ブログの更新をサボっているうちに、面白いネタが書けそうな出来事がいろいろ起こった。
今回は、ブログを再開する意味で、それらを少し整理してみたい。
まずは今週閉幕した北京(冬季)オリンピックの話題。
日本選手のメダル獲得数が過去最多となったという記録が日本のマスコミでは取り上げられたが、結果的には後味の悪いものが残った。
その最大の原因は、ロシアが組織ぐるみで進めたのではないかといわれているドーピング問題。
女子フィギアスケートで、金メダル候補のトップ選手として話題になった15歳のカミラ・ワリエワ選手(ROC=ロシア五輪委員会)に、突然ドーピング疑惑が降りかかった。
それに動揺したのか、彼女は女子フィギアの最終プログラムであったフリーでは、なんと7本のジャンプのうち5本を転倒してしまい、まさかの4位。
この予想外の結果に、マスコミも騒然となった。
さらに驚いたのは、競技が終わった後にワリエワを迎えた女性コーチ(エテリ・トゥトベリーゼ)が彼女に投げかけた言葉。
「なぜ戦うのを途中でやめたの? 私に説明しなさい」
この叱責には、さすがのIOCトーマス・バッハ会長も、「選手に対して冷淡過ぎる」と非難した。
このドーピング問題は誰が仕掛けたのか、その責任は誰がとるのか。
さらに、ワリエワ選手の今後の選手生命はどうなるのか、結論が出るにはさらに1ヵ月以上かかるという。
このワリエワ選手の転倒は、(一部のネット情報では)彼女の故意であったという見解もあるらしい。
ドーピング疑惑で動揺したというよりも、ドーピングを仕向けた組織に対する彼女の最後の抵抗だったという見方だ。
実際にそういうことがあったとは思えないが、しかし、ワリエワ選手が故意に「試合を放棄した」という事実があったのなら、コーチにはそれが分かる。
そうなると、
「なぜ戦うことをやめたの?」
というエテリコーチの質問の意味も、つじつまが合う。
もちろん、ワリエワは絶対事実を語らないだろうから、真相は闇の中。
ただ、このドーピング問題にロシアの最高指導者であるプーチン大統領が関わっていることだけは確かだ。
彼は、スポーツには「国威高揚の力がある」と常日頃から明言しているし、特にフィギアスケートの振興に力を入れている。
ドーピング行為に、プーチン氏からの具体的な指示があったかどうかは不明だが、プーチン氏麾下の幕僚たちがプーチンに忖度したという可能性は非常に強い。
私自身は、ドーピングの問題以前に、「メダルの獲得が国威の高揚につながる」という発想そのものが、もう前世紀の遺物だと思う。
メダルの数が、その国の実力を表わすのだとしたら、当然、国が広く、競技人口も多い国がオリンピック競技の上位を独占しているはずである。
しかしそうはならないことは、今大会の開催者であった中国をみればわかる。
オリンピックのメダルというのは、広大な国土と競技人口の多さだけでは決まるというものではないのだ。
そのような五輪大国の体質とは別に、私はメダルの獲得数だけを誇張して宣伝するというメディアの姿勢にも問題があると思う。
そういう考え方では、「勝ち組」だけを讃えるという、今までの「弱肉強食経済社会」の名残を払しょくできない。
「(勝ち組の)サクセス・ストーリー」だけが脚光を浴びるという時代はすでに過去のものになろうとしている。
それを競技で示したのが、フィギアスケーターの羽生結弦選手だった。
彼にすれば、ライバルのネイサン・チェン選手と互角にメダルを争う位置をキープするために、誰も競技で成功をさせたことがない4回転アクセルを選択肢から外すことも考えられたはずだ。
しかし、彼は失敗するかもしれない4回転アクセルに果敢に挑戦した。
結果は着地に失敗し、金メダルどころか、銀にも銅にもとどかなかった。
※ ただし、4回転アクセルは、世界ではじめて認定された。
後で判明したことだが、このとき羽生選手は、氷上に空いた穴に足をとられ、さらに練習で足首をねんざして、痛み止めの注射を打ちながら競技に臨んでいたという。
そういう悲壮さを内に隠した彼の演技は圧倒的な迫力を生んだ。
メダルの獲得が至上命題であるオリンピックで、彼は金メダル以上の輝きを放つ演技を創造したのだ。
私にとっては、このときの映像が、(エキシビションも含め)今回のオリンピックのベストショットではあったように思う。
「鬼気迫る」
という表現が似つかわしいかどうか分からないが、彼の氷上の「舞」はスポーツを超え、アートを超え、さらにそれ以上の何ものかになっていたような気がする。
組織ぐるみのドーピングを行ったのではないかといわれるロシアについて、今のわれわれには何もいうことができない。
ロシアのリーダーであるプーチン氏は、このような疑惑や批判をいとも簡単に無視する人だからだ。
ドーピング疑惑を放置するロシア政府の姿勢は、いまマスコミで取り上げられるウクライナ問題とつながっている。
ロシアのウクライナへの軍事侵攻があるのかないのか予断を許さない状況だが、アメリカをはじめ西側諸国は、ロシアの軍事侵攻の可能性がすぐそこまで迫っていると予想している。
プーチン氏は何を考えているのか。
報道番組に出演する専門家によると、
「プーチン氏は(ウクライナ問題に関して)もう合理的な判断を超えたところに立っている」
という。
つまり、プーチン氏は、ここに至って合理的・理性的に政治情勢を判断することを捨て、感情的・情緒的にこの問題に向き合っているというのだ。
すなわち、ロシアの国境をできるかぎり西側に押し戻し、旧ソ連時代の版図を取り戻すという姿勢を貫き始めたらしい。
そうなると、ウクライナなどという国は一気に地図上から姿を消し、ロシアがそれに代わって、再びポーランドやチェコと国境を接するようになる。
それをもって、専門家は、プーチン氏が冷戦時代のソ連領を回復しようとしていると言うが、私はもっと歴史的に根深いものがあるような気がしている。
すなわち、ロシア人の領土意識には、「タタールのくびき」という言葉が当てはまりそうだ。
タタールとは、ユーラシア全土を支配したアジア系遊牧民のことをいう。
具体的には、13~15世紀にロシアに侵攻したモンゴル系騎馬民族のことを指す。
このときロシアの人たちに植え付けられた禍々しい記憶は、いまだにロシア人たちの原体験として刻み込まれている。
モンゴル帝国は、今のロシアの領土を完全に支配した。
その版図の西は、ドイツの森まで。
東は日本海まで。
要するに、馬を疾駆させる草原が続く限り、彼らはユーラシア大陸の果てから果てまで征服した。
このときの記憶は、アジア人でなかったロシア人たちの脳内にも引き継がれた。
すなわち、ロシア人もまた、モンゴルに従属しながらも、ドイツあたりまでを支配下においたアジア系遊牧民の “夢” に追従したのだ。
おそらくプーチン氏の意識にも、NATOの拠点をドイツ辺りまで押し戻すというロシア民族の伝統的悲願が色濃く染み込んでいるのだろう。
そうなると、実際の戦争が起きることによって失われるコストなど、もう問題ではなくなる。
独裁者の長期政権が続くことの怖さはそこにある。
プーチン氏(現在69歳)の任期は、現状では2036年まで保証されているという。
そうなると、彼は83歳まで大統領職を続けることが可能となる。
83歳といえば、政治的判断よりも個人の我執の方が強く外に発揮される年齢となる。
そうなれば、老害を心配しなければならない。
すなわち、その年まで権力を握った独裁者の場合、政治的野望がどんどん肥大化し、他国との協調関係よりも、自国の領土拡張の方が優先されるようになる。
このウクライナ問題を見る限り、もうそういう兆候が現実化してきたようにも思える。
今の日本は、独裁者が君臨する国家に囲まれている。
ロシアのプーチン氏だけではない。
北朝鮮の金正恩氏。
中国の習近平氏。
地政学的に、日本はとんでもない国々に包囲され始めている。