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50年経って再び『イージー・ライダー』を見る

 WOWOWシネマで、アメリカ映画『イージー・ライダー』を久しぶりに見た。
 1969年の作品である(日本公開は1970年)。

  
 この映画を最初に見たのは、私が二十歳のときだった。
 それからちょうど50年経つ。
 
 漠然とした記憶として残っているのは、アメリカの荒野の一本道を淡々と走っていく2台のオートバイ。
 その映像に絡む60年代のアメリカンロック。

 

 それ以外の細部はほとんど忘れていた。
  

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 見終わって、奇妙な気分のなかにいる。

 

 50年経って、アメリカはずいぶん変わったなぁ という感慨と、50年経ってもアメリカはまったく変わっていないという印象が両方襲ってきたからだ。

 

 映画には、60年代~70年代の若者たちの文化と風俗がふんだんに登場する。
 
 オートバイ
 旅
 ロックミュージック
 マリファナ
 長髪
 ヒッピーコミューン

 

 二十歳だった私は、そういう当時の “若者のアイコン” に自然になじんでいたので、映画に出てくる情景を「最先端の風潮」として違和感なく受け止めることができた。

 

 しかし、いま見ると、異様な部分もある。
 特に、「脱・文明/脱・都会」を志向して、自然のなかで共同生活を送るヒッピーコミューンの男女たちの生き方は、なにやらカルト的な宗教集団を見ているようで、気味の悪さを感じた。

 

 それは、私自身がその後、そういうヒッピーコミューン的な集団の退廃や崩壊を見てしまったからである。
 
 殺人犯として名を残したチャールズ・マンソンの「ファミリー」。
 信徒たちを集団自決に追い込んだジム・ジョーンズの「人民寺院」。 

 ヒッピー集団は、狂信的なリーダーに統率されると、ときにカルト的な狂想に引きずられてしまうこともあったのだ。

 

 映画は、そういう “脱社会” 的な若者の文化や風俗と同時に、その対極にある因習的な南部の白人社会の様子も描き出す。

 

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 オートバイで旅する二人の若者(演じるのはピーター・フォンダデニス・ホッパー)。
 それと、途中から仲間に加わったジャック・ニコルソンたちは、旅先で立ち寄った田舎町のレストランで、地元の白人グループからあからさまな嫌がらせを受ける。

 

 南部の町で暮らす白人労働者や農夫たちは、都会から流れてきた長髪の若者たちが気に食わないのだ。
 
 彼らは、主人公たちに敵意の目を向けるだけでなく、野宿している場所を襲い、そのうちのジャック・ニコルソンをナタで惨殺する。

 

 惨殺される前に、ジャック・ニコルソンデニス・ホッパーにいったセリフが印象的だ。

 

 「地元の白人たちが、君に敵意をむき出しにするのは、君の長髪が気に入らないからだよ」
 とジャック・ニコルソン

 

 「なぜだ?」

 とデニス・ホッパーが聞き返す。

 

 「その長髪に彼らは “自由” を感じるからだよ」

 

 「なぜ “自由” はいけないんだ?」

 

 「アメリカ人はみな “個人の自由” というのが大好きだ。しかし、実際にそれを発揮している人間を見ると、胸がむかつくんだよ」

 

 このセリフは、50年経った今、アメリカの黒人を平気で射殺するアメリカの白人警官たちの行動を予言したかのようだった。

 

 アメリカの白人警官は、口では「黒人の自由と平等」を認めるといいつつ、実際に、自由と平等を手にした黒人の姿を見ると、“胸がむかつく” のだ。

 

 そして最後に、旅を続けるピーター・フォンダデニス・ホッパーも、バイクで走行中、田舎町の道路でトラックを運転している地元の白人たちにあっけなく撃ち殺される。 

 

 『イージー・ライダー』という映画は、すでに50年前にアメリカ社会にはびこる「自由な人々」に対するいら立ち隠さない人々を描いていたともいえる。

 

 「よそ者は排除せよ」

 

 それが今のトランプ政権の基本姿勢である。
 彼は、メキシコ国境に壁を建設してヒスパニック系移民の流入を断ち切り、国内ではあからさまに黒人を蔑視して、白人警官の横暴を擁護する。

 

 そういうトランプ氏の白人優先思想と、『イージー・ライダー』に出てくる頑迷固陋の南部白人の表情が、50年経った今重なった。

 

 
  最後に、この映画のテーマについて。

 

 「自由とは何か?」
 それを追求した映画であると、改めて思った。

 そのことを、制作者たちは、言葉を使って説明していない。

 
 
 ただ、映像には、
 「これが自由だ!」
 という主張が最初から最後まで、しつこいほど繰り返されている。

 

 それは荒野を走るオートバイ。
 そして、その映像にかぶさるロックミュージック。

 

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 「自由」を語るときに、それ以上の説明が必要だろうか?

 

 そういうメッセージが、あまりにも鮮烈だったがゆえに、この映画は古典的青春映画となりえたのだ。

 

 

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