人間は、絶えず何かを「企画」しながら生きている。
「企画」というと、広告代理店とか編集プロダクションの “専売特許” のように思われがちだが、普通の営業でも、製造業に関わる工場労働においても、仕事を続ける上で「企画」は必要とされる。
資本主義原理に貫かれた競争社会にいる限り、人々は意識・無意識にかかわらず、お金を得るために、なんらかの「企画」を生み続けているものだ。
では「企画」とは何か?
… ということになると、これが分かったようで、なかなか説明するのが難しい。
「企画」の「企」は “たくらみ” であることからして、「人を動かすためのなんらかのアイデア」ということになるだろう。
すでに行き渡ってしまったようなものは「人を動かす」力が弱っているから、それは「企画」としての役割を終えたものとなる。
そうなると、「企画」とは、人々がそれまで目にしなかったような「新しい意匠を身につけた新しい考え方」ということになる。
では、その「新しい考え方」は、どこから生まれてくるのか?
企業ブランディングを手掛けるある専門家によると、
「企画とは記憶の複合である」
という。
「(人は)見たことも聞いたこともないことを、(突然)神が降りたように語りだすことはできない。
数年前に気になったこと、1年前に面白いと思ったこと、昨日覚えておこうと思ったこと、そして今思いついたこと、それらの記憶がひとつになったものが『企画』なのである」
人間は、自分の記憶が二つ以上複合したときに、「ハッと」して「ひらめいた!」と思うものらしい。
重要なのは、『二つ以上の記憶』であるということ。一つの記憶だと、それはひらめきとはいえず、単なる思い出に過ぎない。
そして、それは、無理矢理ヒネリ出そうと思ってパソコンやメモ用紙の前で唸っていても湧いてくるものではなく、散歩をしたり、ドライブをしているときなどに、ふと “ひらめく” ものだとか。
たぶん、散歩とかドライブといった “ゆるい” 行動をしているときというのは、人間の記憶も自由にゆらめいているときで、それまでの思考回路とは異なる場所で、記憶同士が勝手にスパークしたり、つながったりするからだろう。
「あり得ないもの同士の結合」は、ドラマなどでもヒット作を生む。
たとえば、2011年放映されて有名になったドラマ『JIN-仁』(原作は村上もとかによる漫画)。
2020年5月にも、新型コロナウイルス感染拡大防止の意味も込めて、TBS系で再放送されていたが、これなど、「江戸時代」と「現代医療」というあり得ないもの同士の組み合わせによって生まれた物語だった。
食生活の現場では、そのような例は、さらに日常茶飯事だ。
大正時代。
「豚カツの上にカレーソースをかけたらどうなるか?」
と考えたシェフが登場して “カツカレー” が誕生したように、人類の食文化というのは、常にあり得ないもの同士の結合からヒット作が生まれてきた。
実は、私も、いま密かに新しい食品の企画を練っている。
「コーヒーうどん」
どうだぁ!
食事と、その食後のコーヒーが同時に味わえるという忙しい現代人向けの食品で、時間に追われている人の食事時間を短縮するという意味で、実に画期的なものだと思う。
興味を持った食品会社および飲食店経営者は、私のところに相談に来てほしい。