クラシック J ポップ「飾りじゃないのよ涙は」
こんにちわ。
ディスクジョッキーたぬき がお送りする「クラシック J ポップ」の時間がやってまいりました。
さて、今日は、1984年に中森明菜さんがヒットさせた『飾りじゃないのよ涙は』を取り上げてみようと思います。
実はですね、ごく最近のことなんですが、朝日新聞の「be」という土曜日版(2021年10月9日)で、中森明菜さんの特集をしておりましたですね。
タイトルは、「今こそ! 聴きたい 中森明菜」。
なんでも、来年の5月というのは、中森明菜さんがデビュー40周年を迎えるということなんですな。
いやぁ、まぁ、すごいですねぇ!
デビュー40周年。
彼女の歌を青春時代に聞いていた人たちというのも、もう50歳から60歳ぐらいということになるんでしょうかね。
月日の経つのは、実に早いものであります。
で、その朝日新聞の記事には、読者アンケートによる「好きな曲ランキング」というのが載っておりまして、なんと『飾りじゃないのよ涙は』(1984年)が967票を獲得して1位にランクされておりました。
ちなみにですね、2位は『少女A』(1982年 768票)。3位は『スローモーション』(1982年 628票)の順になっておりました。
以下、
4位 『セカンド・ラブ』(1982年 626票)
5位 『DESIRE』(1986年 611票)
6位 『北ウイング』(1984年 566票)
7位 『ミ・アモーレ』(1985年 557票)
8位 『難破船』(1987年 465票)
9位 『十戒』(1984年 268票)
10位 『サザン・ウインド』(1984年 253票)
▼ 中森明菜
で、新聞には、この『飾りじゃないのよ涙は』を選んだ読者の声というのも紹介されておりました。
「はじめて聴いたときは圧倒された。かわいいにもかかわらず、若い女の子がドキッとする鋭い歌詞をカッコいいパフォーマンスで歌う。その姿に魅了された」(千葉、73歳男性)
「この歌は衝撃的な名曲。作詞・作曲の井上陽水さんもセルフカバーしていたが、唯一、作り手本人が勝てなかった曲。明菜バージョンをもう一度聞きたい」(東京、59歳男性)
なるほどね。
確かに、この曲はですねぇ、J ポップ史の中でも、ひとつのエポックメーキング的な作品として、永遠に残る曲になっているかと思います。
この歌がヒットした頃、このタヌキもまだ30代でしたけど、最初に聞いたときの衝撃は、今でも生々しく身体の中に刻まれているという感じがしますです。はい。
すてばち … っていうか、開き直りっていうのか。
つまり、男に対しても、社会に対しても、「負けちゃいけない ! 」と壮絶に生きている女の子の “魂のツッパリ” という気配が伝わってきますよね。
『少女A』(1982年)という、これまた非行少女をイメージさせるような挑戦的なタイトルの曲でブレイクした中森明菜のイメージを決定づけたのが、この『飾りじゃないのよ涙は』(1984年)であったように思います。
▼ 「少女A」
ま、とにかく聞いてみましょう。
お話は、その後で。
いかがでしたか?
歌の背景となっている情景がぷつぷつと泡立ってくるような、まぁイメージ喚起力の強い歌であったように思います。
歌い出しは、「私は泣いたことがない」であります。
そして、この歌の主人公は、
灯の消えた街角で 速い車にのっけられたり、
冷たい夜のまんなかで いろいろな人とすれ違ったり、
友達が変わるたび 思い出ばかりが増えたり … するわけですけど、それは「泣いた」のとは違うと思うわけですね。
そして、自分は「ほんとの恋をしていない」と悟るわけです。
では、本当の恋とは何でしょう?
もちろん、それが何であるかは、この歌詞には描かれておりません。
しかしながら、本当の恋をするときの「自分」と、さびしくて空虚な思いに沈んでいる今の「自分」との距離感だけはビンビンと伝わってきます。
ここには、地方都市のコンビニを唯一のたまり場として、長く退屈な夜をもてあましながら、身の凍るような寂しさに耐えている少女の姿が浮かんできます。
さらに、ゆきづりの男たちとの火遊びをいっぱい経験しながら、それには決して癒されることのないヒロインの虚無的な孤独感も伝わってきます。
で、この曲を語るときに欠かせないのが、松田聖子さん(上)という、明菜さんのライバルの存在ですね。
実は、この曲、松田聖子的な世界に対する “全面戦争” だったんですね。
どういうことか。
この当時、松田聖子は、80年代 J ポップシーンの代表的アイドルでした。
彼女の歌は、80年代ポップスの甘くてファンシーで、夢のように華やかな世界を全面開花させたものだったんですねぇ。
▼松田聖子
なんといっても、松田聖子のバックについたスタッフたちがすごい。
曲はユーミンこと松任谷由実さん。詞は松本隆さん。
日本のJ ポップシーンを代表する “三松” が結集したんですね。
ユーミンという人は、なにしろ、自分の音楽を “中産階級サウンド”、“有閑階級サウンド” と命名したくらいの人ですから、もう徹底してセレブ志向です。
つまり、それまでの “四畳半フォーク” といわれた土俗的な歌を完全否定することによって、自分の世界を築いてきた人なんですね。
一方の歌詞を担当した松本隆も、はっぴいえんど時代から洋楽のセンスを取り入れた日本語ロックを目指してきた人ですから、まぁ、これもあか抜けた歌詞をつくります。
従って、この二人が松田聖子に歌わせる歌というのは、どこか架空のリゾート地を舞台にしたような、お金に困らない中産階級の若者たちの恋を描いた歌だったんですね。
それが、ちょうどバブル期の日本をぴったり表現した曲になっていたことは否定することができません。
そういうセレブ志向に真っ向から挑んだのが、心の血を流しながら唇を噛みしめる『飾りじゃないのよ涙は』の少女だったんですね。
歌詞にも仕掛けがあります。
松田聖子の代表的なヒット曲に『瞳はダイヤモンド』があるんですが、その最後の歌詞は、「涙はダイヤモンド」という言葉で終わっています。
それに対して、中森明菜は、
「ダイヤと違うの、涙は !」と、
きっぱりと歌い切ります。
ね! どこかのお坊ちゃんの腕に抱かれて、将来の社長夫人を夢見る松田聖子的な女の子像に対し、コンビニの前にしゃがみ込んで夜をつぶすしかない明菜的な女の子が、つぶやくわけです。
『飾りじゃないのよ涙は』
って、唇を噛み締めながら。
80年代の光と影。
聖子と明菜は、まさにそのように棲む場所を分けながら、それぞれのファンにメッセージをおくっていたわけですね
… というところで、時間となりました。
それでは皆さん、また来週。