アートと文藝のCafe

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クロード・ロランの描く静寂のユートピア

 

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▲ デロス島アイネイアスのいる風景 
 

 クロード・ロランという人の絵が好きだ。

 彼は、17世紀のフランスで活躍した画家で、当時の裕福な王侯貴族たちをパトロンに抱え、古代ローマ時代の建築群などをモチーフにした風景画を描いて好評を博し、名誉と栄光に包まれた人生を送った人だといわれている。

 

 生前はもちろん、死後もその高い評価を維持したという意味で、芸術家としては珍しく幸せな運命に恵まれた画家の一人だ。
 
 えてして、こういう芸術家の作品は退屈なものが多いのだが、クロード・ロランの絵は、いつ見ても不思議な感興を呼び起こす。
 その作品の多くは、自然と文明が美しく調和し、明るい静謐(せいひつ)感を湛えた画風で統一されている。
 
 どの絵をとっても、まるで劇場の背景画のような壮大さと華麗さを持っており、きっと貴族たちの館を飾るにふさわしい家具・調度としての機能を果たしていたことだろう。

 

 聖書やギリシャ神話から採った題材がほとんどだが、人を激情に駆らせたり、不安に落としこめるようなドラマチックな要素はひとつもなく、見る者の心を静かに癒す、平穏な風景が格調高い筆致で描かれている。

 

 
この世のどこにもない風景

 

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▲タルソスに上陸するクレオパトラ  

 

 特筆すべきは光の処理で、逆光がまばゆいばかりに海面を踊る様子を描いた絵などは、そのあまりにも荘厳な雰囲気に、思わず息を呑んでしまう。

 

 しかし、よく見ると彼の絵は、不思議だ。
 この世のどこにもない風景なのだ。
 

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 古代ローマ風の建築群は、その大理石の質感やら陰影やらも克明に書き込まれているというのに、どこかこの世のものとも思えぬ “はかなさ” を漂わせているし、涼しげな風を宿す木々は、夢に出てくる樹木のように現実感を欠いている。

 

 小さく描きこまれた人物たちも、輪郭が明瞭であるにもかかわらず、おとぎの国の生き物のように存在感が希薄だ。

 

 
現実感のないゴージャスさ

 
 「ユートピア」という言葉の語源が、「どこにもない場所」という意味であるならば、クロード・ロランの描く世界は、まさに絵画が実現した「ユートピア」である。
 
 この現実感を欠いたゴージャスな空間というのは、今の言葉でいえば、まさに「リゾート空間」ということになるだろう。

 

 リゾートこそは、自然と文明の調和を謳いながら、実は自然とも文明とも無縁な、純度100%の架空世界にすぎない。

 

 リゾートが、人間に「くつろぎ」を与える場所であるのは、それは、リゾートが「人間」を巧妙に消去する空間だからである。

 

 人間である限り、どんな空想の世界で遊ぼうが、どこかで人間として存在することの「受苦」から逃れられない。
 その受苦が人間から免除されるのは、人間が「人間」であることを降りる瞬間でしかない。

 

 
「人間」がいない世界

 

 クロード・ロランの絵は、まさに、人間が「人間」から降りる空間を描いている。
 
 では、人間が「人間」から降りる場所とは、どういうところだろうか。
 
 いうまでもなく、それは「時間が止まる場所」のことである。
 人間が地球からいなくなれば、時間は止まる。


 つまり、時間を「時間」として認識する人間が地球から消えたとき、この世に「時間」もなくなる。

 

 クロード・ロランの絵の美しさとは、そのように、「時」が歩みを止めてしまった世界の美しさのようにも感じられる。
 
 美術評論家の多くは、クロードの絵に、平和と調和に満たされた優美な「理想郷」を読み込む。
 しかし、この絵に潜む、言い知れぬメランコリー(憂愁)を見逃している。
 
 この絵が伝える優しい静けさが、死の気配に近いことを見逃している。

 

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