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アメリカ人は “お茶目な” トランプが大好き

 

 いよいよあと2週間を切ったアメリカの大統領選挙戦。
 ヨソの国の国家元首を決める選挙なのに、なぜかとても気になる。

 

 それは、(あくまでも個人的な嗜好だが)、面白いからだ。
 自分には、いろいろな意味で、この選挙が現在の世界情勢を占う試金石となりそうに思える。
 
 では、この選挙はどういう結果を生むのか?

 

 日本のメディアは、アメリカの世論調査を参考にして、今回の選挙においては民主党のバイデン候補の方がリードしていると、連日報道している。

 

 しかし、キャラクター的にみると、地味で面白みに欠けるバイデン氏よりも、最近ますますその “ヒール役” が身についてきたトランプ氏の方が数倍面白い。

 

 「なりふりかまわず」
 「身も蓋(ふた)もなく」
 「あつかましく」
 「ふてぶてしく」

 

 トランプ氏は、そういう人間のもっとも “カッコ悪い” 部分を堂々とさらけだす怪物だ。
 彼には自分に対する「羞恥心」というものがなく、他者に対する「思いやり」も「誠実さ」もない。

 

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 これほど徹底した憎まれ役を演じ続けるトランプ氏って、何者?

 

 その “悪役ぶり” を見るにつけ、ドラマ『半沢直樹』をにぎやかした “憎まれ役俳優” たちをナマで見るような好奇心がつのる。

 

 「トランプは絵になる!」
 あくまでも悪役としてだが、私はそう感じる。

 だから、アメリカに「隠れトランプ派」といわれる支持者たちが一定程度いることも理解できる。

  

 
 「トランプ人気」というのは、日本でいえば、2005年に郵政選挙で圧勝した「小泉純一郎人気」に似ている。

 

 あのとき、小泉首相は、「自民党をぶっ壊す!」と叫んで、既成政治にうっ憤を感じていた庶民の気持ちをキャッチ。

 衆議院選挙では、「民営化法案」に反対する自民党議員の選挙区にことごとく “刺客” と呼ばれた対立候補を送り出して、政治を “ドラマ化” した。

 

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 この “小泉劇場” に、当時の日本人の大半は熱狂した。

 

 けっきょく、あのとき日本人が選んだ小泉政権によって、日本は新自由主義政策に積極的に乗り出し、結果、経済格差が広がった。

 

 もちろん、功罪はある。
 確かに、“小泉政策” により、郵政や道路公団の民営化は進んだ。
 それによって、一時的に経済が活性化され、不良債権処理も進んだ。

 

 しかし、この一連の施策で大企業の景気は回復したが、低所得者の救済は進まず、逆に経済格差が広がった。

 

 金持ちたちの間にはアメリカ流のマネーゲームや拝金主義ばかりが横行し、「持てる者」と「持たざる者」の間に亀裂が入った。
 それにより、経済格差が広がっただけでなく、モラルも低下した。

 

 小泉純一郎氏は、そういった意味で、日本の政治・経済・文化に負の遺産をもたらした。

 

 それなのに、政治家としての人気はいまだに高い。
 それは、彼にはパフォーマンスの力があり、明るく、陽気で、そのしゃべり方には熱気があったからだ。

 

 そして、小泉には、何よりも “やんちゃっ子” の可愛らしさがあった。

 

 「人生には三つの坂がある。登り坂、下り坂、まさか」
 などという駄洒落をどうどうと国会で披露するお茶目ぶりも面白かった。

 

 だから、当時の民衆は、小泉純一郎の発揮するこの手のパフォーマンスに好意を持った。(こういうヨタ話の特技を、後の安倍晋三菅義偉は持っていない)

 

 「政策の実効性や誠実さではなく、面白さ」。
 そういう政治家が好まれる時代が、小泉のせいで、このとき日本でも始まった。

 

 アメリカのトランプ氏は、そういう政治家の最たるものといっていい。
 アメリカ人は、トランプのあの「やんちゃなお茶目」が好きなのだ。
 そういうトランプ支持者の心情は、小泉政権の熱狂とその後の地獄を経験してきた私にも分からないでもない。

 

 ただ、この手のパフォーマンスを面白く感じる人たちというのは、基本的に「テレビ文化」になじんだ人々である。
 日本でいえば「団塊の世代」。
 アメリカでいえば「ベビーブーマー」。

 

 つまり、青春時代に「ネット文化」というものを知らなかった人たちである。
 そういった意味で、ネット配信のニュースやYOU TUBEの動画で社会に接することが当たり前となった世代とは異なる。

 

 団塊の世代ベビーブーマーの人々は、テレビの前に座っていれば、
 「何もしなくても情報が向こうからやってくる」
 と信じていた世代といっていい。

 

 だから、アメリカでトランプを支持する人たちというのは、テレビでトランプ氏の政治集会を眺め、氏のパフォーマンスを “ショー” として楽しんでいる人々ともいえる。

 

 そういう人々は、テレビ以外のメディア たとえば新聞などでトランプ氏の批判がどれだけ展開されようが、まずそういうものを見ないし、見てもそれを信じない。

 

 今のアメリカに「トランプ文化」というものがあるとしたら、それはテレビによって仕掛けられたものであり、そのため、テレビの衰退とともに終わる。

 ただ、それにはまだそうとう先の話になるだろう。