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三島由紀夫 ふたつの謎

文芸批評

  

 
 大澤真幸(おおさわ・まさち)氏の『三島由紀夫 ふたつの謎』(2018年11月初版)を読んだ。
 「謎」というタイトルが付けられているように、これは “謎解き” の本である。

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  三島由紀夫は、なぜ自衛隊駐屯地に押し入り、その場で「切腹」するという時代錯誤的な “愚行(?)” に踏み切ったのか?
 そして、彼の代表作である『豊穣の海』において、なぜそれまでのテーマを、最後のたった数ページで “無にしてしまう” ような、あの奇妙な結末を思いついたのか?

 第一の謎とされる三島の自決は、1970年11月25日。
 第二の謎である『豊穣の海』の脱稿も、ちょうど同じ日。
 その両者が深く結びついていることは、もうそれだけで明瞭である。
 大澤氏は、この二つの「謎」の関連性に着目し、それこそ推理小説の手法で読み解いていく。

 

 割腹自殺の衝撃

  三島由紀夫が、“謎” の割腹事件を起こした1970年の秋、私はちょうど20歳だった。
 全国規模で広がっていた学園闘争がどこの大学でも退潮期を迎え、かわりに、成田空港反対運動や赤軍派による「よど号ハイジャック事件」といった、学外における若者の過激活動が盛んになっていった時代であった。

 その日、学園の芝生広場に昼休みを求めて集まっていた学生たちの間に、この衝撃のニュースはいち早く伝わった。

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 「三島由紀夫自衛隊の市谷駐屯所のバルコニーから自衛隊員たちを見下ろし、決起を呼びかけている」というウワサは、人の口から人の口へと、伝言ゲームのように拡散した。
 その段階では、まだジョークともとれる余裕もうかがえて、それを聞いた学生たちの間には失笑も漏れた。

 しかし、その後、三島が割腹を遂げたという情報が入ってきたときには、さすがに誰もが言葉を失った。

 

 それからしばらくの間、テレビニュースも新聞報道もこの事件一色に染まったが、三島がなぜこのような行為に及んだのかを解明する報道は、ついぞどこからも発信されることはなかった。
 文学者も、政治学者も、社会学者も三島の気持ちに踏み込むことは不可能であったからだ。

 もし三島が、若い頃から皇道主義を掲げるバリバリの右翼であったなら、彼のクーデターは誰にとっても、もっと理解しやすいものになっていただろう。
 しかし、彼の思想が、そもそもは天皇崇拝主義でも右翼でもなかったことは誰もが知っていた。(小説など読む習慣のない一部の右翼の人だけは真に受けていたが … )
 
 彼は自衛官たちに檄文を飛ばし、ビラも巻いたが、そこに書かれたお粗末な政治的メッセージが、彼がこれまで培ってきた文学的営為をまったく受け継いでいなかったことは誰にも明白だった。
 だから、みんな首をかしげたのである。
  

 
三島は西洋的教養に溢れた人だった
  
 それまで、私の知っていた三島由紀夫は、「天皇陛下万歳 !」的な国粋主義思想の対極にいた人であった。
 彼は、少年時代からレイモン・ラディゲ、ジャン・コクトーボードレールといったフランス文学になじみ、オスカー・ワイルドエドガー・アラン・ポーといった英米文学にも親しみ、さらにトーマス・マンニーチェといったドイツ文学や哲学にも精通した西洋的教養に満ち溢れた人物だった。

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 私もまた少年時代にエドガー・アラン・ポーオスカー・ワイルドといった西洋の耽美小説を好んでいたから、三島由紀夫の文学指導は、読むべき本を常に案内してくれるだけでなく、進むべき道を照らしてくれる羅針盤であった。

 

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 彼が、「三島由紀夫」というペンネームを最初に使った初期短編『花ざかりの森』を書いたのは16歳のときだったといわれている。
 太平洋戦争が始まった年(昭和16年)であった。
 この小説を私が読んだのは、中学3年のとき。15歳の春だった。
 
 わずか1歳の違いでしかないのに、三島の文章の成熟度やその技法の巧みさには、同じ人間とは思えぬような凄みを感じた。
   


処女作『花ざかりの森』に溢れるロマン主義の香り 
 
 なによりも驚いたのは、その筆致から伝わってくる円熟味だった。
 詩的な優雅さがあり、抑制の効いた静謐感があり、どこかメランコリックな文体だった。
 そして、「常に、ここではないどこか」をイメージさせるフレーズが漂っていた。

 巻頭に添えられたエピグラフ(銘句)が洒落ていた。
 
   かの女は森の花ざかりに死んでいつた。
   かの女は余所(よそ)にもつと青い森があると知つてゐた。
   (堀口大學 訳)
 
 そういう2行が、冒頭を飾っていた。
 ギイ・シャルル・クロスという詩人の作った「小唄(シャンソン)」の一節らしい。
 何を言っているのか、よぉ分からなんのだが、とにかく「ここではない、どこか」という空気感が伝わってきた。
 「余所(よそ)にある青い森」が何を意味するのか不明であるけれど、その場所というのは、とにかく今いる場所から遠く離れていて、ひょっとしたら、人間は到達することもできないかもしれない、という含みを持ったフレーズに感じられた。
 
 この「ディスタンス(距離)」の感覚こそ、ロマン主義イデオロギーがもっとも色濃くにじみ出るところであると、よくいわれる。

 こういうお洒落なエピグラフを冒頭に置く『花ざかりの森』というのは、ほんとうに美しい小説だった。
 
 書き出しは、こんな感じである。
 
 「この土地へきてからというもの、わたしの気持には隠遁ともなづけたいような、そんな、ふしぎに老いづいた心がほのみえてきた。
 もともとこの土地はわたし自身とも、またわたしの血すじのうえにも、なんのゆかりもない土地にすぎないのに、いつかはわたし自身、そうしてわたし以後の血すじに、なにか深い聯関をもたぬものでもあるまい。そうした気持をいだいたまま、家の裏手の、せまい苔むした石段をあがり、物見のほかにはこれといって使い途のない五坪ほどの草がいちめんに生いしげっている高台に立つと、わたしはいつも静かなうつけた心地といっしょに、来し方へのもえるような郷愁をおぼえた。
 この真下の町をふところに抱いている山脈にむかって、おしせまっている湾が、ここからは一目にみえた。朝と夕刻に、町のはずれにあたっている船着場から、ある大都会とを連絡する汽船がでてゆくのだが、その汽笛の音は、ここからも苛だたしいくらいはっきりきこえた。
 夜など、灯をいっぱいつけた指貫(ゆびぬき)ほどな船が、けんめいに沖をめざしていた。それだのに、そんな線香ほどに小さな灯のずれようは、みていて遅さにもどかしくならずにはいられなかった」
 
 確かに、16歳の三島が多少背伸びした感じも伝わってくるが、それでもこれはもう少年の文ではない。
 ここに漂う典雅なアンニュイは、多少人生に疲れを感じてきた大人のアンニュイであり、子供の背伸びの域を超えている。
 
 また、高台から海を見下ろす視線には、まったくの陰りがなく、あたかもギリシャの断崖に立って、地中海でも見下ろしているような透明感が感じられる。
 このあたり、三島が幼くして読んでいたギリシャ古典などの影響があるかもしれない。

 

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16歳の頃の三島由紀夫


 『花ざかりの森』という短編集には、三島が若いころに書いたいくつかの作品も収録されていた。
 そのなかには、『岬にての物語』、『軽王子と衣通姫』などという短編があったように記憶している。
 なかでも衝撃を受けたのは、『中世』という小説だった。 

 

ディープな美学に貫かれた初期短編の傑作『中世』

 

  これは、息子の足利義尚を亡くした老いた足利義政を主人公に、彼の周りにいた能楽師、禅僧、巫女などを絡ませた中世絵巻ともいえる作品だが、物語の中心となるのは、「菊若」という女に見まごうばかりの美少年の能楽師である。

 菊若は、義政とその子義尚の2代に寵愛され、さらに霊界禅師という僧からも懸想され、綾織という巫女からも愛される。

 この菊若をめぐる人間たちの濃密な情念が、ブラックホールのように闇夜の奥で渦巻く様子が、実に恐ろしい。
 
 しかし、この恐ろしさの底には、人を酩酊させる美しさが沈んでいる。
 背徳的で、頽廃的。
 人を狂気にいざなうようなデカダンスの美学が、小説全編に漂っている。
 
 この小説は、三島が20歳のときに書いたものだと言われている。
 彼はそのとき、中島飛行機に勤労動員されながら、寸暇を惜しんで執筆していたそうだ。
 「やがて自分にも赤紙召集令状)が来る」
 三島は、その日が来るのを覚悟し、「遺書のつもりで書いた」といわれている。

 この小説の鬼気迫る迫力は、そういう「死を意識した日々」がもらたしたものかもしれない。 

 

謎は解けたのか?

 

 大澤真幸氏の『三島由紀夫 ふたつの謎』について語ろうとしたブログだったが、話がかなり横道に逸れた。
 で、大澤氏の著作を読み、三島に関する “ふたつの謎” は解けたのか?
 「解けなかった !」
 というのが正直な感想である。
 もちろん、大澤氏は、最終章のところで、表題に掲げた「ふたつの謎」をそれなりに解明している。
 「お見事 !」
 とは言えないまでも、「ありうる!」という手ごたえを感じさせる結論になっている。

 しかし、三島由紀夫の残した「謎」はあまりにも大きく、一人の学者や一人の評論家ぐらいの考察では、とてもその全貌に迫れないということも露呈してしまった。
 つまり、大澤氏の導きによって、「三島の謎」を解明する手掛かりを得られたつもりになっても、読み終わって本を閉じると、けっきょく読者はさらに大きな「謎」がグゥワ~ンと口を開けているのを見ることになる。
 
 でも、それでいいのだろう とあらためて思った。
 「謎」というのは、人間に知的好奇心をもたらす最大の力となる。
 「謎」があるからこそ、それを解明したいという意欲が沸き起こり、そこに推理力や想像力といった人間の知的エネルギーが結集してくる。
 人間の「知的財産」のもっとも偉大なるものは、「謎を感じる感性」である。