絵画批評
アメリカンコミックを “芸術” にした男
「ポップアート」というと、誰でもアンディー・ウォーホールの名前を思い浮かべる。
しかし、もう一人忘れてならないアーティストがいる。
ロイ・リキテンシュタインだ。
彼の制作した『ヘアリボンの少女』こそ、まぎれもなくポップアートのなかの “ポップアート” である。
「ただのアメコミじゃない !?」
見た人は誰でもそう思う。
現に、この絵がポップアートとして登場した1960年代。アメリカの美術関係者の多くは、「低俗なアメリカン・コミックを模写しただけ」と批判し、この絵が美術品の仲間入りをすることを嫌悪したという。
しかし、結果的に、この絵がアメリカ絵画の歴史を変えた。
1960年代、アメリカではアブストラクト・アート(抽象画)の全盛期だった。
写実的なうまさを競い合う古典絵画の決まりごとを「呪縛」と感じていた若いアメリカの画家たちは、抽象画の世界こそ、「創造者の自由な魂の発露」だと主張し、奔放な線と色だけで構成される絵画制作に励んでいた。
当然、鑑賞者には、何が描かれているのかさっぱり分からない。
人々は、次第に現代美術に興味を失い、美術館からも遠ざかっていく。
それにもかかわらず、アメリカのコンテンポラリーアートの描き手たちは、大衆との隔離こそ、むしろ「孤高の芸術家」の証(あかし)と読み違え、ますます独りよがりの芸術に邁進。
そのような作品を「価値」と認める少数の美術関係者たちだけが、自分たちのステータスを満足させるために、画家たちをサポートしていた。
で、ロイ・リキテンシュタインである。
彼もまた、最初は流行のアブストラクトに専念していた。
しかし、一向に芽が出ない。
ある日、彼の子どもが言う。
「パパは絵描きなのに、なぜそんなに絵が下手なの?」
これに参ったロイ。
「じゃ、絵がうまいところを見せてやろう」
ということで、子どもに対して、流行のコミックをたくさん模写してやったのだそうだ。
「あ、パパ絵が上手じゃない!」
子どもは大はしゃぎ。
「じゃ、次はスーパーマンな」
… ってな感じで、子どもを喜ばせるコミックヒーローを次々と描いているうちに、ふと気づく。
「もしかしたら、絵画ってのは、これが本物じゃなかろうか … 」
そこで、彼はアメコミを題材にした新しい作風にチャレンジすることになるのだが、彼が目指したのは、コミックそのものを描くことではなく、安いペーパーに印刷されて流通する「大量消費財」としてのコミックをコピーすることだった。
だから、彼の描くコミックは、原画ではなく、印刷された状態であることを示すドット(点描)によって埋め尽くされることになる。
つまり、わざと印刷物を拡大した時のような、機械的で無機質的な雰囲気をキャンバスにていねいに描き込んだのだ。
彼は何をしたかったのか。
従来の絵画は、一部のスノッブなお金持ちのステータスを満足させる商品として、一点モノの贅沢品でなければならなかったが、ロイ・リキテンシュタインは、大量生産品の下世話なコミックをそれらと同列に扱うことで、既成の画壇に風穴を開けようとしたわけだ。
それは、「オリジナリティこそ芸術家であることを証明する」という、それまでの画家たちが持っていた自意識の拡大願望に対する挑戦状でもあった。
しかし、ロイの面白いところは、そのような姿勢が、同時に絵画に対して関心を失った大衆に対する挑発にもなっていたことだ。
彼は、彼なりに「絵画って面白いよ」というメッセージを大衆に発信したのである。
彼の子どもが、現代コミックを模写した彼の “落書き” に興奮した事実を知っていたからだ。
こうして、ロイ・リキテンシュタインやアンディー・ウォーホールらの作品をまとめて公開した「ポップアート展」は、今まで絵画に無関心だった一般大衆の注目を大いに集め、興行的にも大成功を収めた。
▼ アンディー・ウォーホールの作品
ロイはこう言いたかったらしい。
「皆さんがあまり注目することのなかったモンドリアンたちの抽象画は、実は私の作品と同じなのです。色の配合や線の軌跡はまったく変らない。ただ片方は、描いたものが何ものにも似ていなかっただけ。私の作品は、たまたまコミックに似ていただけ」
… ってなことを、本人が言いたかったのかどうか、そこはよく分からないけれど、私流の言葉に直すと、そういうことになる。
▲ モンドリアンの 「赤、黄、青、黒のコンポジション」 ロイ・リキテンシュタインは、この絵と同じ色使いで、「ヘアリボンの少女」 を描いた
ロイは、「芸術を創ったり鑑賞したりできるのは、庶民とは “人種 ”の異なる天才だ」という従来の先入観をぶっ壊し、「芸術を解き明かすことは、どんな人間にとっても平等にスリリングだ」ということを訴えたかったのだろう。
ね、絵画って面白いでしょ?
絵画を観ることは、推理小説の謎解きを楽しむのと同じようなものである。
… と、思う。