このブログに、ときどき示唆的なコメントを寄せてくださる Tokyo Cabin さんから、
「海というのは、“日本の原点” ともいうべき存在ではないのか?」
という、日本人の精神が海と深い関係を持っていることを示唆するコメントをいただいた。
Cabin 氏は、そのことを、
「海を舞台とした日本映画には、古典的な名作がたくさんある」
という映画論の視野から考察されていた。
以下の論考は、そのときのTokyo Cabin さんに対する私の返信を基に書いたもので、若干加筆している。
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日本人の若者にとって、海がドライブの目的地として選ばれやすい理由について、昔、作家の村上龍がこんなことを書いている。
彼は、
若者がドライブに行くときの目的地として、よく海を選ぶのは、
「そこが、とりあえず、どん詰まりだからだ」
というのだ。
つまり、そこから先は道がないので、もう「どこへ行こうか?」と悩む必要がない。
だから、失恋した若者が、衝動的なドライブの目的地として海を目指すことは、理にかなっている。
…… と、村上龍はいう。
行き場を探して燃え盛る「未練」の業火に、「あきらめ」という鎮静剤を与えることになるからだ。
なるほどと思った。
水平線の彼方に別天地が広がっているというのは、たとえば太平洋の向こう側にハワイやアメリカがあるという地理的知識を仕入れた現代人の感覚に過ぎない。
昔は、海の彼方にある世界に対する知識のない人々にとって、海は、現実的にはただの「行き止まり」でしかなかった。
その向こう側に広がる世界を想像するには、気持ちの “切り替えスイッチ” が必要だった。
すなわち、「幻視」が要求された。
言葉を変えていえば、「想像力」である。
つまり、海は、現実的には「陸地の果て」にすぎないが、その先には、「観念の虚空」が広がっている。
要するに、海辺というのは、「現実」と「虚構」が交差する空間ともいえる。
「海」に対する観念性が十分に育っていない時代、多くの日本人にとって、海の向こうは、現実的には「虚無の世界」だった。
この感覚が、日本人独特の、仲間同士の “絆” を大切にする心を発展させた。
すなわち、同一民族・同一言語を語る “島国の住民” 日本人というアイデンティティが誕生した。
それは、この国の歴史が、近代にいたるまで、13世紀の元寇を除き、他国の侵略を受けたことがないということとも関連している。
すなわち、「海」を “砦” にして、防御を固めた国家だったからである。
そのため、日本人は、(飛鳥時代の一部のエリート層を除き)他民族をイメージする機会を失っていった。
言葉を変えていえば、それは日本人の閉鎖性を意味した。
日本人のメンタリティーは、こういう他文化への無関心を軸として成長してきた。
すなわち、言葉の異なる者は、“よそ者” だという意識を発達させた。
「空気を読む」
などという風潮もそこから発している。
つまり、「日本人同士なら言葉で説明せずとも、場の状況から察してしかるべきだろう」
という意識が、“KY文化” を生んだ。
日本人が「同調圧力に弱い」というのも、それと関連している。
阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)
以心伝心(いしんでんしん)
などという “非言語的” な意思疎通が常態化したのもその延長線上にある。
ただ、このような “非言語的” なコミュニケーションは、一方では、「無言のうちの察し合い」の文化を育んだともいえるので、いちがいにネガティブにとってはいけない。
逆にいえば、日本的美意識は、この「察し合いの感性」から生まれてきたともいえるのだ。
話がだいぶ脱線した。
「海」のテーマに戻る。
「海は、現実的には “陸地の果て” にすぎないが、その先には、“観念の虚空” が広がっている」
と先ほど書いた。
こういう感覚は、日本人の浄土信仰に結びついている。
昔の人にとって、海は、「現実世界の終わり」であり、「浄土の始まり」であったともいえるのだ。
日本の中世においては、仏教の高僧たちや行者たちが、即身仏となって浄土に渡るため、小型の木造船を仕立てて、大海原に乗り出した。
それを「補陀落 渡海(ふだらく わたり)」という。
その船には、艪(ろ)や、櫂(かい)、帆などは搭載されておらず、沖合いで搬送船から切り離された後は、基本的に海流に流されて漂流するだけ。
現実的には、死の漂流だが、飢餓と疲労で意識がもうろうとした高僧たちは、水平線の先に、金銀の仏塔を並べた西方浄土が浮かび上がるのを見たかもしれない。
極楽浄土へ落ちゆく夕陽のゴージャスな輝き。
それを “浴びる” というのは、やはりひとつの愉楽でもあったろう。
この宗教的法悦には、もしかしたら、日本人のノスタルジーが反映しているような気もする。
というのは、日本人のなかには、太古にポリネシアあたりから丸木舟を仕立てて、黒潮に乗って日本にたどり着いた人々がいるからだ。
西方浄土への憧れというのは、そういう祖先を持った人々のノスタルジーからきた思想であるかもしれない。
全天を真っ赤に焦がしながら、水平線を越えていく夕陽は、恐ろしいまでに美しい。
そこに昔の人間は、「行き止まりの海」を越えて、その向こう側に行こうとしている “何ものか” を観たのだろう。