アートと文藝のCafe

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ロシア絵画の不思議な奥行き

 ロシアの絵画というのは、古典絵画であろうとも、また近代絵画であろうとも、同時代のヨーロッパ絵画とは全く異なる世界観を持っている。
 
 ヨーロッパでもなければ、アジアでもない。
 「ユーラシア」という言葉が当てはまるのかどうかも、分からない。

 

 とにかく、ロシアという国を地球儀で見たとき、北半球の大半を覆うロシア領には、必ず私たちの視界に入らない場所が地球儀に残ってしまうという “不思議さ” が絵にも現れてくるように感じるのだ。
 
 
 2018年頃だったか、「東京 富士美術館」(東京・八王子市)で開かれた『ロシア絵画の至宝展』という美術展を観に行ったことがあった。

 

 そのとき集められた絵画は19世紀中頃のもので、ロシアの自然を描いた風景画、および庶民の日常生活の1コマを切り取ったものが大半だった。

 

 だが、何かが違うのだ。

 

 この美術館には、ヨーロッパの古典絵画や近代絵画をそろえた常設展示場もあった。
 しかし、「特別展」に運び込まれた “ロシア絵画” のコーナーに足を踏み入れたとたん、空気が一瞬のうちに変わった。

 

▼ ウラジーミル・マコフスキー 「夜の牧草地」

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▼ アレクセイ・サヴラーソフ 「沼地に沈む夕日」

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 ここに集められた風景画を、いったいどのような言葉で紹介すればいいのだろうか。


 うまい言葉が見つからない。


 それほど、19世紀中期のロシアの大地が、いかに我々のイメージが及ばないような世界であったかということを、あらためて知る思いだった。
 
 
▼ アルヒープ・イヴァノヴィチ・クインジ 「虹」

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 一目見て感じたのは、ロシアの大地を描いた風景画には、どれも得体のしれない “奥行き” があるということだった。


 「広大」とか、「雄大」という言葉でもっても言い尽くせない。
 そういう「水平的な広がり」とはまた別の、「奥行き」の深さに吸い込まれそうになるのだ。

 

 つまり、絵の “果て” が、地平線で終わっていない。
 地平線のその先に、さらに果てしない “何か” が続いている。
 
 
▼ イサーク・レヴィタン 「ウラジーミル街道」

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 我々は、日本の風景のなかに「地平線」を見ることはできないが、アメリカ大陸や中国大陸、ヨーロッパ大陸の大地を絵画や写真あるいは映画を見ることによって、「地平線」というものを画像体験することができる。

 

 そして、それは、「地平線」という水平ラインで閉じられることによって、いちおう視覚的に完結する。

 

 だが、ロシア絵画に描かれる「地平線」は、けっして完結しない。
 絶えず、その奥にある世界を喚起してやまない。

 
 
 雪原の彼方にはシベリアの凍土が広がっており、やがては北極まで続く大地が伸びているように思える。
 
 
▼ フョードル・ワシリーエフ 「雪解け」

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 白樺の森は、そのまま進んでいくと、いつしか熱帯雨林に紛れ込んでいきそうな気配がある。
 
 
▼ イヴァン・シーシキン 「カバの森の中の小川」

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 常にここではない、どこか。
 それを暗示するのが、ロシアの風景画だ。
 そしてそれこそ、ロシアの大地が本来秘めている魔法の力なのだろう。

 

 おそらく、19世紀のナポレオンも、20世紀のヒトラーも、これにやられたに違いない。
 彼らの軍隊は、モスクワを目指して進軍しているうちに、大地がどこまでもどこまでも後退していく恐怖を味わったことだろう。
 
 
▼ イヴァン・シーシキン 「嵐の前」

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 「後退していく地平線」は、限りなく「水平線」に近づく。
 いくら地平線を見渡せる大地に踏ん張ろうとも、彼方の風景がゆらいでいけば、自分の立っている足元も崩れていくことになる。

 

 それは、足元が海面に浸されていることと変らない。
 人間は海の上には立てない。

 

 このときの「ロシア至宝展」の目玉であったイヴァン・アイヴァゾフスキーの『第九の波涛』という絵画は、そのように見ることも可能だ。 
 
 
▼ イヴァン・アイヴァゾフスキー 「第九の波涛」

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 絵画には、鑑賞者がそれまで見たこともないような光景を見せてくれる力がある。
 それは、テレビやCG映画の画像喚起力より数千倍まさる。

 

 なぜなら、そこには画家の頭脳に降臨した想像力のバイアスがかかるからだ。
 たぶんロシアの大地には、画家の想像力を引き出す特別の魔術があるのだろう。