アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

サラリーマンたちが演じる“やくざ映画”『半沢直樹』

 やっぱ『半沢直樹』は面白いわ。
 7月27日(日)に放映された第二話の視聴率は22.1%だったという。

 

 私は、この視聴率がどれほど高いものなのかはよく分からないが、NHKがしきりに番宣を繰り返す大河ドラマ麒麟がくる』の平均視聴率が15~16%台だといういうことを考えると、『半沢 … 』は、ドラマとしてはいい線をいっていると思える。

 

f:id:campingcarboy:20200728182541j:plain

 

 面白さのツボは、ケンカの見せ方にある。

 主人公の直樹と、その敵役が見せる相手を恫喝するときの “顔芸” の迫力。
 小気味よい啖呵(たんか)の応酬。

 

f:id:campingcarboy:20200728182611j:plain

 

 肉体を使った殴り合いこそないものの、このドラマの本質は、対立するもの同士の「言葉」と「顔」によるケンカだ。

 

f:id:campingcarboy:20200728182626j:plain

 

 そういった意味で、これは、サラリーマンたちによる “やくざ映画” なのだ。

 

 『半沢直樹』を見ていて、私が思い出したのは、もう50年前につくられた東映やくざ映画仁義なき戦い』(写真下)シリーズだ。

 

f:id:campingcarboy:20200728182645j:plain

 

 やくざ映画というのは、派手なアクションを売り物にする “バイオレンスドラマ” だと思われがちだが、実はアクションシーンというのは、本当の見せ場ではない。
 
 その手の映画でいちばんスリリングなのは、俳優たちが肉弾戦を演じる前のセリフの応酬である。

 

 敵対する組織同士が縄張りを主張したり、自分たちの利益を確保するために、相手の組を恫喝したり、牽制したりするときの “言葉の輝き” 。

 

 怒号を爆発させる前に、ときに静かな笑いを浮かべ、ときに相手を嘲弄するイヤミを並べ、お互いに侮蔑と威嚇の限りを尽くす。

 

東映仁義なき戦い』の1シーン

f:id:campingcarboy:20200728182710j:plain

 

 そういうときに使われるセリフと “顔芸” は、素人にはそう簡単にマネできない。

 

 それは、やはり “ケンカのプロ” として日頃から訓練を積んできたやくざ者同士の “芸” の世界に属するものだ。
 
 映画『仁義なき戦い』におけるやくざ同士の口喧嘩は、たび重なるシナリオの練り直しによって、完璧な芸として完成されていた。

 

 それを、その時代のもっとも芸達者な役者たちが競い合って演じた。
 だから、見ていると、惚れ惚れするような “しゃべりのドラマ” が実現していた。 

 

 『半沢直樹』は、この伝統的なやくざ映画の見せ場を、銀行マンや証券マンといったサラリーマン世界に移し替えたドラマなのである。

 

f:id:campingcarboy:20200728182755j:plain

 

 特に成功しているのは、間の取り方だ。
 
 敵対する相手側が討論の現場で、半沢直樹を窮地に落とし入れる。
 絶体絶命の直樹。

 

 しかし、彼は、相手の顔をじっと見つめてから、(ときに笑みを浮かべ)、
 「お言葉を返すようですが」
 とか、
 「おっしゃりたいことは、それだけですか?」
 などと一呼吸を置いて、反撃に転じる。

 

 この “一呼吸” のテンポが、このドラマでは絶妙なのだ。
 
 ロックンロールやブルースにおける “ブレイク” のような効果がここで生まれている。
 つまり、単調な演奏が、とつぜん一拍ズレることによってリズムが跳ねるような、シンコペーションの小気味よさが発生しているように思える。

 

 これが視聴者の生理的な快感を生む。

  会話の流れもよく計算されたドラマだという気がする。