アートと文藝のCafe

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見知らぬ女(人)

 

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▲ トレチャコフ美術館でもっとも人気のある「見知らぬ女」

  

  

 昔、上野の東京都立美術館で開かれた「トレチャコフ美術展」をカミさんと見にいったことがある。
 
 その日は雨の休日で、上野の森の新緑が雨に煙って濃い影をつくっていた。
 美術館に入る前から、すでに絵画の世界を歩いているような日だった。
 
 トレチャコフというのは、帝政ロシア時代の画商の名前で、当時の保守的なロシア画壇に反抗した若い画家グループを支援した人の名である。

 

 当時、そういう革命派の画家たちを「移動派」と呼んだらしい。

 

 なぜ、「移動派」という名前がついたかというと、革命派を自認する画家たちが、実際に自分たちの絵を抱えて町や村を回り、美術展などに行く習慣を持たなかった庶民に見せて回ったからだ。

 

 当時のロシア画壇というのは、ヨーロッパ志向の政府の方針により、イタリア古典絵画の手法をそのまま踏襲する絵が主流だった。
 しかし、そういう保守系の美術展では、帝政ロシアの貴族政治の下で苦しんでいる庶民の生活を描いた絵が採り上げられることはなかった。

 

▼「移動派」の絵画_イリヤ・レーピン 『ヴォルガの船引き』

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 それに不満を感じた若い画家たちは、ロシア画壇の主流派と決別し、ロシアの腐敗した貴族政治を風刺したり、農民や一般大衆の悲惨さをテーマにした絵を描き始めた。

 

 だから、彼らの描く絵画は、権力と癒着した僧侶階級の腐敗だったり、プロレタリアートの過酷な労働の状況を克明に写し取るといったメッセージ性の強いものになった。


▼ サヴィツキー 『線路の修繕工事』

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 正直にいうと、私は、そういう絵があまり好きではなかった。
 政治風刺や権力批判などというテーマを盛り込んだ絵画は二流の美術だという思い込みがあったからだ。
  
 しかし、実際にその手の作品に接してみると、自分が持っていた先入観とは少し違うかな という印象を持った。

 

 やはり、素朴なリアリズムの「豪速球」でこられると、歴史の一瞬に立ち会っているという素直な感動がわき起こってくるのだ。
 そういう絵画体験というものを、私はそれまで持ったことがなかった。 

 

イリヤ・レーピン 『無実の死刑囚を救う聖ニコラウス』

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 それともうひとつ面白いと思ったのは、ロシア人たちの風俗だった。
 人々の着るもの、街、村の景色。特に貴族階級の婦女子の衣服。
 ヨーロッパというよりアジアに近く、かといって中国でもモンゴルでもない独特の装束は見ていて飽きなかった。

 

▼ コンスタンチン・マコフスキー 『蜜酒の杯』 /「ココシュニックを被る少女」

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 ロシアデザインの特殊性は、建物にも反映されている。
 玉ねぎ型の屋根を持つクレムリン宮殿独特の建築様式もじっくり見るとなんとも奇妙だ。


 こういう文化様式はどうして生まれてきたのだろう? と、考えれば考えるほど興味が湧いてきた。

 

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 ロシア文化というのは、「カオス(混沌)」の文化である。

 

 西洋近代的な文化の底には、古代アジア的な土着性が潜んでいる。
 フランス的教養で染められた貴族文化は、一皮むくと、魔術や呪術ばかり。


 
 革命前の19世紀帝政ロシアは、ひょっとしたら人類史上まれにみる不思議な国家空間を形作っていたのかもしれない。
 
 そういう面白さに気づくと、ますますロシア絵画に惹かれていくものを感じる。 

 

 今回の美術展のなかでも、ひときわ異彩を放っていたのは、イワン・クラムスコイの「見知らぬ女(人)」であった。

 

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 馬車に乗る一人の貴婦人が、傲慢と思えるほどの眼差しで、路上にいる人間を見下ろしている。

 

 ロシアの庶民階級から見れば、憎むべき貴族階級のいやらしさを身に帯びた女性のように見えたかもしれない。

 

 しかし、これを描いたクラムスコイ自身が、貴族社会を嫌って「移動派」の指導者に身を投じたくらいの人だから、この絵も「貴族の傲慢さ」を批判的に描いたものではない。

 

 むしろ注目すべきは、一見 “傲慢” な女の瞳に宿された、どうしようもない憂いだ。
 
 彼女は何者なのか。
 モデルは誰なのか。
 なぜ悲しんでいるのか。

 

 作者のクラムスコイ自身が、この絵に関しては生涯沈黙を守ったため、すべて謎であるらしい。

 

 この「謎」が人々の好奇心を引き寄せるために、一度見たら忘れられない絵という意味で、「忘れられぬ女(人)」といわれることもある。

 

 不思議なのは、彼女の目だ。 

 

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 馬車の下にいる人々を見下ろしているようで、この目は何も見ていない。
 よく見てみると、焦点が定まっていないのだ。

 

 では、彼女の心は、何をとらえていたのだろうか?

 

 不意に訪れた「意識の空白」。
 すなわち、「虚無」をとらえていたのだ。

 

 もし彼女が貴族階級の娘であったのなら、自分たちの富と権力を保証してくれた世界が崩壊し、やがて自分たちが経験したこともない労働者の世界がやってくる前の、一瞬の意識の空白。

 

 つまり、帝政末期の世界から、次の革命期の世界へ移っていく一瞬の空白を、彼女の鋭い感受性は、とらえてしまったのだ。

 

 だから、彼女の目に映ったのは、「今はまだどちらにも属していない世界」、すなわち「虚無」だった。
 
 
 これと似たような心の状態を描いた絵が、もう一枚ある。
 
 同じクラムスコイが描いた「荒野のイエス・キリスト」である。

 

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 これは、イエスが悪魔の誘惑と嫌がらせに耐え、荒野を40日さまよったときの情景を描いた絵だ。

 

 岩の上に座るイエスは、悪魔の誘いをようやく退け、憔悴しきって、もう動くこともできない。
 その目は、生気を失い、ただの穴のようになってしまっている。

 

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 ここに描かれているのは、またしても「虚無」を見た人の目である。

 

 イエスの心に、何が起こっていたのか。

 

 自分が悪魔の誘いと戦っていても、まったく自分を助けようとしなかった「神」の存在を考えていたという気がする。

 

 イエスは「神の子」である。
 ならば、父である「神」は、ピンチに陥った子を助けるのが当たり前ではないか?
 岩の上に座るイエスは、そう考えた。

 

 だが、荒野を吹く風のなかに、父であるはずの神の声はない。

 

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 やがて、イエスは、神の存在を疑う前に、神そのものを無条件に信じることが「信仰」であることに気づく。

 

 「疑う」ことを捨て、「信じる」ためだけに祈る。
 信仰とは、そういうものではないのか?

 

 それが、イエスの “穴のような目” が見つめた「真実」だった。

 

 神の存在を、人間は見ることも知ることもできない。
 ただ、何かのときに「突然の啓示」として、神を感知することができる。

 

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 ロシアの大文豪ドフトエフスキー(写真上)は、
 「平行線はどこまでいっても交わらない」
 という一般的なユークリッド幾何学に対し、
 「平行線は無限延点で交わる」
 という非ユークリッド幾何学の公理に刺激を受け、その “無限延点” こそ、神の立つ場所だと確信したという。

 

 無限遠点とは、もちろん人間には知覚できないし、想像することもできない。
 ゆえに、それは「虚無」なのである。

 

 しかし、その「虚無」は、神の慈悲と恩寵に満たされた “光り輝く虚無” だ。

 

 革命前夜のロシアというのは、そのように、数学の最先端の知見と、荒唐無稽なメルヘンがひとつの坩堝(るつぼ)の中で溶け合うような、とんでもない創造的パワーが渦巻いていた世界だったのかもしれない。

 

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