強さのなかに甘さを隠した、新しい土方像
いい映画だった。
『燃えよ剣』(司馬遼太郎・原作/原田眞人・監督)。
あまり期待しないで映画館に入ったが、観ているうちに引き込まれ、土方歳三(岡田准一)が戦死する最後の戦闘シーンでは、つい目頭がウルウルとなった。
原作を知らない人がこの映画をどう評価するのか、そこはよく分からない。
ただ、過去に原作を何度も読み、ドラマ化されたテレビなどもずっと観てきた私などからすると、かなりうまい脚本と演出だったと思う。
原作と映画の “距離感” がいいのだ。
原作のいい部分をそれなりに残し、そこに、映画としての味付けを上手に加えている。
たとえば、ヒロインの「お雪」(写真下)の設定。
原作では、まさに “春の雪” のようにさらりと溶けてしまうような存在として描かれているが、映画では土方の恋人として、かなり濃厚な役柄を与えられている。
つまり、「女性」というジェンダーに気を配る時代になってきたせいか、かなり主体的に振舞う女性像が生まれているのだ。
だから、原作では濃厚だった “マッチョな男性群像” というイメージがだいぶやわらいでいる。
普通、原作の評判がよすぎるものは、映画化でだいたいつまづく。
広範な読者に支えられた “名作” になると、観客はみな自分なりのイメージを頭のなかで完成させているから、イメージ通りに話が進まないと、たいていの人は映画の方を “駄作” と感じてしまう。
特に『燃えよ剣』は、司馬遼太郎の幕末もののなかでも名作中の名作といわれた作品。
つまり、映画を観に来るたいていの読者は、それぞれ自分なりの土方像を心に刻み込んでいるから、下手に映画化されて、それを壊されることを嫌う。
しかし、この映画はそこをうまくかわした。
一番の理由は、主役を張った岡田准一の存在感が際立っていたからだ。
もとは、ジャニーズ出身のアイドル(V6)。
甘いマスクが売りの役者だった。
しかし、いくつかの時代劇映画や大河ドラマの主役を張った経験が生きてきたのか、愁いを秘めた大人の顔立ちが似合う役者になっていた。
私のような年寄りのなかには、新選組ドラマとしては、いまだに1960年代から70年代に制作された『燃えよ剣』(&『新選組血風録』)が最高傑作だと思う人が多いかもしれない。
だから、私なども、土方歳三のビジュアルとしては、そのとき主役を演じた栗塚旭(下の写真 左から2人目)の姿を思い浮かべてしまう。
栗塚旭の土方歳三は、冷酷非情な “鬼の副長” という性格を強く打ちだしていた。
岡田准一の土方は、それに比べると、まだ甘い。
もちろん「強さ」を強調した演技に徹しているが、その奥底には、甘さが残り、その甘さのなかに、女性あしらいが苦手だった土方という男の弱さも見え隠れする。
しかし、岡田准一はそういう弱さを表現できたからこそ、お雪という恋人と切ない感情をかわす演技がこなせたと思っている。
脇役たちはどうか?
今回近藤勇を演じた鈴木亮平は、どうしても “人の良さ” みたいなものが表情に浮かんでしまう。
江戸末期に、百姓からサムライを目指した人間の凄みに欠ける。
▼ 本物の近藤勇
芹沢鴨を演じた伊藤英明はどうか?
もともと端正な顔立ちの役者なので、演技やメイクだけでは「芹沢鴨の怖さ」が出てこない。
このあたり、別のドラマで芹沢鴨を演じた豊原功補(写真下)ぐらいの “いやらしさ” があっても良かったと思う。
沖田総司を演じた山田涼介はどうか?
まぁまぁの演技だった。
無邪気な青年剣士という役柄はうまくこなしていた。
でも、やはり1970年代の『燃えよ剣』で沖田を演じた島田順司(写真下)にはかなわない。
“イケメン度” では山田涼介の方が上かもしれないが、男の剣客を恐れることのなかった沖田総司でも、おそらく童貞のまま死んでしまったのだろうなぁ … という風情を色濃く残した演技をこなしていたのは、山田よりも島田順司であったように感じる。
本映画の最後は、北上してきた新政府軍と、函館政府軍が五稜郭周辺で戦う野外の戦闘シーンとなる。
前半の池田屋事件や芹沢鴨暗殺の場面がほとんど濃密な室内劇だったので、この野外戦闘シーンには解放感がある。
ラストシーン。
あらかたの勝敗が決まり、単騎新政府軍の陣地に向かう土方。
「何者だ?」
と誰何(すいか)する新政府軍の隊長に対し、死を覚悟した土方は、京の町で浪士たちを奮えあがらせた「新選組副長、土方歳三」と叫んだまま抜刀する。
無数の銃弾を受けた土方の姿がストップモーションで凍結し、エンドマーク。
このへんは、司馬遼太郎の原作通り。
司馬遼太郎によると、土方の名を聞いた政府軍兵士たちは、
「白昼、大空から突然龍が舞い降りるのを見たかのように震え上がった」
ことになっている。
いつもながらの、ずいぶん盛った描写だ(笑)。
土方の戦死については、近年の研究では諸説あるようだ。
しかし、こういう司馬ファンにはなじみのある定番で終わらせるところに、私などは納得する。