2023年の大河ドラマ『どうする家康』が、この1月8日から始まった。
ここに至るまでのNHKの番宣はすさまじかった。
年末から年始にかけて、BS放送も含め、NHKの歴史教養番組はことごとく「徳川家康」に焦点を当てた。
前作『鎌倉殿の13人』が大ヒットしたことに気をよくしたのかもしれない。
確かに、昨年の『鎌倉殿 … 』は面白かった。
私も毎回欠かさず観た。
では、この『どうする家康』の初回をどう感じたか。
違和感が残った。
その最大のものは、(あくまでも個人の嗜好の問題かもしれないが)、家康を演じる松本潤の顔立ちである。
バタ臭すぎるのだ。
ジャニーズ特有の現代的フェイスなので、戦国時代の日本人に見えない。
次に感じた違和感は、演出の過剰さ。
“ヘタレの家康” を強調しようとするあまり、松本潤の泣き叫ぶ顔が頻繁に出てきて、少し食傷気味になった。
また、人質として管理されている身にかかわらず、瀬名姫(有村架純)とのままごと遊び有頂天になっているという設定にも奇妙なものを感じた。
松潤は、役者としての修練を積んできた人ではない。
演技力があるとは決していえない。
そういう場合は、むしろ抑制的な演出の方がボロが出なくてすむと思うのだ。
ただ、松本潤の顔立ちに関しては、視聴者によってさまざまな好みがあるので、あのバタ臭さを「是」とする人々も多いだろう。
事実、ネットの印象批評を見るかぎり、松潤の家康を「かわいい」と感じた人はいたようだが、違和感を感じたという意見は見当たらなかった。
こういう歴史ドラマを観賞するとき、視聴者の判断基準となるのは、鑑賞者の歴史的知識や教養である。
特に、私のような年配の人間にとって、若い頃に学んだ歴史的知識は絶対のものとなる。
つまり、徳川家康という人物に共感を感じるかどうかは、以前にどういう知識を身につけてきたかによって決定的に決まるようなところがある。
で、思うのだが、司馬遼太郎の小説になじんだ読者は、だいたい “家康嫌い” になる。
司馬氏の戦国モノといえば、『国盗り物語』、『新史太閤記』、『関ケ原』、『城砦』など多数あるが、そこに家康が登場しても、司馬氏はけっして褒めようとはしない。
司馬氏の作品に登場する家康は、どちらかというと、「地味」、「花がない」、「陰険」、「用心深い」といったネガティブなイメージが付与されていて、颯爽としたところがない。
家康そのものが主人公である『覇王の家』という長編においても、基本的には、ネクラでねちっこい性格に描かれている。
主人公をこんなにも “いやらしい” キャラクターに染めあげた小説というのも珍しい。
このあたり、関西出身の司馬遼太郎の「関東嫌い」という気分が反映されているのかもしれない。
私もまた司馬遼太郎の作品に長年なじんだせいで、家康という人物のイメージは「たぬきオヤジ」でしかない。
今回の『どうする家康』というドラマは、そこのところを大胆に書き換える意図が明白なのだが、私のようなガンコな “司馬ファン” の心にどれだけ届くか。
まずはNHKのお手並み拝見といったところだ。