最近のテレビを見ていると、ネコが出てくるCMや、ネコのドキュメント映像がやたら目につく。
人間はいったいネコのどこに惹かれるようになったのか?
まず、顔がかわいい。
… と思う人が多いようだ。
これにはちゃんと理由がある。
2020年の12月25日に、NHKの「チコちゃんに叱られる!」を見ていたら、人間がネコを可愛いと思うのは、ネコという動物は、大きくなっても顔だけは赤ちゃんのまんまでいるからだという。
人間から見ると、クマの子でも、ブタの子でも、小さいときの顔はみな可愛く見える。
もちろん、人間の赤ちゃんも可愛い。
このように、赤ちゃんが可愛く見えるのは、目が丸く、しかもその間隔が離れているからだ。
こういう顔の構造は、
「可愛いので、保護してやらなければならない」
という感情を誘い出すのだという。
しかし、多くの動物は、成獣になると顔が変形し、赤ちゃんのときの可愛さを失っていく。
そのなかで、ネコだけは、大人になっても、赤ちゃんの可愛さを保っている動物なのだとか。
それがネコの可愛さのヴィジュアル的な秘密らしい。
人間がネコに感じる魅力はほかにもある。
それは、ネコが人に媚びないところだ。
ネコは、主人がどんなピンチに陥っても、“われ関せず”。
一人で勝手に散歩に行き、気ままに外で遊び暮らし、腹が空いたときだけ、ネコなで声で近づいてくる。
そういうときのネコは、本当にエロティックだ。
官能的ですらある。
「惚れた女が、さんざん浮気をしたあげく、ようやく俺の元に帰ってきた」
ネコにエサをねだられる飼い主は、そういう心境になるらしい。
ネコ好きな人は、そういうネコキャラを「優雅」「独立」「自由」「個性」などという言葉と結びつける。
それに対し、イヌは、何を考えているのか、手に取るように分かる。
私の場合、前飼っていたイヌを見ていると、その頭の中に去来している想念がレントゲン写真のように透けて見えた。
「何か食いたい ! 」
「散歩にでも行かねぇか?」
その二つの間に中間的な欲望というものがなく、二つだけが突出していて、その間で濃淡を形成するグラーデーションというものがない。
「白」か「黒」かがはっきりしているのだ。
なにかの小咄で読んだことがあるけれど、ネコとイヌの違いは次のようなものであるらしい。
イヌ 「あの人(飼い主)は神さまに違いない。だって私にエサをくれるのだから」
ネコ 「私は神さまに違いない。だってあの人(飼い主)は私にエサをくれるのだから」
こういうネコの唯我独尊的なふてぶてしさは、不思議な愛嬌に通じる。
要するに、ネコの心は、どこまで行ってもグレーゾーンなのだ。
黒白がはっきりせず、灰色のトーンが微妙な濃淡をつくって、流れるように動いている。
それは人間から見ると、妖しく、美しくも謎を秘めた世界だ。
このネコの “取りとめのなさ” というのは、ネコ学者によると、ネコが「野性」をそのまま温存しているからだという。
たとえ飼いネコであっても、ネコはぜったい100%家畜化しない。
ネコは、自分の中に「野性」の魂を潜ませながら、野生動物の目で人間を観察しているらしい。
だから人類が大災害に見舞われ、ネコにエサを与える余裕すらなくなったときは、ネコたちはさっさと飼い主の元を離れ、自分一人でエサを探すための旅に出る。
つまり、人間から見て「不思議」と思えるネコの行動パターンというのは、すべて「荒野の放浪」に備えてネコが温存している「野性」から来るものなのだ。
これを、言葉を変えていうと、ネコは自分の身体の中に「自然」を宿しているという言い方もできる。
人間社会のルールが通じない広大な「自然」。
文明が届かない神秘的な「自然」。
ネコは、それをあの体長わずか75~76cmという小さな身体の中に潜ませている。
こいつは凄いことでねぇの !!
なにもアフリカのサバンナに行かなくても、インドの密林に行かなくても、我々は庭を横切るネコの姿に、“遠大なる自然” を見ることができるのだ。
文明生活に生きる現代人が、ネコに惹かれ始めたのは、誰もが無意識のうちに、「ネコがまき散らす自然の空気」を清涼飲料水のように好ましく感じるようになったからではないか?
逆にいえば、それだけ現代社会は、自然から遠ざかったストレス社会になっているということだ。