性愛が最も高揚した瞬間に、人は「死」に隣接していることを、われわれは日常的に知ることがない。
おそらく性愛の瞬間においても、それを実感する機会は少ないであろう。
ただ、優れた文学、絵画、映画などだけが、その事実を教えてくれる。
岩井志麻子の『楽園(ラックヴィエン)』(2003年 角川ホラー文庫)という小説は、まさにそのような例だ。
『楽園』は日本人の独身女性が、ふとベトナム旅行を思い立ち、旅先で知りあった現地の青年と交情を繰り返すだけの話だ。
お互いに相手の名前も素性も明かさず、食べること以外はひたすらベッドの上で痴態を繰り広げる二人。
狂おしい欲望にまみれながら相手を求める時には、生の高揚があり、自分のエネルギーの燃焼を見届ける行為は、生きていることの最高の証(あかし)になるはずだ。
なのに、ここで描かれる性愛には、常に死の静けさが漂い、破滅の予感が支配している。
社会生活を構築することで種の保存方法を確立した人間にとって、あまりにもディープな快楽は、その社会を維持する機能を破滅させてしまうことにつながる。
いつの間にか人類は、そのことを学びとったのだ。
社会を逸脱するほどの性愛を楽しむ人間に向かって、そっと忍び寄る「死の気配」とは、人類のDNAにインプットされた「危険信号」なのかもしれない。
『楽園』は、その危険信号ですら甘美なものに変えてしまおうという邪悪な小説である。
もともと邪悪なものを甘美に見せるためには、それなりの仕掛けが必要だが、作者が用意したのはベトナムのホーチミン市という、日本人にとっては不思議な距離感を感じさせる異国の街だった。
…… (その街は)ゴミなのか宝物なのか分からない物にあふれ返り、悪臭なのか芳香なのか、定かでない匂いに包まれた石造りの集合住宅は、国旗に負けない派手で、明るい色彩の洗濯物をはためかせている。
そこには常に、彩り(いろどり)豊かな貧しさと、汚れたたくましさに満ちており、なつかしい不幸の匂いがする ……
引用からも分かるように、この小説の特徴は、
「ゴミ」と「宝物」
「豊かな貧しさ」と「汚れたたくましさ」
「なつかしい不幸」といった、本来なら相容れない概念が、何の説明もなく共存しているところにある。
作者はベトナムという国を、
…… 不幸すら、きらめく思い出にしてしまい、いまわしささえ、美麗な看板にしてしまう、貪婪(どんらん)さと純情さに満ちた国 ……
ととらえる。
そして、その国を支配している「夏」を、
…… 何もかもが、なつかしい倦怠(けんたい)と甘美な疲労に沈む無常の季節 ……
と表現する。
たとえば、この国の田園地帯を描写するとき、
…… 息苦しいほどの緑の湿地の田園。途方もなく越えた土壌は、年に何度も米を収穫させる。
だが、吹き渡る風はなぜ、こんなにも虚しく淋しい音を立てるのか ……
と描く。
天国の一歩先には地獄が。
幸せの裏には不幸が。
豊かさの裂け目からは、常に貧しさが見え隠れしている世界。
両極端にあるはずの価値が、一瞬にして等価になってしまう文化。
邪悪であることが甘美であることを伝えるのにはまたとない風土を、作者は舞台として選んだといえよう。
生がもっとも高揚した瞬間に死が忍び寄るというジョルジョ・バタイユの「性の定義」を立証するには、パリでも東京でもなく、天国と地獄が隣接し、闇が極彩色の光を放つベトナムの街でなければならなかったのだ。
岩井志麻子はホラー作家としてデビューした。
明治期の岡山にあった娼家を舞台にした『ぼっけぇきょうてぇ』で人気作家の仲間入りを果たした人である。
彼女の描く世界は、常におどろおどろしい不気味さと、土俗的な暗さと、濃厚なエロティシズムに満たされており、寝汗をかくような悪夢の味がする。
『楽園』も角川文庫の「ホラー小説」のジャンルに入っている。
だが、この小説に限っていえば、ホラーを期待して読むと肩透かしを食らうかもしれない。
確かに、最後はホラー的な味付けで終わる。
しかし、それはエンターティメントとしてのフレームを残しただけであって、本質は引用部分からも分かるように、凝りに凝ったフレーズを多用した、ポエムに近い文学である。
それも、いまどき例をみないような、古典的な美文調を保ちながら、最新のCMのキャッチに使えそうな、洗練された語句が散りばめられた洒落た小説だ。
たとえば、
…… きれいな南の地獄と天国は、赤々と欲望に燃え、白々と絶望に沈んでいた。
そこにはバラ色の嘆きと、スミレ色の黄昏(たそがれ)があった。
七色の果物と、単色の鳥がいた。
…… その鳥がいつも唄う歌が、ベトナム語なのかは知らない。
そのとき鳥は私のことを見なかったし、さえずってもくれなかった。
なのにひっそりと、死の歌を唄っていた ……
どれも、大正期や昭和初期の日本の詩人たちのフレーズを思わせる美文だ。
かと思うと、
…… 昼間を飛んでいる飛行機なのに、機内は夜の気配に満ちている。
すでに高度何万フィートの位置だ。本来は、生身の人間は来られない場所だ。天国とはいえなくても、近い場所とはいえるだろう ……
といったように、現代の作家であることを証明する(飛行機などの)道具の使い方もうまい。
性愛の相手に対しても、
…… (私は)彼をどこかで哀れみ観察し、愛玩している。私の神様であり、飼い犬でもある ……
と、突っ放して見る視点も正直だ。
…… 相手を人間扱いしないのが恋愛。なぜなら恋の対象とは、自分の思い入れ、思い込み、投影の相手なのだから ……
と、醒めた見方をしているところも鋭い。
岩井氏は、今はホラー作家というよりも、シモネタ上手の「エロおばさん」という認知のされ方をしている。
もしかしたら、そっちの方が、彼女の本領なのかもしれない。
しかし、この初期の小説を読む限り、彼女は、ジョルジョ・バタイユの愛弟子であり、マルグリット・デュラスの姉妹のような作家に思える。