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三島由紀夫 vs 東大全共闘

 

 この20日金曜日に、『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』というドキュメンタリー映画が公開された。

 

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 まだ映画は見ていないが、この討論会の存在を19歳の頃に知っていた私にとって、その場で何が語られたのか、それはいまだに興味の尽きないテーマの一つであった。

  

 この討論会が行われたのは、1969年。
 全国で起こっていた大学紛争のシンボルともいえる東大安田講堂の “陥落” によって、現象としての東大全共闘運動が終わった年である。

 

 この騒動によって、東大キャンパスは機動隊に制圧され、バリケードのたぐいはみな解除されたが、運動としての全共闘運動はあいかわらず激しいうねりを見せていた。

 その東大生たちに対し、三島由紀夫は討論の相手として会場の教室に乗り込み、1,000人の全共闘学生を相手に、1人で論陣を張った。

 

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 詳しい経緯は、このドキュメンタリーを見ていないので分からないが、YOU TUBEにアップされているいくつかの情報をたぐり寄せみると、日本において、政治思想がガチにぶつかり合った最後の “討論らしい討論の場” ではなかったかという気がする。

 

 もちろん政治討論のようなものは田原総一朗がMCを務める『朝まで生テレビ』の例を持ち出すまでもなく、昭和から平成に引き継がれ、令和まで続いている。

 

 しかし、現在行われている論争番組は、すべて “政治討論” の名を借りた経済政策論争のようなものでしかない。


 そこでぶつかり合う議論は、「どうしたら日本の繁栄を維持できるか」というテーマを外れることはない。

 

 三島由紀夫と東大全共闘は、この1969年(昭和44年)の段階において、そのような “経済的繁栄” を維持しようというすれば死んでしまうものを語り合ったのだ。

 

 つまり、三島も東大全共闘も、経済的な繁栄によって、多くの日本人が “金儲け一辺倒” の貧しい精神構造に陥っていくことに警鐘を鳴らしたといっていい。
 
 三島は、文武の魂を忘れた戦後の日本人の経済至上主義を、「精神の堕落」として捉え、東大全共闘は、それを「権力構造を補完するイデオロギー」として捉えた。

 

 お互いの認識をそれぞれのシンボルに置き換えれば、三島が掲げたのが「天皇」であり、東大全共闘が目指したのが「革命」であった。

 

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 両者の主張は、その時点では「右派」と「左派」の対立として捉えられたが、今その違いを考えると、それはともに現状の政治・社会・文化に対する強烈な批判からきたものであり、根は同じところにあったことが分かる。

 

 特に、三島の戦後社会批判は、もう批判のレベルを通り越した「呪詛」であった。
  
 これ以降、日本の政治討論で、右派と左派の論争はなくなる。
 
 それまで、日本の右翼は「天皇の護持」を自分たちの思想の中核に掲げていたが、三島の持ち出した「天皇」は、現実の天皇などとはまったく関係のない思想的ニヒリズムを代弁する “幽界” の概念であった。
 そのため、既成右翼は、もう三島の思想的深度についていけなくなってしまったのだ。

 

 もちろん、三島がイメージしている “天皇制” を、東大全共闘のすべてが理解できたわけではない。

 

 YOU TUBEの画像を見ていると、
 「天皇というのは、労働者階級の抑圧を正当化するブルジョワジーのシンボルだ」
 などという頓珍漢な迷妄を言い張る学生も登場する。

 

 そういう発言が出てくるところに、当時の全共闘学生の思想的限界を見ることもできる。

 

 三島がイメージした「天皇」は、彼の小説『英霊の聲(こえ)』に描かれているとおり、太平洋戦争で亡くなった英霊たちに、「死ぬことの意味」を納得させるような超越的存在であった。
 言葉をかえていえば、それは “死の宗教体系” をつかさどる神である。
 三島は、その司祭になろうとしたといえる。

 

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 『英霊の聲』は、戦後の天皇の「人間天皇」宣言によって、多くの英霊が裏切られたというメッセージを綴った小説である。それによって、英霊たちは還る場所を失い、いまだ霊としてさまよっていることを訴えるものであり、つまりはホラー小説としての怖さがある。

 

 三島は、天皇の「人間宣言」を戦後日本が堕落した要因の一つとして掲げた。

 

 しかし、このような戦前の「天皇制」を蘇らせようとするような思想が、戦後の日本人から拒否されることを誰よりも知っていたのは、三島自身ではなかったろうか。

 

 彼にとって、「天皇」とは、有形無形のあらゆるものを呑み込むブラックホールそのものであり、最後には、その信奉者である三島自身をも呑み込むものであったはずだ。

 

 三島が、市ヶ谷の自衛隊駐屯所で幻のクーデターを挙行し、謎に満ちた自決を遂げてブラックホールに吸い込まれていったのは、この討論会の一年後である。

 

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