が書いてきた作品には、昔からとても興味を抱いていた。
 しかし、今日まで、その代表作すら読んでいない。
 たまたま縁がなかった、というしかない。
  
 彼女の100年に近い生涯とは、どんなものだったのか。

 

▼ 若い頃の瀬戸内氏

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 氏は、1943年に20歳で見合い結婚し、1944年に女の子を出産。
 やがて夫の教え子と不倫し、1948年には、夫と3歳の長女を捨てて家を出る。

 

 その後は無名に近い作家と不倫し、さらに、大作家の井上光晴と講演旅行にいったことを機に、また恋愛関係に陥る。


 1950年代末になると、氏はそういう不倫や三角関係をテーマにした小説『花芯』で新潮同人雑誌賞を受賞。


 1963年には、そういうテーマをより深めた『夏の終わり』で、女流文学賞を取り、小説家としての人生をスタートさせる。

 

▼ 2012年に満島ひかり主演で映画化された『夏の終わり』(熊切和嘉監督)

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 このたび、テレビで、瀬戸内氏の追悼番組を観ていると、そこに出演した人たちが口々にいうのは、次のような言葉だった。

 

 「若い頃の瀬戸内さんは、自由奔放に恋愛を追求し、欲望のおもむくままに人生を謳歌した人だった」

 

 やがて、そういう生き方に歯止めをかけるために51歳で出家。
 以降、『源氏物語』の現代訳なども手掛ける大作家に転身する。

 

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 しかし、出家してからも、自分の若い頃の生き方を肯定する人であったようだ。
 若い人たちにも「恋愛」を奨励し、
 「青春とは、恋愛と革命だ」
 といってはばからなかった。

 

 テレビで紹介される名言集には、次のようなものもある。

 

 「人生はいいことも悪いことも連れ立ってやってくる。不幸が続けば不安になり、気が弱くなる。でも、そこで運命に負けず勇気を出して、不運や不幸に立ち向かってほしい」

 

 「もし、人より素晴らしい世界を見ようとするなら、どうしても危険な道、恐い道を歩かねばならない」

 

 「恋を得たことのない人は不幸である。それにもまして、恋を失ったことのない人はもっと不幸である」

 
 どれを聞いても、間違ったことは言ってはいないと思う。
 しかし、私の心にグサッと突き刺さってこなかった。
 
 なぜだろう? と思う。

 みな、「どこかで聞いたことのある言葉ばかり」だったからだ。

 

 私は、そういう言葉を、これまでいったいどこで聞いたのだろう?

 

 それらはみな、1960年代から70年代にかけて、日本で興隆していく各企業のCM文化などが生み出してきた言葉だった。

 

 恋愛と冒険。
 不幸を恐れるな。
 危険な道。

 

 今でいえば、
 「ときめきを手に入れるために、リスクをとれ」
 という思想である。

 

 企業広告というのは、「文化」に紛れ込むのが得意だから、文学や映画、音楽などに象徴されるその時代の文化は、みな企業が宣伝したがっている物品の影響からまぬがれることができない。

 

 つまり、瀬戸内氏の考え方の底流にあるものは、日本の高度成長期の高揚感だといってもいい。
 
 そこに、「資本主義」の本質がある。
 「煩悩の積極的な解放」。

 

 資本主義というのは、人間の「煩悩」を全面開花することで繁栄した経済原理だ。
 その結果として、「中世」や「近世」の堅苦しいモラルが崩れ、人々のあらゆる欲望を明るく解き放つ「近代」が出現した。

 

 日本でそれが顕著になってきたのが、ちょうど戦後の復興期。
 瀬戸内氏のメンタリティーというのは、この日本の資本主義がもっとも高度な成長を遂げようとした時代の精神をそのまま体現している。

 

 つまり、彼女が若い頃に追求した「自由恋愛」や「不倫文化」というものは、そういう分野にマーケットを創造しようとしていた企業精神が目指したものと言ってもかまわない。

 

 実際、不倫文化というのは、マーケットが育たないと出現しない。
 恋を知り始めた若者たちは、小遣いがまだ少ないから恋愛にあまりおカネをかけられない。

 

 しかし、大人の恋を始めた中年層ならば、飲食に伴う経費、お洒落に費やす資金、取り交わされるプレゼント品の金額も膨大なものになる。

 

 そういう年齢の人々は基本的には家庭持ちになるから、彼らが恋愛にいそしむときの経費は、みな不倫経済となって世に還流する。

 

 特に、60年代ぐらいに活躍した資産家の男たちは、家庭外に “妾” を抱えることを「男の甲斐性」などといって自慢する傾向すらあった。
 そうなると、妾宅を用意したり、相方に小料理屋を持たせたりするための資金も必要となる。
 この時代の「家庭外恋愛」は、こういう形で経済を活性化させたのだ。

 

 1960年代の高度成長期と同じように、1980年代のバブル期にも、不倫経済が活発化した。


 それを盛り上げる役目を数々のトレンディードラマが担い、不倫ソングがチャートをにぎわした。
 それというのも、(前述したとおり)不倫は、おカネを世に回すからだ。

 

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 2000年代に入って、こういう風潮は沈静化する。
 不倫をしている人はあいかわらず多いのかもしれないが、そういう行動が社会にバレることは恥ずかしいこととなっていく。

 

 つまり、不景気の風が世を支配し、浮かれた不倫文化によっておカネが還流するような空気が色あせることになっていった。
 最近は、そこにコロナ禍の影響も加わった。

 

 現在、不倫を敵対視する主婦層は、旦那がこれまで外で不倫したときに流していたおカネを家庭内に回収するようになっている。
 そういう動きが、不倫する芸能人や政治家をきびしく取り締まる風潮をつくっている。

 

 こういう今の世相に照らし合わせて瀬尾内氏のトークを聞いていると、どこか、ひと時代前の思想に思えてくる。
 彼女のポジティブな物言いにも、なんとなく古臭さが伴う。

 

 「昭和の空気を代表する作家」が、また一人消えていったのを感じる。
 

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