煙草をやめて、7~8年経つ。
その時期に肺を患って入院したおかげで、スパッと断ち切ることができた。
おかけで、禁煙後に会った人たちからは、
「ずいぶん顔色が良くなったな」
と言われた。
それ以前は、土葬されて掘り起こされたゾンビみたいな顔色だったそうだ。
しかし、入院する前は、煙草を1日40本以上吸っていた。
原稿を書くような仕事をしていると、四六時中加え煙草でキーボードに向かっているという状態になる。
仕事中、自分の書いた記事をチェックしようと思ったときは、必ず煙草に火をつけてからモニターを眺めた。
そうすると、自分の原稿を “他人の視線” で読み返すような気分になれたのである。
もちろん “錯覚” でしかない。
ただ、そういう習慣は、一度身についてしまうとなかなか抜け出せない。
そんなわけで、煙草を吸っていた時代は、カミさんにずいぶん迷惑をかけた。
「あなたと一緒にいると、肺ガンになりそうだ」
と事あるごとに、怒られた。
彼女は煙草が嫌いだったから、煙草そのものに対する知識も乏しかった。
だから、煙草のパッケージに何本入っているか知らなかった。
ある日、
「1日何本煙草を吸っているの?」
と聞かれたことがある。
「ま、せいぜい1~2本かな」
「そんなわけないでしょ。その箱から立て続けに取り出しているじゃない。いったい1箱に何本入っているの?」
「店によって当たり外れがあるんだよ。15本ぐらいしか入っていないときもあれば、25~26本入っているときもある」
「そんなバラつきがあったら、みんな困るじゃない」
「そうだよ。俺がこの前買った煙草の箱には、12本しか入っていなかった」
「どうしたの?」
「煙草屋のオバサンに文句を言ったのよ。あまりにもヒドイんじゃない? … って」
「そうしたら?」
「オバサンこう言うのさ。文句を言われてもあたしゃ困るわ。だって、いちいち封を切って、中身を調べることなんかできないから」
「そんなの当たり前じゃない」
「そうだろ? だから『日本たばこ産業』に文句をいってくれってわけさ」
「で、文句を言ったの?」
「そう。そしたら、グローバル時代になった現代では、工場も海外に移っていてさ。東南アジアの山奥にある工場なんかでは、労働者が一仕事終わるたびに、お客さんに渡す前の商品から一本ずつ抜いて、一服してしまうらしい」
「バカバカしい。山奥で密造拳銃をつくっているわけでもあるまいし」
「そうなんだよ。そんなずさんなクオリティーコントロールで、よく『日本たばこ産業』なんて看板を掲げられるものだ、と怒ったわけ」
「そうしたら?」
「電話に出た担当者が言うわけよ。お客さんね、本数が少ないときもあったろうけれど、多いときは24~25本入っていたときもあるでしょ? だから皆さん最終的には平均20本ぐらいは確保しているわけですよ … ってさ」
「もうそんないい加減な商品買うのやめなさい」
「そうなんだけどさ。でもね、煙草を買うときに、今日は多く入っているかな? それとも少ないかな? … というスリルを味わうのがたまらないわけよ」
「バカバカしい !」
ま、その昔、こんな会話が日常的に交わされていたわけよ。
ホントの話。