9月24日に亡くなった劇画家のさいとうたかお氏に続き、この10月8日に、白土三平氏が亡くなった。
さいとうたかお84歳。
白土三平89歳。
日をおかず、昭和の劇画界の巨人が相次いで逝去したことになる。
ともに一時代を築きあげた人たちだった。
私は、特にこの2人の劇画家に強い愛着を持っているわけではない。
ただ、私の青春時代を振り返ると、必ずこの人たちの作り出した文化が周りに影を落としていた。
特に白土三平の『カムイ伝』(&『カムイ外伝』など)は、私の周辺に集まっていた “全共闘学生” たちの愛読書だったから、彼らがキャンパスの芝生に腰を下ろし、『カムイ伝』を掲載した雑誌の『ガロ』を読みふける姿をよく見ていた。
一時、彼らの雑談は、白土三平の劇画か、高倉健の任侠映画を中心に回っていた感があった。
そこに私は時代の空気を感じた。
さいとうたかおが創造した孤独なスナイパー『ゴルゴ13』も、白土三平の『カムイ伝』の主人公影丸も、いわば反体制側で戦うヒーローたちである。
もちろん任侠映画の主役を張る高倉健もしかり。
彼らの行動には、学生運動が興隆して終息に向かう1960年代末期の空気が渦巻いていた。
『ゴルゴ13』の連載がスタートしたのは1968年。
『カムイ伝』の連載を継続するために創刊された『ガロ』(青林堂)が生まれたのは1964年。
昭和の熱い “うねり” が若者文化という流れをつくって、エンタメにも政治運動にも噴き出した時代だった。
『ゴルゴ13』や『カムイ伝』といった劇画は、いったいどうして生まれてきたのだろうか。
おそらく、劇画の描き手たちも、最初は手塚治虫からスタートしたはずだ。
彼らにとって、そして(私たちのような)その下の世代にとって、1950年代から60年代初頭に大活躍していた手塚治虫こそが漫画界の最大のヒーローだった。
手塚漫画は、その世界観や思想だけでなく、描写力においても唯一無比のパワーを発揮していた。
だから、劇画の描き手たちにとっても、
「いかに手塚治虫がまだ描いていない “線” を探すか」
ということが、大変大きなテーマだったはずだ。
劇画で使われる殺伐ともいえるリアルで力強い “線” は、手塚治虫の優美で丸っこい線とは対極的なものとして発展してきたものだろう。
そして、劇画の強い線は、それに見合った内容も創造するようになった。
すなわち、『ゴルゴ13』のような、国際紛争を生き抜くスパイたちとそれと対決するスナイパーの話だったり、『カムイ伝』の権力と戦う忍者たちの話につながっていった。
劇画は、高度成長を驀進していく昭和の日本にふさわしいテーマをたぐり寄せたのだ。
しかし、私自身は、このような劇画の雄大な世界観にちょっとついていけないものを感じていた。
白土三平の描く構成のしっかりした反体制漫画は、私から見れば、ちょっと堅苦しかった。
だから、同じ『ガロ』に掲載されたものでも、私は少しずつ、つげ義春的な不条理感を漂わせる作品に惹かれるようになった。
つげ義春の描く漫画には、白土三平の世界のような、がっちりした構成力に欠けているところがある。
そのため、何を語りたいのかよく分からないものも多い。
でも、そこが好きだ。
今でもつげ義春は、大好きな漫画家の一人である。
▼ 『ねじ式』