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「人間」という思想は “砂漠” で生まれた


評論
イエス・キリストはいかにして「人間」を発見したか?

  
 1960年代ぐらいまでは、人間の精神活動の主要テーマは「思想(イデオロギー)」という言葉を中心に回っていた。

 

 それは、アメリカの「自由主義」と、ソ連の「社会主義」という二つのイデオロギーが対立していた冷戦構造を反映していたからである。

 

 しかし、1980年代に冷戦が終結し、「思想」というテーマが色あせてきた代わりに、現在は「宗教」が浮上してきている。

 
 世界を読み解くためには、宗教を理解することが大事であるという見解がこの時代から生まれてきたといえよう。


日本人には理解できない一神教
 
 そのとき、われわれ日本人の前に立ちはだかるのが、キリスト教イスラム教という一神教の世界である。
 
 ジャーナリストの池上彰氏は、『宗教がわかれば世界が見える』(2011年刊)。という著作のなかで、こう語っている。

 

 「宗教は、それぞれの土地の気候風土が反映している。たとえば中東の砂漠地帯では、人間は本当に無力な存在でしかなく、ちょっとした砂嵐に巻き込まれただけで死んでしまう。
 それが、一神教の教えの根幹をなしている。
 キリスト教の母胎となったユダヤ教イスラム教も、ともに砂漠から出現している。
 それほど激しい環境の中で生かされているという実感が、人間は神の怒りに触れるとあっけなく死んでしまうという『旧約聖書』(や『コーラン』)の世界と通じ合う」

  

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 解りやすい説明であるとは、思う。
 
 たぶん、今の日本人が必要としているのは、この手の “解りやすい解説” であるという信念が、池上氏やこの本の企画者たちにはあったのだろう。

 
 「小むずかしい宗教論や哲学ではなく、一言でスゥーっと頭の中に入っていく解説こそ、現代人の求めているものである」という確信が。

 

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 しかし、この解説は十分でない。
 大切なことが見落とされている。

 
見慣れた風景の中の新しい発見
 
 「世界が変わって見える」とき、人間は、必ず日常の見慣れた風景の中から今までとは違ったものを発見している。

 
 たとえば、一神教は、「砂漠の厳しさ」から生まれたといわれるが、そうではない。
 それは逆だ。
 
 一神教によって、逆に「砂漠の厳しさ」が発見されたのだ。
 
 「神は民の苦しみを取り除き、心の平穏を約束してくださるはずなのに、なぜ、この世には “砂漠” のような荒涼とした不毛な地が広がっているのだろうか?」
 
 砂漠は、ユダヤキリスト教あるいはイスラム教の民が、「神」を知ることによってはじめて見つけた新しい「風景」なのである。
 
 もちろん、一神教が誕生する前から砂漠はあったというべきだろう。
 しかし、それは単なる「交通の困難な空間」にすぎなかった。
 
 そのような砂漠が、「不毛の地」という認識を脱して、「超越した空間」に変わっていくのは、“神” が人々の心に降りるようになってからである。

 

 「キリスト教」という思想がこの世に誕生した背景には、このような “砂漠” という空間に対する認識の転換があったのだ。

 

 それは、どのような転換であったのか?


 その場所で、「人間」が発見されたのだ。 

 いきなり、そう言い切ると、理論の飛躍がありすぎるかもしれない。
 もう少し、順を追って話してみたい。


エスとは、何を視た人間だったのか

 

 原始キリスト教グループを創出した “ナザレのイエス” は、それまでユダヤ教の戒律では「人間」としては下位に位置する人々に対し、積極的なアプローチを試みた。

 

▼ 映画に出てくるイエス

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 イエスは、ことさら徴税人や精神疾患の病者、売春婦たちといったユダヤ人の市民階級から嫌われ、蔑まれてきた人々と親しくつきあい、彼らに教えを説いた。
 
 この情景を現代人が目撃したとしても、そこに違和感はないだろう。
 むしろ、「貧者にも慈悲の心を示す」キリスト教らしい布教の1シーンと眺めることだろう。
 
 しかし、当時のユダヤ社会の中では、それは、きわめて異例の光景だった。
 つまり、徴税人や売春婦、精神疾患のある人たちというのは、「人間」としてカウントされない「余計者」だったのだ。
 
 そのような「蔑まれ、嫌われる人々」は、共同体のケガレを一身に背負うことで、いわばスケープゴートのように、共同体の結束を取り結ぶ道具としてのみ存在を許されていた。
 
 イエスは、そのような人々にこそ、熱心に教えを説いた。
 
 なぜなら、イエスは、そのようなユダヤ人共同体から忌み嫌われる人々に対しても「人間」を見出したからだ。
 
 ここで注意しなければならないのは、この時代にまだ「人間」という概念は存在していなったということである。

 

 この時代に存在していたのは、「貴族」であり、「兵士」であり、「農民」であり、「奴隷」であり、「売春婦」ではあったが、「人間」はいなかった。
 
 古代社会では「奴隷」が人間として認められなかったように、少なくとも、その時代に「人間」を名乗れるのは、自分の属する共同体の恩恵にあずかれる人々だけに限定されていた。


「人間」という思想は近代になって定着した
 
 「人間」がようやく一般概念として認知されるようになったのは、それから1500年ほど経ったルネッサンス期においてであり、さらに「人間」という存在が思想的にも容認されるようになったのは、18世紀の啓蒙主義の時代以降のことである。
 
 ならば、なぜナザレのイエスは、そういう時代が来る前に「人間」という概念を手に入れることができたのか?
 
 こう言いかえれば分かりやすいか。
 なぜ、イエスは、「王」や「貴族」や「商人」や「奴隷」という階層化された人々の区分を超えて、「人間」という普遍法則があることに気づいたのか?
 
 イエスは理解したのだ。
 「人間」は “砂漠” から来るということを。


▼ イエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、40日間荒野に留まり、悪魔(サタン)の誘惑を退けながら、思索を深めた。(イワン・クラムスコイの絵)

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「人間」 という思想は砂漠で生まれた
 
 砂漠は、人の住めない不毛の地であったが、そこは象徴的な意味で、人間が共同体の中で保証されていた身分や出自を無効にする空間でもあった。

 

 砂漠のなかでは、「王」であろうが、「貴族」であろうが、「奴隷」であろうが、そのような身分や肩書が通用しない。
 「水」と「食料」を維持できる立場にいる者だけが、その不毛な空間を越えていくことができる。

 

 そういった意味で、砂漠は、「王」や「奴隷」という身分上の区別を維持していた村、町、国家の効力が途切れる場所であったのだ。
 いいかえれば、「王」でも「奴隷」でもない、「人間」が生まれる場所であった。

 

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 「人間」に出会うためには、「家族」も、一度は切断されなければならなかった。
 イエスは、『マタイ伝』の中で、こういう言葉を残している。
 
 …… 私が来たことを、地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。私は、平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。父を、娘と母を、嫁としゅうとめを “敵対させる” ために来たのだ。
 
 イエスが語るこの言葉を、「家族」を直接否定したものと読む必要はない。
 ここで語られる「父」や「娘」は、「王」や「貴族」と同様に、“共同体が保証する身分” という意味だ。
 
 彼は、こう言おうとしている。
 「父や娘を棄てたときに、“人間” に出会う」
 
 ここで、いきなり突出してきた「人間」という概念は、おそらく当時の人々にとっては、どう理解していいのか、“手に余る” ものであっただろう。
 
 しかし、神の前に等しく平等な存在としての「人間」を手に入れたことで、一神教はようやく成立することになる。
 
 イエスは、いかにして、個々に分かれて存在していた人々の中から、「人間」という共通したものを抽出できたのか。
 問われなければならないのは、そのことである。
 
 そして、そのような謎の存在に気づかせてくれるものを、真の意味での宗教解説書と呼んでいいだろう。
 
 宗教によって「世界が見える」というのなら、そこで見えてくる世界は、そのようなものでなければならないはずだ。 

 

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