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ピエール・ボナール『黄昏』

絵画批評 

 

    
 昨年(2018年)の秋から冬にかけて、国立新美術館でフランスの画家ピエール・ボナールの展覧会が開催された。
 同じ時期に、ムンク展、フェルメール展、ルーベンス展なども開かれ、マスメディアにも紹介されて話題を呼んだ。

 それらの巨匠たちと比べて、ボナールの知名度は少し落ちるのかもしれないが、日本と関係の深い芸術家として、この画家の名前は憶えておいていいのかもしれない。
 というのは、彼が “大の浮世絵ファン” だったからである。

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 ボナール(↑)が画家を目指したのは、1888年
 絵画の修行をしているうちに、彼はパリで開かれた「日本美術展」(1990年)に足を運ぶ。
 そこで、歌川国貞、国芳、広重などの浮世絵に接し、その斬新な技法に衝撃を受ける。
 以降、ボナールは自らの画風にも浮世絵の手法を採り入れ、実際に浮世絵の蒐集(しゅうしゅう)にも力を入れるようになった。

 当時、彼は「ナビ派」といわれる芸術運動を進めていたが、その熱烈な浮世絵への傾倒ぶりを世間にからかわれ、「ナビ・ジャポナール」(日本かぶれのナビ派)などとも呼ばれたという。 
  
浮世絵の技法を生かした『黄昏』
 
 では、彼の描いた絵においては、いったいどんなところに浮世絵の影響が読みとれるのか。
 下が、それを示す1枚といわれている。
 『黄昏(たそがれ) クロッケーの試合』というタイトルが付けられた絵だ。

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 クロッケーとは、ゲートボールに似たゲームで、1900年にパリで開かれたオリンピックで、一度だけ採用されたこともある競技だという。
 日本人にとってはマイナースポーツという印象だが、19世紀末のヨーロッパにおいては、それなりに「時代のトレンド」と見なされた遊びだったのかもしれない。

 絵には、そのクロッケーに興じるボナール家の家族たちが描かれている。
 画面左に集まった男女が、それぞれ長いスティックを持っているところから、それを察することができる。

 

 不思議なのは、この絵から「立体感」というものが、ことごとく排除されていることである。
 距離感は、かろうじて、絵の縦方向においてのみ示されている。
 すなわち、遠景は垂直軸の上の方に描かれ、近景は画面の下に描かれているといった案配だ。

 絵画の専門家たちは、この “平面的” な描き方に浮世絵の影響が読み採れると指摘する。
 それまでのヨーロッパの近代絵画には、こういう空間処理はなかったからだ。

 ルネッサンス以降のヨーロッパ近代絵画は、画面上のすべての線が、キャンバスの奥に設定された一点に向けて収束するという「消失点作図法」という遠近法を採用することで、立体感を生み出してきた。
 

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 今日のわれわれは、この「消失点作図法」がしっかり守られている絵を “写実的” と評価する傾向がある。
 しかし、実は、それは人間の自然な眼の動きではなく、数学的に計算された人工的な “視線” でしかない。

 これは、「自然界は、数学的に計測可能である」というヨーロッパの近代科学が普及することによって生まれた “思想的な遠近感” にすぎず、絵画の歴史のなかでは、むしろ特殊なローカルルールでしかなかった。
 一般的には、浮世絵に見られるような平面的な画像空間が、西洋近代以前の世界のトレンドだったのだ。
 
 ところが、世界を数理学的にとらえる近代合理主義が西洋人の考え方に根付いていくうちに、「世界はこういうふうに見えているのだ」という思い込みがヨーロッパの芸術表現に定着し、それが近代絵画の基本的スタイルとなった。
 そして、この伝統的な手法が当時の西洋画壇を支配することになり、そこから外れる芸術表現はことごとく排除される傾向が生まれた。
 
 しかし、こういう西洋絵画の “約束事” は、19世紀末あたりに輩出してきたヨーロッパの若い画家たちからすると、自由な画風を縛る窮屈なものに感じれるようになってきた。
 そこにあらわれたのが、西洋的遠近方を無視して、自在な絵画空間を実現した日本の浮世絵であった。

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浮世絵は当時のグラフィック・デザインだった
 
 日本の画家たちは、西洋で当たり前となっていた遠近感などに捉われず、自分の描きたいものには堂々と目を近づけ克明に実写し、要らないと判断したものは大胆に省く。
 色使いも自由。物のフォルムも奇抜。
 西洋の若い芸術家たちは日本の浮世絵に、今でいう “グラフィック・デザイン” 的な斬新さを感じたのだろうと思う。

 この時期、ボナールに限らず、パリにいた画家たちのなかで、浮世絵の影響を受けた画家はそうとうな数にのぼる。
 マネ、モネといった印象派の画家は、浮世絵がなければ自分たちの画風を確立することもなかったともいわれ、ゴッホゴーギャンといった後期印象派の画家たちも、積極的に浮世絵の手法を採り入れた。
 なかでもゴッホは、歌川広重の絵を忠実に模写しているくらいだ。
 
ゴッホが模写した広重の浮世絵

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『黄昏』に描かれた人々の暗い表情の秘密
 
 ボナールは、ゴッホほどあからさまに浮世絵の痕跡を自分の画風にとどめていはいない。
 『黄昏 クロッケーの試合』という絵も、指摘を受けるまで、浮世絵との関連性を見抜く人は少ないかもしれない。

 しかし、だからこそ、この絵は、それまでの伝統的な西洋絵画とはきわめて異質の世界を浮かび上がらせている。
 もちろん、遠近感を無視した平面的描写や、グラフィック・デザインのような装飾的な技法には浮世絵の痕跡が見て取れるが、しかし、この絵には、浮世絵とは異質なアンニュイ(倦怠)とメランコリー(憂鬱)がにじみ出ている。
 
 2018年の11月24日に、テレビ東京が放映した『美の巨人たち』では、このボナールの絵を紹介し、画面左側に集められたボナール家の人々の表情が、暗く、沈んでいることに注目している。 

▼ 画面左側には、ボナールの妹、いとこ、父、そして妹の夫などが描かれている

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 番組の解説によると、ピエール・ボナールは、ブルジョワ階級のエリートとして生まれ、何の不自由もない生活を送りながら、自分の出自であるブルジョワ階級に嫌悪を感じていたという。
 つまり、家族の表情が、どことなく憂鬱そうで暗いのは、ブルジョワとしての贅沢な生活を何の疑問もなく送っている自分の家族たちをシニカルな視線で見つめていたからだ説明する。

 では、画面右側で楽しそうに踊る女たちは、はたしてどういう存在なのか? 

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 番組の解説によると、この5人は実在しない人たちで、「権威や虚栄が大好きなボナール家の人々に対し、生きることの本当の喜びを伝えるために描かれた架空の “聖女” たち」だという。
  
世紀末的メランコリー

 確かに、「なるほど」とうなづける説ではある。
 しかし、ボナール家の人々の表情に漂うメランコリー(憂鬱)は、この家族だけの属性とはいえないような気がする。
 むしろ、当時のヨーロッパ全体の空気をつくっていた “世紀末” 的メランコリーそのものではないかと思えるのだ。

   
 ボナールの生きた19世紀末は、繁栄を極めたヨーロッパ文化の “衰退” が人々の口からささやかれる時代でもあった。
 そういう不安感を背景に、文学や絵画の領域においては、デカダンスの匂いを放つ美学が生まれていた。
 
 パリでは、ボードレールの詩やギュスターヴ・モローの絵画。ロンドンではオスカー・ワイルドの文学やオーブリー・ビアズリーのイラスト。ウィーンではホフマンスタールの文学やグスタフ・クリムトの絵。
 これらの文学や絵画は、一様に、頽廃的な美と憂愁をその表現の中軸に据えた。
 
 それはなぜか?
 19世紀に一つの頂点を迎えたヨーロッパ近代産業の進展ぶりに、人々がようやく疲労感を抱き始めたからである。
    
近代産業によって激変した生活への疲労 
 イギリスで始まった産業革命以降、次々と生まれた新しいテクノロジーは、人々の生活と意識をガラッと変えた。
 汽車や汽船の進歩、自動車の改良、電信・電話の実用化、写真や電球・蓄音機などの発明、印刷技術の驚異的な向上。
 19世紀というのは、わずか100年の間に、人類が歴史上まれなる量のテクノロジーを獲得した時代でもあった。

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 しかし、人間は、あまりにも変わり果てた生活にいつまでも耐えられるわけがない。
 19世紀末に生まれてきたメランコリーというのは、100年続いたこの驚異的な技術革新に対する人々の疲労感がベースになっている。

 『黄昏 クロッケーの試合』という絵からにじんでくるメランコリーとアンニュイも、実は、この世紀末的気分が反映されたものと解釈できる。

 その証拠に、タイトルが「黄昏(たそがれ)」なのだ。
 黄昏とは、いうまでもなく、19世紀末に訪れた “ヨーロッパ文明” の黄昏を指している。

 そうなれば、この絵画の右半分に描かれた “踊る妖精たち” もなんらかの意味を帯びてくる。
 彼女たちが実在しない人影だとすれば、それは何を象徴しているのか。

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“踊る妖精” たちの正体
  
 ひとつは、来たるべき「新しい世紀」を意味する「希望」の象徴だ。
 「新しい世紀は、喜びと幸せに満ちた世紀になる」
 そういうメッセージを、この5人の女性から読み取ることも可能だ。

 しかし、この “踊る妖精たち” の上にも鬱蒼とした木立が生え茂り、木々の葉を透かして見えるのも、寂しい色に塗られた黄昏の空でしかない。
 そうなると、これは「新しい世紀」もまた憂鬱な色に染められた時代になるだろう、というペシミスティックな予感の表現となる。
 
 はたして、この絵をどう解釈したらいいものか。
 絵画を鑑賞するということは、常に思考が試される「場」に立つということである。