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トランプ型フェスティバルの熱狂

 

 予測通り、開票日の3日中に集計が出なかったアメリカの大統領選挙。
 郵便投票の結果を待つという事態に進みそうだが、これもトランプ氏が「郵便投票の不正」を主張したり、自分に不利な判定を下した州の結果に異議を申し立てたりしているため、予断を許さない状況だ。

 

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 それにしても、大方の予想を覆し、トランプ氏が善戦していることは明瞭である。

 

 昨日、トランプ氏がフロリダとマイアミを制した段階で、一部メディアは、これを「4年前のデジャブ」 すなわちヒラリー・クリントンが選挙戦終盤に大逆転をくらって敗北した2016年の大統領選の再現ではないか? と報道したりもした。

 

 事実、日本の政治ジャーナリスト木村太郎氏などは、テレビの報道番組で「これでトランプの勝利は9割確定したでしょう」とまで言い放った。

 

 ところが一転、一夜明けた5日の報道では、「バイデン氏勝利」の予想を立てたメディアがじわじわと増え始めた。

 さらに、正午になると、「バイデン氏が大手!」という予測が主導的になった。


 もちろん、依然として、アメリカのトランプ支持者たちは、自分たちの勝利を疑っていないという。

 

 しかし、前述したように、昨日の段階では「トランプ氏の勝利」が見えた瞬間があったことは確かだ。

 そのとき、大統領選を報道している日本のテレビ番組においては、各コメンテーターが口をそろえて、トランプ氏の善戦は、彼自身とその支持者たちの “熱量” のせいだと語った。

 

 トランプ氏が各州を回り、集会に多くの支持者を集め、その熱気をメディアを通じてアメリカ国民全体にアピールする。

 

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 赤いキャップをかぶり、ジェスチャーを交え、自信たっぷりに演説するトランプ氏はもう戦う前から “凱旋将軍” ようだし、「TRUMP」というプラカードをかざして小躍りしている支持者たちはカーニバルの踊り子たちのようだった。

 

 ある専門家は、
 「トランプ支持者はテレビ画面で見るかぎり熱狂的に見えるが、その数は広がっていない」
 と語った。

 

 しかし、テレビを見ていた私には、そんなふうには思えなかった。
 アメリカ国民の大半がトランプを応援しているように見えた。
 おそらく、アメリカの有権者たちもそう感じていただろう。

 

 一方のバイデン氏は、大学生たちを集めて講義をする教授のように見えた。
 冷静で、知的で、教育熱心な教師であるかもしれないが、講堂のすみで居眠りする生徒に対して注意するような覇気は感じられなかった。

 

 言語も文化圏も異なる日本人の私ですらそう感じたのだから、アメリカ人たちにとって、2人のキャラクターの差はもっと歴然としたものに感じられただろう。

 

 今回の2人の戦いは、「祭りの熱狂」と「講義の理性」の戦いであった。
 つまり、「非日常」と「日常」の戦いだった。

 

 「トランプか、バイデンか」という選択を迫れたとき、多くのアメリカ人は「経済か?」、それとも「コロナ対策か?」という選択肢に置き換えて判断を迫られたとよくいわれる。

 

 もちろん、実利的にはそうであったかもしれない。

 しかし、その奥に隠された国民の無意識は、「祭り」か「日常か」という選択  すなわち「陶酔」か、「理性」かという選択でもあったのだ。

 

 今回の大統領選は、世界でいちばんコロナウイルスの感染者が多いアメリカだからこそ出現した戦いであったが、コロナウイルスへの脅威に対して、どう立ち向かうかという戦いでもあった。

 

 人間が恐怖や不安と戦うには二通りの手段がある。
 ひとつは、恐怖と不安の対象となるものを冷静に分析し、合理的にその解決法を模索する方法。
 大統領選でバイデン氏がとった手法がこれだ。

 

 もうひとつは、恐怖や不安に怯える心を、「祭りの興奮」で吹き飛ばす方法。
 トランプ氏はこっちを採ったのだ。
 それも圧倒的な演出とパワーで。 

 

 トランプ氏支持者たちが、マスクをせず、「密」状態で熱狂するのは、まさに「祭りの興奮」である。

 「祭り」というのは、その先に “死” への衝動を秘めている。
 死んでもかまわないと思えるほどの熱狂こそ、祭りの正体なのだ。

 

 今回のトランプ氏の戦い方をテレビで評したある日本人のコメンテーターがこんなことを言っていた。
 「アメリカ人は楽天的なヒーローが好きなのだ」
 と。

 

 楽天的なヒーローとは、“悲惨な境地” から自分たちを救い出してくれる救世主のことである。
 ハリウッド映画『アベンジャーズ』のように。  
 あるいは、昔の『スーパーマン』、『バットマン』、『スパイダーマン』のように。
 その超人的な力で、悪をなぎ倒し、人々に「ハッピーエンド」をもたらしてくれる者。


 それを完璧に演じ切ったのが、今回のトランプ氏だ。

 

 私自身の好みをいえば、勧善懲悪型のヒーロー映画が嫌いである。

 そのストーリーの単純さ、主人公の “頭の悪さ” が退屈に思えてしかたがない。

 だから、トランプ型の “聴衆の煽り方” には目をそむけてしまう。

 

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 だが、それこそ、「大衆の好み」の最たるものかもしれない。

 

 ヒーローには、「理屈」は要らない。
 ヒーローに求められるのは「強さ」だけだ。

 

 トランプ氏は、対立候補のバイデン氏に、「理屈をこねるバイデン」というイメージをかぶせた。
 
 事実、バイデン氏は「パリ協定」への復帰や、シェールガスの掘削法への懸念を表明し、環境問題への関心の高さを示した。

 

 しかし、多くのアメリカ人にとって、“環境問題” などは「理屈の世界」でしかない。
 “頭は悪い” が超人的に勘の鋭いトランプ氏は、そのことをよく知っていた。

 

 ただ、「祭りの興奮」は、祭りが終われば風船のようにしぼむ。

 その後に訪れるのは、うら寂しい秋の夕暮れの景色だ。

 トランプ支持者たちの “トランプ ロス” は、きっと彼らを長くむしばんでいくだろう。

 

 この戦い、2~3日後にはその動向がはっきりすると思うが、もしトランプ氏が勝利を手にするようなれば、アメリカは、世界の先進国でもっとも遅れた国になりかねない。