アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

コロナ禍で解く『風の谷のナウシカ』

 
f:id:campingcarboy:20200819182635j:plain


 「新型コロナウイルス」という人類がはじめて遭遇した未知の “病原体” との戦いが長引くにつれ、
 「コロナとの戦いは、人間に何を教えようとしているのか?」
 ということを考える機運が、あちらこちらで生まれている。

 

 たとえば、人類がこれまでに残した過去の文学書などから、その答を求めようとする動きも出てきた。
 この春、カミュの『ペスト』や、小松左京の『復活の日』などの書籍が再び脚光を浴びたのも、そういう流れの一つだろう。

 

 つい最近では、NHKのBSテレビで、福岡伸一氏、藤原辰史氏、伊藤亜紗氏の3方が宮崎駿の『風の谷のナウシカ』(1982年)を語りながら、“コロナ時代を生きる現代人” への提言」というトーク番組をやっていた。

  

▼ 左から福岡伸一氏(生物学者)、藤原辰史氏(歴史学者)、伊藤亜紗氏(美学者)

 f:id:campingcarboy:20200819183031j:plain


 正直に書くが、私は宮崎駿の『風の谷のナウシカ』という作品をまだ見ていない。
 ただ、上記の三方が語る “ナウシカ論” は非常に興味深いものだったので、その後、ネットなどで同作品に対する基礎知識をフォローした。

 

 非常に複雑な構成の物語で、(しかも原作の漫画とアニメでは内容の異なる部分もあり、)単純化することは難しいが、福岡氏らの解説によると、『風の谷のナウシカ』というのは、次のような作品であるらしい。


 
 未来の地球で “最終戦争” が勃発し、生き残った少数の人間がそれぞれ小部族を形成して、互いに争いながら暮らしている。

 

 汚染された大地には、「腐海(ふかい」という菌類に覆われた森が広がり、絶えずそこからは「猛毒のガス」が放出されている。
 そこに棲めるのは「蟲(むし)」と呼ばれる異形の動物だけである。

  

f:id:campingcarboy:20200819183133j:plain

 

 もし、人間がその「腐海」のそばを通るときは、「腐海マスク」という器具を付けて身を防御しなければならない。 

 

f:id:campingcarboy:20200819183240j:plain

 
 つまり、ここに描かれた「人間」と「腐海」の関係は、そのまま、今のコロナ禍における「人間」と「ウイルス」の関係をなぞっているともいえるのだ。
 
 とある部族のリーダーである少女ナウシカは、自分の部族を率いて、この「腐海」の広がりと戦っているが、ある日、仲間を救出するために、「腐海」の深部に迷い込んでしまう。

 

 そこで不思議な体験をする。

 

 人を殺す毒素を排出しているはずの「腐海」の中心部は、意外や意外、大気は清浄で、静謐な空間が広がっている。

 

f:id:campingcarboy:20200819183437j:plain

 

 やがてナウシカは、人間に害をなす「腐海」や「蟲(むし)」といわれるものが、実は、昔の世界大戦で疲弊した旧人類が、地球全体を清浄な状態に戻すために仕組んだ遠大な “浄化装置” だったことを知る。

 

 この浄化装置は、何千年という時間をかけて、ゆっくりと荒廃した地球を蘇生させ、清らかな空気と大地を取り戻させるように働くようになっていた。

 

 しかし、世界がくまなく浄化されたとき、ナウシカのような新人類は、逆に生きていくことができなくなる。
 なぜなら、ナウシカたちは、すでに “適度な毒” がないと生きられない身体になっているからだ。

 

 やがて、ナウシカは、旧文明のつくった “浄化装置” の中心的な遺跡のある場所にたどりつく。

 

 

f:id:campingcarboy:20200819183531j:plain

 
 そこは「墓所」と呼ばれる神殿のような施設で、旧文明が仕組んだプログラム通り、地球の浄化を目指して稼働し続けている。

 

 ナウシカは、決断を下す。
 なんと、彼女はその「墓所」と呼ばれる施設を破壊し、地球の浄化をストップさせ、ナウシカたちが「腐海」の毒と共存しながら生きていく世界を選び取るのである。

 

f:id:campingcarboy:20200819183632j:plain

  

 福岡氏は、この結論に、
 「けっきょく人類は、コロナのようなウイルスと “共生” して生きていくしかない」
 という宮崎駿の思想を読み取る。

 

 もし、現在の新型コロナウイルスを絶滅させても、やがて新しいウイルスがやってくる。
 
 それをも駆除し、地球の浄化を何度繰り返したところで、やがて、人間が地球環境に適応していく力そのものが失われていく。

 

 図式的に整理してしまえば、福岡氏が『ナウシカ』の結論から導き出した答は、そういうところに収まるだろう。

 

 福岡氏は語る。 

 

f:id:campingcarboy:20200819183753j:plain

 

 「コロナウイルスは、“自然” からどんどん乖離していく人間の “文明” の行き過ぎを警告しています」
  
 どういう意味か?

 

 福岡氏にいわせると、
 「人間は、“ロゴス” と “ピュシス” の両方を内に抱えた生き物である」
 という。

 

 いきなり言われると、何のこっちゃ? … だが、要は、ロゴスというのは、「言葉」、ないしは「論理」のこと。
 すなわち、文明を構築するときの基礎となる概念である。

 

 それに対し、ピュシスというのは、「自然」そのものをいう。
 ロゴスもピュシスも、ともにギリシャ語である。

 

 人間は、生物としてはピュシスとして生きている。
 ピュシスを前提とした生物の遺伝子は、「産めよ、増やせよ」という種の存続だけを至上命令として生きるようにプログラムされている。

 

 しかし、一方で人間は、ピュシスの原理から離れ、ロゴスの力を借りて、法やルールを整備し、産業を興し、効率性や生産性を高めていく存在でもある。

 

 ロゴスの領域で生きる人間は、ピュシスと乖離するかたちで、物質的な快楽や利便性を追求する存在になっていく。

  

f:id:campingcarboy:20200819183904j:plain

 

 ナウシカの話に戻る。

 

 けっきょく、ナウシカが見つけた「墓所」と呼ばれる旧文明の “地球浄化装置” は、確かに、人間に住みやすい環境を整備しているように見えながら、実は、自然そのものの “復元力” をスポイルしてしまうニセの浄化装置にすぎないことを、ナウシカは見抜いたのである。

 

 それは、一見、地球環境を改善し、人間に清潔で、快適で、安心できる生活空間を約束してくれるようにみえる。

 

 しかし、そういう “ケガレなき場所” というのは、ほんとうに人類の理想郷なのか?
 
 人間というのは、ケガレや毒や不潔な環境(といったノイズ)を克服しながら生き抜くことで、逆に自分たちの健全さを維持できるようにプログラムされた生き物なのではないか?

 

 ノイズを完全に消し去った世界には、人間は逆に生きられない。
 ナウシカを心の中で、そう悟ったのだ。 

 

f:id:campingcarboy:20200819184100j:plain

  

 それが、「墓所」という浄化装置を破壊しようとしたナウシカが選んだ結論だ、というわけだ。

 

 ナウシカにとって、“ノイズ” を消し去った静寂に満ちた清らかな世界というのは、いわば「死の世界」である。
 生きていても、思考停止を余儀なくされた世界だ。


 

 これまで人類は、自然界の「ノイズ」を消し去り、より快適で、より便利な生活を実現するために、ロゴスの力を借りて、ここまで文明を高めてきた。
 
 しかし、徹底的に管理された文明社会は、逆に、「自然の逆襲」を迎え撃つ力を失ってしまう。

 

 経済振興を優先するがゆえの森林の伐採、無秩序な都市開発、海洋資源の乱獲といった自然環境の破壊は、地球そのものの寿命を短くしていく。

  

f:id:campingcarboy:20200819184202j:plain

  

 新型コロナウイルスの蔓延は、まさに、そのような行き過ぎた自然破壊への警鐘である、と福岡伸一氏らはいう。

 

 そもそもウイルスというのは、その昔、野生動物が抱えていたものだった。
 最初から人間に感染するようなものではなかった。

 

 だが、人類は、野放図な自然破壊を進めてきた結果、野生動物の生態系を壊し、彼らの生息域を極端にせばめていった。

 

 その結果、人間と彼らの生活圏が近づき、動物にしか寄生しなかったウイルスが、より棲みやすい宿主(しゅくしゅ)を求めて人間に触手を伸ばすようになったのだ。

  

f:id:campingcarboy:20200819184312j:plain

  

 話は、コロナウイルスに限ったことではない。
 真夏の異常気象や乾燥化による山林火災、河川が都市を濁流に呑み込む水害なども同じ原因から起きている。

 

 このような自然の暴威というのは、自然が傷ついてしまったことのシグナルなのだが、それでも人間は、自然をコントロール下に置くことをあきらめない。

 

 なぜなら、人間そのものの中にも「ピュシス(自然)」が生きているからだ。

 

 人間は、地球の自然をコントロールすること以上に、自分自身が内に抱える「自然」をコントロールしなければ「文明」は維持できないと、人間の理性を支配する「ロゴス」は言い続ける。


 では、人間の内なる「ピュシス」を、理性をつかさどる「ロゴス」は、いったいどう形でコントロールしようとするのだろうか?

 

 それは、人間を「徹底的な管理社会」に組み込むことにほかならない。

 

 人間の中にある「ピュシス」は、ともすれば、文明からドロップアウトして、自由気ままに一人歩きを始める。

 

 そうすれば、人間たちは野生動物と変らない無秩序な群れになっていくだけである。
 だからこそ、これまでの文明社会ではリーダーの統率力を強化し、個々の人間の自由を拘束していかなければならなかった。

 

 つまり、人間は、ロゴスの象徴ともいうべき「法と秩序」を前面に掲げ、人間のピュシスが志向する “多様性” を制限する形で、社会を維持する方向を確立してきた。

 

 これは、ある意味では当然のことであり、社会ルールを守るという観点からいえば、まったく「その通り !」というしかない。

 

 しかし、近年どの国家においても、人間を強権的に弾圧し、監視の目を強化する傾向が際立つようになってきた。

 

 具体的にいえば、国民の「自由と民主主義」を制限し、人権を抑圧する方向で国家統制を図ろうとする手法である。

 

 その極端な例は、北朝鮮金正恩政権であるが、それを領土的にも人民的にも大規模に行っているのが、中国の習近平政権である。
 また、ロシアのプーチン大統領も独裁権を強化する形で、それに続いている。

 

習近平政権 

f:id:campingcarboy:20200819184509j:plain

 
 現アメリカ大統領のトランプ氏も、独裁権強化を図るという意味で上記の国家元首たちの同じスタンスをとり続けている。

 

 これら地球上の独裁的国家元首たちに共通していることは、持続可能な地球環境を模索するよりも、自国の経済を最優先することだ。

 

 そして、軍事的には、あくまでも核保有の姿勢を貫くことに徹している。

 

 さらにいえば、このコロナウイルスの脅威を逆手にとって、それぞれ対コロナワクチンの開発で他国を出し抜こうとしている。

 

 「ワクチン開発」といえば聞こえはいいが、各独裁国家の本音をいえば、自国開発ワクチンを政治的にも経済的にも利用し、国際政治の場で、自国優先主義を訴えようということにすぎない。

 

 現に、ワクチンの開発競争を進めているアメリカのトランプ大統領は、ロシアの開発したワクチンなど、「猿にも投与する気持ちはない」と、子供のケンカのように言い張っている。

 

 こうしたバカバカしいケンカも、人間の「ロゴス」がもたらすものなのだろうか?
 
 そうかもしれない。
 ロゴスとは、「他」と「自己」の力を計算して、比較するときにもっともその力を発揮するものだからだ。

 

 そして、「自・他」の力を比較し、他者より常に自己の方が有利になることで、人類は他文明との競争にうち勝ってきた。


 そういう競争は、人間の文明を発展させるために必要不可欠なものだった。

 

 だが、今の地球には、独裁的な国家元首たちのわがままを許容する余裕があるのだろうか?

 

 46億年の地球の歴史を1日(24時間)に換算する “終末時計” によると、温暖化や核の脅威を取り除かない限り、人類に残された時間は、残り “100秒” だという。

  

f:id:campingcarboy:20200819184641j:plain

  

 地球の滅亡は、本当に “秒読み” になったのか?
 それとも、人類は、この土壇場に英知を発揮し、滅亡への回路を遮断して、地球環境をリセットするのだろうか?

 

 『風の谷のナウシカ』は、もう40年くらい前に、そういう疑問に答えようとしていたのかもしれない。