2020年の年末、BS放送のWOWOWで、深作欣二の『仁義なき戦い』シリーズ全5作をまとめて特集していた。
全部、録画して、久しぶりにじっくり見た。
やっぱり、いい映画だ!
面白い!
… と思ったけれど、昔映画館で見ていたときと何かが違う。
ふと気づくと、隣にカミさんがいて、ときどき一緒に画面を見ているのだ。
しかも、
「こんな汚らしいヤクザ映画のどこがいいの?」
とぼやきながら、“市の教育委員会の会長” みたいに眉をしかめて、こちらの顔をうかがっている。
それが違和感の元凶だと知った。
あのシリーズは、“平和な家庭のリビング” で、カミさんとか(彼女とか)、そういうカップルで見るような映画ではないのだ。
1970年代に新宿の場末にあったような、トイレの臭いが充満する “汚い” 映画館で、家に帰ってもすることのない男たちが見る映画だったのだ。
そういう映画館では、「禁煙」の表示を守る観客などいない。
館内全体が煙草の煙で霧がかかったようになっている。
どの客も前のシートに足を乗せ、首をのけぞらせた状態で寝そべって画面を眺めている。
そのアウトロー的な客席の空気感が、まさに映画の内容と見事にシンクロしていた。
つまり、そういう環境の中でこそ “癒される” 男たちの映画だったともいえる。
映画&アニメクリエーターの押井守は、
『押井守 映画監督が語る 映画で学ぶ現代史』(写真上)
(2020年11月2日 日経BP発行)
という本で、「仁義なき戦い」に1章を割いている。
そこで彼は、(写真上)は、
「これはヤクザの世界を借りて、“日本の戦後” を語った映画。つまり、戦後日本の近代化路線に着いていけない人間たちを描いた作品」
と表現した。
押井は語る。
「1960年代~1970年代というのは、日本が復興を果たして経済大国になり、東京オリンピックや大阪万博まで成功させてイケイケの時代だった。
でも、なかには、経済復興と経済大国の恩恵にあずかれなかった人間もいっぱいいた」
あのシリーズが空前絶後の大ヒットを記録したのは、60年代末期、経済的繁栄から落ちこぼれた人が大量に出現したことを物語っている、とも。
60年代から70年代に入ると、そういう人たちを置き去りにしたまま、政治もメディアも、戦後復興によって大金をせしめた人間のサクセスストーリーだけを追うようになった。
それに反比例して、繁栄から取り残された人間たちの怨念も次第に高まっていった。
仕事は単調で退屈。
上司は陰険。
給料は安い。
女もいない。
友達もいない。
そういう孤独な青年たちが、仕事がはねた後、新宿などの盛り場に流れて来る。
紀伊国屋ビルあたりのシャレた喫茶店やレストランは、幸せそうなカップルでいっぱいだ。
孤独な男たちの足は、自然に場末の「新宿昭和館」あたりに向かう。
そこで公開されていた『仁義なき戦い』シリーズなどは、彼らの心のダイナマイトに火をつける導火線となったろう。
なにしろ、映画のなかの極道たちは、みな自分を苦しめていた劣等感に別れを告げ、「欲望全開人間」に変身していく。
そのときの捨てばちな開き直り。
なにしろ、気の弱い青年にはぜったい吐けないようなセリフを、映画の中の極道たちは平気で口ばしる。
第2作『広島死闘篇』(1973年)に出て来る大友勝利(千葉真一)のセリフ。
「ワシらはうまいもん食うての、マブいスケを抱く。そのために生まれてきとんじゃないの」
こういうあけっぴろげの快感原則の開陳は、仕事や社会に従順に生きてきた若者の心に刺さってくる。
おそらく、映画館を出た若者たちは、その後、居酒屋で独り飲む酒にも気合が入ったに違いない。
「ワシら広島の極道はイモかもしれんがのぉ、旅の風下に立ったことはいっぺんもないんで。神戸の者いうたら猫一匹通さんけ。よく覚えとけいや」
とか、テーブルに向かって、一人つぶやきながら。
この私自身、『仁義なき戦い』の名セリフをたくさん覚え、居酒屋などで独り酒を飲みながら、壁に向かって、ずいぶんつぶやいた。
私もまた、卒業してからしばらくは、まともな仕事につけなかった時代がある。
仕方なく、街のイタリアン・レストランの2階でウエイターのアルバイトをこなし、そこのレジを閉めてから、1階のスナックのカウンターに入って、バーテンをやった。
ある日、ある学園のクラス会のパーティーがあるといわれ、レストランのテーブルにオードブルなどを並べていたら、入ってきたグループがみな私のかつてのクラスメイトだった。
酔った彼らの会話から、銀行や損保に就職した仲間が多いことが分かった。
連中はみな三つ揃いのスーツに高級腕時計。
私の方は、白シャツに黒い蝶ネクタイ。
そのなかの酔っぱらった一人が、ビールを運んでいる私の肩に手を置き、
「職業に貴賤はないからな。気を落とすことはないよ」
と、(おそらく励ますつもりで)語り掛けてきた。
…… 冗談じゃねぇや、と心のなかで思った。
俺のことを、落伍者か何かのように思ってやがる。
私は、そのレストランで、社長やキッチンの仲間にも愛され、それなりに充実した日々を送っていたのだ。
当時の私は、銀行や損保へ就職することがエリートコースだと思ってもいなかったし、(生意気にも)むしろ、そういう生き方を軽蔑していた。
私に声をかけたサクセス組の友が、その後、どうなったのかは知らない。
ただ、彼の世界観の貧しさが、そのときの私にはとても腹立たしいものに感じられた。
70年代の私は、そうとう鬱屈した気分のまま生きていた。
その頃にずっと見ていた『仁義なき戦い』は、いまだに私にとって、元気を与えてくれる映画であり続けている。