アートと文藝のCafe

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日本人は「夏歌」を作るのがうまい

 

 

  夏をテーマにしたJ ポップには名曲が多い。
 
 その理由は、前回のブログ(竹内まりやの『夏の恋人』)でも書いたが、夏という季節が、その真盛りにおいても、「終わりの気配」を秘めた季節だからである。

 

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 つまり、夏を歌うことは、「哀切感」と向き合うことを余儀なくさせる。
 そこに、“夏歌” 独特の情緒が生まれる。

 

 これは、日本の四季が明瞭に異なる表情を見せることと関係している。

 

 夏はもっとも生命力の輝きが旺盛な季節だが、それだけに、その季節の終末は、生命のいとなみの終焉を予感させる。
 それをいとおしく思う日本人の気持ちが、夏の名曲をたくさん生み出した。


 
 たとえば、桑名正博が歌った『さよならの夏』(1977年)

 
 タイトルそのものが、「夏の終焉」をうたっているのだが、メロディーも、歌詞も、盛夏の陽光に混じり始めた “秋の気配” を見事にたぐり寄せている。

 

▼ 桑名正博 

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 同名の曲は、他のアーチストたちが作ったものにもたくさんあるが、この歌はそのなかでも飛びぬけた輝きを放つ。
 のみならず、日本人のつくった “夏歌” のなかでも「秀逸」といいきれる作品だ。

 

 とにかく聞いてほしい。

 桑名正博 『さよならの夏』

 


 

 この曲の贅沢感は、どこから来るのか。
 とにかく、クレジットに記載されているクリエイターたちの格が尋常ではない。

 

 作詞:松本隆
 作曲:筒美京平
 編曲:萩田光雄
 
 Guitar: 高中正義
 Bass: 後藤次利
 Drums: 高橋ユキヒロ
 Keyboards: 羽田健太郎
 Percussion: 斉藤ノブ
 Sax: 村岡健

 

 よくもまぁ、これだけの豪華メンバーを集めたものだと感心する。

 

 たぶん、これだけのメンバーが集まると、細部まで打ち合わせをしなくても、もう誰もが頭のなかで、「吹き渡る海風」、「夕暮れ間近の陽の光」などをイメージできるのだろう。

 

 だから、イントロが流れた段階で、一気にゴージャス感が全開となる。
 イントロのサックスとストリングスの絡みだけで、もう70年代ソウルミュージックの空気感をまき散らしているのだ。

 

 それに続く、甘いメロディー。
 この時代「メロー」という言葉が流行ったが、こんなに「メロー」なサウンドに満ち溢れたJ ポップはこの時代ほかになかった。

 

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 筒美京平という作曲家は、当時、日本のポップスを手掛ける作曲家のなかでいちばん洋楽のエッセンスを身に付けていた人だが、それを荻田光雄のアレンジがうまく引き出す。

 

 さらにいえば、“夏の哀しみ” を見事に表現した松本隆のセンスも見逃せない。
 歌われているのは、心が離れていく恋人たちの心象風景だが、それが見事に「夏の終わり」と重なり合っている。

  「贅沢」がすべてに凝縮した曲である。
 

 

山下達郎 『夏の終わりに』

 

 山下達郎は、「夏」の好きなアーティストである。

 

 「高気圧ガール」
 「さよなら夏の日」
 「夏への扉

 …… など、夏をテーマにした彼の曲には、みなきらめく陽光の輝きと、潮騒のざわめき、そして頬をかすめる風の匂いがする。

 

 しかし、彼がまだシュガーベイブで活躍していた時代の傑作『夏の終わりに』を聞かずして、山下の “夏歌” を語ることはできない。

 

 この曲が生まれたのは1975年。
 今はもう伝説のバンドとなった「シュガーベイブ」の持ち歌として、大ヒット曲の『ダウンタウン』と並ぶ名曲として人気があった。

 

シュガーベイブ

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シュガーベイブ 『夏の終わりに』


 シュガーベイブは、山下達郎を中心に、大貫妙子村松邦男伊藤銀次など、後にビッグネームとして知られるアーチストが結集したバンドであった。

 

 そのサウンド的特徴は、一言でいうとAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)。
 ギラギラのロックでもなければ、フォークでもない。もちろんブルースっぽさも皆無。
 
 「カクテルなどを飲みながら楽しむ大人のロック」
 というわけだが、強いていえば、ビートルズ以前のアメリカンポップスの明るさを感じさせる曲作りに特徴があった。

 

 コーラスはビーチボーイズ風。
 楽曲的には、メージャーセブンス系のコードを多用して浮遊感を演出するところがお洒落であり、当時、こんなサウンドを響かせるバンドはほかになかった。

  

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 この曲のテーマは、もちろん「夏の終わり」。
 しかし、そこには、夏とともに消えゆく男女の愛が重ね合わされている。


 
 そこだけ取り上げると、前述した『さよならの夏』(桑名正博)と似た構成になっているが、桑名の歌が成熟した大人の男女の別れを歌っているのに比べ、この山下の曲は、「恋」を語ることすらもどかしいような、若い男の子の失恋を歌っている。

 

 「夏の終わり」を見つめている彼には、まだ別れてまもない相手の気持ちを想像する余裕はない。
 自分のことだけで精一杯だ。

 

 しかし、その “未熟さ” が、この歌の “爽やかさ” の秘密になっている。
 
 
 
はっぴいえんど 『夏なんです』

  

 「日本語ロックの創始者」という看板が定着している「はっぴいえんど」。

 

 今では、その存在自体がレジェンドとなっているが、1971年にデビューしたこのバンドの革新性に気づいたファンは、当時それほど多くなかった。

  

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 なにしろ、71年という年は、洋楽ファンの神様としてエリック・クラプトンカーペンターズCCRキャロル・キングなどがヒット曲を飛ばし、日本の歌謡曲では、尾崎紀世彦五木ひろし小柳ルミ子はしだのりひこいしだあゆみなどがレコードの売上げを伸ばした年だった。

 

 「はっぴいえんど」というバンドは、そういう洋楽や歌謡曲のファンが “耳なじんだ” ヒット曲の方程式にことごとく逆らうような曲作りを始めた。

 

 それは、どんな感じか。

 

 次の『夏なんです』(1971年)を聞いてみると、よく分かると思う。

 

 ここには、ヒット曲を狙うような “けれんみ” はまったくない。
 はっきりしたメロディーラインも、あるような、ないような

 

 歌詞にも、「愛」や「悲しみ」などという、誰もがヒット曲に期待する劇的な言葉は一向に出てこない。

 

 だが、これほどまでに、「日本の(昭和の)夏」を見事に歌い切った曲はほかにはない。


 「奇跡」という言葉を使えるなら、この曲は奇跡である。

 

 この歌には、まぎれもなく、エアコンが普及していなかった時代、すなわち昭和50年ぐらいまで日本にあった、あの “けだるい夏” がタイムマシンに乗って襲ってくる。

  

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 「打ち水」、「風鈴」、「うちわ」、「かき氷」などでしか涼をとることができなかった、今は消えたあの昭和の夏。
 
 それを経験していたシニア世代はもちろん、経験したこともない平成や令和の世代にも、昔の日本の夏とはどんなものであったのかと想像させる力が、この歌にはある。

  

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はっぴいえんど 『夏なんです』(LIVE)y
 この曲の最大の特徴を、一言でいえば、「アンニュイ」である。
 けだるさ。
 あるいは、物憂さ。

 

 歌詞のなかには、「ほこりっぽい風」という言葉が登場するが、それを視覚化するような効果を上げているのが、クルックルッと輪を描くように奏でられるギターである。

 

 このギターの音が、リスナーの耳に舗装されていない土の道の熱さを伝えてくる。

 

 さらに、
 「風が立ち止まる」
 という言葉の魔術がすごい。
 
 風とは、ふつう流れ去っていくものだが、その風が「立ち止まる」というところに、いつまで経っても熱気が抜けない田舎道の空気感が表現されている。


 のみならず、夏休みを持て余している少年の退屈感もその言葉から浮上してくる。

 

 ここには、日没が永遠に訪れない “少年の時間” がとり上げられている。 

 

 作詞は、松本隆
 作曲は、細野晴臣

 この2人の作り出す歌の世界は、単なる「音楽」を超えて、まさに「文学」であり、「アート」である。

 


愛奴(あいど) 『二人の夏』

  

 愛奴は、シンガーソングライターの浜田省吾が1975年に仲間と結成したバンドである。
 
 デビューと同時に、この曲がアルバム『愛奴』(CBSソニー)からシングルとしてカットされた。
 作詞・作曲は、浜田省吾
 編曲は、町支寛二、青山徹など、グループ全員によって行われた。

 

 グループは、デビューシングルを出したあと1年で解散してしまったが、この曲は浜田省吾がソロで歌ったり、山下達郎もとり上げたりして、伝説入りを果たした。

 

 

 

 聞いて分かるとおり、この曲も、シュガーベイブと共通して、ビートルズ以前のアメリカンポップスを彷彿とさせるサウンドになっている。

 

  さらにいえば、ビーチボーイズのパクリともいえる雰囲気もある。

 

 アメリカンポップスの “甘さ” 。
 ビーチボーイズ風の “爽やかさ” 。
 1970年代の夏ソングは、みなこういうつくりを特徴としていた。

 

 70年代というのは、日本のポップスが洋楽の影響を色濃く受けていた時代だった。
 この時代、演歌や歌謡曲ではなく、日本語のポップスを目指していた人たちの心には、メロディラインやアレンジにアメリカンポップスの匂いが沁み込んでいた。

 

 このようなアーティストたちの洋楽志向が、四季の変化がはっきりした日本の土壌に定着して、化学変化を起こした。

 

 つまり、日本独特の “過ぎゆく夏” の切なさを、洋楽のエッセンスと絡めて描き出す力が身についたのだ。

 

 『二人の夏』は、そういう曲の代表曲。
 洋楽っぽい雰囲気を色濃く残しながら、日本の川原で行われる「花火大会」のようなチープ感(よい意味で )が漂う。

 

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 ジャケット写真に描かれるワンピースの女の子と白シャツの坊やとは微妙に異なる浴衣姿の少年・少女の方がぴったりくる。

 

 ソフトクリームをなめながら … というよりも、一つの綿菓子を分け合いながら、夏祭りを楽しむ若いカップルの姿が目に浮かぶのだ。 

 

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 まだまだ日本の夏歌はいっぱいある。

 

 夏となれば、かつてはどこの「海の家」でも、チューブばかりかかっていた時代があった。

 でも、私の好みではなかった。

 

 また、サザンオールスターズ矢沢永吉松田聖子などが採り上げられないことに違和感を持つ人もいるかもしれない。

 

 基本的に、私はテンションを上げることを目的につくられた夏歌が好きになれない。

 

 夏歌というのは、心をクールダウンさせてくれる曲だと思っている。
 つまり、「けだるさ」、「物憂さ」、「アンニュイ」などの要素が不可欠だ。

 

 そういう基準で選ぶと、上記の4曲ぐらいになる。
 それに、竹内まりやの『夏の恋人』を入れて、ベストファイブとしたい。

  

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