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中華思想によるグローバルスタンダード

 世界の「民主主義」って、これからどうなっていくのだろう?
 最近、そんなことをずっと考えている。

 

 たとえば、香港の「自由と民主主義」を守ろうとする運動などが報道されるたびに、あからさまに、それを弾圧しようとする中国政府の方針に私などは疑問と憤りを感じるが、もしかしたら、今の中国政府は「自由と民主主義」などという政治思想は、「もう過去の遺物でしかない」と宣言したつもりでいるのかもしれない。

 

▼ 香港民主派の象徴的活動家の周庭氏

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 「自由と民主主義」というのは、戦後教育を受けた私たちの世代(1950年生まれ)にとっては、疑うことのできない至上の政治理念だった。

 

 そういう政治思想の旗頭がアメリカを筆頭にしたドイツ・フランス・イギリスなどの “西側諸国” であったが、最近、そう信じるに足る状況が遠のき始めている。

 

 それは、現在「自由と民主主義」を国是としている(はずの)アメリカのトランプ政権が信頼できないからだ。

  

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 トランプ大統領のいちばんの関心事は、今年の11月行われる大統領選でしかない。
 それを有利に進めるためには、氏はなりふりかまわず、自分の理念も政治思想もコロコロと変える。

 

 現在トランプ氏は、「香港の民主主義を守る」といって対中国強硬路線を繰り広げているが、昨年暮れまでは、習近平氏と会談したときに、「アメリカの農産物を買ってくれれば、中国が進めている他国への人権問題を見逃そう」と取引をしていたのだ。

 

 政治的駆け引きというよりも、トランプ氏は、アメリカ経済を振興して自分の支持者たちを喜ばすことしか考えていない。

 

 ほかにもある。

 

 新型コロナ対策における見通しの甘さ。
 人種差別反対運動への弾圧的な姿勢。

 

 トランプ氏の政策は、やることなすことすべて場当たり的で、徹底的に “自分ファースト” でしかない。
 
 そういう人が、今の中国に対して、「自由と民主主義を守れ」と批判すること自体、おそろしく説得力を欠く。

  

 
 一方の中国。
 アメリカとの対立が浮き彫りになることによって苦しい立場に追い込まれているようにみえるが、本音は逆だろう。

 

 つまり、アメリカのトランプ氏が、薄っぺらな態度で「自由と民主主義」を標榜すればするほど、その理念の疑わしさが際立つことを歓迎しているはずである。

 

 なぜなら、アメリカに次ぐ経済大国となった中国は、政治理念においても、アメリカを超える新しい世界秩序をちゅうちょなく宣言できる条件が整ったからだ。

 

 中国が目指している新しい秩序とはなにか?


 それは、「中華思想」を根幹に据えた “新” グローバルスタンダードである。

 

 極東からヨーロッパに至るまで、ユーラシア全域を中国の支配下に置こうとする「一帯一路」構想。


 ファーウェイや TikTok などのIT サービスにおける中国テクノロジーの標準化。
 さらには、世界保健機関(WHO)などの組織への影響力強化。

 

 そういう中国型の国際秩序を構築したあかつきには、これまでの「自由と民主主義」に代わる新しい政治理念が樹立されるだろう、と中国はみている。

 

 歴史的にいえば、中国の掲げる政治思想の厚みは圧倒的だ。
 なにしろ、4000年の蓄積がある。

 

 イギリスが19世紀末に世界の覇権を手にするまで、歴代の中国王朝が築き上げた国家は、地球上のどこの国も凌駕する世界帝国であり、ヨーロッパでそれに迫れるのは、古代ローマ帝国ぐらいなものでしかなかった。

 

 その統治思想の根幹には、「安定的平和」を実現するために国家を敬うことを奨励する「儒教の教え」があり、人間と人間を上下関係で規制する徹底した管理術が完成している。

 

 そこが、たかだか200年の歴史しかない欧米諸国の「自由と民主主義」などとは違う。

 

 そのような中華式の統治理念は、具体的には、どのような形で実現されるのだろうか?

 

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 中国共産党が人民統治の頂点に立ち、網の目にように張りめぐらされた監視機構によって、この世から人々の「争い」の芽を摘んでいく超強力監視社会という形をとる。

 

 こう表現すると、SF小説SF映画に出てくるディストピアを想像してしまうが、そういう監視社会が実現すれば、確かに、この世から「争い」はなくなり、絶対的な「平和社会」が訪れる。

 

 中国政府は、その「理想」を大真面目に実現しようとしているように見える。

 

 彼らは、
 「この世に戦争が絶えないのは、自由と民主主義という中途半端な政治理念にいつまでも固執しているからだ」
 という信念がある。

 

 彼らの心を占めているのは、香港の人々が求める「自由と民主主義」こそ、人間に争いの火種を植え付ける「悪」だ、という危機感だ。


 中国共産党の幹部にすれば、「お前たち、ほんとうの “平和” は欲しくないのか?」と、香港の民主派に叫びたい気持ちなのだろう。


 しかし、「自由と民主主義」を失った社会に、いくら恒久平和が訪れようと、それはほんとうに人類が求める “理想社会” なのだろうか?

 

 なんともいえない。

 

 「自由と民主主義」のかわりに、「便利で快適な暮らし」が与えられたとしたら、「そっちの方がいいや」と思う人たちも出てきそうに思えるからだ。

 

 実際、いま中国では、人間の能力や個性をAI を使って数値化していくことがブームとなり、結婚でも企業への就職でも、AI による人間評価が重視されつつある。

 

 なぜ、そういう傾向が生まれてきたかというと、多くの中国人は、「その方が便利で快適な生活」が手に入るからだという。

 

 彼らはいう。
 「そんなに “自由” が欲しいとは思わない。快適な生活が保障されれば、その方がありがたい」

 

 つまり中国では、新しい “人間観” が生まれつつあるのだ。
 中国人民が手にするそのような人間観においては、もう「自由」という価値はそうとう下位のランクに落ちている。

 

 代わりにランクアップしてくる価値は、(前述したように)AI を駆使した人間管理システムが保証してくれる「快適」、「便利」、「効率化」といった価値である。

 

 その方が、「自由」などというものより尊いと思う人は、今後の中国で多数派になっていくのだろう。

 

 すでに、日本でも、そう思う人が増えていきそうに思える。
 いつの世でも、「楽ちんの方が幸せだ」と思う人がマジョリティになる。 
  
 「自由と民主主義」派の人たちは、果たして、そういう “楽ちん思想の誘惑” に耐えられるか?