今年(2021年)は、映画監督の森田芳光デビュー40周年、没後10年に当たる。
それにちなんだのかどうか知らないが、この夏テレビのBS放送で、森田監督の代表作ともいえる『家族ゲーム』が再放映されていた。
この映画を最初に見たのは、2011年の暮れ。
まさに、森田監督の没年を焦点を当てた放映だった。
そのときすでに、制作されてから30年以上経っていたが、全体に流れる奇妙な不条理感をとても面白く感じた。
ただ、派手なつくりの映画ではまったくない。
子供の教育には熱心だが、愛とうるおいを欠いた夫婦(伊丹十三&由紀さおり)と、不良になることもなければ上昇志向もない子供たちとの、なんとも取りとめもない家庭ドラマといえば、それ以上つけ加えることはあまりないのだ。
その間に割って入る家庭教師(松田優作)も、ときどき型破りな行動でハラハラさせるが、喜怒哀楽を表に出さない、とらえどころのない青年として登場するだけ。
映画の背景となる場所も、工場の間に宅地造成値のような無意味な空間がやたらと広がる人の息遣いを欠いた情景が中心となる。
家族が住むのは、取りとめもなく広がる街並みを見下ろす高層マンション。
そこからの眺めは、展望のよさに恵まれる喜びよりも、生活の基盤が “宙に浮いている” という頼りなさの方を強調している。
公開された80年代当時に観ていたら、どんな感想を持ったか分からないが、ここには、明らかに、あの時代特有の空気のようなものが漂っているのを感じた。
なんといったら、いいんだろう。
私にとって、(後にバブルの時代として華々しく語られる)1980年代の始まりは「古典的な人間像や世界像が崩壊していく時代」の始まりだった。
この映画が制作された1983年という年は、写真家の藤原新也が『東京漂流』を書いた年でもある。
藤原新也は、この評論集の中で、東京という街が80年代に入ってからは、自然の根っこを失った完全なヴァーチャル空間に変容し、人が「人」でなくなっていく様相を、まさにカメラのシャッターを押すがごとくに切りとった。
藤原新也の切りとった “風景” の中でも、全体のトーンを決める核となったのが、エリートサラリーマンの家庭で起こった「金属バット殺人事件」だった。
受験勉強をうるさく迫る父親を、高校生の息子がバットで殴り殺すという事件で、当時、それは「家族の崩壊」を象徴するエピソードとして人々を震撼させた。
この事件のことは、映画『家族ゲーム』の中にも出てくる。
受験目標をレベルの低い高校に設定しようとする次男のことを、父親と母親が相談し合うシーンだ。
母親がいう。
「あの子がどうしても神宮校を受けるといっているんですけど」
父親が答える。
「そんなバカなことがあるかよ。西武高じゃなきゃだめなんだよ」
「じゃあ、お父さんが言ってくださいよ」
「オレがあんまり深入りすると金属バット殺人が起こるんだよ。だから、お前や家庭教師に代理させてるんじゃないか」
伊丹十三の、いかにも身勝手な父親役が光っているせいもあって、ここでは、子供と面を向かい合うことを避けている親たちの姿が見事に描かれている。
『家族ゲーム』は、そのような「人間が人間と触れ合う」ことを微妙に回避するような時代の始まりを、巧みに捉えた映画だ。
しかも、徹底的に、わかりやすく捉えた。
たとえば、よく話題になる、家族の食事シーン。
家族が、細長いテーブルの片側だけに並び、誰とも顔を合わせることなく食事を続ける。
その食卓では、父親を中心に、いかに受験競争を勝ち抜くかという話題が一方的に繰り広げられる。
だが、受験戦争を勝ち抜くことの「意味」が語られることはない。
いや、語られてはいるのだが、それは「レベルの高い学校に進学してレベルの高い企業に就職するため」という理屈を超えるものではなく、では「なぜレベルの高い企業に入ることが幸せなのか?」という疑問は封印されたままである。
というか、お父さんの頭には、そのような “問” そのものがない。
この映画は、はたして何を描きたかったのだろう。
ある意味で、分かりやすいのだ。
紆余曲折の果てに、めでたく息子を志望校に進学させた両親は、家庭教師を招いてホームパーティーを開く。
しかし、父親はその “めでたい席” で、はやくも今度は、まったく勉強をしない上の息子を責め始める。
「今度は、お前が勉強する番だ」といいながら、食事がまずくなるような説教を延々と垂れ流す。
その父親に向かって、隣りに座った家庭教師が、粗相をしたふうに装いながら、わざとワインを父親にかける。
父親は、それにも気づかず、下の息子への説教をエスカレートさせる。
その間に、親子・兄弟同士のケンカも始まる。
家庭教師の方も、徐々に父親に対するいたずらをエスカレートさせ、スープをこぼし、マヨネーズをふりかけ、最後はテーブルをひっくり返して、「失礼します」と家を出ていってしまう。
それは、まさに画一的な教育論で子供たちを締めつける俗物オヤジに対する家庭教師の抗議ともいえるシーンだった。
たぶん、多くの観客が溜飲を下げるのは、このときだろう。
「ダメおやじ、ざまーみろ! 松田優作よくやったね」と。
家庭教師が去ったあと、家族は床に散らばった食べ物や皿を拾いながら、ようやく面と向かって顔を合わせる。
それは、バラバラだった家族が、はじめてひとつの “目標” に向かって協力し合うことに目覚めた瞬間のようにも思える。
ここで終われば、『家族ゲーム』は、非人間的な教育体制にプロテストする “反・受験競争映画” としての整合性を持ち得たかもしれない。
しかし、森田芳光は、そこで終わらせなかった。
最後に、なんとも奇妙なエンディングを持ってくるのだ。
戸外には暖かい空気が流れていそうな、のどかな昼下がり。
テーブルの上で手仕事をしていた母は、ふと上空に漂う不穏なヘリコプターの音にきづく。
「あら、何か事件でも起こったのかしら?」
そう思って、母親は、高層マンションの窓から外を覗く。
外には、何事もなかったような平和な光景が広がっている。
子供たちの部屋を覗くと、二人とも床の上にゴロンと昼寝をしていて、起きない。
ヘリコプターの音は、依然として頭上で鳴り響いている。
なのに、その母親は、のんきそうなあくびをしてから、そのままテーブルに突っ伏して、けっきょく自分も昼寝をしてしまう。
眠りに落ちていく3人と、鳴り止まぬヘリコプターの音。
不吉な、しかし、あくまでも平和で、のどかなエンディング。
これは秀逸なラストだと思った。
森田芳光のマジックに、まんまと乗せられてしまったと思った。
この奇妙なエンディングこそ、作者が感じ、さらにその当時の観客も感じた「80年代の始まり」だったのだ。
今の私たちは、このときから始まった80年代という時代をよく知っている。
それは、「バブルの時代」として、日本中が消費文化の頂点で狂乱を極めた時代のように思われている。
しかし、その時代の始まりは、決して、“狂乱の時代” の様相を呈していなかった。
むしろ、静かな時代の始まりだった。
ただ、それまでの日本人が信じていた伝統やら、親・兄弟の絆やら、もっと大仰にいえば、“人間観” のようなものが、不思議なものに変容していく時代の始まりだったのだ。
今、この映画を観て、私は思い出す。
80年代の始まりは、「平和」や「豊かさ」が、同時に「不安」に転じる時代の幕開けだったことを。
そのことを、森田芳光は、のどかにまどろむ親子の頭上に鳴り響く「ヘリコプターの音」として捉えた。
そこには、死の気配がある。
「殺人による死」ではない。
平和に慣れてしまうということが、豊かさに慣れてしまうということが、何かの死を暗示するという意味での、「死」の気配が漂う。
それは、“豊かさが腐りかけていた” あの時代特有のもので、たぶん今のような、本物の貧しさが到来してしまった時代には、このような映画は作り得ないように思う。