アートと文藝のCafe

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映画 『トゥルーマン・ショー』

監視社会の中で生きるのは

幸福なのか悪夢なのか

  

 1998年に制作されたピーター・ウィアー監督、ジム・キャリー主演のアメリカ映画。
 『トゥルーマン・ショー

 

 2021年1月16日に、BSのWOWOWシネマで鑑賞。
 封切り時に映画館で見たわけではないが、過去にテレビで放映されたため、見るのはこれが二度目となった。

 

 思いっきりネタバレで行く。
 つつましく、平凡なサラリーマン生活を送る主人公のトゥルーマン・バーバンクは、献身的な妻や、優しい母、頼りがいのある友人に囲まれて幸せな日々を送っている。

  
 過不足のない家庭環境のなかで、唯一寂しいことがあるとすれば、小さい頃に父親を失ってしまったことぐらいだ。

 

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 しかし、ある日、彼は死んだはずの父親が街中を歩いているところを目撃する。

 

 「そんなはずがない !」
 と驚いたトゥルーマンは、急いでその後を追おうとするが、不意にバスが彼の行き手を遮り、バラバラに歩いていた通行人がいっせいに彼の周囲に群がって、彼の行動を阻止しようとする。

 

 通行人たちが、自分の周りに “壁” をつくってしまっため、彼は父親の姿を見失ってしまう。

 

 それを機に、不思議なことがいろいろと起こり始める。

 

 別の日には、休暇を取ってフィジーに行こうと思い、航空チケットを購入しようとする。

 

 すると、カウンターの女性は「予約が取れるのは1ヶ月先だ」と告げ、彼の旅行計画を萎えさせるように仕向ける。

 

 海外旅行をあきらめたトゥルーマンは、仕方なく、気持を国内旅行に切り替え、シカゴ行きのバスに乗り込む。
 そのとき、不意にエンジントラブルが起こり、乗客はみなバスから下ろされる。

 

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 そのため、彼は、町そのものから出ることをあきらめる。

 

 自分の家の中で不審な物を発見すると、突然友人がビールを半ダースぶら下げて、「さぁ飲もうぜ」と来訪する。

 

 なんか変だ !

 

 自由に暮らしているつもりでいた彼は、やがて、自分が常に何者かに監視され、行動を制限され、閉塞された生活環境の中に閉じ込められているという思いを抱くようになる。
  
 どこかに監視カメラがあるのではないか?
 ひょっとして、部屋に盗聴器が仕掛けられているのではないか?
  
 そういえば、家族も何か自分に隠していることがありそうに見える。
 会社の同僚も怪しい。
 友人も怪しい。

 

 主人公の感じる不安は、徐々にはっきりしたものになっていく。

 

 彼はいったいどういう状況に置かれていたのか !?

 

 ネタをばらしてしまうと、彼の人生はすべて隠しカメラによって写され、その映像は、『トゥルーマン・ショー』というテレビ番組として、世界中に放送されていたのだ。

 

 つまり、彼以外のすべての登場人物  妻、母、友人、さらにいえば、タクシーの運転手、ハンバーガー屋の店員、カフェで語り合う老夫婦までもが、ディレクターの指示に従った演技する役者たちにすぎなかったのである。

 

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 知らぬは本人ばかり。
 物心がついた頃から、彼はニセの妻、ニセの母、ニセの友人、ニセの隣の住人などに囲まれて暮らしており、テレビカメラが、その彼の成長ぶりをドキュメント映画として映し出してきたということが、やがてバラされていく。

 

 そもそも、町そのものが巨大なセット。
 学校も、会社も、銀行も、レストランもあるが、決まった建物以外に<町の外>というものがまったくなく、太陽や夜空の星すらも、すべて人工的にコントロールされる照明装置でしかない。

 

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 そういう街の “不自然観” がうまくデザインされていて、それが奇妙な不条理感を出している。

 

 ネタをあかすと、こんなような映画だけれど、ここで描かれたトゥルーマンの生活は、実はわれわれ現代人の精神状態をそのままなぞっているようにも思える。

 

 街を歩いていると、空を見上げるたびに目に飛び込んでくるおびただしい監視カメラ。

 

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 現代人は、常に誰かに監視され、尾行されているという不安から逃れられなくなってきている。

 

 現に、われわれが見ているテレビ番組のなかには、『どっきりカメラ』や『モニタリング』のように、タレントや一般人にいたずらを仕掛け、その人間が狼狽する姿を隠しカメラで追い、お茶の間の視聴者に提供するという番組が人気だ。

 

 このように、知らないうちに、自分の行動が誰かに監視され、時には、知らないうちに、大勢の観客の笑いものになっているという不安。
 それは、きわめて現代的な不安ともいえる。

 

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 実は、この「誰かに覗き見されているかもしれない」という思いは、精神医学の世界では、「統合失調症」の症状そのものだともいわれている。

 

 「いつも誰かに監視されている」
 「自分の行動は、常に誰かに誘導されている」
 「自分の自由意志は制限され、目に見えない何者かによって拘束されている」

 

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 統合失調症患者を襲うのは、常にそのような不安だが、それこそ、この『トゥルーマン・ショー』という映画の主人公が感じる “日常性” の中にまぎれ込んで来る異変そのものにほかならない。

 

 統合失調症の発症率は100人に1人といわれている。
 もちろん、症状も人によって異なり、やがて緩解によって健常者と変らない生活に復帰する人がほとんどだが、発症直後の患者が感じるのは、この映画の主人公トゥルーマンを襲った「平穏な日常が徐々に崩壊していく」不安だといわれている。

 

 そう考えると、恐ろしい映画でもある。
  
  
 主人公のトゥルーマンは、はたしてどういうラストを迎えるのか。

 

 自分の環境に異変を感じたトゥルーマンは、自分を監視して行動を制限しようとする家族、友人たちを欺き、密かに町を脱出。


 港でヨットを奪い、交通が遮断される陸路を避け、海づたいに町を出ようとする。

 

 もちろん、その姿は隠しカメラにフォローされ、全世界の視聴者に見られている。
 どこの家庭でも、逃亡を図るトゥルーマンの話題で持ちきりになり、テレビの前に集まった人たちは、固唾を呑んで、彼の行動を見守るようになる。

 

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 だが、彼のヨットは、やがて “海の果て” すなわちペイントで描かれた人工の水平線にたどり着く。

 

 それはただの「壁」。
 その先は、もうないのだ。

 

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 「もう分かったろう」
 と、ディレクターがマイクを使って、トゥルーマンに呼びかける。

 

 「ここまでよくやった。お前はスターだ。視聴者はみんな君を応援しているよ」
 
 ようやく事態を理解したトゥルーマンは、ディレクターの言葉を受け入れ、ペイントで描かれた水平線の階段を登る。

 

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 階段の上は出口だ。
 
 彼は、「EXIT」と書かれたドアの取っ手に手をかける。
 そして、カメラを通して自分を見ている(はずの)視聴者たちにお辞儀をし、やがてドアの向こう側に足を踏み入れる。

 

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 映画はそこで終わる。
 トゥルーマンは、ようやく虚構の町を出て、リアルな世界に足を踏み入れたのだ。

 

 ハッピーエンドなのか?

 

 そうともいえる。
 でも、そうでもないような気もする。

 

 彼の背中が吸い込まれていった「リアル世界」の先は、真っ暗闇なのだ。

 

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