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「親ガチャ」という言葉を好む若者の意識

 「親ガチャ」という言葉を巷でよく聞くようになった。

 

 主に若い人が使う言葉で、
 「自分の親に対する不満」を、
 「こんな親のもとに生まれてしまって、ビンボーくじを引いた」
 という意味で使う。

 

 “ガチャ” とは、コインを入れて手に入れる自販機の玩具。
 取り出すまでは中身が分からない仕組みになっていて、うまくいけば、欲しいものを手に入れる喜びも得られるが、要らないモノを手にしたときの失望感を味わうことも多い。

 

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 「親ガチャ」という言葉には、この失望感が投影されている。
 つまり、自分の方から親を選べない子供が、自分の両親に失望したときの気分を代弁した言葉なのだ。

 

 「自分はビンボーな家に生まれた」
 「両親には社会的な地位もなければカネもない」
 あるいは、
 「両親がブサイクだから、俺(私も)ブスになった」


 
 つまり、生まれた環境に対する不満をすべて “親のせいにする” という発想が「親ガチャ」という言葉に集約されている。

 

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 私は、こういう言葉が流行してきた背景として、
 「格差社会が若者の間にも根を下ろしたな」
 という気分を抱いている。

 

 つまり、どんなに努力しても超えられない貧富や美醜の差。
 「持てる者」と「持たざる者」との “壁” が、これほどはっきりと立ちはだかるようになったのは、昭和や平成の時代にはなかったことかもしれない。
 
 ある学者は、「この言葉には、世代間の認識ギャップが表現されている」という。
  
 つまり、日本経済が大きく成長していた1990年代までを体験した中高年は、進学・就職・昇進などで自分のなした努力以上のリターンを得ることができた。

 

 しかし、30歳代以下は、生まれたときから経済成長1%台の世界を生きてきたため、努力しても報われない経験をたくさん知ってしまった。

 そのため、「親が裕福でないかぎり、充実した人生を歩むことなどできない」と考えがちになっていった。

 

 つまり、
 「親ガチャに外れた場合は、あきらめるしかない」
 そう思う若者が増えたのだ。
 (朝日新聞 2021年10月14日オピニオン&フォーラム)。

 

 では、これとは逆に、「親ガチャ」によって得した若者や、その親たちはどう思っているのだろうか。

 テレビ朝日のモーニングショー(羽鳥慎一アナウンサー)で、コメンテーターの玉川徹氏はこんなことを言っていた。

 

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 「親ガチャという言葉が流行る背景には、確かに経済格差の広がりがある。しかし、よく考えると、そこには、もう一つの格差がある」

 

 玉川氏は、それを「教育格差」だと指摘した。
 つまり、
 「おカネがあり、教育レベルの高い家庭を営むことができた親たちは、子供にも高い教育を授けようとする」

 
 それが「塾」であり、「家庭教師」であり、さらには、教育レベルの高い地域に引っ越していくなどという手法である。
 そういう家庭環境に恵まれた子弟たちは、その親の力で優秀な進学校に進んでいく。

 

 一方、教育格差の下位に沈んでいる家庭の親は、子供に、
 「好きなことをしなさい」 
 と甘やかす。

 

 ある意味、これは「個性を伸ばしなさい」という親のメッセージとも受け取れる。

 

 だから、子供にとってそれはうれしい言葉だ。
 しかし、現実的には、そういう子供たちは、「塾」にも行かず、「家庭教師」をつけてもらうこともなく、家で野放図にゲームに没頭する日々を送ることになる。

 つまり、それが結果的に、その子が成人したとき、「親ガチャ」という不満を形作るようになる。

 

 もちろん、「モーニングショー」の玉川徹氏は、そういう家庭の状況を嘆いたわけではない。
 「親ガチャ」という若者言葉が生まれる背景として、経済格差のほかに、教育格差というものが無視できなくなったことを指摘したにすぎない。

 
 玉川氏によると、このような “格差” は、情報格差も醸成しているという。
 つまり、都市部と地方の間に格差が生まれ始めているとか。 

 

 要は、進学などの情報において、都市部と地方では、「塾」や「家庭教師」たちが取得する情報の蓄積量の差が開きつつあるというのだ。

 

 人口密度の高い首都圏では、教育レベルを向上させるためのノウハウや知識が幾何級数的に蓄積していく。
 そういう “空気” を呼吸することによって、教育指導者たちも生徒たちも、頭の構造を劇的に変えていく。


 
 こうして生まれてくる “頭のいい子” は、勉強ができるだけでなく、モテ度も学んでいく。
 テレビのクイズ番組で人気の高い「東大王」などという出演者たちは、そういう若者たちだ。

 

 こういう社会現象をどうとらえればいいのか。

 

 いろいろなことが考えられる。

 

 「経済格差」は、確かに、お金持ちとビンボー人を差別していく世の中をつくる。

 

 しかし、「教育格差」というのは、ある意味、国(政治)が関わってくる問題だ。
 つまり、国が力を入れて教育の問題に取り組んでいけば、それは、若者たちの教育レベルを均一に引っ張り上げていくことも可能であり、そうなれば「格差」ではなく、「平等」が生まれる。

 

 そのように、学力が均等に上昇していけば、今度は国力を押し上げていくことにつながる。 
  
 ただ、それは理想論だ。
 現実的には、経済格差と教育格差は、同じ度合いで推移していくことが多い。
 
 このように、「親ガチャ」という言葉は、いろいろなことを考えさせてくれる。