「ノイズ」という言葉が、時代のキーワードになりそうな気配がある。
単純に訳すと、「雑音」。
つまり、耳障りで不快な音。
しかし、街中に氾濫するその「ノイズ」を集めて楽曲をつくるアーティストがいるという。
「VIDEO TAPE MUSIC」さん(下 38歳)。
朝日新聞の1月1日号に掲載された「Tokyo シンフォニー 1」という記事を読むと、このアーティストの次のようなインタビューが紹介されていた。
「録音技術の発達や、防音設備の整ったスタジオでのレコーディングによって、音楽は、これまで不要なノイズをどんどん排除してきました。でも、ノイズには、楽曲の個性を作り出す要素が隠れている可能性があります」
つまり、コツコツ、ガタゴト、ザワザワといったような、普段は聞き流してしまうような街や自然の音のなかに、意外な魅力があったりするのだそうだ。
そういう “ノイズ” のなかにこそ、人や自然の息づかいが潜んでいる。
… そう語る「VIDEO TAPE MUSIC」氏は、次のようにも説明する。
「今はイヤホンにノイズキャンセリング機能があり、外部のノイズを排除することができるようになっています。
でも、実は、人間は不快な音から、他者の存在に目を向けるレッスンができるのです」
もう少し、話を広げると、
「(人は)インターネットでも、自分と同じ考えを持った人の意見を拾いがちになります。しかし、文化や生活パターンが違う “他者” を知覚すると、どんどん自分が寛容になっていきます」
つまり「ノイズ」とは、他者への関心を招き寄せる「魔法の音」ということなのだ。
偶然かもしれないが、同日の同紙には「朝日新聞社メディア局」の広告が掲載されていて、そこで対談する上野千鶴子氏(社会学者)と、高宮敏郎氏(教育学博士)が語り合うテーマが、まさに「ノイズ」だった。
上野氏はその対談で、子供たちの現代教育に必要なものは、まずダイバーシティー(多様性)だと語り始めた。
しかし、ダイバーシティーというのは、
「異質なものと触れあうところからしか生まれない」
とも。
“異質なもの” とは、例えば、外国で異文化に触れたり、高齢者や障がい者と日常的につきあったりするような体験を指す。
そういう体験のなかで、その個人が最初につかんだ “違和感” こそが、「多様性」を知るきっかけとなる。
上野氏は、その「違和感」のことを「ノイズ」と訳す。
「情報工学では、情報とはノイズが転化したものだといわれています。ノイズが発生しない同質的な組織からは、価値ある情報も生まれません」
つまり、「多様性のない組織からは新しい知が生まれない」というのだ。
では、現代社会における “ノイズ” の担い手は誰か?
上野氏は、「子供と女性」だという。
「子供は大人にとって最大のノイズです。子供は常に大人が思いもつかない行動をして、大人をはらはらどきどきさせます」
しかし、それが、大人の停滞した心を活性化させる。
同じように、一般社会における女性も、男性主導型の世界ではノイズであるべきだという。
現在は女性活用の風潮が際立ってきた。
しかし、男たちは、女性を、あくまでも「男性社会をさまたげない存在」という立場に押し込めようとしていると、上野氏はいう。
それは、これまでと同様、「男たちがつくりあげてきた均質な社会」のなかで女を管理しようという発想だ。
しかし、均質な社会というのは、停滞を免れない。
なぜなら、そこには「なぜ?」「どうして?」と問うような疑問が生まれないからだ。
つまり、均質社会というのは、疑問を排除してしまったがゆえに生まれてくる世界にほからない。
均質社会には弱者がいない。
弱者と強者の間から立ち騒いでくるものが「ノイズ」なのに、均質社会はそれを無視するために、弱者という存在そのものを視界から消し去ろうとする。
しかし、上野氏はいう。
「弱者こそノイズだ」
「強さを測る尺度は一元的だが、弱さは一人ひとり違う。
その多様性のなかにこそ未来の可能性がある。だから弱者を尊重することが、社会にとって大事だ」
「ノイズ」というものに着目することは、単に社会をどう切るかという問題に収まらない。
それは、もちろん音楽の問題でもあり、さらには映画、文学、アートなどの問題でもある。
▼「映画のノイズ」(ターミネーター3を観て) 2021年9月15日のエントリー