アートと文藝のCafe

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歌謡曲はどこへ行く?

 
 年末から正月にかけて、歌番組ばかり見ていた。
 「レコード大賞」、「紅白歌合戦」、「第54回 年忘れにっぽんの歌」などという番組である。

 

 「紅白」と「年忘れ」はほぼ同じ時間帯だったので、どちらかがつまらなくなると、チャンネルを変えていたのだけれど、それらを見ているうちに、1970年代の日本の歌謡曲シーンには「すごい曲が集中していたな!」と、あらためて思った。

 

 五木ひろし 「よこはま・たそがれ」 1971年
 尾崎紀世彦 「また逢う日まで」 1971年
 ちあきなおみ 「喝采」 1972年
 小柳ルミ子 「瀬戸の花嫁」 1972年 
 梓みちよ 「二人でお酒を」 1973年
 森進一 「襟裳岬」 1974年
 中条きよし 「うそ」 1974年
 沢田研二 「時の過ぎゆくままに」 1975年
 西川峰子 「あなたにあげる」 1975年
 内山田洋とクールファイブ 「中の島ブルース」 1975年
 小林旭 「昔の名前で出ています」 1977年 
 狩人 「あずさ2号」 1977年
 石川さゆり 「津軽海峡・冬景色」 1977年
 増位山太志郎 「そんな女のひとりごと」 1977年 

 
 71年から77年ぐらいにかけて、まさに “大人の歌” が集中していた。
 
 「大人の歌」というのは、男女の微妙なかけひきをテーマにした歌のことをいう。

 

 そこでは、“心の肉弾戦” が繰り広げられるような、男女の激しい恋は描かれない。
 そうではなく、こっそりと相手の懐(ふところ)に忍び込んでいくような、淫靡なささやきを強調する歌が主役となっている。 

 

 特に、山口洋子のつくる曲がすごい。
 「よこはま・たそがれ」とか、「うそ」というのは、いろいろな女性と男性の心の襞(ひだ)みたいなものを理解していないと作れない歌だ。

 

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 山口洋子は1956年に、銀座の「姫」を19歳で開業した女性である。
 彼女はその「姫」を銀座を代表する高級クラブに成長させ、有名作家や芸能人、大手企業の経営者、スポーツ選手らの “たまり場” に発展させた。

 

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 当然、店のホステスと常連客の恋のかけひきに関する「情報」が山口洋子のもとに寄せられたことだろう。
 「よこはま・たそがれ」も、「うそ」も、そういう “恋の現場” から得られた濃密なディティールなしには描き切れなかった世界だ。

 

 

▼「うそ」 中条きよし

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 ♪    折れた煙草の すいがらで
    あなたの嘘が わかるのよ
    誰かいい女 できたのね できたのね
    あー 半年あまりの 恋なのに
    あー エプロン姿が よく似合う

 

   爪もそめずに いてくれと
   女があとから 泣けるよな
   哀しい嘘の つける人

 

   あなた残した わるいくせ
   夜中に電話 かけるくせ
   鍵をかけずに ねむるくせ ねむるくせ


     あー 一緒になる気も ないくせに
   あー 花嫁衣装は どうするの

   僕は着物が好きだよと
   あついくちづけ くれながら
   冷たい嘘の つける人

   

   あー あんまり飲んでは いけないよ
   あー 帰りの車も 気をつけて

   ひとりの身体じゃ ないなんて
   女がほろりと くるような
   優しい嘘の 上手い人


 巧みな歌詞だと思う。 
 「結婚」というものに期待を寄せる独身女性の心理状態が非常に艶やかに歌われている。
  
 この歌詞のリアリティは、今年72歳(年男だ!)になる私などには非常に分かるのだ。

 

 歌の作られた1974年は、まだ「専業主婦」という身分が魅力的に思われていた時代だったからだ。
 それは、その時代に青春を送った24歳の私などから見れば、きわめて当たり前の感覚だった。

 

 旦那はいったん家を出たならば、夜半過ぎまで仕事に励み、時には接待客などといっしょに夜の街で遊ぶ。
 奥様は、そういう稼ぎのある夫の収入を頼り、家事一切を取り仕切る。


 
 それは、1970年代という高度成長期の日本の “理想的” な世帯像だった。
 終身雇用が保証され、夫が高収入を約束されたその時代には、そういう世帯観に疑問を抱く夫婦はほとんどいなかった。

 

 だからこそ、「専業主婦」に収まるというサクセスストーリーに裏切られた女性の “恨み” がこの歌の凄みになったといえる。

 

 しかし、こういう歌はもう作られることがない。

 

 今は、あまりにも時代が違い過ぎる。
 夫婦の共稼ぎが当たり前。
 さらに、「ジェンダーフリー」が時代の標語になった現在、女が男に服従するような古風な世帯観というのは、若い人からは「化石」のように感じられるはずである。

 

   
 では、今の若い人たちは、どういう気分で歌をつくっているのだろうか。

 2021年の「レコード大賞」エントリー曲のなかで、特にいいなと思ったのは、YOASOBI 「もしも命が描けたら」と、Ado の「踊~うっせぇわ」だった。

 

 これらの曲は、みなサウンドが刺激的だった。

 

 たとえば、Ado のレコード大賞スペシャルメドレーで流れた「踊」と「うっせぇわ」。

 

▼ 「踊(おど)」

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▼ 「うっせぇわ」

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 私のような年齢(71歳)になると、こういう前のめりのリズム感は、すでに私の身体(からだ)にはない。

 

 歌詞も理解できない。

 曲が流れていても、耳が歌詞をたどるのに追いつかない。
 “洋楽” のように、サウンドだけを聞いている感じになる。

 

 「うっせぇわ」は、昨年あちこちのメディアで取り上げられたから聞いた人も多いだろうが、これも歌詞を追うのに苦労する。
 
 しかし、「うっせぇわ」の方は、多少歌詞をたどれないこともない。
 よく聞くと、これは世代間ギャップをテーマにした歌であることが分かる。

 

 ここには、男女の濃厚な恋愛模様を描いた70年代歌謡の影はまったくない。
 男と女の対立は、大人と若者の対立に置き換えられているのだ。

 

 その構図のなかで、
 「♪ あなたが思うより健康です」
 と歌われるときの “あなた” とは、私のような中高年(あるいは老年)である。
 
 つまり、そこには、
 「社会を逸脱した不健康な若者」
 と、上から目線で若者を見つめる中高年を揶揄する もしくは侮蔑する若者からの冷たい反撃が用意されている。

 

 そして、「社会のルール」を一方的に押し付けてくる中高年たちを、Ado という若い歌い手(現在19歳)は、
 「♪ 一切合切凡庸な、あなた(中高年)じゃ分からないかもね」
 と、斬って捨てる。

 

 しかし、それを聞いている私のような「大人」は、この爽やかな斬られた方に快感を感じてしまう。
 例えていえば、きつめの炭酸でつくられた清涼飲料水を、ゴクゴクと喉から流し込んでいく感覚に近い。

 

 それは、サド・マゾなどという性愛の嗜好とは無縁の「若さ」へのオマージュというものかもしれない。

 

 今の歌は、1970年代の「大人の歌」から、ずいぶん遠いところまできたようだ。