1974年、台風16号により多摩川の堤防が決壊し、周辺住宅の19棟が水没したという事故(多摩川水害)が起こった。
その事故を題材に企画されたテレビドラマが、『岸辺のアルバム』だった。
2020年6月30日の「アナザーストーリーズ」(NHK BSプレミアム)で、この『岸辺のアルバム』を取り上げた番組が放映された。
なつかしい気分で、それを見た。
同ドラマは、山田太一の小説をもとにしたものである。
ドラマ化したときのプロデューサーである堀川とんこう氏がこの春に亡くなられたので、それにちなんだ企画であったのかもしれない。
ドラマ放映が始まったのは1977年。
「幸福の絶頂」にいるように見える家族が内部から崩壊していく様子を描いた話として、明るいホームドラマが主流の時代には、異例の内容だった。
話題を呼んだのは、そのテーマ曲だった。
ジャニス・イアンの「ウィル・ユー・ダンス Will You Dance? )」が使われていた。
爽やかで優しい曲調で、オープニングの映像やドラマのヘビーな内容とはまったく相容れなかった。
だからこそ、ドラマ全体が視聴者の印象に残り、事実、この曲そのものも大ヒットした。
いったい誰が、このジャニス・イアンの曲をドラマのテーマ曲として選んだのだろう。
秀逸としか、言いようがない。
描かれた家族たちの悲劇を強調するには、これ以上の選曲はないように思えるからだ。
ドラマの骨格は、下記の通り。
美しい川べりに立つ近代的な一軒家。
そこで暮らす平和で平凡な家族。
主人(杉浦直樹)は大手商社マン。妻(八千草薫)は美人で貞淑な主婦。
大学生の姉と、受験中の弟。
このドラマに描かれる家族に、「不幸の影」はどこにも見えない。
しかし、実は、その主人は、家族には明かさないが、商社の業務のうちダークな部分を引き受けており、妻は密かに不倫をしている。
姉は、外国人に強姦され、妊娠した子供をこっそり中絶しようとしている。
「平和な家族」の裏面で徐々に進行していく崩壊の予兆。
それが、このドラマのテーマだ。
じわっと解体していく家族。
徐々に表面化していく夫婦・親子間の修羅場。
そんなことを知らぬげに、ジャニス・イアンが作ったテーマ曲は、春風のような甘い香りをシレッと伝える。
青空に浮かぶ雲のように。
花の匂いに満ちたガーデンを照らす、午後の陽射しのように。
ドラマとテーマ曲の「違和感」がかもし出す背筋が凍りつくような展開にこそ、このドラマの本質が隠されているように思える。
あまりにも、のどかで、牧歌的なものは、時として、そのままそっくり「不安」と「不幸」の予兆となる。
つまり、「完璧な平和」というものは、ときに、「まだ見えない不幸の予兆」を人に探させるからだ。
『ウィル・ユー・ダンス』は、そんな人間心理をうまく突いている。
事実、この歌の歌詞には、
「誰かが泣く」
「死」と「死者」
「嘘をつく」
「滅ぶ」
などという不吉な響きを持つ言葉が、たくさん沈んでいる。
そもそも、この歌のメッセージそのものが暗いのだ。
なのに、耳をかすめる「サウンド」は、退屈なくらい、明るく、のどかで、けだるい。
歌詞とサウンド、そして歌とドラマの、なんというミスマッチング … であると同時に、なんというベストマッチング!
この組み合わせだけでも、このドラマは永遠の名作として人々の記憶に刻み込まれることになった。
1970年代。
それまで、農村に暮らしていた大量の若者たちが、都会で仕事を確保し、恋愛結婚の果てに、郊外の新興住宅地に一軒家を構えるようになった。
サラリーマンとなった主人と、専業主婦となった妻。
そして、子供が二人。
近代家族のモデルを代表する「標準世帯」が都市近郊で無数に生まれた。
『岸辺のアルバム』が放映された1977年は、そのような近代的な「核家族」が完成したと同時に、その崩壊の予感におびえた時代である。
この世代の父と母には、幼い頃にテレビで見た米国製ホームドラマ『パパは何でも知っている』(↓)のような、都市郊外に幸せな家庭を築く “アメリカ型家族” の理想が染み込んでいた。
そのアメリカ製ドラマで見た最新の家電や乗用車に囲まれた快適な生活を営むために、一家が協力しあってサラリーマンの父を支える。
そういう素朴なロマンが、崩れ始めたのが、70年代の後半。
まず、サラリーマン社会に適合するために、子供に過度な勉強を強いる学歴・学術偏重主義が、子供たちを圧迫し始めた。
高度成長を支えるために、父親は深夜にならないと、家に帰らないようになった。
家電の充実によって、家事から解放された妻たちの間には、「自分の人生はこれでいいのかしら?」と疑う余裕が生まれるようになった。
そのような妻たちの心の隙間に、「恋愛幻想」としての不倫が忍び寄る。
夫たちは、 残業に明け暮れるか、「接待」にかこつけて、夜の盛り場を飲み歩く。
子供たちは、目の前に広がる小ぎれいな郊外住宅を、父母の過度な期待がこもった「受験勉強の牢獄」として眺めるようになる。
家族が集まる「家」が、いちばん家族の匂いが希薄な空間に変貌していく。
このような時代の気分を背景に、村上春樹の『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』が生まれたように思う。
『岸辺のアルバム』の放映(1977年)から2年後、村上春樹は、日本のどことも特定できない、空虚なけだるさに満ちた郊外都市に暮らす若者の日常を描いた。
新興の中流サラリーマンのベッドタウンとして開発された郊外都市。
そこには、極度に人工化された “記号” のような都市風景が広がる。
建物はみな清潔で、明るく、計算された並木に吹く風は、涼しげで爽やか。
それは、どこか近代的な “霊園” の雰囲気を帯びる。
見事に区画割りされたベッドタウンの情景は、そっくりそのまま霊園のイメージと重なる。
とりとめもない空虚感を中心に据えた「虚無の街」。
村上春樹の初期短編に描かれる明るく清潔な街は、「死の静けさ」をはらんでいる。
それを音楽として表現したならば、ジャニス・イアンの『ウィル・ユー・ダンス』に近いものになるのかもしれない。