俺も今日で70歳になっちゃったわけよ。
二十歳の頃、自分が70になるなんて、考えたこともなかったな。
それにしても、あっという間よ。
60過ぎたら、早いぜぇ。
脚本家の内館牧子氏によると、人間が感じる時間のスピード感は、その人の年齢をそのまま “時速” に当てはめるといいのだそうだ。
つまり、10歳の人間にとって、時間が過ぎていく感覚は、まさに「時速10km」。
18歳なら、時速18km。
53歳なら、時速53km。
75歳なら、時速75km。
どんどん加速していくわけだ。
もちろん、これはただの主観的な目安に過ぎないけれども、年を取れば取るほど、1年が過ぎ去っていく早さは、そんなように体感されるらしい。
「加齢とともに時間が早く過ぎる」
という感覚は多くの人たちに共通したものらしく、その理由を説明する理屈には諸説あるようだ。
有名な説として、「ジャネの法則」というものがある。
次のような説だ。
「10歳の子供にとっての1年は、自分の人生の10分の1である。
しかし、50歳の人間にとっての1年は、自分が経験してきた人生の50分の1という短いものになる。
70歳になれば、その人の1年は70分の1と、さらに短く感じられる。
老人が時間を短いと感じる理由は、そこにある」
ふぅ~ん … と納得してしまいそうになる話だが、あまり科学的な感じがしない。
もう少し科学的な匂いのする説明によると、
「新陳代謝のスピードが違うからだ」
という解釈もある。
つまり、子供は新陳代謝のスピードが早く、短期間でグングン成長する。
この細胞の成長の早さが、時間感覚に関係していて、成長スピードが速いと、時間は遅く長く感じられるようになる、… とか。
… と言われても、どんなものをイメージすればいいのか。
新陳代謝の早さと時間感覚の因果関係が、イマイチ頭に入らん。
比較的、納得がいきそうに思えたのは次のような説。
「年齢を重ねていくと、体の動きが緩慢になるだけではなく、思考回路もスローモーになっていく。
そのため、 実際に時計が刻む時間に、その人の時間感覚が追いつかなくなる。それが “あっという間に時間が経つ” という感覚をもたらす」
なるほどね。
要は、単純な心身の衰えなんだね。
同じことを解き明かすにも、美人の哲学者だった故・池田晶子さん(写真下)がいうと、とたんに格調が高くなる。
「子供の時間が、なぜ濃密なのかというと、それは子供の時間が『無時間』だからだ。
人間が『時間』を意識するようになるのは、記憶が蓄積されるようになってからである。
ところが子供は、思い出すほどの記憶を重ねていない。
大人は、一昨年、去年というように、記憶をたどることで、少しずつ死に向かって流れる時間の中に自分がいることを確認する。
しかし、子供には『現在』しか存在しない。つまり永遠の時を生きている」
美しい言葉だ !
だけど、ちょっと文芸的過ぎるかな。
下世話な切り口では、こんな説も。
「若い頃は脳細胞の分裂が活発なので、日々の出来事がすべて刺激的に感じられる。
刺激に満ちた時間というのは、後から思い起こすと長く感じられるものだ」
つまり、
「子供には、運動会、文化祭、遠足、修学旅行など、はじめて体験するようなイベントが月ごと、年ごとにある。
そういう新しいイベントはみな新鮮であり、それが自分にもたらす意味を考える時間も長くなるため、記憶も充実する。
しかし、大人になると、すべてのイベントは経験済みとなる。そのため、あまり記憶にとどまらない」
な~るほどね。…… 要は、「感受性の枯渇」ということなのね。
それを裏付けるような実験が、10年ほど前、アメリカで行われた。
それは、リタイヤした高齢者たちに、次のようなことを尋ねるという実験だった。
「あなたにとって、国際的に重要な出来事と思えるものは何でしたか?」
すると、多くのシニアが挙げた事例が、「第二次世界大戦」、「ケネディ大統領暗殺」、「ベトナム戦争」 … だった。
つまり、年を取った人間は、
「世界を揺るがす大事件は20歳のときに起きている」
と思い込む傾向があるのだそうだ。
要は、20代を超えてしまうと、感受性も記憶もスカスカになっちゃうということなんだろうな。
義母がまだ生きていたときの話だけど、介護施設で暮らす義母を見舞ったときのことだった。
冬の日。
デイルームでお茶を飲みながら向かい合った。
窓の向こうに広がる庭を眺めながら、義母はこう言う。
「1日が長い。退屈するほど長い。なのに1週間は、あっという間に過ぎてしまって何も記憶に残らない」
この言葉を聞いたとき、老人の感じる「時間」というものが、少し解ったような気になった。
同時に、「時間」というものの残酷さも感じた。
だんだん、そういう心境になる日が近づいてきているような気もする。
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