今年は、元旦から能登半島地震が起こり、翌2日には羽田空港の滑走路における航空機事故が起きた。
なんとも波乱に満ちた幕開けとなった2024年。
思い出せば、昨年(2023年)もとんでもないことがたくさん起こった年だった。
世界的にみれば、一昨年から続いているロシアのウクライナ侵攻に加え、昨年にはイスラエルとハマスの戦争(写真下)が勃発した。
さらに、各国での気候異変による災害が恒常化しつつあり、地球規模で新しい脅威が生まれた。
もちろん、日本国内においても、自民党の各派閥内における裏金疑惑が大問題となり、その結果、1月のFNN世論調査では、岸田内閣の支持率は27,5%という低レベルになっている(「支持しない」は66.4%)。
これに加え、大阪・関西万博も莫大な費用がかかることが判明し、工事の納期も遅れがちになっていることもニュースネタになってきた。
芸能系の話題としては、ジャニーズのジャーニー喜多川氏における性加害問題。さらにダウンタウン松本人志氏における性加害疑惑が明るみに出て、エンタメの世界も闇の怖さが目立ち始めた。
what happened ?
いったい、何が起こっているんだろう。
たぶん、21世紀の初頭には見過ごされていた “20世紀的なもの” が世界的に崩壊しつつある時代を迎えたのだ。
日本でいえば、「平成」という時代も組み込んだ “昭和的なもの” が一気に崩れ始めたといっていいのかもしれない。
つまり、「大量生産・大量消費」で経済を回してきた高度成長の幻影がものの見事に地上から消えたのだ。
その象徴的な例が、前述した大阪万博。
「“未来” がパビリオンという建築物の上に築かれる」
という発想がもう昭和までの思考。
「未来」が不安に満ちてきた今の時代に対し、「未来を夢見る」というスローガン自体がすでにうすら寒い。
私などは、1982年に制作されたリドリー・スコットの『ブレードランナー』(写真下)に描かれたディストピア的な未来の方がアートとして輝いていると思うのだが、万博をデザインした人たちは、そういう芸術的感性を持ち合わせていないのだろう。
この大阪万博は、基本的には、万博終了後のカジノの建設を目的としたものであることは明白である。
それも時代を読み違えている。
今日本を訪れている外国人観光客は、その大半は日本の自然や文化を求めてきている。
その人たちがカジノに行って博打に興じるとはどうしても思えない。
ジャーニー喜多川氏における性加害問題やダウンタウン松本人志氏における性加害疑惑なども、日本のエンタメ社会が昭和的な感性から抜けられなかったことを物語っている。
松本氏の性加害がほんとうにあったのかどうかという問題は、どうでもいい。
問題は、男の芸能人たちが、いまだに昭和的な合コン的 “女遊び” しかイメージできない状態に置かれていたということが問題だったのだ。
つまりは、50代~60代の松本世代のお笑い芸人たちが、昭和的な貧困のなかに溺れていたということが明るみになっただけのことだ。
彼らは、バブル期の浮かれ感覚をそのままギャグとして紡いできたに過ぎない。
政治においても、エンタメにおいても、現在その世界をリードしようとしている人たちのアイデアの枯渇には目を覆うばかりだ。