“昭和のお笑い” を代表する芸人グループ「ドリフターズ」のコントを久しぶりに観た。「ドリフターズ」の結成60周年を記念した「ドリフ大爆笑 国民が選ぶベストコント60」(フジテレビ)という番組である。
彼らのお笑いのパワーに、改めて圧倒されたといっていい。
今の芸人たちのコントと何が違うのか?
リズム感である。
「次はこうなるだろう、その次はこうなるはずだ」
と、視聴者もある程度コントの流れを予想できるものもあるが、たとえその流れどうりに進んでも、ドリフのコントは、いつのまにか視聴者の体内に心地よいリズムを発生させる。
「間の取り方のうまさ」
あるいは、
「テンポの良さ」
といってもいい。
これは、彼らがバンドマンとしてスタートしたことと関係している。
みなそれぞれ得意の楽器を持ち、全員でアンサンブルをこなす力量をもっているのだ。
だから、コントの構成に関しても、グループ各自の関わり方にリズムが生まれてくる。
リズム感というのは、ネタとして表現する言葉がない。
まさに「無言の躍動感」ともいうべきものだ。
それが、芸人を評価するときの「味」という言葉につながる。
今の芸人たちのコントに「味」はあるのだろうか?
私には感じられない。
「味」というのは、今言ったように、「言葉にならない躍動感」だ。
なのに、今の芸人たちは、トークによる “意味のはぐらし方” で笑いを取ろうとする。
言葉による「はぐらかし」は、しょせん脳内の作業に留まらざるを得ない。
ドリフターズは、その脳内の作業から飛び出したところで芸を披露した。
だから、今観ても、「身体が笑ってしまう」のだ。