会社勤めを始めた頃、まだ友達もいなくて、しばらくは一人で酒を飲むぐらいしか時間をつぶす方法がなかった。
当時住んでいた町は、その名前だけは古くから知られた町だったが、実質的には発展途上の町で、妙に空漠としていた。
お寺の山門のような構えを持つ民家が残っているかと思えば、その隣りに、銀座あたりにでもありそうなケーキ屋がいつの間にか建つ。
しかし、その一軒先は、もう荒涼と広がるズイキイモ畑。
町の景観なんてばーんらばら。
歓楽街というものもあったが、パチンコ屋と、居酒屋と、キャバレーなどが4~5軒並んだ一角を過ぎれば、もう静まり返った駐車場となる。
若者向けの小じゃれたカフェみたいなものも一軒あったが、人の代わりに猫が2時間もスツールで居眠りしているような店で、じっと水割りをすすって時間をつぶしても、閉店まで自分一人だったなんてことも多かった。
そんな町で飲んでいるのが寂しくなって、新宿あたりで途中下車して、東映のヤクザ映画を観るようになった。
当時東口に、深作欣二の『仁義なき戦い』シリーズなどを二本立てで見せてくれる映画館があった。
入口横の売店でクリームパンとコーヒー牛乳を買い込んで、中に入る。
どこを見回しても家族も恋人もいないような男ばかり。
みんな擦り切れた前のシートに足を投げ出して、寝そべって画面を見上げている。
トイレの臭いが場内にまで漂ってくるようなところで、床はゴミだらけ。
「禁煙」表示を守るような客もいない。
アウトローの映画を見るにはぴったりの環境だった。
しかし、ここに通うようになってから、自分は変わった。
妙に元気が出てきたのだ。
映画そのものがパワーを授けてくれるからだ。
ただ、それは「負のパワー」とでもいうようなもので、「そんな力をもらったところで、社会人である俺は、いつ使えばいいのよ?」
… というようなパワーなのである。
しかし、観ているときだけはうっとりできる。
ブンタ、ウメタツ、アキラ、ヒロキ。
おうおうおう、やってくれるじゃないの!
あんちゃん歌手だと思っていた小林旭が、あんなに輝く役者だったとは !
ちょんまげ侍の姿しか知らなかった松方弘樹が、あんなにドスの利いたセリフを吐くとは !
プレイボーイのイメージしかなかった梅宮辰夫(下)が、あんなにシブイとは !
何から何まで新発見だった。
成田三樹夫(下)、小林稔侍、小池朝雄といったバイプレイヤーたちもカッコよかった。
お気に入りは、室田日出男と金子信夫(上)。
上にヘイコラ、下にブリブリのいやらしい役を、この2人は実にうまくこなす。
室田日出男(下)は、下品な人間性をむき出しにしながらも、すごむときもサマになるので、ぞっこんほれ込んだ。いい味を出す役者だと思った。
この2人に、さらに加藤武(下)を加えると、このシリーズの “悪役3人衆” がそろう。
加藤は「経済ヤクザ組織の親分」という役が多く、派手な抗争を避けつつ、巧みな金儲けで裏社会のボスにのし上がっていくような役を巧みに演じていた。
だけど一番心を奪われたのは、彼らの「声」だった。
残忍な暗殺者のように、低く地を這い、やにわに抜かれた刃物の輝きを放つ彼らの声。
それが唸りを立てたドスのように、自分の下腹あたりに食い込んでくるように思えた。
ヤクザ映画というのは、声とセリフのドラマだったことが、よく分かった。
東映のヤクザ映画は、鶴田浩二や高倉健という役者に代表される任侠路線と、この『仁義なき戦い』に集約される実録路線の二つに分かれる。
前者を好きなファンは、後者を嫌う。
「殺伐したバイオレンスについていけない」という。
確かに、『仁義なき戦い』シリーズの暴力シーンは凄惨だ。
目に余るような激しい殺し合いのシーンが多い。
しかし、このシリーズの妙味は、そういう暴力シーンの前に描かれる対立するヤクザ同士の会話の応酬にある。
「広島の極道はイモかもしれんが、旅のかざしもに立ったことはいっぺんもないんでぇ! 神戸の者ゆうたらネコ一匹通さんけぇ。オドレら、よう覚えとけいや」
「おお、オンドレらも吐いたツバ飲まんとけよ。ええな。分かったらはよ去(い)ね!」
「広島のケンカいうたら、殺(と)るか殺(と)られるかの二つしかあらせんので。いっぺん後手にまわったら、死ぬまで先手は取れんのじゃけ」
シマをめぐって抗争を続けるヤクザ組織の構成員が、不断の緊張を強いられるところから生まれる切羽つまったセリフの数々。
声を押し殺した静かな口調から始まり、それが相手を威嚇する怒号に変わるまでの高揚感と緊張感。
そこには、よくできたROCKのギターリフに身を揺さぶられるような酩酊感があった。
この会話劇を、「広島弁で書かれたシェークスピア劇」と評した人がいる。
シェークスピアという名前を出すのは、さすがに大げさだと思わないでもない。そこまでの文学性も哲学性もないからだ。
しかし、そう言いたい人の気持は分かる。
意味内容はともかく、男たちのセリフには、音律の見事さは備わっているからだ。
ある意味では、オペラのようなもの。
音だけ聞いていても美しい。
そういうセリフの音律に酔うようになってから、ケンカする相手もケンカする理由も見つからないのに、広島弁の啖呵の切り方を、映画を見て練習するようになった。
見終わって、近くの居酒屋に入って、コップ酒を飲む。
酔っぱらうと、
「おい、兵隊貸せや。今度こそ山越組のタマ取っちゃるきに」
… なんて、壁に向かって、独りでつぶやいている。
昔、ある高校野球の監督が、試合の前日、高校生たちの闘志をかき立てるために、『仁義なき戦い』のビデオを見せたという話があった。
教育委員会にそのことがバレて、監督は処分を受けたらしいが、… でも、なんだかその監督の気持ちも分かる。
あのシリーズは、どこか男のしぼんだ心臓に「空気を入れる」ような魔力を秘めている。
だだし、「毒ガス」にもなりうる空気だ。
映画の後に入った居酒屋で、会計をすますとき、「おうナンボや?」とすごんでしまう自分を、何度か発見した。
店を出てから、いつも首をすくめる。
「また毒ガスが引火したか … 」
そうつぶやいて、店の店主や客に顔を見られないように、そっと扉を閉める。
やがて、孤独な時代の私を励ましてくれた “粋なヤクザたち” は、一人また一人と消えていった。
成田三樹夫 1990年4月9日没
金子信雄 1995年1月20日没
菅原文太 2014年11月28日没
室田日出男 2002年6月15日没
加藤 武 2015年7月31日没
松方弘樹 2017年1月21日没
梅宮辰夫 2019年12月12日没
彼らは、今でも、私の脳裏に生きているヒーローである。
自作短歌 最近作 (↓)
東映のヤクザ映画を観た帰り 肩いからせてタコ焼きを買う
▼ 仁義なき戦い 頂上作戦(予告編)