タリバンのアフガニスタン制圧で、また一つ「民主主義」思想を否定する国家が誕生しそうだ。
ネットニュースによると、新政権の誕生を告知したタリバン幹部の一人は、
「アフガニスタンは民主制とはなじまない。なぜなら、この国にはそういう土台がないからだ」
と言い放ったという。
実際に、米軍に追われて他国に潜伏していたタリバンの有力な指導者たちが続々とアフガンに舞い戻り、民主制とはなじまないイスラム原理主義的な統治思想を強化しようとしているらしい。
おそらく、その背景には貧困がある。
アフガンの地方都市や田舎では、教育も経済力も、異性にアプローチする手段ももぎとられた若者たちがいっぱいいる。彼らは、タリバンの兵士にでもならないかぎり、自尊心を満足させる手段がないことが分かっている。
現地の映像を見る限り、銃を誇らしげに振り回すタリバン兵士がいっぱいいる。
銃は、男の子たちにとって、自分自身を高揚感でみたす格好の “玩具” だ。
彼らは、銃さえあれば、異性もカネも、庶民を威嚇する能力もすべて手に入ると無邪気に思い込んでいる。
そういう男の子たちにとって、女が自分と対等な力を持ってくる人権思想や民主主義思想など “脅威” でしかない。
こういう “反民主主義” 的な傾向は、いま世界のどこにおいても顕著になりつつあるようだ。
すでに、香港の民主主義勢力は弾圧されたし、国軍が国を支配したミャンマーの民主主義は風前のともしびだ。
その一番象徴的な国は中国だ。
メディアの報道によると、今年「共産党結成100周年」を迎えた中国では、100周年記念行事などを通じて、ますます習近平主席の偶像崇拝的な独裁体制を強化しているという。
こういう国々のほかに、プーチン大統領の率いるロシアを加えてもいいのかもしれない。
この国も、「反プーチン」を主張する民間団体を率いたナワリヌイ氏の毒殺を画策したともいわれるくらい民主派の弾圧を強化している。ナワリヌイ氏は、一命をとりとめたものの、いまだにロシア当局に拘束されている。
東欧圏では、ルカシェンコ大統領が統治するベラルーシ。
ルカシェンコ氏は、ロシアのプーチン氏とも近い存在だが、彼もまた大統領権限を強化し、民主派の台頭を力で抑え込んでいる。
トドメの一発として、北朝鮮のキム一族が君臨する国家を加えれば、民主主義国家というのは一気に “少数派” に転落するような印象を受ける。
なぜ、民主主義国家というのは脆弱な存在に映るのか?
それは、こういう国家理念が比較的近代に作られたものにすぎないからである。
それ以外の独裁者の掲げる政治理念の方が、圧倒的に古い。
タリバンが標榜するイスラム教を理念とした国家観というのは、7世紀に始まり、1300年以上の歴史を誇っている。
当然、「民主主義」や「人権」などという考え方が生まれるはるか昔のことだ。
その間、中東のイスラム国家群はヨーロッパ文化を超える国家統治理念を整備し、世界史の覇者として君臨した。
東の国では、中国がめざす “中華帝国” にも、3000年の歴史がある。
この国では、3000年も前から、強力な支配権を樹立した皇帝があの広大な土地と、様々な文化・言語に属する民族を統治してきた。
そう考えると、習近平が独裁者としてのし上がっていく過程というのは、歴代中華王朝の皇帝がたどってきた道を、当たり前のようになぞったものだともいえる。
ロシアも、ロマノフ王朝あたりを帝国の起源とすれば、すでに400年にわたる帝国の歴史を経験している。
つまり、世界史では、民主主義などという国家理念は、200年の歴史もない新参モノの思想なのだ。
脆弱なのは当たり前である。
イスラム圏の国々。そして中国。
あるいはロシア。
こういう国々に共通していえるのは、20世紀を迎えるまで、欧米諸国の植民地になったり、不均衡貿易などで収奪されたりするという負の遺産を継続してきたことだ。
だから、彼らにしてみれば、
「欧米諸国よ、何をいまさら民主主義などといって威張るのだ。お前たちはずっとアジア民族を抑圧してきたんだぞ」
という意識をいまもなお捨てきれない。
中国や韓国、北朝鮮から日本が嫌われるのも、同じ理由からである。
「日本人はアジア人のくせに、明治維新を機に西欧人のつもりになった。そして、我々の領土に侵入し、日本の文化を押し付けようとした」
… と、彼らはいまだに根に持っているのである。
そう考えると、タリバンなどの非民主主義政策に憤る前に、「真の民主主義とは何か?」という問題を真摯に考えなければならないのは、我々日本人の方なのかもしれない。
ただ、民主主義というものは、一度その国に根付いてしまうと、「独裁的な抑圧国家が素晴らしい」などと思えなくなってしまうものだ。
やっぱり「自由」の方がいい。
そう思う人々が多数派を占めるようになる。
それはアフガンでも、ミャンマーでも、香港でも同じである。