「不倫」がこれほど社会的バッシングを受けるようになってきたのは、いったいいつ頃からだろう。
最近のテレビ報道などを見ていると、不倫が発覚したタレント・芸能人に対する番組コメンテーターや視聴者の糾弾がどんどん激しさを増している。
その理由を探ったあるネット情報によれば、スマホの普及を背景に、視聴者が、それまでの自分には手が届かなかったマスメディアに対し、自分の声を反映させるコツを覚えたからだという。
視聴者の声を素直に反映し、ワイドショーのコメンテーターの口調も不倫した者への叱責をどんどん強めるようになった。
こういう動きが顕著になってきたのは、2013年から2015~1016年頃。
2013年の矢口真理、2016年のベッキー、2016年の宮崎謙介。
こういう人たちの不倫がマスコミでも批判的に取り上げられるようになったのは、いずれも、彼らに対するネットユーザーたちの誹謗中傷が激しくなっていった時期と重なっているそうだ。
では、なぜネットユーザーたちは、この時期から、急激に「世の中のモラル」や「社会正義」を声高に主張するようになったのか。
ある社会学者によると、国民のストレスがそれだけ増大するような社会が到来してきたからだという。
要は、マスコミやネットによる不倫バッシングが横行すればするほど、不倫を批判する人たちは、自分がマジョリティーであるという安心感を得ることができる。
逆にいえば、それほど現代人は、マイノリティーとして孤立していくことを恐れるようになったともいえる。
確かに、そういう説明には一理ありそうに思う。
しかし、私はこれを「文化」の問題としてとらえている。
不倫を「文化」として考える思考回路が、今の人たちにはなくなってきたのだ。
昔、ある俳優が、自分の不倫をマスコミから糾弾されたとき、「不倫は文化だ」と開き直って、発言がさらに炎上したという話があった。
たぶんに誇張された談話だったらしいが、この発言には、ある部分「真実」が含まれている。
実際、文学などでも、不倫をテーマにした小説には名作が多い。
世界最古の “恋愛小説” といわれる『源氏物語』(11世紀)は、現代の基準に照らし合わせてみると、不倫文学である。
ヨーロッパで最初の恋愛文学といわれる『トリスタンとイゾルデ』(12世紀)も、はっきりした不倫小説だ。
なぜ、洋の東西を問わず、恋愛小説は「不倫小説」の形をとって始まったのか?
それは、そもそも恋愛自体が「不倫」から始まったからだ。
つまり、昔の人は、人間の「恋愛感情」というものを、恋愛が許されない環境のなかではじめて知ったのである。
中世に生まれた『トリスタンとイゾルデ』の話は、もっとも端的にそれを物語っている。
若い騎士のトリスタンは、マルク王という隣国の叔父が結婚するときに、その花嫁となるイゾルデという王女を護衛しながら、王のもとに向かう。
しかし、トリスタンとイゾルデは、本来ならマルク王とイゾルデが飲むことになっていた「惚れ薬」という媚薬を旅行中に間違って飲んでしまい、それがもとで、激しい恋に陥る。
婚約者であったマルク王は、そのことを知って激怒する。
そのため、トリスタンとイゾルデは、マルク王の追跡を振り切り、逃亡を重ねる。
長くは説明しないが、当然、こういう不倫の恋が悲劇を招かないわけはない。
それがゆえに、この話は今もって哀しい恋愛小説の古典として読み継がれている。
こういう不倫文学の系譜は、近世から近代のヨーロッパにおいても途絶えることなく名作を生み続けた。
『危険な関係』(ラクロ)
『赤と黒』(スタンダール)
『ボヴァリー夫人』(フロベール)
『アンナカレニーナ』(トルストイ)などは、単なる不倫小説というよりも、普遍的な恋愛文学として多くの読者に愛されている。
▼ 話を現代に置き換えて映画化された『危険な関係』(1960年)
日本文学でも、不倫を描いた小説は多い。
多くの愛読者を抱えている村上春樹にも、不倫を真正面からテーマに据えた『国境の南、太陽の西』がある。
村上龍の方には、『テニスボーイの憂鬱』というラブロマンスがある。
私は、この両村上の不倫小説を読み、ともに「大人の恋愛小説」だと思ったが、正直にいうと、どちらも今ひとつ物足りなかった。
不倫を描きながら、どんな恋愛小説よりも、“倫理的な美学” を打ち出したのは、立原正秋(1926年~1980年)だ。
立原が作家としての存在感を発揮したのは1960年代後半から70年代にかけてである。
彼の作品を、私は1970年代半ばにそうとう読んだ。
25~26歳のときだった。
彼の小説に出てくる男女には、どちらにも “凛とした” 風情があった。
そこに描かれる男女は、不倫をしていても、まさに “死を賭した” とでもいえるほど苛烈なものだった。
▼ 立原正秋の原作『情炎』をもとにした映画
不倫の恋は成就を求めない。
2人の関係が明日も続く保証はどこにもないからだ。
だから、逢っていても、一瞬のきらめきの底には、常に闇が沈んでいる。
逢瀬が終わり、別れるときは、二人とも「未練」を噛みしめるどころか、逢うのはこれを最後にしようという「断念」と戦わなければならない。
立原の小説は、この「断念」の苛烈さによって、凄絶な美を生み出していた。
もうひとり、すさまじい不倫小説を書く作家だと思った人に、森瑤子(1940年~1993年)がいる。
彼女の活躍がいちばん目立ったのは、日本がバブル景気に向かう直前(1970年代後半から80年代にかけて)だったので、バブリーでゴージャスな恋愛小説の書き手として人気を博した。
特に、1982年に刊行された『情事』は、80年代の不倫小説の白眉だった。
この小説に魅せられて、一時期、私はずいぶん彼女の小説を読みあさった。
アンニュイに満ちた大人の世界を華麗な文体で描き尽す彼女の小説は、日本の新しい都会小説の誕生を感じさせた。
しかし、その文体の隙間に潜んでいたのは、バブリーな生活を重ねてもけっして心を満たしてくれない都会人の「寂寥感」だった。
「華やかなことは哀しいことだ」という諦念を、もっとも華やかな文体で描き出す。
それが彼女の真骨頂だったかもしれない。
立原正秋も森瑤子も、今はあまり話題になることはない。
しかし、彼らの不倫文学は、
「不倫には格調を伴った不倫もある」
ということを教えてくれる。
成就することを断念する恋。
その苦痛に、目を閉じて耐えるときに見えてくる「もののあわれ」。
そこまで突き進んで、はじめて「文化」になるような不倫も生まれてくる。
ひるがえって、昨今の芸能人が催す「不倫謝罪会見」を見る。
すると、そこで吐き出される言葉の、あまりの貧しさに愕然とする。
「申し訳ありませんでした」と、涙顔で訴える彼らの言葉の空疎な響き。
誰に対して申し訳なかったのか。
誰に自分の言葉を届けたかったのか。
そういうことを事前にまったく考えていなかったことが “不倫男たち” の謝罪会見からは見えてくる。
要は、彼らには覚悟がないのだ。
一度不倫に踏み切ったからには、その後は山の庵(いおり)にでもこもり、周囲の四季を眺めながら人生をたたむぐらいの覚悟が必要なのに、彼らはあさましくも自分の仕事も家庭も手放そうとしない。
そのような謝罪会見の場で、さらにうすら寒いのは、記者会見に臨んだ人間を、まるで火あぶりの刑に処するように、冷酷な質問を浴びせるレポーターたち。
レポーターたちの口調にも、「自分は正義に加担しているから正しい」という驕りが見える。
そういう寒々とした光景が、現代の「不倫」を貧しいものにしている。