アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

サイバー攻撃の時代をどう生き抜くのか

 
 今、世界のほとんどの人が、刻々と変化しているウクライナ情勢をテレビなどでフォローしているはずだ。

 

f:id:campingcarboy:20220303022507j:plain

 

 大方のメディアの論調では、「民主主義国家」のウクライナ側と、それを弾圧しようとする独裁者プーチンが率いる「専制主義国家」ロシアという構図で整理されることが多い。

 

f:id:campingcarboy:20220303022528j:plain


 
 その見立てはほぼ正しいと思うが、ネットなどでは、逆の見方を提示するさまざまな意見も寄せられており、この戦争の裏で進行しているのは何か? というテーマは、今一つ明確になっていない。

 

 このことに関連し、前回のブログで「民主主義国家」と「非民主主義国家」の政治理念の違いのようなものに触れたが、その続きを少し書きたい。

 

 両者の違いをはっきり示すのは、「多様性」というものへの理解だと思っている。

 
 民主主義という政治理念は、基本的に、国民一人ひとりの多様性を認めるところに成立する。


 つまり、民主主義国家においては、人種、性別、性的指向、宗教、政治思想などが異なっても、それを話し合いなどで解決していくというのが運営上のルールとなる。

 

 一方の非民主主義国家では、「多様性」は全体の統一に支障をきたすものとして敬遠されることが多い。 

 

 だから、非民主主義国家は、常に「人権」という思想に警戒心を抱く。
 「人権」こそは、個々人が国家権力と対立するとき、国家よりも個人の立場を尊重する思想となるからだ。

  
 「多様性」を尊重するか。
 それとも「多様性」を警戒するか。

 

 それによって、政治理念は大きく分かれるが、実は、どちらにも問題がある。

  
 「多様性」を認めない非民主主義国家の場合は、メリットとして、国民の心理を効率的にコントロールできるが、逆にいえば、人々の自立性を認めない抑圧的な統治に傾かざるを得ない。

 

 しかし、「多様性」を尊重する社会にも問題はある。
 それは、人々の意識の分断を招きがちになるからだ。

 

 つまり、それぞれの人々が勝手な理屈にこだわり続ければ、世論がまとまらなくなり、騒動や騒乱が頻発することになる。

 

 特に、近年のネット社会では、この傾向が増大している。
 ネット世論というのは、人々の多様性の上に成立するものだから、結果的に、「人々の意識や思想の分断」という混沌(カオス)を招き寄せかねない。
 
 「フェイクニュース」と呼ばれるものがそれに当たる。

 

 ロシアがウクライナに侵攻したとき、軍隊による直接的な軍事行動と並行して、「ハイブリッド戦」と呼ばれるネットを介したサイバー攻撃が進行した。

 

f:id:campingcarboy:20220303022641j:plain

 

 これは、敵国の通信機能を切断したりするだけでなく、ニセ情報(フェイクニュース)をどんどん敵国に流し込み、民間人の意識を混乱させたり、相手の軍隊の指揮系統を寸断させたりする戦略のことをいう。

 

 今回は、ロシア側からウクライナ側に流されたサイバー攻撃が中心となったが、もちろん時間の推移とともに、その逆も起こった。


 もともとは、「ウクライナ側の民兵が、親ロシア派の住民にジェノサイド(大量虐殺行為)を行った」というロシア側の発表から始まったものであり、ロシアのプーチン大統領は、(建前として)それを止めさせるためにウクライナ侵攻に踏み切ったことになっている。

 

 ことの真偽は分からない。

 証拠がないからだ。


 プーチン氏の主張を正当化するために、ウクライナ側の暴挙をあげつらう(ロシア側の)報道もいっぱい挙げられているが、それを実証するデータは一つも提出されていない。

 

 一方、ウクライナ兵に捕まったロシア兵の捕虜が、「プーチンに騙された」という政権批判を行っている動画も出回り始めたが、これもどのくらい正しいことなのか検証されていない。

 

 要は、私たちの周りには、実証が難しい情報が膨大な量で飛び交い始めているのである。
  
 まずは、テレビの報道そのものを疑ってみる必要があるだろうが、一方、「日本のテレビは正しい情報を伝えていない」と訴える数々のYOU TUBERたちの垂れ流す情報も怪しいものばかりである。

 

 そういう錯綜した情報のなかから、何が正しいのかを見極める作業というのが私たちに要求されるようになった。

 

 それは、「個人が考える」ということの本当の意味が突き付けられてきたということなのだ。