アメリカの大統領選にほぼ決着がつき、トランプ氏やバイデン氏の報道も、もう日本のニュースではほとんど流れなくなった。
しかし、選挙の騒動から一ヶ月が過ぎ、ようやく見えてきたものがある。
それは、アメリカ社会に広がった「分断」の予想外の深さだ。
今回の選挙で獲得した得票数は、負けたトランプ氏が7,100万票。
勝ったバイデン氏が7,500万票。
その差は、400万票でしかなかった。
さらにいえば、敗れたとはいえ、トランプ氏の得票は前回より800万票以上も上積みされているのである。
これを見ると、この選挙には「勝ち負け」がなかったことが分かる。
ルール上は「バイデン勝利」となるが、実質的には「引き分け」。
すなわち、アメリカは、トランプ氏を支持する人たちと、バイデン氏を支持する人たちによって、真っ二つに分かれたという構図が浮かびあがった。
「21世紀に入り、アメリカ合衆国の大統領選挙が実施されるたびに、アメリカ国内の深い “分断” が浮き彫りになってきたが、この2020年の選挙ほど、世論が二分されたことはなかった」
そう語るのは、同志社大学の藤井光教授である(朝日新聞12月2日夕刊)。
藤井教授によると、
「1990年代までは、アメリカの民主党支持者と共和党支持者の価値観はある程度重なりあっていた」
という。
ところが、2000年代に入ると、民主党支持者と共和党支持者が抱く価値観に少しずつ隔たりが生じるようになってきた。
民主党には、都市圏や大学を中心とした支持者が集まるようになり、一方の共和党は、地方に広がる白人ブルーカラー層から支持される傾向が強まった。
前者がリベラル。
後者が保守。
支持者別に表現すると、「都会のエリート層」と、「地方のワーキングプア層」。
大統領選挙中は、このような分け方がアメリカの主要メディアでなされ、日本の報道もそれにならって、この図式を踏襲した。
しかし、この図式は、「分断」の表層的な部分をなぞっただけではないのか?
つまり、「分断」を招いた要因をさらに詳しく調べると、また違った見方が生れてくるのではないか?
アメリカでは、選挙後そういう声が次第に強くなってきた。
そういう問題提起を行った学者の一人ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は、次のようにいう。
「今回の選挙で浮き彫りにされたのは、アメリカのエリート層の傲慢さだ」
(2020年12月2日の読売新聞)
つまり、トランプ氏が予想外の善戦を繰り広げた背景には、民主党を支持するエリート層に対し、一般のアメリカ庶民の反発が大きくなったという見方が成立する、とサンデル氏は語る。
バイデン支持者とトランプ支持者の学歴を調査したところ、大卒以上の投票先は、バイデン候補が57%。トランプ候補は41%(AP通信)。
つまり、バイデン支持者の方が高学歴であることが判明した。
しかし、むしろそこに問題がある、とサンデル氏はいう。
「この高学歴者たちの傲慢さが、今回の大統領選では非エリートたちの予想外の反感を呼んだ」
つまり、その “反感票” がトランプ氏に流れたというわけだ。
エリート層と非エリート層の分断。
それは何もアメリカ社会に限ったことではない。
むしろ、グローバリズムによって経済発展を遂げたすべての先進国に共通して見られる傾向といえる。
思えば、2016年に起こったイギリスのEU離脱騒動も、同じ構造だった。
当時、移民の流入によって自分たちの仕事を奪われることを危惧したイギリスの労働者階級は、移民の受け入れを積極的に進めるEUに反感を持つようになった。
それに対し、EUに留まる方がイギリスの経済的・社会的地位を保証するといって “離脱派” をけん制したのが、若者を中心としたエリート層だった。
結果はエリート層の敗北に終わったが、そのときに語り継がれるようになったのは、
「傲慢なエリート層と、それに耐える非エリート層」
という “物語” だった。
アメリカの非エリート層も、イギリスの非エリート層も、けっして無知で無教養な低学歴労働者ではない。
両者とも、かつては「健全で、良心的で、豊かな中産階級」だったのである。
それぞれが、国の中核を担う中流家庭の人たちだったのだ。
そういう人たちが没落していったということは、何を意味するのか?
グローバリズムによる格差社会が到来したということである。
ものすごく乱暴にいえば、グローバル経済の進展によって、とてつもないお金を手にした超富裕層が世界中に出現してきたのだ。
彼らは、一度手に入れた「富」を、子孫にも残すようになる。
かつての貴族社会のような、金持ちの世襲制が誕生したといっていい。
起業家の慎泰俊(シン・テジュン)氏は、そういう社会構造をもたらした現代社会のお金持ちの心理を、次のように語る。(朝日新聞 12月2日)
「発達した資本主義社会では、経営トップや創業社長など『能力がある人』に富が極端に集中する。
そのような富の大きさが、現代社会では、あたかも人格的な優越までも示唆するかのように設計されている」
つまり、そこに「勝ち組」と「負け組」という意識格差が生まれ、それが現代社会の大きな「分断」を招く要因になっているというのだ。
前述したハーバード大学のマイケル・サンデル氏も、同様の見解を示す。
すなわち、
「資本主義社会で “勝ち組” となった人々が、メリトクラシー(能力主義)の文化を持ち上げすぎてしまった結果、非エリート層との “分断” が生まれた」
とも。
人間の常として、「優秀」で、「能力」と「分別」を持つ人ほど傲慢になりやすい。
そうなると、その傲慢さを嫌う人々もまた自分たちの主張を強めざるを得ない。
その二つがいがみ合ったときは、どちらの陣営も、自分たちの戦意を鼓舞する「物語」が必要になってくる。
アメリカ大統領選の場合、バイデンを擁立した民主党支持者の「物語」を列記するのは簡単だ。
「人種差別反対」
「人権の擁護」
「経済格差の是正」
「性的マイノリティーへの支持拡大」
「地球温暖化政策への取り組み強化」
このような “理知的” な「物語」の提示は、知的エリート層がもっとも得意とするところだ。
それに比べ、トランプ氏を支持した人々の「物語」は、こういう理知的な形をとらない。
彼らの心理の底にはエリート層への反発があるから、そこから噴き出す「物語」はもっとパッショネート(情動的)だ。
すなわち、
「民主党の大物がこっそり甘い汁を吸っている “影の政権” を叩きつぶす!」
というような、Qアノン的陰謀論に近くなる。
そういうトランプ支持者の陰謀論的な物語に理解を示すか。
それとも、バイデン支持者を構成するエリートたちの傲慢さを容認するか。
それによって、アメリカ大統領選を考える視点は、まったく異なってくる。
近年、アメリカの民主党的なリベラリズムに対し、それに違和感を抱くような意見が日本にも出てくるようになった。
哲学者の萱野稔人(かやの・としひと 写真上)氏は、自著『リベラリズムの終わり その限界と未来』(2019年11月20日)において、
「欧米諸国でも日本でも、リベラル派の主張は現在、かつてほどの支持を集められなくなっている」
と指摘する。
「その理由は、リベラル派の人間が、自分たちのご都合主義に無自覚なまま『正義』を掲げる独善性に、多くの人がうんざりしてきたからである」
という。
このくだりは、前述したマイケル・サンデル氏の、「米国エリート層の傲慢さ」という指摘と呼応している。
萱野氏とサンデル氏は、
「リベラル派の人間は、自分たちの主張に支持が集まりにくくなっている現状を『人々の意識の低下』、『社会そのものの劣化』と批判するが、そういう批判こそ、自分たちの傲慢さを自覚していない証拠」
と見るところが共通している。
彼らの指摘は、アメリカの民主党にシンパシーを感じていた日本人にも、ある程度の反省をうながす契機になるような気がする。
また、無条件に「反トランプ」を掲げてきた人にも、物事を冷静に考えるためのいい刺激となったはずだ。
私などは、米大統領選の間、ずっと「反トランプ」的な視点でニュースを眺めていたから、トランプ支持者たちの心理分析を試みた(サンデル氏らの)指摘は勉強になった。
ただ、最後に触れた萱野氏の “反リベラル論” に対しては、若干批判したいところがある。
長くなるので、それは稿を改めて語りたいと思う。