やっぱ『半沢直樹』は面白いわ。
7月27日(日)に放映された第二話の視聴率は22.1%だったという。
私は、この視聴率がどれほど高いものなのかはよく分からないが、NHKがしきりに番宣を繰り返す大河ドラマ『麒麟がくる』の平均視聴率が15~16%台だといういうことを考えると、『半沢 … 』は、ドラマとしてはいい線をいっていると思える。
面白さのツボは、ケンカの見せ方にある。
主人公の直樹と、その敵役が見せる相手を恫喝するときの “顔芸” の迫力。
小気味よい啖呵(たんか)の応酬。
肉体を使った殴り合いこそないものの、このドラマの本質は、対立するもの同士の「言葉」と「顔」によるケンカだ。
そういった意味で、これは、サラリーマンたちによる “やくざ映画” なのだ。
『半沢直樹』を見ていて、私が思い出したのは、もう50年前につくられた東映のやくざ映画『仁義なき戦い』(写真下)シリーズだ。
やくざ映画というのは、派手なアクションを売り物にする “バイオレンスドラマ” だと思われがちだが、実はアクションシーンというのは、本当の見せ場ではない。
その手の映画でいちばんスリリングなのは、俳優たちが肉弾戦を演じる前のセリフの応酬である。
敵対する組織同士が縄張りを主張したり、自分たちの利益を確保するために、相手の組を恫喝したり、牽制したりするときの “言葉の輝き” 。
怒号を爆発させる前に、ときに静かな笑いを浮かべ、ときに相手を嘲弄するイヤミを並べ、お互いに侮蔑と威嚇の限りを尽くす。
そういうときに使われるセリフと “顔芸” は、素人にはそう簡単にマネできない。
それは、やはり “ケンカのプロ” として日頃から訓練を積んできたやくざ者同士の “芸” の世界に属するものだ。
映画『仁義なき戦い』におけるやくざ同士の口喧嘩は、たび重なるシナリオの練り直しによって、完璧な芸として完成されていた。
それを、その時代のもっとも芸達者な役者たちが競い合って演じた。
だから、見ていると、惚れ惚れするような “しゃべりのドラマ” が実現していた。
『半沢直樹』は、この伝統的なやくざ映画の見せ場を、銀行マンや証券マンといったサラリーマン世界に移し替えたドラマなのである。
特に成功しているのは、間の取り方だ。
敵対する相手側が討論の現場で、半沢直樹を窮地に落とし入れる。
絶体絶命の直樹。
しかし、彼は、相手の顔をじっと見つめてから、(ときに笑みを浮かべ)、
「お言葉を返すようですが」
とか、
「おっしゃりたいことは、それだけですか?」
などと一呼吸を置いて、反撃に転じる。
この “一呼吸” のテンポが、このドラマでは絶妙なのだ。
ロックンロールやブルースにおける “ブレイク” のような効果がここで生まれている。
つまり、単調な演奏が、とつぜん一拍ズレることによってリズムが跳ねるような、シンコペーションの小気味よさが発生しているように思える。
これが視聴者の生理的な快感を生む。
会話の流れもよく計算されたドラマだという気がする。