映画『ニコライとアレクサンドラ』
とトランプ大統領
ロシアのロマノフ王朝の最後を描いた『ニコライとアレクサンドラ』(フランクリン・J・シャフナー監督)という映画がある。
ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世とその皇后アレクサンドラ、そしてその5人の子供たちが、ロシア革命が勃発したことによって処刑されるまでを描いた作品だ。
制作されたのは1971年(日本公開1972年)。
そのとき私は、22歳だったが、当時この映画の公開にはまったく気づかなかった。
その作品を48年後、テレビの「BSプレミアム」(2020年10月27日)でようやく見ることになった。
3時間を超える大作だったが、飽きもせずに、面白く鑑賞した。
なにしろ、フランクリン・J・シャフナーという監督は、『猿の惑星』を撮った人だけに、面白い映画に仕上げるコツは会得していたようだ。
しかし、その感想をこのブログなどに書き起こす気持ちはなかった。
なのに、今こうして、その映画に触れてみようという気になっている。
栄耀栄華を極めたロシア皇帝ニコライ2世の没落に、なぜか権力を失って政治の場から追われて行くトランプ大統領の姿が重なったからだ。
ニコライ2世というのは、日露戦争のときに、日本と戦うロシア軍を統括していた皇帝である。
日本はこの戦いを青息吐息状態でしのぎ、ようやく戦勝に漕ぎつけた。
しかし、実は日本よりもさらに疲弊していたのは、ロシア政府の方だった。
このときロシア政府の要人たちからは、極東の地からはやばやとロシア軍を徹底させ、日本との戦いを終結させようという意見が出ていた。
その理由は、莫大な戦費がかかるうえに、得るものが少ないという判断からきたものであったが、もう一つの理由として、ロシア国内に、皇帝を打倒して労働者の国家をつくろうという動きがあったからだ。
しかし、見栄っ張りのニコライ2世は、極東の貧しい国に戦争で負けるということを屈辱に感じ、戦局が好転しないまま、ますます戦争継続に前のめりになっていった。
この間の出来事をまとめた司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』によると、当時の日本政府は、ロシア国内で勢力を持ち始めた革命勢力と秘密裏に接触し、革命グループにこっそり資金援助をしていたという。
そういう日本側の裏工作も功を奏して、けっきょくニコライ2世は、名誉ある勝利を手にしないまま、日本との講和を受諾。朝鮮半島や満州支配で得た利権を手放すことになった。
彼が講和に踏み切ったのは、頼みの綱であったバルチック艦隊が日本海海戦で敗れたことも大きかったろうが、日本のような小国など、“一休み” したあとに、もう一度戦いを起こせば簡単に踏みつぶせると思っていたかららしい。
そういう読みの甘さからも、ニコライ2世という統治者の実務レベルがそうとう低いものであったことがうかがえる。
しかし、皇帝の私生活は充実しており、血友病を患っていた長男のアレクセイを除けば、どの娘もみな健康状態が良好で、優秀な教育者たちに囲まれ、優雅な青春を謳歌していた。
ニコライ2世自身も、妻のアレクサンドラと仲睦まじい夫婦関係を満喫していた。
「歴史スペクタクル映画」と銘打つだけあって、映画の前半は華麗なるロシア宮廷の栄耀栄華がド派手なくらい描き尽される。
宮廷における夜毎のパーティ。
風光明媚な離宮でくつろぐ皇帝家族の贅沢なランチ。
皇帝に忠誠を尽くす軍隊をバルコニーで閲兵する皇帝ファミリー。
そこには、「ロシア」という地球上まれにみる広大な領土を持った皇帝一族の華やかな暮らしぶりが、「これでもか! これでもか!」というくらい執拗に繰り返される。
▼ ニコライ2世ファミリーの肖像(実写)
しかし、レーニン、スターリン、トロッキーといった革命派が台頭してくるにしたがって、皇帝一家の生活にも少しずつ暗い影が広がっていく。
まず日露戦争後に皇帝が決断した第一次世界大戦への参戦。
これがニコライ2世のつまづきのもとになった。
このときのロシアには、もう敵対するドイツ・オーストリア連合軍との戦闘を継続する力は残っていなかった。
連敗を続けるロシア軍の士気はみるみる衰え、無謀な戦いに踏み切った皇帝への不満が軍隊内に広がっていく。
ロシア軍の将校たちの皇帝に対する忠誠心も低下し、彼らは皇帝の命令をも鼻でせせら笑うような態度を見せ始める。
こういう場面はほんとうに見ていると辛くなる。
ニコライ2世の全盛期には、「皇帝万歳!」と叫んでいた兵士たちが、次第に皇帝の警護をさぼり始め、将校たちは露骨に侮蔑の表情を浮かべ、最後は、皇帝に対して “ため口” を叩くようになる。
▼ 処刑されるニコライ2世ファミリー(映画)
権力者の末路というのは、これほど残酷なものなのか !?
この映画は、次々と特権をはく奪されていく皇帝一家の悲惨な生活をドキュメンタリー作品のようにフォローしていく。
その過程が、なんだかトランプ氏の失墜と重なる。
トランプ氏は、その就任当初、これまでの大統領が行わなかったような政策と人事でアメリカ国民を驚かした。
しかし、やがて彼は従順な部下以外の人たちを、些細な失策を理由に、次々と解雇していく。
国防長官となったマティス氏、国務長官となったティラーソン氏、バノン大統領首席戦略官、ボルトン大統領補佐官、そして最近ではエスパー国防長官。
その数は30人近くだともいわれている。
これらの人は、みなトランプ氏が「裸の王様」であることを指摘し、それなりの助言を試みようとしたが、そういう言動はトランプ氏にみな「反抗的だ」という印象を与えたようで、即座に解任されていった。
ロシアのニコライ2世も、やはり側近の忠告に耳を貸さなかった。
そして、軍隊に不穏が動きが見えてきても、自分のひと声で、軍隊の統率が図れるものだと高をくくっていた。
ニコライ2世とトランプ氏の共通点は、ともに庶民の人気は高かったことである。
ロシア革命が起きたとき、ニコライ2世の処刑を決断した革命派は、彼が「人民を抑圧した暴君である」と宣伝した。
しかし、実際のニコライ2世は、必ずしもロシアの民衆から見捨てられたわけではなかった。
純朴で信仰心の厚いロシアの農民たちは、ロシア革命を指導したインテリ層とは異なり、皇帝を「神」と同一視していた。
今のトランプ氏同様、ニコライ2世は、ロシアの庶民にとっては救世主であり、ヒーローだったのだ。
だからこそ、革命派はそういうロシアの農民心理を抑圧するために、皇帝の処刑を早めなければならなかった。
そのことを今回のアメリカ大統領選に照らし合わせてみると、インテリ層の支持を集めた民主党支持者と、純朴で宗教心の厚い共和党支持者の「分断」をそこに重ねることができる。
ニコライ2世は、革命前夜、身内の抵抗や反乱から、自分の環境が変わっていくことをおぼろげながら察知するようになった。
トランプ氏においても、その任期が終わろうとする頃、数々の暴露本が発行され、社会的な糾弾を受けるようになった。
“忍び寄る不安” というものは、人間の心を少しずつむしばんでいくものである。
トランプ氏の場合も、側近の反乱やメディアの糾弾に対し、たびたびいら立つ表情を見せるようになった。
彼が精神の高揚を体験するのは、選挙戦が始まり、多くの支持者の前で演説するときだけだったかもしれない。
現在、トランプ氏には、いろいろな借金を抱えているという事実と過去のスキャンダルにより、いくつかの訴訟が迫ってきているという。
それだけでなく、メラニア夫人との離婚話もウワサにのぼるようになった。
四面楚歌になりつつあるトランプ氏。
その姿には、どことなく悲哀の色が深まりつつある。
権力者の最後は、(暴君であろうが名君であろうが)、悲劇性を帯びる。
権力の頂点にいたときの輝かしい栄光と、それが破滅に向かって行くときの落差が、巨大な瀑布を仰ぎ見るようなドラマになるからだ。
ただ、革命期のロシアと違って、アメリカは民主主義の法治国家である。
トランプ氏が、ニコライ2世のような銃殺に処せられることはない。