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民主主義時代の終焉?

 
 政治や社会における昨今のメディアの報道を見ていると、第二次大戦後、欧米を中心に尊重されてきた「民主主義」という政治理念が、ついに制度疲労を起こしてきたのではないか? と指摘する論調があまりにも増えてきたような気がする。

 

 その一つの例が、昨年アメリカで行われた大統領選挙だ。

 

 選挙そのものは昨年11月3日に終了したが、これまでの慣例を破り、敗北したトランプ氏が政権移譲を認めたのはようやく数日前(2021年1月8日)。

 

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 そのせいもあって、今なお、選挙そのものを「不正」だと信じるトランプ支持者たちの勢力は米国を二分するほどの力を持ち続けているという。

 

 つまり、民主主義のルールを保証するはずの「選挙」が、今や半数の米国民から信頼されていないという異常事態が生まれているのだ。

 

 そのことを反映して、
 「民主主義の代表格だったアメリカの民主主義理念が機能を失っている」
 と警鐘を鳴らす声が、米国内からも他国からも次第に大きくなっている。

 

 そのような事態を象徴する事件が、トランプ支持者たちの連邦議会議事堂への乱入騒動(1月8日)だった。

 

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 米大統領選の選挙結果を不服とするトランプ支持者たちがワシントンの連邦議会議事堂付近に集結し、トランプ氏の扇動により、議事堂内部に乱入したとされる事件だ。
 この騒動で、警察官一人を含む5人の死亡者が出た。

 

 これを機に、米国共和党の議員たちの “トランプ離れ” が始まったといわれているが、「民主主義の守り神」と目されていたアメリカの政治理念がそうとう揺らいだのは事実だ。

 

 事件直後には、そのことをあからさまに指摘した各国の反応が相次いだ。
 なかでも、印象的だったのは、ロシア政府のコメンテーターと、イラン政権のスポークスマン。
 彼らはともに、「アメリカ的民主主義の時代は終わった」と言い放った。

 

 世界的にみても、「民主主義」を理念とする国家は、ここ最近どんどん減りつつあるという。


 スウェーデンの国際機関による一昨年の調査では、市民の自由や政治参加などの基準に照らして「民主主義」と認定できる国の数は「非民主主義的国家」の数を下回ったそうだ。(2021年1月3日朝日新聞

 

 そういう “非民主主義国家” の代表格といえるのが、共産党独裁による権威主義的な国家運営を押し進める中国。

 

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 その中国の存在感は近年ますます大きくなっている。
 実際、世界の新興国発展途上国では、この中国式の統治を採用する国家がどんどん増えているとも。

 

 なぜ、中国のような権威主義的 “非民主主義” 国家が世界中に増えてきたのか。

 

 いろいろな理由があるだろうが、実は「民主主義」というものはコストのかかる政治形態なのである。

 

 多種多様な議論を前提とした国家運営は、それだけ議論のための人的労力も消費するから一つの方向性を打ち出すまでに時間がかかる。
 それでも、それを是としたのが、第二次大戦後の欧米(および日本)だった。

 

 しかし、現在の発展途上国には、そういうまどろっこしい政治運営を繰り返していくほどのコスト的余力がない。

 

 そうなった場合、独裁者のトップダウンの方がはるかに効率がよいということになる。

 

 さらに、中国式政治形態が優れていると思わせるきっかけとなったのが、今回のコロナ騒動だ。


 現在、中国の強権的な「コロナ鎮圧方針」が功を奏し、コロナ対策に不安を持っている発展途上国からそれを評価する声が高まってきたのだ。

 

▼ 「コロナを終息させた」と喜ぶ中国・武漢の人々

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 中国と覇権を争っているアメリカの「コロナ対策」が後手後手に回り、感染者数も死者数も世界規模に達しているのに比べ、中国は国家的威信をかけて、コロナ禍を乗り切った。


 そういう国家的宣伝が、中国人たちを有頂天にさせただけでなく、コロナウイルスの脅威に怯えている周辺国の政府にも浸透した。

 

 つまり、
 「いざとなったときは、強権的独裁体制のほうが国防力を発揮する」
 という先例を中国はつくりだしたのだ。
 そして、それを中国の国民が高く評価した。

 

 中国の国民は、これまで自国政府の方針にさほど共感を示してきたわけではなかった。

 

 しかし、「コロナの災いを根絶させた」という中国政府の報道は、中国の国民には歓迎された。
 コロナ禍によって海外旅行への誘惑を断ち切られたことも、中国人の意識を変えるきっかけとなったろう。

 

 それまで、観光旅行で日本を訪れることを機に、日本文化への理解や憧れを強めたきた中国人たちも、旅行する場所が国内だけに限られてきたため、中国の歴史や文化を見直すきっかけを与えられた。

 
 
 そのような動きはまた中国の内需を喚起し、観光業をはじめとする国内マーケットの整備に貢献した。

 

 こうした中国人たちの “内向きな情熱” は、習近平政権が掲げる
 「中華民族の偉大な復興」
 「中華民族による新しい運命共同体の建設」
 といった “中華帝国” の建設を呼びかけるスローガンとも相性よく絡み合うことになった。

 

 この2021年は、中国共産党結成100周年にあたり、中国にとっても記念すべき年になる。
 そのため、習近平主席は、これを機に、第二次大戦後の「パックス・アメリカーナ」に続く、「パックス・シニカ(中国の平和)」を樹立するという野心を燃やしているとも。

 

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 しかし、こういう中国のビジョンは、「中国共産党100周年」という言葉だけでは片づけられない。
 むしろ、それは最初の統一王朝が生まれた「秦」の時代以来、2,200年の野望であると解釈した方がいい。

 

▼ 秦 始皇帝

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 現在の共産党独裁政権は、スタイルだけみれば「共産主義思想」による統一理念のように思われがちだが、その内実は、むしろ強大な皇帝権力によって中国全土を支配してきた歴代の王朝政治の復活である。

 

 「いかなる国や人物も、中華民族が偉大な復興を実現する歴史的な歩みを阻むことはできない」
 という最近の中国の強硬姿勢は、東アジアからユーラシア大陸まで支配したかつての中華王朝の矜持をそのまま語ったものだ。

 

▼ 中国の最大版図(元の時代 1,279年)

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 そこには、西洋の価値基準が地球を支配している19~20世紀以降の世界観を書きかけようという意欲がみなぎっている。

 

 彼らは、次のように問う。
 「優れた文物は、みな欧米が発明したものか?」

 いやとんでもない。
 文明的に遅れていたヨーロッパ社会に先端技術をもたらしたのは、むしろ中国の方だ。
 羅針盤、火薬、紙、印刷といったヨーロッパ文明の根幹を形成した発明品はみな中国を起源としている。

 

 その気構えが、現代中国の技術革新を支えている。


 ファーウェイ、5G、TikTok などのIT テクノロジーから火星探査機からコロナウイルスのワクチン開発に至るまで、中国テクノロジーの進化には、かつてヨーロッパ文明に光明を与えた中華技術を再度輝かせるという野心を背景にしている。

 

 さらに、中国は、これらのテクノロジーを定める国際基準を “中国式の書き変え” によって統一しようとしている。
  
 そうなれば、現在の世界の基幹産業の方向性や運営方法がガラッと変わる。
 このまま欧米日の大手企業がそれを放置しておけば、いつのまにか中国標準の規格がスタンダードになり、欧米日の工業製品などは中国式の認証を取得するために多大なコストを抱えることになりかねない。

 

 こういう戦略を中国はいつから抱えるようになったのか?

 

 その起源も、2,200年前の秦始皇帝の時代に求められる。
 始皇帝は、軍事的に中国統一を実現したあと、秦の支配をさらに徹底させるために、貨幣、度量衡、文字の統一を図った。

 

 貨幣においては、中国各地でばらばらに使われていた貨幣を統一し、「半両銭」という統一通貨を発行した。

 

 度量衡では、長さの単位における最小基準を6尺と定め、標準器を製造して支配領内に徹底させた。

 

 文字においては、秦で使われていた文字を簡略にしたものを考案し、それによって中国全土の文字を統一した。

 

 すなわち「統一基準」を定めることが世界制覇を成し遂げる秘密となるということを、中国は2,200年前から実行していたのである。
 だから、現在中国が目指している工業基準の中国式統一というのも、彼らの世界制覇の一環でしかないわけだ。

 

 こうしてみると、中国の政治理念というのは、秦の始皇帝以来続けてきた古代中国の復活版と言い換えることができる。

 

 それは徹頭徹尾「統一」を至上価値とする考え方だ。
 そうなれば、人々の「多様性」、「自由」などを認めるわけにはいかない。
 つまり、国民個々人の「意識」を尊重する民主主義などがそこに入り込む余地はまったくない。 

 

 そう考えると、彼らがあれほど香港の民主化運動を弾圧しようとした背景も見えてくるだろう。

 

 これまで、2000年以上の時間をかけて、中国は、文化や宗教の異なる多民族がひしめき合う広大な領土を統一してきた。
 だから、彼らは、特定の個人や特定の民族の自由を容認することが国家の瓦解につながることを骨の髄まで知り尽くしている。

 

 そういう意識で臨んでくる人々が、われわれの「隣人」になろうとしている。

 

 あとは、われわれが、もう一度「民主主義」や「自由」、「多様性」というものが守るべき価値なのかどうか、再度考え直さなければならないときが来ている。